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キプロス1995 エホバの証人の年鑑
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ある1冊の文書,「一般人の説教壇」と題するパンフレットが,学校の教師のもとへ届きました。その人は,島の南東部のジャガイモの生産地にあるクシロファグという村に住んでいました。その教師のところへ,地元の農夫アンドニス・スペツィオティスがやって来ました。学問好きだったアンドニスは,何か読むものはないかと辺りを見回し始めました。そして,そのパンフレットを見つけ,すぐにその内容に夢中になりました。アンドニスはその内容を村のもう一人の人,アンドレアス・クリストゥと話し合いました。やがて二人は,ものみの塔聖書冊子協会の出版物をさらに入手して読むようになりました。その上,自分たちが学んでいることを他の人々にも伝えたところ,そのうちの何人かは二人に加わって聖書を研究しました。
関心を示した人の中には,ギリシャ正教会の神学者クレオパスがいました。クレオパスはエホバの民の友になりましたが,真理を擁護して積極的な立場を取ったことは一度もありませんでした。それでも,彼はよくこう言っていたものです。『カトリックは幼稚園,プロテスタントは小学校。しかし,聖書研究者は大学です』。
とはいえ,皆が皆,聖書研究者について好意的なことを言ったわけではありません。アンドニス・スペツィオティスとアンドレアス・クリストゥが行なった非公式の証言は,村人たちの怒りを買ったのです。キプロスの大主教に事情が知らされ,この二人の兄弟が及ぼした影響を相殺するため,神学者たちが派遣されてきました。それから2年の間は,何度も討論が行なわれました。一方は神学者の一人,もう一方はスペツィオティス兄弟です。こうした討論会のために会場を借りることはありませんでした。地元の喫茶店がちょうどよい場所でした。人々が集まる所だったからです。最後には,この二人の兄弟はギリシャ正教会から破門され,結婚や埋葬の権利を差し止められました。
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キプロス1995 エホバの証人の年鑑
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[71ページの図版]
クシロファグでの最初のエホバの証人,アンドニス・スペツィオティス(右)とアンドレアス・クリストゥ
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