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    ものみの塔(研究用)2022 | 2月
    • 賢い人たちの言葉を聞きましょう

      「耳を傾けて賢い人たちの言葉を聞け」。格言 22:17

      123番の歌 神の秩序にいつでも従う

      何を学ぶかa

      1. どんな形で助言やアドバイスを与えられることがありますか。私たち全てに助言やアドバイスが必要なのはなぜですか。

      私たちは誰でも,助言やアドバイスを必要とするものです。信頼している人に自分からアドバイスを求めることもあれば,私たちのことを心配した兄弟から,このまま行くと「道を踏み外し」て後悔するようなことをしてしまう危険がある,と指摘されることもあるでしょう。(ガラ 6:1)また,重大な間違いを犯した後に助言を受けるということもあるかもしれません。どんな形で助言やアドバイスを与えられるとしても,私たちはそれに耳を傾ける必要があります。そうするなら,私たちのためになり,命を守ることもできるからです。(格 6:23)

      2. 格言 12章15節からすると,助言やアドバイスに耳を傾けるべきなのはなぜですか。

      2 この記事の主題聖句には,「賢い人たちの言葉を聞け」とあります。(格 22:17)知らないことは何もない,という人は一人もいません。自分よりもたくさんの知識を持っていたり,経験を多く積んでいたりする人が必ずいるものです。(格言 12:15を読む。)ですから,助言やアドバイスに耳を傾けることは,謙遜さの表れです。自分には限界があることや,目標を達成するには助けが必要であることをわきまえていることになるからです。賢い人だったソロモン王も,聖なる力に導かれて,「助言者が多ければ達成される」と書きました。(格 15:22)

      1人の兄弟が,自分が助言を受けるさまざまな場面を思い浮かべている。上の方にある開かれた聖書から2本の矢印が出ていて,間接的な助言と直接的な助言を指している。1. 間接的な助言。兄弟が会衆の集会に出席している。聖書を読んでいる。JW Broadcastingを見ている。出版物を勉強している。2. 直接的な助言。タブレットで何かを見せながら話してくれている兄弟の言葉に耳を傾けている。2人の兄弟による牧羊訪問を受けている。

      どちらの助言の方が受け入れにくいと感じるだろうか。(3-4節を参照。)

      3. 助言にはどんなものがありますか。

      3 助言には,間接的なものと直接的なものがあります。間接的な助言とは何でしょうか。例えば,聖書や出版物を読んでいる時に,自分の考えや決定について見直し,調整しようという気持ちになることがあるかもしれません。(ヘブ 4:12)そのような場合,間接的な助言を受けたことになります。では,直接的な助言とは何でしょうか。長老や他の資格ある兄弟から,改善できる点について指摘されることがあるかもしれません。そのような場合,直接的な助言を受けたことになります。誰かが私たちを深く愛して聖書に基づく助言を与えてくれる時,それを受け入れて当てはめることによって,感謝を表すことができます。

      4. 伝道の書 7章9節によると,助言を受けた時,どんなことをしてはいけませんか。

      4 そうはいっても,直接的な助言を受け入れるのは難しいことがあります。腹が立つことさえあるかもしれません。なぜでしょうか。自分が不完全だということを認めるのはそれほど難しくありません。それでも,ほかの人から自分のできていないところについて指摘されると,受け入れにくく思う場合があります。(伝道の書 7:9を読む。)自分は悪くないと考えて言い訳したり,助言を与えてくれた人の動機を疑ったり,助言の仕方が悪いと感じたりすることがあるかもしれません。助言を与えてくれた人の欠点に目を向けて,「あの人から助言される筋合いはない」とか,「あの人にだって欠点がある」と思うこともあり得ます。さらに悪いことに,自分が気に入らない助言は無視し,自分が気に入るような助言をほかの人に求めることさえするかもしれません。

