-
クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
-
-
[98ページの図版]
下: アカ・ファン・ダルフセンは,ギレアデ第39期のクラスを卒業した後,1964年に到着した
-
-
クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
-
-
[100ページの図版]
ジュリー・ファン・ダルフセンとアカ・ファン・ダルフセン(下)は1992年にクラサオに戻り,2000年にはベテルに招かれた
-
-
クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
-
-
アカ・ファン・ダルフセン,
-
-
クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
-
-
1964年12月31日,ギレアデ第39期のクラスを卒業したオランダ出身のアカ・ファン・ダルフセンが到着しました。クラサオ島の土を踏んだアカを迎えたのは,打ち上げ花火の華麗な光景と,闇夜に鳴り響く,耳をつんざくような爆竹の音でした。とはいえ,島民の歓迎を受けていたわけではありません。それは,土地の人々が悪霊を追い払い,旧年の悪運を払いのけ,新年の到来を告げる年中行事だったのです。若くて精力的なファン・ダルフセン兄弟は巡回奉仕を開始し,後には地域の奉仕も行ないました。そして,ほとんどの宣教者と同様,新たな住みかを愛するようになりました。こう語っています。「人々は温かく,友好的で,正直です。ここに割り当てられたことは喜びであり,特権です」。
1974年にアカは,トリニダード出身のジュリーという姉妹と結婚し,ジュリーは夫と共に旅行する奉仕を行ないました。ジュリーは思い出をこう語っています。「人々の愛想のよい寛容な態度には感心しました。私はパピアメント語が全く話せませんでしたが,色々助けていただいたので,楽しく伝道できました。『コン タ バイ』(お元気ですか)と声をかけて,家族全員がどうしているかを尋ねるのは難しくありませんでした。ここでは,そのように尋ねる習慣があります。文書の配布も容易でした。大変だったのは,四つの言語の文書を入れた重いかばんを持ち歩くことや,ほこりや風との闘いでした。でも,私にとっては,それも本当に喜びでした」。アカとジュリーは,アルツハイマー病を患っていた,アカの父親を世話するため1980年にオランダに行きましたが,1992年にクラサオに戻りました。
-
-
クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
-
-
2000年3月にはファン・ダルフセン兄弟が支部委員に任命されて夫婦でベテルに招かれ,現在もベテルで奉仕しています。
-
-
クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
-
-
現在,グレゴリー・ドゥホン,クリントン・ウィリアムズ,およびアカ・ファン・ダルフセンが支部委員会で奉仕しています。
-