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    ものみの塔 1993 | 11月15日
    • 勇気を出してエホバの道を歩みなさい

      「すべてエホバを恐れる者,その道を歩む者は幸いである」― 詩編 128:1。

      1,2 初期のエホバの証人たちの言動に関する聖書中の記録は,どのような助けになりますか。

      エホバの神聖なみ言葉は,エホバの忠節な僕たちが経験した試練や喜びの記述で満ちあふれています。ノア,アブラハム,サラ,ヨシュア,デボラ,バラク,ダビデなどの経験は,まるで聖書から飛び出してくるかのように躍動的です。彼らはすべて実在の人物であり,ある特別な共通点がありました。神への信仰を抱き,勇気を出してエホバの道を歩んだのです。

      2 初期のエホバの証人たちの言動は,神の道を歩もうと努めるわたしたちの励みとなります。さらに,神に対する崇敬の念と,神の不興を買うことへの健全な恐れを示すなら,わたしたちは必ず幸福になります。生活の中で試練に遭うとしてもそのことには変わりありません。というのは,霊感を受けた詩編作者は,「すべてエホバを恐れる者,その道を歩む者は幸いである」と歌っているからです。―詩編 128:1。

      勇気とは何か

      3 勇気とは何ですか。

      3 エホバの道を歩むためには勇気を持たなければなりません。事実,聖書は神の民にこの特質を示すよう命じています。例えば詩編作者ダビデは,「エホバを待ち望むすべての者たちよ,勇気を出せ。あなた方の心が強くあるように」と歌いました。(詩編 31:24)勇気とは「思い切ってやってみる,がんばり通す,そして危険や恐れや困難に耐え抜く精神的もしくは道徳的な強さ」のことです。(ウェブスター大学生用新辞典 第9版)勇気のある人は強く,大胆であり,勇敢です。エホバがご自分の僕たちに勇気をお与えになることは,使徒パウロが同労者のテモテに述べた次の言葉から明らかです。「神はわたしたちに,憶病の霊ではなく,力と愛と健全な思いとの霊を与えてくださった(の)です」― テモテ第二 1:7。

      4 勇気を身に着けるための一つの方法は何ですか。

      4 神から与えられる勇気を身に着けるための一つの方法は,エホバの言葉である聖書を祈りを込めて熟考することです。聖書に出て来る多くの記述は,さらに勇気を出すようわたしたちを助けてくれます。ですから,まず最初に,ヘブライ語聖書に記されている,勇気を出してエホバの道を歩んだ幾人かの記録から何が学べるか,調べてみましょう。

      神の音信を宣明するための勇気

      5 エノクの勇気は,エホバの現代の僕たちをどのように益することができますか。

      5 エノクの勇気は,エホバの現代の僕たちが勇気を出して神の音信を語るための助けになります。エノクが生まれる前に「エホバの名を呼び求めることが始ま(り)」ました。ある学者たちの意見によれば,人々はエホバの名を「冒涜的に[呼び]始めた」のです。(創世記 4:25,26; 5:3,6)神のみ名が人間に,あるいは偶像にさえ用いられたのかもしれません。したがって,エノクが生まれた西暦前3404年には偽りの宗教が栄えていました。実際,エホバが啓示された真理に調和して義の道を追い求め,『神と共に歩んで』いたのは,エノク一人だったようです。―創世記 5:18,24。

      6 (イ)エノクはどんな強力な音信を宣明しましたか。(ロ)わたしたちはどんな確信を抱けますか。

      6 エノクは恐らく宣べ伝える業により,勇気を出して神の音信を伝えました。(ヘブライ 11:5。ペテロ第二 2:5と比較してください。)たった一人のこの証人は次のように宣言しました。「見よ,エホバはその聖なる巨万の軍を率いて来られた。すべての者に裁きを執行するため,また,すべての不敬虔な者を,不敬虔な仕方で行なったそのすべての不敬虔な行為に関し,そして不敬虔な罪人が神に逆らって語ったすべての衝撃的な事柄に関して断罪するためである」。(ユダ 14,15)エノクは不敬虔な者を有罪とするその音信を伝えるに当たって,エホバの名を用いる勇気を持っていました。また,神がエノクに,その強力な音信を宣明する勇気をお与えになったように,エホバは現代のご自分の証人たちにも,宣教で,学校で,また他の場所で大胆に神の言葉を語る力を与えてこられました。―使徒 4:29-31と比較してください。

