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古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部ものみの塔 2011 | 10月1日
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ギリシャの歴史家ヘロドトス(西暦前485年ごろ-前425年)は,キュロスが「29年間統治した後に」殺された,と述べています。つまり,その死は治世の第30年,すなわち西暦前530年ということになります。(「歴史」[英語],第I巻,クレイオ,214)
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古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部ものみの塔 2011 | 10月1日
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バビロニアの天文学関係の粘土板(BM 33066)は,キュロスの没年が西暦前530年であったことを確証しています。この粘土板には,天体の位置に関する誤りが幾つかあるとはいえ,キュロスの息子で後継者となったカンビュセス2世の第7年に起きたという,二度の月食についての記述が含まれています。その月食は,西暦前523年7月16日と西暦前522年1月10日にバビロンで見られた月食であることが分かっています。したがって,カンビュセスの第7年が始まったのは西暦前523年の春で,その在位第1年は西暦前529年ということになります。それで,キュロスの最後の年は西暦前530年となり,バビロンを支配した最初の年は西暦前539年となります。
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