      5. この記事ではどんなことを考えますか。

      5 この記事では,助言を退けた人と助言を受け入れた人の例を聖書から調べます。また,どうすれば助言やアドバイスを当てはめて役立てることができるかも考えます。

      助言を退けた人

      6. 助言に対するレハベアム王の反応から,どんなことを学べますか。

      6 ソロモンの子レハベアムの例を考えてみましょう。レハベアムが王になった時,民がやって来て,ソロモンに負わされた荷を軽くしてほしいと願い出ました。レハベアムは,どうすべきかについて年長者たちに相談しました。それは良いことでした。年長者たちは,民の願いを聞き入れるなら民はずっとあなたに仕えるだろう,と言いました。(王一 12:3-7)しかし,レハベアムはこの助言が気に入らなかったようで,一緒に育った同年代の人たちにも相談しました。彼らはおそらく40代だったので,ある程度の人生経験を積んでいたでしょう。(代二 12:13)しかし,この時はレハベアムに良くない助言をしました。民の荷をさらに重くするようにと勧めたのです。(王一 12:8-11)レハベアムは異なる2つの助言を聞いて,どちらに従うべきかをエホバに尋ねることもできたでしょう。しかし,そうするのではなく,自分が気に入った,同年代の人たちからの助言に従いました。どうなったでしょうか。レハベアムにとっても,民にとっても,悲惨な結果になりました。私たちが受ける助言やアドバイスも,受け入れやすいものばかりというわけではないかもしれません。とはいえ,その助言やアドバイスが聖書に基づいているなら,私たちはそれに耳を傾ける必要があります。

      7. ウジヤ王の例からどんなことを学べますか。

      7 ウジヤ王も助言を退けました。ウジヤは,神殿で祭司だけが入ることを許されていた場所に入っていき,香をたこうとしました。エホバに仕える祭司たちは,ウジヤを止めようとしてこう言いました。「ウジヤ,エホバに香をたくのはあなたがしてよいことではありません! 香をたいてよいのは祭司だけです」。それに対して,ウジヤはどうしたでしょうか。この時,謙遜に助言を受け入れて,すぐにその場を離れていたなら,エホバから許していただけたかもしれません。しかし,ウジヤはそうするのではなく,「激怒し」ました。なぜそのような反応をしたのでしょうか。ウジヤは,「自分は王だから,したいことは何でもできる」と考えていたのかもしれません。しかし,それはエホバの考えではありませんでした。ウジヤは,出過ぎた行動をした結果,エホバに打たれ,「死ぬ日まで重い皮膚病を患」いました。(代二 26:16-21)ウジヤの例からどんなことを学べますか。私たちはどんな立場にあるとしても,聖書に基づく助言やアドバイスを退けるなら,エホバを深く悲しませてしまうことになる,ということです。

      助言を受け入れた人

      8. ヨブは助言を与えられた時,どうしましたか。

      8 聖書には,ここまで考えてきたような悪い例だけでなく,助言を受け入れて祝福された人たちの良い例も載せられています。ヨブのことを考えてみましょう。ヨブは神を畏れる人でしたが,完全ではありませんでした。強いストレスを感じていたために,正しくないことを言ってしまいました。その結果,エリフとエホバから率直な助言を与えられました。ヨブはどう反応したでしょうか。助言を謙遜に受け入れてこう言いました。「私は話しましたが,分かっていませんでした。……言ったことを撤回し,後悔して土と灰をかぶります」。エホバは,謙遜さを示したヨブを祝福しました。(ヨブ 42:3-6,12-17)

      9. モーセが助言を受け入れる点で良い手本と言えるのはなぜですか。

      9 重大な間違いを犯した後で助言を受け入れたという点で,モーセも良い手本です。ある時,モーセは腹を立て,エホバに敬意を示しませんでした。その結果,約束の地に入ることができなくなりました。(民 20:1-13)モーセは,この決定を考え直してほしいとエホバにお願いしましたが,エホバから,「この件について二度と私に話してはならない」と言われてしまいました。(申 3:23-27)この時,モーセはふてくされるのではなく,エホバの決定を受け入れました。そして,エホバは引き続きモーセにイスラエルを導かせました。(申 4:1)ヨブもモーセも,助言を受け入れる点で私たちの良い手本となっています。ヨブは,言い訳したりせずに見方を調整しました。モーセは,エホバからの助言を受け入れ,自分が強く願っていたことがかなわなくなっても,忠実を保ちました。

      10. (ア)格言 4章10-13節からすると,助言を受け入れることはどのように私たちのためになりますか。(イ)助言に対して良い態度を示したどんな実例がありますか。