      試練のもとでの勇気

      7 ノアは勇気に関するどんな模範となっていますか。

      7 ノアの模範は,試練のもとでも勇気を出して義にかなった業を行なうようわたしたちを助けます。ノアは全地球的な洪水に関する神からの警告に従って勇気と信仰をもって行動し,「自分の家の者たちを救うために箱船を建造しました」。ノアは従順で義にかなった業により,不信仰な世をその邪悪な業のゆえに罪に定め,世が滅びに値することを証明しました。(ヘブライ 11:7。創世記 6:13-22; 7:16)神の現代の僕たちは,ノアの歩みについて黙想することによって,クリスチャン宣教のような義にかなった業に勇気を出して携わるよう助けられます。

      8 (イ)ノアは勇気ある「義の伝道者」として,どんなことに立ち向かいましたか。(ロ)もしわたしたちが勇気ある義の伝道者であるなら,エホバはわたしたちのために何を行なってくださいますか。

      8 もしわたしたちが義の道を歩みながらも,特定の試練に対処する方法を知らないのであれば,それに立ち向かうための知恵を祈り求めましょう。(ヤコブ 1:5-8)ノアが試みのもとでも神への忠節を保ったことは,勇気と忠実さをもって試練に立ち向かえることの証しです。ノアは邪悪な世と,物質の体を着けたみ使いたち,およびその混血の子孫からの圧力によく耐えました。そうです,ノアは滅びに向かう「古代の世」に対する勇気ある「義の伝道者」でした。(ペテロ第二 2:4,5。創世記 6:1-9)ノアは大洪水前の人たちに神の警告をふれ告げる布告者として大胆に語りましたが,「[人々は]洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした」。(マタイ 24:36-39)しかし,迫害されようとも,今日のほとんどの人たちが聖書に基づく音信を退けようとも,わたしたちが義の伝道者として同じような信仰と勇気を示すなら,エホバがノアを支えられたようにわたしたちも支えてくださることを忘れないようにしましょう。

      神に従う勇気

      9,10 アブラハム,サラ,イサクはどんな点で勇気ある従順を示しましたか。

      9 「エホバの友」アブラハムは,神に対する勇気ある服従の優れた模範です。(ヤコブ 2:23)アブラハムがエホバに従い,物質面では非常に恵まれた都市であるカルデア人のウルを去るには,信仰と勇気が必要でした。アブラハムは,「地上のすべての家族」が彼を通して自らを祝福し,彼の胤に土地が与えられるという神の約束を信じていました。(創世記 12:1-9; 15:18-21)アブラハムは信仰によって「約束の地に外国人として居留し」,「真の土台を持つ都市」つまり神の天の王国を待ち望みました。彼はその王国のもとで地上での命に復活させられるのです。―ヘブライ 11:8-16。

      10 アブラハムの妻サラは,ウルを去り,夫と共に外国の地に赴き,そこで遭遇するであろういかなる苦難をも忍ぶのに必要な信仰と勇気を持っていました。そしてサラは,神への勇気ある服従のゆえに何とすばらしい報いを得たのでしょう。90歳ごろまでうまずめの身で「年齢の限界を過ぎていた」にもかかわらず,サラは「胤を宿す」力を与えられました。『約束してくださった神を忠実な方とみなしたからです』。やがてサラはイサクを生みます。(ヘブライ 11:11,12。創世記 17:15-17; 18:11; 21:1-7)その幾十年か後にアブラハムは勇気を出して神に従い,「イサクをささげたも同然でした」。この族長はみ使いにとどめられ,「ひとつの例えとして」,勇気ある従順な息子を死から受けました。このようにしてアブラハムとイサクは,イエス・キリストに信仰を働かせる者たちがとこしえの命を得られるよう,エホバ神がみ子を贖いとして備えてくださることを預言的に示しました。(ヘブライ 11:17-19。創世記 22:1-19。ヨハネ 3:16)確かに,アブラハム,サラ,イサクの勇気ある従順は,エホバに従い,常にエホバのご意志を行なうようわたしたちを動かすはずです。

