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復活 確かな希望ものみの塔(研究用)2020 | 12月
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復活についてパウロが述べたことは,コリント第一 15章に記されています。パウロの手紙を読んだ1世紀のクリスチャンは強められたことでしょう。私たちもパウロの言葉から力を得て,ずっと大切にしてきた復活の希望が実現するという確信を強めることができます。
4. 亡くなった愛する人たちが生き返るという希望を持つ上で欠かせないのは何ですか。
4 イエス・キリストの復活は,亡くなった愛する人たちが生き返ると信じる根拠になります。パウロがコリントのクリスチャンに伝えた「良い知らせ」には,この点が含まれています。(コリ一 15:1,2)パウロは,クリスチャンがイエスの復活を信じないなら,その人の信仰は無意味になる,と言いました。(コリ一 15:17)イエスの復活を信じることは,クリスチャンが希望を持つ上で欠かせないのです。
5-6. コリント第一 15章3,4節の言葉は,私たちにとってどんな意味がありますか。
5 パウロは,復活についての記述の初めに,3つの点に注意を向けました。(1)「キリストが私たちの罪のために死んでくださ」ったこと,(2)「葬られ」たこと,(3)「聖書にある通り3日目に生き返らされ」たことです。(コリント第一 15:3,4を読む。)
6 イエスが死に,葬られ,復活したことは,私たちにとってどんな意味があるでしょうか。預言者イザヤによると,メシアは「地上から除かれ」,「悪人と共に墓を与えられ」ることになっていました。それだけでなく,「多くの人の罪を担」うことにもなっていました。イエスが贖いになることによって,この預言は実現しました。(イザ 53:8,9,12。マタ 20:28。ロマ 5:8)イエスが死に,葬られ,復活したことは,私たちにとって大きな意味があります。罪と死から自由にされ,亡くなった愛する人たちと再会する,という希望をしっかり持つことができるのです。
大勢の目撃者
7-8. イエスが復活したことを確信できるのはなぜですか。
7 将来復活が起きることを信じるには,イエスが復活したことをまず信じる必要があります。エホバがイエスを生き返らせたことを確信できるのはなぜでしょうか。
8 大勢の人が,復活したイエスを目撃しました。(コリ一 15:5-7)パウロが最初に挙げているのは,使徒ペテロ(ケファ)です。ほかの弟子たちも,ペテロが復活したイエスを見たと言っています。(ルカ 24:33,34)さらに,使徒たちも復活したイエスと会いました。その後イエスは,「一度に500人以上の兄弟の前に現れました」。マタイ 28章16-20節に記録されているガリラヤで開かれた喜ばしい集まりの時のことでしょう。イエスはさらに,「ヤコブの前に……現れました」。このヤコブは,初めはイエスがメシアであることを信じていなかったイエスの弟と思われます。(ヨハ 7:5)ヤコブは復活したイエスを見て,信仰を持ちました。パウロがコリントに手紙を送った西暦55年ごろには,復活したイエスを目撃した人がまだ大勢生きていたので,疑問があれば,そうした人たちに直接話を聞くことができました。
9. 使徒 9章3-5節によると,パウロに生じたどんな出来事から,イエスが復活したということがはっきり分かりますか。
9 イエスはパウロにも現れました。(コリ一 15:8)パウロ(サウロ)は,ダマスカスに向かう途中で,復活したイエスの声を聞き,天にいるイエスの幻を見ました。(使徒 9:3-5を読む。)この出来事からも,イエスが復活したということがはっきり分かります。(使徒 26:12-15)
10. パウロは,イエスの復活を確信していたので,どんなことをしましたか。
10 かつてクリスチャンを迫害していたパウロがイエスの復活について書いているのは,興味深いことではないでしょうか。パウロは,イエスの復活をいったん確信すると,ほかの人もこのことを信じられるようにできる限りのことをしました。殴打や拘禁や難船を経験しても,イエスが死んで生き返ったことを伝え続けました。(コリ一 15:9-11。コリ二 11:23-27)パウロは,イエスが復活したことを確信していたので,死をも恐れずに伝えたのです。1世紀のクリスチャンの中に大勢の目撃者がいたことを考えると,私たちもイエスの復活を確信できるのではないでしょうか。将来の復活に対する信仰も強まるはずです。
間違った考えを正す
11. コリントのクリスチャンの中には,復活について間違った考え方をしている人たちがいました。どんな理由が考えられますか。