      10 ヨブやモーセのような忠実な人たちの手本に従うなら,私たちのためになります。(格言 4:10-13を読む。)大勢の兄弟姉妹がそのようにしています。コンゴのエマニュエル兄弟はこう言っています。b 「会衆の責任ある兄弟たちは,私が信仰の面で“沈没”しかけていることに気付いて,救助に来てくれました。私は,兄弟たちからの助言を受け入れたので,さまざまな問題を経験せずに済みました」。カナダの開拓者であるメーガン姉妹はこう言います。「耳が痛いと思うこともありますが,助言に耳を傾けるのは本当に大切なことです」。クロアチアのマルコ兄弟はこう言います。「私は会衆での責任ある立場を失ってしまいました。でも,今考えてみると,与えられた助言のおかげで,エホバとの絆を取り戻すことができたんだと思います」。

      11. カール・クライン兄弟は,助言を受け入れることについてどんなことを述べていますか。

      11 助言を受け入れてそこから学んだ人として,統治体の成員だったカール・クライン兄弟がいます。兄弟はライフ・ストーリーの中で,親しかったジョセフ・F・ラザフォード兄弟から強い助言を受けた時のことについて語っています。兄弟は最初,助言に対して良い反応ができませんでした。こう述べています。「その後また[ラザフォード]兄弟に会った時に,兄弟は明るい態度で,『こんにちは,カール!』と言いました。しかし,心の傷がいえていなかったために,私は聞き取れないような小さな声であいさつをしただけでした。するとラザフォード兄弟は,『気をつけなさい,カール! 悪魔があなたを捕らえようとしています!』と言いました。私はどぎまぎして,『いえ,何でもないんです,ラザフォード兄弟』と答えました。しかし,ラザフォード兄弟にはすっかりお見通しだったので,『いいでしょう。ただ気をつけなさい。悪魔があなたを捕らえようとしています』というその警告を繰り返しました。まさに兄弟の言うとおりでした。ある兄弟に対して恨みの気持ちを抱くと,相手の兄弟が……言う権限のある事柄を述べていた場合にはなおのこと,悪魔のわなにかかる危険に防備もなくさらされることになります」。c (エフェ 4:25-27)クライン兄弟はラザフォード兄弟からの助言を受け入れ,2人はその後も友情を保ちました。

      助言を受け入れる上で何が助けになるか

      12. 謙遜であることは,助言を受け入れる上でどのように助けになりますか。(詩編 141:5)

      12 助言を受け入れる上で,どんなことが助けになるでしょうか。謙遜であることです。私たちは,自分が不完全であることや,時には愚かなことをしてしまうということを覚えておく必要があります。先ほど考えた通り,ヨブは間違った考え方をしてしまいましたが,それを正したのでエホバから祝福されました。そのように正すことができたのは,ヨブが謙遜だったからです。謙遜だったからこそ,自分よりずっと年下のエリフの助言さえ受け入れることができたのです。(ヨブ 32:6,7)私たちも,自分には当てはまらないと思えるような助言を受けたり,年下の人から助言を与えられたりすることがあるかもしれませんが,謙遜であるなら,そうした助言を受け入れて当てはめることができます。カナダのある長老はこう言います。「人は自分のことを客観的に見ることができないので,誰かから助言してもらわなければ,成長することはできません」。聖なる力が生み出すものをいっそう示したり,宣教をさらに上手に行ったりする面で,私たちは皆,成長する必要があるのではないでしょうか。(詩編 141:5を読む。)

      13. 助言をどのように考えることができますか。

      13 助言をエホバが愛してくださっている証拠と考える。エホバは私たちの幸せを心から願っています。(格 4:20-22)ですから,エホバが聖書や出版物や経験豊かな兄弟姉妹を通して私たちに助言を与えることは,エホバが愛してくださっている証拠なのです。ヘブライ 12章9,10節に,「天の父は,私たちのために矯正を与え[る]」とある通りです。

      14. 助言を受けた時には,何に注目するべきですか。

      14 助言の仕方ではなく,内容に注目する。助言する人は,それを受け入れやすい仕方で与えるように努力する必要があります。d (ガラ 6:1)とはいえ,助言を受けた時には,もっとほかの方法があったのではないか,と感じることもあるかもしれません。そのような時にも,助言の内容に目を向けるのは良いことです。次のように考えてみることができます。「助言の仕方には気に入らないところがあったけれど,内容には思い当たるところがないだろうか。助言をしてくれた人の不完全さではなく,助言の内容に目を向けられないだろうか」。どんな助言を与えられるとしても,それを生かすよう努力するのは良いことです。(格 15:31)