      神の民の側に立つ勇気

      11,12 (イ)モーセはエホバの民に関してどのように勇気を示しましたか。(ロ)モーセの勇気について考えると,どんな質問が生じるかもしれませんか。

      11 モーセは勇気を出し,抑圧されていた神の民の側に立ちました。モーセの両親も西暦前16世紀に勇気を示しました。二人は,新しく生まれたヘブライ人の男子を殺すようにとの王の命令を恐れず,モーセを隠し,それからモーセをひつの中に入れ,ナイル川の岸辺の葦の中に置きました。ファラオの娘に見つけ出されたモーセは彼女の子として育てられますが,当初は自分の両親の家で霊的な訓練を施されます。モーセはファラオの家の一員として「エジプト人の知恵をことごとく教授され」,「言葉にも行ないにも強力な者」,知力の点でも身体的な能力の点でも力のある者となりました。―使徒 7:20-22。出エジプト記 2:1-10; 6:20。

      12 王の家にいれば物質的には有利であったにもかかわらず,モーセは勇気を出し,当時エジプト人に奴隷にさせられていたエホバの崇拝者たちの側に立つことを選びます。彼はイスラエル人を守るために一人のエジプト人を殺し,それからミディアンへ逃亡します。(出エジプト記 2:11-15)その約40年後,神はモーセを用いてイスラエル人を束縛から導き出されます。その時モーセは「エジプトを去りましたが,王の怒りを恐れることはありませんでした」。王は,モーセがイスラエルのためにエホバを代表したことで,モーセを殺すと言って脅したのです。モーセは「見えない方」であるエホバ神を見ているかのように歩みました。(ヘブライ 11:23-29。出エジプト記 10:28)あなたは困難や迫害があってもエホバやエホバの民に固く付くほどの信仰や勇気を抱いていますか。

      『エホバに従い通す』勇気

      13 ヨシュアとカレブはどのように勇気の模範を残しましたか。

      13 勇気あるヨシュアとカレブは,わたしたちも神の道を歩めるということを示す証拠を提出しました。この二人は「エホバに従い通し」ました。(民数記 32:12)ヨシュアとカレブは,約束の地を探るために遣わされた12人の中に含まれていました。10人の斥候はその地の住民を恐れ,イスラエルがカナンに入ることを思いとどまらせようとしましたが,ヨシュアとカレブは勇気を出してこう言いました。「もしエホバがわたしたちを喜びとしてくださっているならば,わたしたちをその地に携え入れ,それを,乳と蜜の流れるその地を与えてくださるはずです。ただエホバに反逆することだけはしてはなりません。あなた方はその地の民を恐れないでください。彼らはわたしたちのパンとなるのです。彼らの保護となるものは彼らの上から離れ去っており,エホバはわたしたちと共におられるのです。彼らを恐れてはなりません」。(民数記 14:8,9)イスラエル人のその世代は信仰と勇気に欠けていたため,約束の地には決して入れませんでした。しかしヨシュアとカレブは新しい世代と一緒に,確かに約束の地に入りました。

      14,15 (イ)ヨシュアがヨシュア 1章7,8節の言葉を当てはめたとき,ヨシュアとイスラエル人はどんなことを経験しましたか。(ロ)わたしたちはヨシュアとカレブから,勇気に関するどんな教訓を学びますか。

      14 神はヨシュアにこう言われました。「勇気を出し,大いに強くありなさい。注意して,わたしの僕モーセがあなたに命じたすべての律法のとおりに行なうためである。それから右にも左にもそれてはいけない。どこに行ってもあなたが賢く行動するためである。この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである」― ヨシュア 1:7,8。

      15 ヨシュアがこれらの言葉を当てはめたとき,エリコと他の諸都市はイスラエル人の手に落ちました。神は太陽をさえ静止させ,イスラエルがギベオンで勝利を収めるまで太陽が輝き続けるようにされました。(ヨシュア 10:6-14)ヨシュアは「海辺の砂粒のように数の多い」敵の連合軍によって危地に追い込まれたときも,勇気を出して行動しました。そして神はまたもやイスラエルに勝利をお与えになりました。(ヨシュア 11:1-9)わたしたちも不完全ですが,ヨシュアやカレブのようにエホバに従い通すことができます。また神は,勇気を出してご自分の道を歩むための力をわたしたちに与えることができます。