11 ギリシャのコリントに住むクリスチャンの中には,復活について間違った考え方をし,「死者の復活などない」と言う人さえいました。なぜでしょうか。(コリ一 15:12)同じギリシャのアテネの哲学者たちは,イエスが復活したという考えをばかにしていました。そうした態度がコリントのクリスチャンにも影響していたのかもしれません。(使徒 17:18,31,32)復活を比喩的な意味で捉える人もいました。罪のうちに“死んだ”状態にある人がクリスチャンとして“生き返る”ことを指していると考えていたのです。理由はどうあれ,復活を否定することによって,その人たちの信仰は無駄になりました。神がイエスを復活させていないとしたら,贖いは支払われず,人の罪は許されていないことになります。それで,復活を退ける人には,何の希望もありませんでした。(コリ一 15:13-19。ヘブ 9:12,14)
12. ペテロ第一 3章18,22節からすると,イエスの復活は,それまでの復活とどのように違っていましたか。
12 パウロは自分の経験から,「キリスト[が]生き返らされ」たことを知っていました。イエスの復活は,それまでに起きた復活より勝っていました。イエスより前に復活した人たちは皆,再び死んだからです。パウロはイエスのことを「死の眠りに就いた人たちの中で最初に復活した方」と呼びました。どういう意味で最初なのでしょうか。イエスは,目に見えない存在として復活した最初の方です。さらに,天に復活した最初の方でもあります。(コリ一 15:20。使徒 26:23。ペテロ第一 3:18,22を読む。)
キリストのゆえに「生かされる」人たち
13. パウロは,アダムとイエスについてどんな対比をしましたか。
13 1人の人の死によって多くの人が命を得ることなどあるのでしょうか。パウロは,筋の通った説明をしています。アダムのせいで人類に生じたことと,キリストによって可能になったことを対比しました。アダムについては,「死が1人の人を通して来た」と言っています。アダムが罪を犯したために,人類は皆,死を経験するようになりました。アダムの不従順の悲惨な影響は今も続いています。それとは対照的に,神がイエスを復活させてくださったので,私たちの将来には素晴らしい希望があります。パウロはこう述べています。「死者の復活も1人の人[イエス]を通して来ます。アダムのゆえに全ての人が死んでいくように,キリストのゆえに全ての人が生かされるのです」。(コリ一 15:21,22)
14. アダムは復活しますか。
14 パウロはどんな意味で,「アダムのゆえに全ての人が死んでいく」と言ったのでしょうか。パウロは,アダムの子孫のことを考えていました。その人たちは,アダムから罪と不完全さを受け継いでいるので,やがて死んでいきます。(ロマ 5:12)アダムは,「生かされる」人には含まれていません。キリストの贖いはアダムの罪を覆うことはできません。アダムは,完全な人間だったにもかかわらず,あえて神に従わなかったからです。アダムが復活することはありません。「人の子」に「ヤギ」として分けられて,「永遠の死」を迎える人たちと同じです。(マタ 25:31-33,46。ヘブ 5:9)
イエスは天に復活した最初の方。(15-16節を参照。)b
15. 「生かされる」ことになる「全ての人」には,どんな人が含まれますか。
15 パウロは,「キリストのゆえに全ての人が生かされる」と述べています。(コリ一 15:22)パウロはこの手紙を,天に復活する希望を持つ,コリントのクリスチャンに宛てて書きました。それらのクリスチャンは,「キリスト・イエスと結ばれて神聖なものとされ,招かれて聖なる人となりました」。「キリストと結ばれて死の眠りに就いた人たち」とも呼ばれています。(コリ一 1:2; 15:18。コリ二 5:17)パウロの別の手紙によると,「キリストと同様の死を迎えてキリストと結ばれた」人たちは,「キリストと同様の復活を遂げてキリストと結ばれます」。(ロマ 6:3-5)イエスは,目に見えない存在として天に復活しました。ですから同じことが,「キリストと結ばれて」いる人たち,つまり,聖なる力によって選ばれたクリスチャンたちに生じるのです。
16. 「最初」という表現から何が分かりますか。
16 パウロは,キリストが「死の眠りに就いた人たちの中で最初に復活した方」となったと書いています。確かに,ラザロのように地上に復活させられた人はいましたが,目に見えない存在として生き返らされ,永遠の命を与えられたのは,イエスが最初でした。「最初」という表現から,イエスの後にも天に復活する人たちがいることが分かります。「キリストと結ばれて」いる人たちは,イエスのように天に復活させられるのです。
17. 「キリストと結ばれて」いる人たちが天での報いを受けるのはいつですか。