      自分から助言を求めるなら良い結果が得られる

      15. 自分から助言を求めると良いのはなぜですか。

      15 聖書は私たちに助言を求めるよう勧めています。格言 13章10節には,「助言を求める人たちには知恵がある」とあります。本当にその通りです。誰かが助言してくれるのを待つのではなく,自分から助言を求める人は,そうしない人よりも,クリスチャンとしていっそう成長できるものです。ですから,自分から助言を求めるようにしましょう。

      1. 1人の若い姉妹がオンラインで買い物をしている。露出度が高いブラウスと,体にぴったり過ぎるタイトなスラックスを見ている。2. 自分が買おうと思っている服を年長の姉妹に見てもらっている。

      この若い姉妹が,年長の姉妹にアドバイスを求めているのはなぜか。(16節を参照。)

      16. どんな時に助言やアドバイスを求めることができますか。

      16 どんな時に仲間の兄弟姉妹に助言やアドバイスを求めるとよいでしょうか。幾つかの例を考えてみましょう。(1)聖書レッスンを行っている姉妹は,経験を積んだ伝道者にレッスンに参加してもらい,レッスンの後でどうすればもっと上手に教えることができるかについてアドバイスを求めることができます。(2)服を買おうと思っている独身の姉妹は,年長の姉妹に率直な意見を求めることができるでしょう。(3)初めて公開講演を行う兄弟は,経験を積んだ講演者に,話をよく聞いて改善できる点を教えてくれるよう頼むことができます。講演を長年行っている兄弟も,同じようにアドバイスを求め,それを当てはめるのは良いことです。

      17. どうすれば助言を役立てることができますか。

      17 私たちはこれからも,直接的な助言や間接的な助言を受けることでしょう。そういう時には,この記事で学んだ点を思い出すようにしましょう。謙遜であり続けることは大切です。助言の仕方ではなく内容に注目しましょう。そして,与えられた助言を当てはめるようにしましょう。生まれた時から賢い人は一人もいません。それでも,聖書が約束している通り,「助言を聞き,指導を受け入れ」るなら,「賢くなる」ことができるのです。(格 19:20)

  • あなたの助言は「心を喜ばせる」ものですか
    ものみの塔(研究用)2022 | 2月
    • あなたの助言は「心を喜ばせる」ものですか

      「油と香は心を喜ばせる。誠実な助言を与えてくれる友もそうである」。格言 27:9

      102番の歌 「弱い人たちを援助」する

      何を学ぶかa

      1-2. 1人の兄弟は,助言を与えることに関してどんなことを学びましたか。

      何年も前のことですが,しばらく集会に来ていない姉妹を2人の長老が訪問しました。1人の長老が,集会に出席することの大切さに関する聖句を幾つも紹介しました。兄弟は,上手に励ますことができた,と思っていましたが,2人が帰る時になって,姉妹は,「兄弟たちは私のことを少しも分かってくださっていませんね」と言いました。長老たちは,姉妹が抱えている問題や状況について尋ねることもせずに助言を与えていました。それで,与えられた助言は姉妹にとって励みのあるものとはなりませんでした。

      2 姉妹に聖句を紹介した長老は,こう述べています。「その時は,姉妹は敬意がない,と感じました。でも,今になって考えてみると,私は,姉妹のことを考えるのではなく,当てはまる聖句のことばかり考えていました。本当は,『最近どうですか』とか,『私にできることが何かありませんか』と聞くべきだったんです」。この長老は,経験を通して大事なことを学びました。今では,仲間を温かく気遣う牧者になっています。