      神を信頼する勇気

      16 デボラ,バラク,ヤエルはどのように勇気を示しましたか。

      16 裁き人たちがイスラエルで裁きを行なった時代の出来事に示されているように,勇気を出して神を信頼するなら,報いを得ます。(ルツ 1:1)例えば,裁き人のバラクと女預言者のデボラは勇気を出して神を信頼しました。カナン人の王ヤビンは20年の間イスラエルを圧迫していましたが,その期間の終わりにエホバは,デボラがバラクに働きかけ,タボル山に1万人の兵士を集めさせるよう事を運ばれました。ヤビンの軍の長シセラはキションの奔流の谷に突進しました。そのような平地であれば,シセラの軍と,車輪に鉄の大鎌のついた戦車900両にとってイスラエルの兵など物の数ではないと確信していたのです。イスラエル人が谷あいの平原に進んで行った時,神は彼らのために行動され,鉄砲水によって戦場は沼地と化して,シセラの兵車は動きが取れなくなります。バラクの兵は優勢になり,その結果「シセラの全陣営は剣の刃によって倒れ」ます。シセラはヤエルの天幕に逃れますが,シセラが眠り込んでいる時にヤエルは天幕の留め杭をシセラのこめかみに突き刺して殺します。彼女にはそうするだけの勇気がありました。こうして,バラクに対するデボラの預言的な言葉のとおり,この勝利の「美となるもの」は一人の女性のものとなります。デボラ,バラク,さらにはヤエルが勇気を出して神を信頼したため,イスラエルには「その後四十年のあいだ何の騒乱もなかった」と記されています。―裁き人 4:1-22; 5:31。

      17 裁き人のギデオンは,勇気を出してエホバを信頼することについて,どんな模範となっていますか。

      17 裁き人のギデオンは,ミディアン人や他の人たちがイスラエルに侵入してきた時に勇気を出してエホバ神を信頼しました。イスラエルの戦士3万2,000人は,侵入してきた約13万5,000人からすれば劣勢でしたが,それでも,神から与えられた勝利を自分たちの勇気で勝ち取ったとみなす傾向があったようです。そのためギデオンはエホバの指示により,自分の軍勢をそれぞれ100人の兵士から成る三つのグループにまで減らします。(裁き人 7:1-7,16; 8:10)300人は夜間にミディアン人の陣営を包囲し,それぞれ角笛と,たいまつの入った水がめを持ちました。彼らは合図と共に角笛を吹き,かめを砕き,火の燃えるたいまつを高くかかげて,「エホバの剣,ギデオンのもの!」と叫びました。(裁き人 7:20)恐れおののいたミディアン人は逃げ始め,征服されてしまいます。このような出来事は,勇気を出して神を信頼するなら,今日でも報いが与えられることをわたしたちに確信させてくれるはずです。

      エホバを敬い,清い崇拝を推し進める勇気

      18 ダビデはゴリアテを討ち倒した時,勇気を出して何をしましたか。

      18 聖書中の幾つかの実例は,エホバを敬い,清い崇拝を推し進める勇気を与えてくれます。大胆に自分の父の羊を救出した若者ダビデは,フィリスティア人の巨人ゴリアテの前で勇気を示しました。ダビデはこう言いました。「あなたは剣と槍と投げ槍とを持ってわたしに向かって来るが,わたしはあなたが嘲弄したイスラエルの戦列の神,万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く。この日,エホバはあなたをわたしの手に引き渡され,わたしは必ずあなたを討ち倒して,あなたの首を体から切り離す。……全地の人々はイスラエルに神がおられることを知るであろう。そして,この全会衆は,エホバが剣や槍で救うのではないことを知るであろう。戦いはエホバのもの(だ)からである」。(サムエル第一 17:32-37,45-47)ダビデは神の助けを得,勇気を出してエホバを敬い,ゴリアテを討ち倒しました。こうしてダビデは,清い崇拝に対するフィリスティア人の脅威を除き去る点で重要な役割を果たしました。

