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  • コリント人への手紙の目立った点
    ものみの塔 2008 | 7月15日
    • 使徒パウロは,コリントの会衆の霊的な状態を深く気遣っています。現地の兄弟たちの間に争論があること,不道徳が容認されていることを聞いていたのです。会衆もパウロに手紙を書き,幾つかの問題について尋ねていました。そこでパウロは,西暦55年ごろ,第3回宣教旅行でエフェソスに滞在していた時に,コリント人への2通の手紙のうち,最初のものを書きます。

  • コリント人への手紙の目立った点
    ものみの塔 2008 | 7月15日
    • 『目ざめていなさい。しっかりと立ちなさい。力強い者となりなさい』

      (コリ一 1:1–16:24)

      「あなた方すべての語るところは一致しているべきです」と,パウロは説き勧めます。(コリ一 1:10)クリスチャンの特質を築く土台として,『イエス・キリスト以外の土台』はありません。(コリ一 3:11-13)パウロは会衆内の淫行の者について,「その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい」と述べています。(コリ一 5:13)また,「体は淫行のためではなく,主のためにあるのです」とも述べています。―コリ一 6:13。

      「[彼ら]が書いてきた事柄」に対して,パウロは結婚と独身に関する健全な助言を与えます。(コリ一 7:1)そして,クリスチャンの頭の権,集会での秩序,復活の確実性について述べてから,「目ざめていなさい。信仰のうちにしっかりと立ちなさい。雄々しくあり,力強い者となりなさい」との訓戒を与えます。―コリ一 16:13。

      聖句についての質問に答える:

      1:21 ― エホバは信じる者を救うために,本当に「愚かさ」をお用いになるのですか。そうではありません。とはいえ,「世はその知恵を通して神を知るに至らなかった」ので,人々を救うために神がお用いになるものは,世にとっては愚かに見えるのです。―ヨハ 17:25。

      5:5 ―「[邪悪な]人を肉の滅びのためにサタンに引き渡し,こうして……霊が救われるようにするためです」とは,どういう意味ですか。甚だしい罪を習わしにし,悔い改めない人は,会衆から排斥され,再びサタンの邪悪な世の一部になります。(ヨハ一 5:19)それで,その人はサタンに引き渡される,と言われているのです。その人が追放されることによって,会衆から腐敗をもたらす要素が滅ぼされる,つまり取り除かれることになり,会衆の霊,すなわち支配的な精神が保たれます。―テモ二 4:22。

      7:33,34 ― 結婚している男女が気を遣う「世の事柄」とは何のことですか。パウロが述べているのは,結婚しているクリスチャンが気を配る必要のある,日常のありふれた事柄のことです。その中には衣食住が含まれますが,クリスチャンが退けるべき世の悪い事柄は含まれません。―ヨハ一 2:15-17。

      11:26 ― イエスの死はどれほどの頻度で,またいつ「まで」記念すべきですか。パウロが言わんとしていたのは,油そそがれたクリスチャンたちは記念式の表象物にあずかるたびに,年に一度,ニサンの14日に,『主の死をふれ告げている』ということです。そのことは「彼が到来する時にまで」,つまりイエスが復活によって彼らを天に迎える時にまで及びます。―テサ一 4:14-17。

      13:13 ― 愛はどんな点で信仰や希望に勝っていますか。「望んでいる事柄」が現実のものとなり,それに対する「保証された期待」が実現すると,信仰や希望はそこで終わります。(ヘブ 11:1)永遠に残るという点で,愛は信仰や希望に勝っています。

      15:29 ―『死んだ者となるためにバプテスマを受ける』とは,どういう意味ですか。パウロは,バプテスマを受けていない状態で死んだ人たちのために,生きている人がバプテスマを受けることを示唆していたのではありません。パウロがここで述べているのは,霊によって油そそがれたクリスチャンが,死に至るまで忠誠を保ち,その後,霊の命によみがえらされるという生き方に浸される,つまりそうした生き方を始めることです。

      学べる教訓:

      1:26-31; 3:3-9; 4:7。謙遜な態度を示し,自分自身ではなくエホバを誇るなら,会衆の一致を促進することができます。

      2:3-5。ギリシャの哲学と学問の中心地であるコリントで証言していたパウロには,人々を説得できるだろうかという不安があったかもしれません。しかし,自分の弱さや恐れのせいで,神から与えられた奉仕の務めを果たせなくなるということは,決してありませんでした。わたしたちも,異例の状況に直面するとしても,神の王国の良いたよりをふれ告げることを差し控えるべきではありません。パウロのように,確信をもってエホバに助けを仰ぐことができます。

      2:16。「キリストの思い」を持つとは,キリストの思考の型を知り,キリストのような考え方をし,その性格全体をしっかりと把握し,その模範に倣う,ということです。(ペテ一 2:21; 4:1)イエスの生涯や宣教を注意深く研究することは何と重要なのでしょう。

      3:10-15; 4:17。わたしたちは,教えて弟子を作る面での自分の能力を分析し,改善する必要があります。(マタ 28:19,20)もしわたしたちがよく教えないなら,研究生は信仰の試みを通過できないかもしれません。そしてわたしたちも,たいへん手痛い損失を被ることになり,救われるとしても「火をくぐるようにして」かもしれません。

      6:18。『淫行から逃げ去る』とは,ポルネイアの行為だけでなく,ポルノ,道徳上の汚れ,性的な空想,異性との悪ふざけなど,何であれ淫行につながりかねない事柄を避けることです。―マタ 5:28。ヤコ 3:17。

      7:29。夫婦は,互いのことに気を取られすぎて王国の関心事が生活の中で二の次にならないよう,注意する必要があります。

      10:8-11。イスラエルがモーセとアロンに対してつぶやいた時,エホバはたいへん不快に思われました。つぶやく傾向に陥らないよう用心するのは賢明なことです。

      16:2。王国の関心事を推し進めるためにいつも決まった額を寄付するには,事前に計画し,物事をよく組織することが必要です。

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