      3. 会衆の中で誰が助言を与えることがありますか。

      3 長老たちは牧者なので,必要な時に助言を与える責任があります。でも,場合によっては,会衆のほかの人たちもアドバイスをする必要があるかもしれません。兄弟であれ姉妹であれ,友達に聖書に基づく助言やアドバイスをすることがあります。(詩 141:5。格 25:12)年長の姉妹は,テトス 2章3-5節に挙げられているようなことについて,「若い女性に……助言を与え」ることがあるでしょう。親は,子供に助言や矯正を与える必要があります。ですから,この記事は特に長老たちのために用意されましたが,私たち全てが大切な点を学ぶことができます。どうすれば,助言を相手にとって本当にためになり,やる気を起こさせ,「心を喜ばせる」ものにできるか,考えていきましょう。(格 27:9)

      4. この記事ではどんなことを考えますか。

      4 この記事では,次の4つの点について考えます。(1)どんな動機で助言を与えるべきですか。(2)本当に助言する必要がありますか。(3)誰が助言を与えるべきですか。(4)どうすれば良い助言を与えることができますか。

      どんな動機で助言を与えるべきか

      5. 長老たちが愛を動機として助言を与えるなら,助言を受けた人はそれにいっそう従いやすくなります。そう言えるのはなぜですか。(コリント第一 13:4,7)

      5 長老たちは,仲間の兄弟姉妹を愛しているので,誰かが間違いを犯しそうになっていることに気付くと,助言を与えることがあります。(ガラ 6:1)とはいえ,助言を与える前に,愛について述べたパウロの言葉を考えるのは良いことです。パウロはこう言いました。「愛は辛抱強く,親切です。……愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,全てのことを希望し,全てのことを忍耐します」。(コリント第一 13:4,7を読む。)この言葉についてじっくり考えるなら,長老たちは自分の動機を吟味し,愛の気持ちから助言を与えることができるでしょう。相手に対する気遣いが伝わるような形で助言を与えるなら,助言を受けた人はそれにいっそう従いやすくなるでしょう。(ロマ 12:10)

      6. パウロはどんな点で良い手本となっていますか。

      6 パウロは,長老にとって良い手本となっています。テサロニケの兄弟たちに助言が必要だった時,パウロはためらうことなく助言を与えました。でも,彼らに宛てた手紙の中で,まずは彼らの忠実な働きや愛に根差した労苦や忍耐について述べ,彼らが迫害などの大変な状況の中でも本当によくやっていることを褒めました。(テサ一 1:3。テサ二 1:4)さらに,ほかのクリスチャンにとって良い手本となっている,とさえ言いました。(テサ一 1:8,9)テサロニケの兄弟たちは,こうした褒め言葉を聞いて本当にうれしかったに違いありません。パウロは,テサロニケの兄弟たちを心から愛していました。だからこそ,彼らに宛てた2通の手紙の中で,良い助言を与えることができたのです。(テサ一 4:1,3-5,11。テサ二 3:11,12)

      7. 助言に対して良い反応が返ってこない場合があるのはなぜですか。

      7 ふさわしい仕方で助言を与えないならどうなるでしょうか。経験を積んだ1人の長老はこう言います。「助言自体が間違っていなくても,助言の与え方に愛が感じられないと,良い反応が返ってこないことがあります」。何を学べますか。いら立ちからではなく,愛の気持ちから助言を与えるなら,助言を受けた人はそれを当てはめやすく感じる,ということです。

      本当に助言する必要があるか

      8. 長老は誰かに助言を与える前に,どんなことを考えるべきですか。

      8 長老は,急いで助言を与えることがないようにするべきです。助言する前に,次のように考えてみることができます。「本当に助言を与える必要があるだろうか。その人の行動は,本当に間違っていると言えるだろうか。それは聖書の基準に反したことだろうか。それとも,考え方が自分と違っているだけだろうか」。「性急に話す」ことがないよう注意するのは良いことです。(格 29:20)判断に迷う場合には,聖書の基準からして助言を与えるべきかどうか,ほかの長老に相談することができます。(テモ二 3:16,17)

      9. 服装や身だしなみに関する助言の与え方について,パウロからどんなことを学べますか。(テモテ第一 2:9,10)