      19 ソロモンはどんな計画に関連して勇気を必要としましたか。ソロモンの取り組み方を現代にどのように当てはめることができますか。

      19 ダビデ王の息子ソロモンが神の神殿を建てようとしていた時,年老いた父親は息子にこう勧めました。「勇気を出し,強くあって,行ないなさい。恐れてはならず,おびえてもならない。わたしの神,エホバ神があなたと共におられるからである。神はあなたを見放したり,あなたを捨てたりなさることなく,ついにエホバの家の奉仕のすべての仕事は完成されることになる」。(歴代第一 28:20)ソロモンは勇気ある行動を取り,首尾よく神殿を完成させました。今日,神権的な建設計画が挑戦的な課題になる場合には,「勇気を出し,強くあって,行ないなさい」というダビデの言葉を思い出しましょう。エホバを敬い,清い崇拝を推し進めるための何と優れた方法なのでしょう。

      20 アサ王はどんな点で勇気を奮い起こしましたか。

      20 アサ王は,神を敬い,清い崇拝を推し進めたいと考えたため,ユダから偶像と神殿男娼を除き去りました。また,背教した祖母が得ていた高い地位から彼女をはずし,彼女の「恐るべき偶像」を燃やしました。(列王第一 15:11-13)確かにアサは「勇気を奮い起こして,ユダとベニヤミンの全地から,また彼がエフライムの山地から奪い取った諸都市から嫌悪すべきものを消えうせさせ,エホバの玄関の前にあったエホバの祭壇を新しく」しました。(歴代第二 15:8)あなたも勇気を出して背教を退け,清い崇拝を推し進めますか。あなたは王国の関心事を促進するために物質的な資産を用いますか。また,エホバの証人として良いたよりを宣明する業に定期的にあずかることにより,エホバを敬うよう努めていますか。

      21 (イ)キリスト教時代以前の忠誠を保った人々に関する記述は,どのようにわたしたちの助けになりますか。(ロ)次の記事ではどんなことを考慮しますか。

      21 わたしたちは,神がキリスト教時代以前の勇気ある忠誠を保った人々に関する記述を聖書中に保存してくださったことを深く感謝しています。確かに,彼らの優れた模範は,わたしたちが勇気と敬虔な恐れと畏怖の念を抱いてエホバに神聖な奉仕をささげる助けになります。(ヘブライ 12:28)しかしクリスチャン・ギリシャ語聖書にも,活動する敬虔な勇気に関する実例が幾つも含まれています。そのような記述はわたしたちが勇気を出してエホバの道を歩む上で,どのように助けになりますか。

  • 勇気を持ちなさい!
    ものみの塔 1993 | 11月15日
    • キリストに見倣う勇気

      3 勇気に関する最も優れた模範となっているのはだれですか。ヘブライ 12章1-3節では,その方についてどんなことが言われていますか。

      3 イエス・キリストは勇気に関する最も良い模範となっておられます。使徒パウロはキリスト教時代以前の「大勢の,雲のような」勇気あるエホバの証人たちに言及した後,イエスに焦点を合わせ,こう述べました。「これほど大勢の,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら。この方は,自分の前に置かれた喜びのために,恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右に座られたのです。そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだ方のことを深く考えなさい。それは,あなた方が疲れて,あなた方の魂が弱り果ててしまうことのないためです」。―ヘブライ 12:1-3。

      4 イエスはサタンから誘惑された時,どのように勇気を示しましたか。

      4 イエスは,バプテスマを受け,それから40日にわたる荒野での黙想と祈りと断食を終えた後,雄々しくサタンに立ち向かわれました。石をパンに変えるよう悪魔から誘惑されたイエスは,その誘惑を退けました。個人的な欲求を満たすために奇跡を行なうのは間違ったことだったからです。「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」と,イエスは言われました。神殿の胸壁から飛び降りるようサタンから挑まれた時,イエスはそれも退けられました。自殺行為になり得る事柄から自分を助け出すよう神を試すことは罪になるからです。キリストは,「『あなたの神エホバを試みてはならない』とも書いてあります」と言われました。サタンは1回の「崇拝の行為」と引き換えに世のすべての王国を与えようと言いますが,イエスは背教して悪魔の挑戦を支持するようなことはされませんでした。人間は試みのもとで神に忠実を保つことはできないというのが悪魔の投げかけた挑戦でした。そこでイエスはこう宣言されます。「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」。それを聞いて,誘惑者は「別の都合の良い時まで彼のもとから身を引(き)」ます。―マタイ 4:1-11。ルカ 4:13。