17 パウロがコリントのクリスチャンに手紙を書いた時点では,「キリストと結ばれて」いる人たちの天への復活はまだ始まっていませんでした。パウロはそれが将来起きることを示して,こう書きました。「それは各自,順番に従ってのことです。最初にキリスト,その後,キリストの臨在の間に,キリストのものである人たちです」。(コリ一 15:23。テサ一 4:15,16)現在,予告されていた「キリストの臨在」はすでに始まっています。死の眠りに就いていた,天に行くよう選ばれたクリスチャンは,その臨在が始まった後,天での報いを受け,「キリストと同様の復活を遂げてキリストと結ばれ」ました。
確かな希望がある
18. (ア)天への復活の後にほかの復活が起きると言えるのは,なぜですか。(イ)コリント第一 15章24-26節によると,天ではどんなことが起きますか。
18 聖書によると,パウロなど,天に行く人たちが経験するのは「早い方の復活」です。(フィリ 3:11)つまり,その後にほかの復活が起きるということです。これは,ヨブが自分に起きると信じていたこととも調和しています。(ヨブ 14:15)「キリストの臨在の間に」復活する「キリストのものである人たち」は,イエスが全ての政府,また全ての権威と力を除き去る時に,天でイエスと共にいるでしょう。「最後の敵である死」も除き去られます。天に復活した人たちは,もう死ぬことはないのです。では,天に行くよう選ばれてはいない忠実なクリスチャンについてはどうでしょうか。(コリント第一 15:24-26を読む。)
19. 地上で生きることを望んでいる人たちには,どんな希望がありますか。
19 地上で生きることを望んでいる人たちには,どんな希望がありますか。パウロはこう書いています。「私は……希望を持っております。神が正しい人も正しくない人も復活させてくださるという希望です」。(使徒 24:15)正しくない人が天に行くことはありません。ですからこの言葉は,将来地上で復活が起きることを示しています。
復活に対する信仰があると,将来を楽しみに待つことができる。(20節を参照。)c
20. 復活の希望が実現するというあなたの確信は,どのように強まりましたか。
20 そうです,復活は必ず起きます。地上に生き返ってくる人たちには,永遠に生きる見込みがあります。エホバの約束が実現することを確信できます。復活の希望があるので,亡くなった愛する人についても慰めが得られます。そうした人は,キリストと14万4000人が「1000年の間……王として治める」時に復活します。(啓 20:6)私たちはたとえ千年統治が始まる前に死ぬとしても,必ず生き返らされるという確かな希望があります。この「希望が失望に至ることはありません」。(ロマ 5:5)復活の希望は私たちの支えとなり,喜んで神に仕える助けともなります。とはいえ,コリント第一 15章から学べる点はほかにもあります。次の記事で考えましょう。
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「死者はどのように生き返らされるのか」ものみの塔(研究用)2020 | 12月
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聖書は天への復活について何から何まで述べているわけではありませんが,使徒パウロの手紙から幾つかの点を理解することができます。キリストが「全ての政府,また全ての権威と力……そして最後の敵である死」を除き去る時,天に復活したクリスチャンたちはキリストと共にいます。最後に,イエスは共同統治者たちと共にエホバに服従し,誰にとってもエホバが全てになるようにします。(コリ一 15:24-28)それは本当に素晴らしい時となるでしょう。b
3. コリント第一 15章30-32節によると,パウロは復活を信じていたので,どんなことができましたか。
3 パウロは復活を信じていたので,さまざまな試練を忍耐することができました。(コリント第一 15:30-32を読む。)パウロは,コリントのクリスチャンに宛てた手紙の中で,「私は日々,死に面しています」と書きました。また,「エフェソスで野獣と戦った」とも言っています。パウロは,エフェソスの競技場で文字通り野獣と戦ったと述べていたのかもしれません。(コリ二 1:8; 4:10; 11:23)あるいは,自分に敵対するユダヤ人など,「野獣」のような人たちのことを言っていたのかもしれません。(使徒 19:26-34。コリ一 16:9)いずれにしても,パウロは大きな危険に何度も直面しましたが,将来に対する前向きな見方を保っていました。(コリ二 4:16-18)
この家族は,エホバの証人の活動が制限されている場所に住んでいるが,神が将来素晴らしい報いを与えてくださることを心から確信して,エホバへの崇拝を続けている。(4節を参照。)
4. 復活の希望はどのようにクリスチャンの力となっていますか。(表紙の写真を参照。)
