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クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
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[90ページの図版]
右: 同じプログラムで開催されたクラサオ大会の会場
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クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
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1970年代には,ブエナ・ビスタの王国会館に隣接した土地を平らにし,コンクリートで床を作り,演壇も設置しました。その場所は長年,大会の会場として使われました。クラサオ島ではほとんど雨が降らないので,星空のもとで集まりを開いても大した問題はなかったのです。とはいえ,兄弟たちは突然の豪雨に見舞われて驚いたこともあります。しかし,衣服や書籍はぬれても,意気をくじかれることは決してありませんでした。慌てずに傘を開いて,引き続き一心にプログラムに耳を傾けたものです。以前,そうした集まりは二つの言語で行なわれ,英語から通訳される話もあれば,パピアメント語で要約される話もありました。
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クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
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地域大会はアルバ島とクラサオ島で交互に開催され,開催地の島にチャーター機で行く人もいれば,船で行く人もいました。ナイアガラ号という船に乗った大勢の大会出席者が船酔いを起こしたこともありますが,そういう不快な経験をしても,近づく霊的な宴に対する熱意は薄れませんでした。
当時,16歳だったイングリッド・セラサは,祖母が旅費を工面するために豚を1頭売ったのを覚えています。大会出席者は兄弟たちの家に泊まり,床の上で寝ることもありました。永続する友情が築かれ,喜びに満ちた,愛と一致の精神が行き渡りました。1959年には,パピアメント語の最初の大会がバンダ・アバウのサンタ・クルス・プランテーションの家屋で開かれました。イングリッドはこう回想しています。「私たちは食料や簡易ベッドなどの道具をバスに積み込み,会場に向けて出発しました。大会のプログラムは霊的な宴でした。晩には,屋外で聖書ゲームをしたり,王国の歌を歌ったりしました。そこで過ごした3日間のことは決して忘れないでしょう。私たちはまさしく兄弟どうしであることを実感したのです」。1969年の「地に平和」国際大会のような信仰を強める国際的な集まりも,兄弟たちの間の愛と一致の精神を促進するのに役立ちました。
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