      5 誘惑に抵抗する上で何が助けになりますか。

      5 イエスはエホバに服し,サタンに立ち向かいました。もしわたしたちが同じように『神に服し悪魔に立ち向かうなら,彼はわたしたちから逃げ去ります』。(ヤコブ 4:7)わたしたちもイエスに倣い,罪深い事柄を行なうよう誘惑されたときには聖書を当てはめ,場合によっては聖書を引用することさえして,勇気を出して誘惑に抵抗することができます。そのようなときに,「盗んではならない」という神の律法を繰り返し自分に言い聞かせるなら,盗みの罪を犯す誘惑に負けてしまうことがあるでしょうか。二人のクリスチャンのうちの一人でも,「あなたは姦淫を犯してはならない」という言葉を勇気を持って引用するなら,その二人が性の不道徳に屈することなどあるでしょうか。―ローマ 13:8-10。出エジプト記 20:14,15。

      6 イエスは,どのように勇気をもって世を征服されましたか。

      6 この世から憎まれているクリスチャンとして,わたしたちは世の霊と罪深い振る舞いを避けることができます。イエスはご自分の追随者たちに,「世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」と言われました。(ヨハネ 16:33)イエスは世のようにならないことにより,世に対して勝利を収めました。征服者としてのその模範,忠誠を保つその歩みが迎えた結末は,この世からいつも離れ,この世に汚されないことによってイエスに倣う勇気をわたしたちに満たしてくれます。―ヨハネ 17:16。

      宣べ伝え続ける勇気

      7,8 迫害に遭っても宣べ伝え続けるために,何が助けになりますか。

      7 イエスと弟子たちは,迫害に遭っても宣べ伝え続ける勇気を求めて神に頼りました。キリストは迫害に遭っても大胆に自分の奉仕の務めを果たし,西暦33年のペンテコステ以降,イエスの迫害された追随者たちは,ユダヤ教の宗教指導者たちが阻止しようとしても,良いたよりを引き続きふれ告げました。(使徒 4:18-20; 5:29)弟子たちはこう祈りました。「エホバよ,彼らの脅しに注意を向け,あなたの奴隷たちがあらんかぎりの大胆さをもってみ言葉を語りつづけることができるようにしてください」。ではその後に何が生じましたか。「こうして祈願を終えると,彼らの集まっていた場所は揺り動いた。そして彼らはひとり残らず聖霊に満たされ,神の言葉を大胆に語るのであった」と記されています。―使徒 4:24-31。

      8 今日,大多数の人は良いたよりを受け入れようとしないため,そのような人たちに宣べ伝え続けるには,しばしば大胆さが求められます。特に迫害される時など,徹底的な証しを行なうためにエホバの僕たちには神から与えられる勇気が必要です。(使徒 2:40; 20:24)そのため,勇気ある王国宣明者であったパウロは,若くて経験の少ない同労者にこう語りました。「神はわたしたちに,憶病の霊ではなく,力と愛と健全な思いとの霊を与えてくださった(の)です。ですから,わたしたちの主についての証しを恥じてはならず,この方のために囚人となっているわたしのことを恥じてもなりません。むしろ,神の力にしたがい,良いたよりのため,共に苦しみを忍んでください」。(テモテ第二 1:7,8)もし勇気を祈り求めるなら,わたしたちは宣べ伝え続けることができ,迫害でさえ,王国宣明者としてのわたしたちの喜びを奪うことはできません。―マタイ 5:10-12。

      エホバの側に立つ勇気

      9,10 (イ)1世紀のユダヤ人と異邦人はキリストのバプテスマを受けた追随者となるために,何をしましたか。(ロ)クリスチャンとなるために勇気が求められたのはなぜですか。