      9 1つの例を考えてみましょう。ある長老が,誰かの服装や身だしなみがふさわしくないのではないかと感じているとしましょう。その場合長老は,聖書の基準からして助言すべきだろうか,と考える必要があります。自分の意見だけに基づいて判断してしまわないために,ほかの長老や経験を積んだ兄弟姉妹に相談することができます。そして,パウロの助言について一緒に調べることもできます。(テモテ第一 2:9,10を読む。)パウロは大まかな指針を示し,クリスチャンは慎みや健全な考え方が表れたきちんとした服装をすべきだ,と述べました。しかし,ふさわしいものやふさわしくないものについて,細かな規則を作ることはしませんでした。また,クリスチャンには聖書の基準の範囲内で個性を発揮する自由がある,ということを認めていました。ですから長老たちは,助言を与える必要があるかどうかを判断する際に,その人の服装や身だしなみに慎みや品位が表れているかを考える必要があります。

      10. ほかの人の判断に関して,どんなことを覚えておく必要がありますか。

      10 あることに関して2人のクリスチャンが異なる判断を下すとしても,そのどちらも聖書の基準に沿っている,ということがあります。この点を覚えておくのは大切なことです。自分の基準を仲間の兄弟姉妹に押し付けることがないようにしましょう。(ロマ 14:10)

      誰が助言を与えるべきか

      11-12. 助言を与える必要がある場合,長老はどんな点を考える必要がありますか。なぜですか。

      11 助言が必要であるということがはっきりしたなら,次に考えるべきなのは,誰が助言を与えるか,ということです。結婚している姉妹や未成年の子供に助言が必要な場合,長老はまず家族の頭と話し合うことでしょう。家族の頭は,その件を自分で扱いたいと思うかもしれませんし,長老が助言を与える時に同席したいと思うかもしれません。b また,3節で考えた通り,姉妹に助言が必要な場合には,年長の姉妹から助言してもらう方がよい場合もあるでしょう。

      12 長老たちが考えるべき別の点があります。それは,自分が助言を与える方がよいだろうか,それともほかの長老に与えてもらう方がよいだろうか,という点です。例えば,自分はだめだという気持ちと闘っている人に助言を与える必要がある場合,同じような気持ちになったことがある長老から助言を与えられる方が,受け入れやすく感じるかもしれません。そうした長老は,いっそう思いやり深く接することができるからです。とはいえ,聖書の基準に合わせて改善するよう仲間を励ます責任は,全ての長老にあります。ですから,長老たちの中に似たような経験をした人がいないとしても,誰かが助言を与える必要があります。

      どうすれば良い助言を与えることができるか

      一緒に奉仕をしている兄弟が自分の気持ちを話すのを,長老が真剣に聞いている。

      長老たちが「人の言うことに進んで耳を傾けるべき」なのはなぜか。(13-14節を参照。)

      13-14. 長老が兄弟姉妹の話を聞くのは大切なことです。なぜですか。

      13 よく話を聞く。長老は誰かに助言を与える場合,次のように考える必要があります。「その人は今どんな状況にあるだろうか。最近,何かあったのだろうか。私が知らないような問題にぶつかっているんだろうか。その人にとって今一番必要なことは何だろう」。

      14 助言を与える時には,ヤコブ 1章19節の教えを当てはめる必要があります。ヤコブは,「皆が,人の言うことに進んで耳を傾けるべきです。すぐに話したり,すぐに怒ったりしてはなりません」と述べました。自分は事情を全て分かっている,と思うこともあるかもしれませんが,本当にそうでしょうか。格言 18章13節には,「聞かないうちに返事をする人は,愚かであり,辱められる」とあります。事情を知る一番良い方法は,本人から直接話を聞くことです。ですから,話す前に聞く必要があります。この記事の初めに出てきた長老は,どんな大切なことを学んだでしょうか。自分が準備してきたことをまず話すのではなく,「最近どうですか」とか,「私にできることが何かありませんか」といった質問をすべきだった,ということです。時間を取って兄弟姉妹の話を聞くなら,いっそう励みになり助けになることを話せるでしょう。

      15. 長老は,格言 27章23節の教えをどのように当てはめられますか。

      15 兄弟姉妹の様子をよく知るようにする。この記事の初めで考えた経験から分かる通り,良い助言を与えるためには,幾つかの聖句を読んだり提案を述べたりするだけでは十分ではありません。長老は,兄弟姉妹のことを気遣い,理解し,助けたいと思っていますが,兄弟姉妹がそのことを感じ取れるようにする必要があります。(格言 27:23を読む。)ですから,長老たちが兄弟姉妹との友情を深めるよう努力するのはとても大切なことです。

