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チェコ共和国2000 エホバの証人の年鑑
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国家保安局からの興味深い提案
その後1988年の初めに国家保安局は,協会の世界本部の代表が非公式に連邦政府内務省の当局者を訪ねる手配をするよう地元の兄弟たちに提案しました。議題事項は,「両者の関係に関する幾つかの面……将来行なう可能性のある,国家の正式な高官との協議に向けて」というものでした。確かにそれは一つの変化でした。
この会合の準備が済む前に,オーストリアのウィーンで「神の公正」地域大会が開かれました。当局者が十分承知している中,比較的大きなグループの証人たちがチェコスロバキアから出席しました。
その間,協会の世界本部のスタッフと内務省の高官との話し合いに向けた準備も徐々に進みました。そしてついに,1988年12月20日,プラハのフォーラム・ホテルの会議室で,両者の集まりが開かれました。協会の代表としては,統治体のミルトン・ヘンシェルとセオドア・ジャラズ,ドイツ支部のビリー・ポールが出席しました。統治体の兄弟たちは,あまり期待してはいませんでした。忍耐強さと時間が必要なことを知っていたのです。いずれにせよ,前進する大きな一歩でした。この会合が,翌年生じた出来事における意義深い要素の一つになったことに疑問の余地はありません。
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チェコ共和国2000 エホバの証人の年鑑
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1989年の暮れにはチェコスロバキアに新政権が誕生していました。エホバの証人の国内委員会は,エホバの証人の立場を合法化するための方法をすぐに探し始めました。委員会のある成員は常任幹部会を訪問しました。そして,その訪問の結果出来た書類は,当時たいへん重要なものとなりました。責任ある高官の署名入りのこの書類はこう述べていました。
「エホバの証人教会の準備委員会が作成した知らせに基づき,我々は,1990年1月1日までにその教会が,ファシスト政権によって1939年に中断され,1949年4月4日に再び禁止された,その活動を再開することについて斟酌する」。その文書は法的な登録に向けた第一歩を象徴するものでした。
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