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  • ダンスはクリスチャンにふさわしいものですか
  • 目ざめよ! 1996
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目ざめよ! 1996
目96 5/8 26–27ページ

聖書の見方

ダンスはクリスチャンにふさわしいものですか

「これは見ていられない。ちょっと外を歩いてくるよ」。その若い男性は席を立ちながら妻にそうささやくと部屋を出てゆき,ひんやりした夜の空気の中を散歩しました。男性は当惑していました。

この夫婦は友人に招かれて,社交的な催しに出席していました。主人側はフロアショーを計画していて,そのショーには3人の女性の踊りが含まれていました。その場にいた他の人たちは別に驚いた様子もありませんでした。この男性は気にしすぎたのでしょうか。その踊り手たちは内部感情を表現し,踊る自由を満喫していただけだったのではないでしょうか。ではクリスチャンの見地からダンスというものを理解するようにしてみましょう。

ダンスは意思の伝達

人間が意思を伝達する方法の一つに,身ぶりもしくは動作があります。例えば,外国にいるとき,自分では何でもないと思っていた動作がその国では別の意味,時には好ましくない意味を持っていることが分かって驚いた人は少なくありません。かつてソロモン諸島,マレーシア,パプアニューギニアで宣教者として奉仕していたある人はこう言っています。「地域によっては,ある種の身体動作には性的な意味が含まれています。例えば,床に座っている女性の脚を男性がまたぐのはみだらな行為とされています。同様に,床に座っている男性の前を女性が歩くのもやはり不謹慎な行為です。どちらの場合にも,たちまち性的な含みがあるものと取られてしまいます」。意識していてもいなくても,わたしたちの動作は語るのです。したがって,ダンスが古来,意思伝達の一形式として利用されてきたのも当然と言えます。

祭典の時の喜びと高揚した気分から,宗教上の儀式やしきたりの時の厳粛な気持ちに至るまで,ありとあらゆる感情は舞踊で表現されると言えるでしょう。(サムエル第二 6:14-17。詩編 149:1,3)「新ブリタニカ百科事典」は,「踊り手は二つの独特な方法で観客との意思の疎通を図る。つまり体や顔で感情を流露するか,パントマイムと身ぶりという複雑な言語を使うかのどちらかを取る」と述べています。伝達される情報がはっきり読み取れるような舞踊もあれば,伝達される言葉が,知識のある少数の人にしか理解できないような舞踊もあります。例えば,古典バレエでは,胸に当てた手は愛を表わし,左手の薬指を指さすことは結婚を意味します。中国の京劇では,円を描いて歩くことは旅を意味し,鞭を水平に持って舞台を一周することは馬に乗っていることを暗示します。舞台を横切る黒い旗は嵐を意味し,水色の旗はそよ風を意味します。ですから身体は,踊りの動きや身ぶりによって意思の伝達を行ないます。ところで,伝達される事柄は常に問題のないものでしょうか。

ダンス ― 問題のないものとあるもの

ダンスは娯楽や運動として楽しめるものです。ダンスは,生きていることの純粋な喜びや,エホバの善良さへの感謝を,喜びに満ちた身体的反応によって表わす場合のように,清潔で率直な表現であることもあります。(出エジプト記 15:20。裁き人 11:34)集団で行なう舞踊やフォークダンスには楽しめるものがあります。イエスは,放とう息子の例えの中で踊り手たちの一団のことにも触れておられます。それは祝いの催しの一部として雇われた舞踊団だったと思われます。(ルカ 15:25)ですから聖書がダンスそれ自体を悪いものとしていないことは明らかです。しかし悪い考えや欲望が刺激されないようにと警告していることも確かです。この点で,ある種のダンスはみだらで,人の霊性を危うくすることさえあります。(コロサイ 3:5)昔から踊りは,時に性欲をかき立てるものになったり,よくない目的のために利用されたりしてきました。―マタイ 14:3-11と比較してください。

わたしたちの敵である悪魔サタンは,ダンスの動きとみだらな考えとが結びつくと,それは思いのままに操れる強力な武器になることを知っています。(ヤコブ 1:14,15と比較してください。)動いている身体が官能的な魅力を発散し,それが好色的な考えをあおることをよく知っているのです。サタンはわたしたちの「思いが……腐敗させられて,キリストに示されるべき誠実さと貞潔さから離れるよう」,わたしたちをたぶらかすことを決意している,と使徒パウロは警告しています。(コリント第二 11:3)わたしたちがみだらなダンスを見たり,自分も踊ったりして,不道徳な考えにとらわれてしまうなら,悪魔がどれほど喜ぶか考えてみてください。わたしたちが欲望の赴くままになり,みだらな行為の苦い実を味わうなら,悪魔はもっと喜ぶことでしょう。悪魔は過去において,動作や舞踊をそのような目的のために利用したことがあります。―出エジプト記 32:6,17-19と比較してください。

適不適をどのように見極めるか

したがって,集団で行なう舞踊にしろ,男女一組のダンスにしろ,あるいは一人で踊る踊りにしろ,舞踊の動きを見て不純な考えを抱くなら,その舞踊は,たとえ他の人たちには有害でなくても,自分には有害です。

現代のダンスの中にはパートナー同士が互いに接触しないものが多いではないか,と言った人もいます。しかし,本当に問題なのは触れ合うことでしょうか。「ブリタニカ」はその点を要約して,「パートナーを抱くにしても,半ば意識して見るにしても,ダンスという活動において肉体的喜びを味わい,パートナーを性的に意識するという最終的な結果になることに変わりはない」と述べています。結婚のきずなの外で「パートナーを性的に意識する」ことは賢明でしょうか。「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」というイエスの言葉からすれば,それは賢明なことではありません。―マタイ 5:28。

踊るかどうかは,あなたが選択することです。このダンスの目的は何なのか,どのような評判を得ているか,踊る時の動作は何を強調しているか,自分にどんな考えや感情がわいてくるか,パートナーや見ている人たちにどんな欲望を抱かせるか,といった点をよく考えてみるなら,賢明な決定をするのに役立つでしょう。冒頭の若い夫のように,他の人がどうするかには関係なく,自分の良心の声に応じるべきであることは言うまでもありません。

聖書の示している通り,創造者は,わたしたちが美やリズムや優雅さなどの賜物を楽しむことを望んでおられます。ですから楽しんでよいわけです。しかし,踊る時には,身体が伝達の働きをすることを心に留めておかねばなりません。パウロがフィリピ 4章8節で示している次の指針を忘れないようにしましょう。「何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい」。

[26ページの図版のクレジット]

Picture Fund/Courtesy, Museum of Fine Arts, Boston

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