      長老と兄弟が,笑顔で楽しそうに話しながら,サイクリングに行こうとしている。

      長老たちはどんなことを行うなら助言を与えやすくなるか。(16節を参照。)

      16. 長老たちが良い助言を与える上で,どんなことが助けになりますか。

      16 長老たちは兄弟姉妹に,長老は助言や用事がある時にしか話し掛けてこない,という印象を与えたいとは思っていません。それで,兄弟姉妹と普段から話すようにし,問題にぶつかっているようなら個人的な関心を示します。経験を積んだ1人の長老はこう述べています。「そのようにするなら,兄弟姉妹との友情を強めることができ,助言が必要な時にもずっと話しやすくなります」。そして,助言を与えられる側もずっと受け入れやすくなるでしょう。

      長老が兄弟に聖書から助言を与えている。兄弟はその助言を受け入れにくく感じている。

      助言を与える時に,長老たちが辛抱強く親切であるべきなのはなぜか。(17節を参照。)

      17. 長老は特にどんな時に辛抱強く親切である必要がありますか。

      17 辛抱強く親切である。長老が聖書に基づく助言を与えても,初めはそれを退ける人もいます。そういう場合は特に,辛抱強く親切である必要があります。助言を受けた人がすぐに受け入れたり当てはめたりしないとしても,いら立ってはなりません。イエスについて次のように預言されていました。「彼は,傷ついたアシを折らず,くすぶるランプの火を消さ[ない]」。(マタ 12:20)長老は自分一人で祈る時に,「自分が助けようとしている人を祝福してください。その人が,助言を与えられている理由を理解して当てはめられるように助けてください」とお願いすることができます。助言を与えられた人は,その内容について考えるために時間が必要なのかもしれません。長老が辛抱強く親切であるなら,その人は助言の仕方ではなく内容に目を向けることができるでしょう。もちろん,助言は聖書に基づいたものであるべきです。

      18. (ア)助言を与える時には,どんなことを覚えておく必要がありますか。(イ)囲みの写真の夫婦は,どんなことを話し合っていますか。

      18 失敗から学ぶ。私たちは完全ではないので,この記事に載せられている提案を完璧に当てはめることはできません。(ヤコ 3:2)ですから,失敗してしまった時には,そこから学ぶようにしましょう。兄弟姉妹は,誰かから傷つくようなことを言われたりされたりしても,その人が自分のことを愛してくれていると分かっているなら,許しやすく感じることでしょう。(「親の皆さんへ」の囲みも参照。)

      父親と母親が,10代の娘にどのように助言を与えるのが一番良いかについて,聖書に基づいて話し合っている。

      親の皆さんへ

      親も子供に助言を与えなければならない場合があります。それで,この記事で考えた点は,親の皆さんにも役立ちます。子供に助言を与える前に,次のように考えることができます。「これは本当に助言が必要なことだろうか。今,穏やかに優しく話すことができるだろうか。自分の気持ちが落ち着いてからにした方がよいだろうか。子供の事情が全部分かっているだろうか。それとも,知らないことがあるだろうか。助言を与えられた後,子供は厳し過ぎると感じるだろうか。それとも,親の愛を感じるだろうか」。親は,決して子供に厳しく接してはいけません。パウロが述べている通り,愛は「辛抱強く,親切です」。(コリ一 13:4)子供も「神の羊の群れ」の一員なのですから,優しく接する必要があります。(ペテ一 5:2。エフェ 6:4)

      この記事で学んだこと

      19. どうすれば兄弟姉妹の心を喜ばせることができますか。

      19 ここまで考えてきた通り,良い助言を与えるというのは簡単なことではありません。助言を与える側も受ける側も,完全ではないからです。それで,この記事で学んだ点を覚えておくようにしましょう。助言を与える時には,正しい動機で与えます。助言が本当に必要だろうかと考えます。自分が与える方がよいか,それともほかの人に与えてもらう方がよいか,という点も考えます。助言を与える前に,相手の状況を知るために質問をし,答えをよく聞きます。相手の立場になって考えることも大切です。親切にし,仲間の兄弟姉妹との友情を深めるようにします。私たちが目指しているのは,単に良い助言を与えることではなく,「心を喜ばせる」助言を与えることなのです。(格 27:9)

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