4 今は危険な時代です。兄弟たちの中には,犯罪に巻き込まれた人がいます。紛争地域で命の危険を感じている人たちもいます。伝道活動が制限されたり禁止されたりしている地域では,拘束されたり命を落としたりする恐れもあります。そうした中でも,兄弟姉妹はエホバへの崇拝を続けており,私たちの立派な手本となっています。たとえ命を落とすことになるとしても,エホバが将来はるかに素晴らしい報いを与えてくださることを知っているので,恐れてはいません。
5. どんな考え方をすると,復活に対する信仰が弱まってしまうかもしれませんか。
5 パウロの時代には,「死者が生き返らされないのであれば,『食べたり飲んだりしましょう。明日には死ぬからです』」という間違った考え方をしている人たちがいました。それでパウロは,兄弟たちに警告を与えました。そうした考え方は目新しいものではありませんでした。パウロは,イスラエル人の態度について述べたイザヤ 22章13節の表現を引用していたのかもしれません。イスラエル人は神への愛を強めるのではなく,生活を楽しむことばかり考えていました。明日はどうなるか分からないのだから今を楽しもう,という考え方をしていたのです。そうした態度は今も普通に見られます。しかし,聖書に記録されている通り,イスラエル人は悲惨な結果を刈り取りました。(代二 36:15-20)
6. 私たちは復活の希望を大切にしているので,友達を選ぶ時,どんな点に注意しますか。
6 私たちは,エホバが亡くなった人を復活させてくださるという希望を大切にしています。ですから,友達を注意深く選ぶ必要があります。コリントの兄弟たちは,復活を信じない人たちと時間を過ごすことに注意しなければなりませんでした。何が学べますか。「今が楽しければそれでよい」と考える人たちと多くの時間を過ごすなら,悪い影響を受けてしまう,ということです。そうした人たちと一緒にいると,クリスチャンとしての考え方や生き方を大切にしなくなるかもしれません。神に憎まれることまでするようになるかもしれません。それでパウロは,こう強く勧めました。「正しいことを行って,本心に立ち返ってください。罪を犯し続けてはなりません」。(コリ一 15:33,34)
どんな体か
7. コリント第一 15章35-38節によると,復活に関してどんなことを言う人がいたかもしれませんか。
7 コリント第一 15:35-38を読む。復活に疑いを持たせようとして,「死者はどのように生き返らされるのか」と言う人もいたかもしれません。パウロが何と答えたかに注目するのはよいことです。現代でも死後の状態についてはいろいろな考え方があるからです。では,聖書は何と言っているでしょうか。
神は人を復活させ,ふさわしい体を与えることができる。パウロは植物の種の例えを使ってそのことを示した。(8節を参照。)
8. 天への復活を理解する上で,どんな例えが助けになりますか。
8 人が死ぬと,体は分解していきます。しかし,何もないところから宇宙を造った方は,その人を復活させ,ふさわしい体を与えることができます。(創 1:1; 2:7)生きていた時と同じ体に復活させる必要はありません。そのことをパウロは例えを使って示しました。植物の種の例えです。種は地面に植えられると,芽を出して成長していきます。大きくなった植物は小さな種とは全くの別物です。パウロはこの変化を引き合いに出して,神は「望みのままに……体を与え」ることができる,ということを示しました。
9. コリント第一 15章39-41節では,体の違いについてどんなことが述べられていますか。
9 コリント第一 15:39-41を読む。パウロは,創造物にいろいろな種類があることを述べています。種類によって体はさまざまです。家畜の体,鳥の体,魚の体などがあります。空にある太陽と月にも違いがあります。パウロが述べている通り,「一つ一つの星の栄光も異なります」。肉眼では区別できないかもしれませんが,科学者によれば,星の大きさはさまざまです。色も,太陽のように黄色い星もあれば,赤い星や白い星もあります。パウロは「天での体と地上での体があります」とも言いました。どういう意味でしょうか。地上に住む人には,目に見える体があり,天に住む者には,天使のような,目に見えない体がある,ということです。
10. 天に復活する人たちには,どんな体が与えられますか。
10 パウロは次にこう言っています。「死者の復活も同様です。朽ちるものとしてまかれ,朽ちないものとして生き返らされます」。人が死ぬと,体は朽ちて土に戻ります。(創 3:19)そうであれば,体が「朽ちないものとして生き返らされ[る]」とは,どういうことでしょうか。エリヤやエリシャやイエスは人を地上での命に復活させましたが,パウロはそのような復活について言っていたのではありません。「天での体」で生き返らされることについて言っていたのです。(コリ一 15:42-44)
11-12. イエスは復活した時,どんな変化を経験しましたか。天に行く人たちもどんな経験をしますか。