      9 1世紀の多くのユダヤ人と異邦人は,キリストのバプテスマを受けた追随者となるため,勇気を出して非聖書的な伝統を捨てました。西暦33年ペンテコステのすぐ後,「弟子の数はエルサレムにおいて大いに殖えつづけた。そして,非常に大勢の祭司たちがこの信仰に対して従順な態度を取るようになった」と記されています。(使徒 6:7)それらのユダヤ人には,宗教的な絆を絶ってイエスをメシアとして受け入れる勇気がありました。

      10 多くの異邦人は西暦36年以降に信者になりました。コルネリオとその家族の成員,またそのほかの異邦人は良いたよりを聞いた時,すぐにそれを受け入れ,聖霊を受け,「イエス・キリストの名においてバプテスマを受け」ました。(使徒 10:1-48)フィリピでは異邦人の牢番と彼の家の者たちがすぐにキリスト教を受け入れ,「彼もその家の者も……すぐにバプテスマを受け」ました。(使徒 16:25-34)クリスチャンは迫害され,人気のない少数派だったので,そのような段階を踏むには勇気が必要でした。それは今でも変わりません。しかし,もしあなたがまだ神に献身しておらず,バプテスマを受けたエホバの証人となっていないのであれば,今こそ,勇気の必要なそうした段階を踏むべき時ではないでしょうか。

      分裂した家族内での勇気

      11 ユニケとテモテは勇気に関するどんな優れた模範となっていますか。

      11 ユニケと息子のテモテは,宗教的に分裂した家族内での勇気ある信仰に関する優れた模範となっています。ユニケには異教徒の夫がいましたが,彼女は息子に幼い時から「聖なる書物」について教えました。(テモテ第二 3:14-17)彼女はクリスチャンになったとき,「少しも偽善のない信仰」を示しました。(テモテ第二 1:5)また,未信者の夫の頭の権に敬意を示しながらも,テモテにキリスト教の教えを伝える勇気を持っていました。彼女の信仰と勇気は,よく教えられた息子がパウロと共に宣教旅行をするよう選ばれた時,確かに報われました。同様の状況にあるクリスチャンの親たちは,この例から本当に大きな励ましを得ることができます。

      12 テモテはどんな人になりましたか。今,どんな人たちがテモテのようであることを示していますか。

      12 テモテは宗教的に分裂した家族の中で生活していましたが,勇気を出してキリスト教を受け入れ,霊的な人になりました。パウロはテモテについて次のように言うことができました。「わたしとしては,テモテをまもなくあなた方[フィリピ人]のもとに遣わすことを,主イエスにあって希望しています。あなた方の事について知って,わたしが元気にあふれた魂となるためです。あなた方のことを真に気づかう,彼のような気持ちの者は,わたしにとってほかにいないのです。……あなた方は,彼が自分自身について実証した事柄を知っています。つまり,良いたよりを推し進めるため,子供が父親に対するようにして,わたしと共に奴隷として仕えてくれたことです」。(フィリピ 2:19-22)今日,宗教的に分裂した家庭の多くの子供たちが,男女の別なく真のキリスト教を勇敢に受け入れています。彼らはテモテのように自分自身について実証しています。そしてわたしたちは,彼らがエホバの組織の一員であることを本当に歓んでいます。

      『自分の首をかける』勇気

      13 アクラとプリスキラはどのように勇気を示しましたか。

      13 アクラと妻のプリスキラ(プリスカ)は,仲間の信者のため勇気を出して『自分の首をかける』ことによって模範を示しました。彼らはパウロを家に迎え入れ,一緒に天幕作りの仕事を行ない,パウロがコリントで新しい会衆を設立するのを助けました。(使徒 18:1-4)明確にされてはいませんが,この夫婦は15年にわたるパウロとの交友期間に,パウロのために自分たちの命を危険にさらすことさえしました。二人がローマに住んでいた時,パウロはローマのクリスチャンに次のように述べました。「キリスト・イエスにあってわたしの同労者であるプリスカとアクラにわたしのあいさつを伝えてください。このふたりはわたしの魂のために自分の首をかけた人たちで,わたしばかりでなく,諸国民のすべての会衆もこのふたりには感謝しています」― ローマ 16:3,4。

