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わたしたちの王国宣教 2008
宣 08/11 3–6ページ

裁判員の務めに対するクリスチャンの見方

1,2 裁判員制度とはどのような制度ですか。

1 日本において,2009年5月から「裁判員制度」が導入されることになっています。これは,刑事事件のうち程度の重いものに関して,原則として1事件につき6人の一般市民が選ばれ,「裁判員」と呼ばれる立場で3人の裁判官と共に裁判の審理に加わる制度です。a

2 これまで日本では,裁判の審理はもっぱら専門の裁判官によって行なわれてきました。他方,一般市民が刑事裁判に参加するこの新しい制度では,国民のさまざまな視点が裁判に反映され,司法に対する国民の理解が深まりその信頼が高まる,と期待されているようです。裁判員の関係する裁判の対象となるのは,国民の関心の高い一定の重大な犯罪です。その中には,殺人罪,強盗致死傷罪,強姦致死傷罪,現住建造物等放火罪,危険運転致死罪などが含まれています。

3 裁判員の務めを果たすことは,法律的にはどのようにみなされますか。その務めが免除される場合がありますか。

3 裁判員になることは国民の法律上の義務とされていますが,中には自動的に資格がないとされる人もいます。禁固以上の刑に処せられたことのある人や法律の専門職にある人などです。また,一定の条件に当てはまる人は辞退できることになっています。その条件には,70歳以上であること,学生であること,過去の一定の期間内に裁判員を務めたことがあること,重い病気やけがなどのやむを得ない理由があること,などが含まれています。良心上の理由による辞退は法律に明記されていませんが,裁判所が認める場合もあるかもしれません。

4 裁判員はどのようにして選ばれますか。良心的にその務めを果たせないと感じるクリスチャンは,どの時点でそれを申し出ますか。

4 裁判員は,有権者の中から無作為に選ばれます。裁判員に選ばれるまでの手続きの流れは以下の通りです。毎年秋ごろに,翌年1年間の裁判員候補者名簿が作成され,名簿に載った人には通知が送られます。翌年,裁判員裁判の対象事件が起きると,候補者名簿の中からその事件の裁判員候補者がくじで選ばれ,選ばれた人には,裁判員選任手続きのため指定された日に裁判所に出頭するようにとの知らせが送られます。指定された日に裁判所に出頭すると,まず,担当することになる事件についての説明を受けます。その後,裁判長が一人一人に,その事件について裁判員の務めを果たせるか,果たせないならその事情を尋ねます。事件の性質を知った上で,裁判員の務めを良心的に果たせないのであれば,この時点ではっきりと伝える必要があります。その場合でも,辞退を認めるかどうかは裁判所が決めることになります。これらの手続きを経て,残った人の中から規定の人数の裁判員がくじで選ばれます。裁判員として選ばれた人は,その日から数日間,裁判員として裁判にかかわることになります。裁判員として選ばれなかった人は,ここで手続きが終了となります。

5 裁判員の務めには何が含まれますか。

5 裁判員の務めは,大まかに言って,法廷での審理に立ち会うこと,評議を行なうこと,判決の宣告に立ち会うことの三つです。法廷での審理では,起訴された人が犯したとされる犯罪行為に関して,検察側の主張と弁護側の主張が出されます。犯罪に関連した物品の証拠調べや証人尋問など,双方の主張の裏づけとなる証拠の取り調べもなされます。その後,評議において,裁判員と裁判官は一緒に議論し,法廷で取り調べられた証拠をもとに起訴された人が有罪かどうかを判断し,有罪の場合にはどんな刑にするべきかについても決定します。論議を尽くしても,全員一致の結論が得られない場合には多数決によって決定されます。評議の結果に基づき,裁判官が法廷で判決の宣告をします。事件によっては,死刑判決に至る可能性もあります。

6,7 裁判員の選任のために裁判所に出頭するようにと言われた場合,聖書中のどんな先例を参考にできますか。

6 「ものみの塔」誌,1997年4月1日号,「読者からの質問」には,陪審義務に対するクリスチャンの見方について詳しく論じられています。日本における裁判員の務めに関しても,その記事に記されている事柄などから得られた聖書に関する自分の理解と,自分の良心に基づいて判断することになります。

7 クリスチャンは「自分の務めに励み」,「他人の事」に干渉しないようにします。(テサ一 4:11。ペテ一 4:15)しかし,裁判員の選任のために裁判所に出頭することは,他人の事柄に干渉することとは性質が異なります。それはむしろ,ダニエルの3人の友の置かれた状況に似ています。彼らはバビロンの政府から,ドラの平野に出頭せよとの命令を受けましたが,出頭することは神の律法に対する違反ではありませんでした。(ダニ 3:1-12)もっとも,彼らがその後に取った行動は,聖書にあるとおり,それとは全く別の問題でした。―ダニ 3:16-18。

8,9 裁判員の務めを果たすかどうかを決める際,聖書のどんな原則を考慮すべきですか。(脚注も参照。)