11 イエスは,地上にいた時は目に見える体を持っていましたが,復活した時,「命を与える,目に見えない存在になり」,天に戻りました。同じように,天に行くよう選ばれたクリスチャンたちも,復活すると,目に見えない存在になります。それでパウロはこう述べています。「私たちは,これまでは土で造られた者のようであり,やがて天で生きる方のようになります」。(コリ一 15:45-49)
12 大切なのは,イエスが人間の体で生き返らされたのではないということです。パウロは,復活について語った部分の終わりの方で,その理由をこう説明しています。「肉体は[天にある]神の王国を受けることができ[ません]」。(コリ一 15:50)使徒たちや天に行くよう選ばれた当時のクリスチャンたちは,朽ちる肉体で天に復活させられるわけではありませんでした。復活させられるタイミングについてはどうでしょうか。パウロは,天への復活が起きるのは死んだすぐ後ではなく,先のことであると言いました。パウロがコリント第一の手紙を書いた時にはすでに,使徒ヤコブのように「死の眠り」に就いていた弟子たちがいました。(使徒 12:1,2)ほかの使徒たちや天に行くよう選ばれたクリスチャンたちも,やがて「死の眠り」に就きました。(コリ一 15:6)
死に対する勝利
13. イエスの臨在の期間には,どんなことが起きることになっていましたか。
13 イエスもパウロも,キリストの臨在という歴史的に重要な期間について預言しました。その期間には,世界中で戦争や地震や流行病といった問題が起きることになっていました。1914年以来,この聖書預言は確かに実現しています。この期間の特徴となる事柄はほかにもあります。イエスによると,神の王国が統治しているという良い知らせは,「全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます」。(マタ 24:3,7-14)またパウロは,「主の臨在の時」には,天に行くよう選ばれたクリスチャンのうち,「死んで眠っている人たち」が復活すると述べました。(テサ一 4:14-16。コリ一 15:23)
14. 天に行くクリスチャンのうち,キリストの臨在の間に死ぬ人たちは,どうなりますか。
14 天に行くクリスチャンのうち,いま生きている人たちは,地上の歩みを終えると,すぐに天での命に復活させられます。そう言えるのは,コリント第一 15章51,52節でパウロがこう述べているからです。「私たちは皆が死の眠りに就くわけではありませんが,皆が変えられます。一瞬に,瞬く間に,最後のラッパが鳴る間にです」。この言葉は,まさにいま実現しています。これらキリストの兄弟たちは,復活して大きな喜びを味わいます。そして,「常に主と共にいることになります」。(テサ一 4:17)
天に復活した人たちは,イエスと共に国々を打ち砕く。(15節を参照。)
15. 天に復活した人たちは,そこで何を行いますか。
15 聖書には,天に復活した人たちがそこで何を行うかが書かれています。イエスはこう言いました。「征服する人,私が命じたことを終わりまで守り通す人に,私は国々を治める権威を与えます。その人は,私が父から権威を与えられたのと同じように,鉄のつえをもって人々を処罰し,土の器のように粉々に砕きます」。(啓 2:26,27)その人たちは,司令官であるイエスに従い,鉄のつえで国々を処罰します。(啓 19:11-15)
16. 人はどのようにして死に対する勝利を収めることができますか。
16 天に行くよう選ばれたクリスチャンは,復活する時,死に対する勝利を収めることになります。(コリ一 15:54-57)そして,ハルマゲドンの戦いの時には悪を地上から除き去ることに加わります。地上で生きる希望を持つ大勢のクリスチャンは,「大患難から出て」きて,生きて新しい世界に入ります。(啓 7:14)それらの人たちは,死に対する別の勝利を目撃することになります。死んでいた数え切れないほど大勢の人たちが復活してくるのです。その時の喜びを想像できますか。(使徒 24:15)エホバへの忠実を保つ人は皆,アダムから受け継いだ死に対する勝利を収め,永遠に生きることができます。
17. コリント第一 15章58節から,何を行うように動かされますか。
17 パウロがコリントのクリスチャンに宛てて書いた言葉について考えると,復活に対する確信が本当に強まります。そして,パウロの勧めに従って「主の活動」を熱心に行うように動かされます。(コリント第一 15:58を読む。)心を込めて一生懸命に行うなら,私たちの将来は喜びにあふれたものになるでしょう。私たちの想像をはるかに超えた素晴らしい将来が待っているのです。主のために働くことが無駄になることは決してありません。
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