      14 アクラとプリスカはパウロのために自分の首をかけることにより,どんなおきてどおりに行動していましたか。

      14 アクラとプリスカはパウロのために自分の首をかけることにより,イエスの次の言葉どおりに行動しました。「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛することです」。(ヨハネ 13:34)このおきては,人が自分自身を愛するように隣人を愛することを定めたモーセの律法の要求を超えているという意味で「新しい」ものでした。(レビ記 19:18)そのおきては,イエスのように自分の命を他の人たちに与えるほどの自己犠牲的な愛を要求しました。西暦2世紀および3世紀の著述家テルトゥリアヌスはクリスチャンに関する世の人の言葉を引用し,「『見よ,彼らがいかに愛し合うかを……互いのためなら死をも辞さぬことをいかに固く覚悟しているかを』と,彼らは言う」と書きました。(「弁明」,39章7節)とりわけ迫害のさなかには,仲間の信者を敵の手による残忍な仕打ちや死にさらさないようにするため,勇気を出して自分の命をかけ,そのようにして兄弟愛を実証しなければならないかもしれません。―ヨハネ第一 3:16。

      勇気は喜びをもたらす

      15,16 使徒 16章に記されているように,勇気と喜びをどのように関連づけることができますか。

      15 パウロとシラスは,試練のさなかに勇気を示すなら,喜びがもたらされるということを示す証拠を提出しています。フィリピ市の行政官たちの命令によって,二人は公然と棒むちで殴打され,獄の足かせ台につながれました。それでも彼らが落胆し,恐れの気持ちに負けてすくんでしまうことはありませんでした。彼らは試みとなる状況にあっても,神から与えられた勇気と,勇気が忠実なクリスチャンにもたらす喜びとを抱いていました。

      16 真夜中ごろ,パウロとシラスは祈ったり,歌で神を賛美したりしていました。そこへ突然地震が起きて獄が揺れ動き,彼らのかせが解け,戸がさっと開かれました。それを見て驚いた牢番とその家族に大胆な証言が行なわれ,その結果,彼らはエホバの僕としてバプテスマを受けます。牢番自身,「自分が神を信じるようになったことを家の者たちすべてと共に大いに歓(び)」ます。(使徒 16:16-34)このことはパウロとシラスに大きな喜びをもたらしたに違いありません。この例や,勇気に関する聖書中の他の実例について考えるとき,わたしたちはどうすればエホバの僕として勇気を保つことができるでしょうか。

      常に勇気を持ちなさい

      17 詩編 27編に示されているように,エホバを待ち望むことはどのように勇気と関連していますか。

      17 エホバを待ち望むなら,勇気を保つための助けが得られます。ダビデは,「エホバを待ち望め。勇気を出し,あなたの心を強くせよ。そうだ,エホバを待ち望め」と歌いました。(詩編 27:14)詩編 27編は,ダビデが自分の命の「とりで」としてエホバに頼ったことを示しています。(1節)ダビデは,神がかつてダビデの敵をどのように扱われたかを思い浮かべて,勇気を得ました。(2,3節)エホバの崇拝の中心地に対する認識も一つの要素でした。(4節)エホバの助け,保護,救出を信頼することもダビデの勇気を強めました。(5-10節)さらに,エホバの義の道に関する原則を絶えず教え諭されることも助けになりました。(11節)ダビデは信仰や希望と共に,確信をもって敵からの救出を祈り求めることによって,勇気を出すよう助けられました。(12-14節)わたしたちも同じようにしてますます勇気を持ち,自分が実際に『エホバを待ち望んで』いることを示せます。

      18 (イ)仲間のエホバの崇拝者たちと定期的に交わることが勇気を保つ助けになることは,何から分かりますか。(ロ)クリスチャンの集会は勇気を強める上でどんな役割を果たしていますか。

      18 仲間のエホバの崇拝者たちと定期的に交わるなら,勇気を保つよう助けられます。パウロがカエサルに上訴し,ローマへの旅を続けていた時,仲間の信者が“アピウスの市場”および“三軒宿”までパウロを迎えに来てくれました。「パウロは彼らを見て神に感謝し,また勇気づけられた」と記されています。(使徒 28:15)

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