8 では,実際に裁判員の務めを果たすことについては何と言えるでしょうか。世俗の法廷は,「上位の権威」の機能の一つです。上位の権威は,「神によってその相対的な地位に据えられて」おり,法律を制定したり,施行したりします。クリスチャンは,権威がそうした法的な機能を果たす際,「権威に敵対する」ことはしません。「それに逆らう立場を取って」裁きを受けることを望まないからです。―ロマ 13:1-4。テト 3:1。

9 クリスチャンは,種々の要素を比較考量しながら,カエサルからの一定の要求に服することができるかどうかを考えなければなりません。パウロはこう助言しています。「[上位の権威の]すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい。税を要求する者には税を,貢ぎを要求する者には貢ぎを,恐れを要求する者にはしかるべき恐れを」。(ロマ 13:7)金銭的な納税に関してこれは簡明です。(マタ 22:17-21)もしカエサルが,市民は道路清掃や,カエサルの権限に含まれる他の仕事のために時間や労力を提供しなければならないと言うなら,それに服するかどうかはクリスチャン各自が決めなければなりません。b ―マタ 5:41。

10 裁判員の務めを良心的に辞退する場合,どんなことに注意できますか。

10 クリスチャンの中には,裁判員の務めを果たすことを,カエサルのものをカエサルに返すこととみなす人もいるでしょう。(ルカ 20:25)別のクリスチャンは,ある特定の事件の裁判員を務めることを自分の良心は許さないと感じ,辞退を申し立てるかもしれません。さらには,どの事件に関しても裁判員を務めることを拒む人もいるかもしれません。(コリ一 5:12)聖書は裁判員のことを述べていませんから,その人は,『いかなる場合でも裁判員を務めることは私の宗教的信条に反する』とは言えません。事件の性質に応じて,その事件の裁判員を務めることは自分の良心に反するとは述べられるかもしれません。これは,性の不道徳,妊娠中絶,殺人など,争点となっている事柄に関する自分の見解が,単なる世俗の法律によってではなく,聖書の知識によって形作られている場合に特にそう言えるでしょう。しかし実際には,自分が担当するよう選ばれた裁判が,そうした点とは無関係ということも十分にあり得ます。

11 裁判員の務めを果たすことに関し,ほかにどんな要素を考慮しますか。

11 円熟したクリスチャンは,下される刑について自分が連帯責任を負うことになるかどうかも考慮するでしょう。(創世記 39:17-20; テモテ第一 5:22と比較。)仮に,有罪の評決が誤審であるのに死刑が科されるとしたら,裁判員であるクリスチャンは血の罪にあずかることになるのでしょうか。(出 22:2。申 21:8; 22:8。エレ 2:34。マタ 23:35。使徒 18:6)イエスが裁判にかけられたとき,ピラトは自分が「この人の血について潔白である」ことを望みました。ユダヤ人たちはすかさず,「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」と述べました。―マタ 27:24,25。

12 辞退の申し立てが認められなくても裁判員の務めを拒む場合,どんなことを銘記しておく必要がありますか。

12 あるクリスチャンが裁判所の指示どおり裁判員選任のために出頭した上で,ある事件の担当を良心上の理由で辞退したとしても,その辞退の申し立てが認められないこともあるかもしれません。それでもその務めを拒む場合,そのクリスチャンはそのことの結果を引き受ける用意をしていなければなりません。その場合,行政罰としての金銭の支払いが求められることになっています。―ペテ一 2:19。

13 クリスチャン各自はどんな決定をしなければなりませんか。どんなことはすべきではありませんか。

13 結局のところ,裁判員の務めを果たすようにとの要請を受けたクリスチャンは各自,聖書に関する理解と良心に基づいて,自分がどんな行動を取るかを決定しなければなりません。クリスチャンの中には,裁判員選任のために出頭し,ある事件について裁判員を務める人もいるでしょう。他方,裁判員選任のために出頭したとしても,ある事件に関しては辞退せざるを得ないと強く感じる人もいるかもしれません。クリスチャン各自は,自分がどうするかを決定すべきであり,他の人はその人の決定を批判すべきではありません。―ガラ 6:5。

(このページは意図的に白紙になっています。)

[脚注]

a 米国で施行されてきた「陪審員制度」のうち「小陪審」に類似した制度です。

b カエサルが課する義務に応じるかどうかを判断する上で,以下の資料も参考にできます。「ものみの塔」誌,1996年5月1日号,5-8ページの「初期のキリスト教と国家」と題する記事は,クリスチャンが『カエサルのものはカエサルに返す』義務をどのように果たさなければならないかを慎重に考慮する必要性を論じています。2008年3月15日号の「進んで応じる ― 平衡を欠くことなく」と題する記事の13節は,クリスチャンがマタイ 5章40,41節の助言をどのように適用できるかについて論じています。また,2005年2月15日号,23-26ページの『奉仕に徴用されたなら』と題する記事も,関連する原則について論じています。

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