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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 同帝国の陥落と分裂まで ペルシャの王座に就いたアルタクセルクセス・ロンギマヌスの後継者たちに関して,ディオドロス・シクルスは次のような資料を提供しています。「アジアでは王クセルクセスが1年間の,もしくはある記録によると,2か月間の統治の後に死んだ。そしてその兄弟ソグディアノスが王位を継いで7か月支配した。彼はダリウスに殺され,ダリウスは19年間統治した」。(「シチリアのディオドロス」,XII,71,1)このダリウス(ダリウス2世として知られる)は元の名をオクスと言いましたが,王となってダリウスと名乗りました。ネヘミヤ 12章22節に出て来る「ダリウス」はこの王のようです。

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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 一方,歴史家たちは,ダリウス2世の最初の在位年が西暦前423年春に始まったという点で意見の一致を見ています。バビロニアのある書字板が示すところによると,ダリウス2世はその即位年の第11の月の第4日,つまり西暦前423年の2月13日までにすでに王座に就いていました。(「紀元前626年–紀元75年のバビロニア年代学」,R・パーカーおよびW・H・デュバーシュタイン共著,1971年,18ページ)ところが2枚の書字板は,アルタクセルクセスが第41年の第11の月の第4日が過ぎた後も支配を続けたことを示しています。一つの書字板には,第41年の第11の月の第17日という日付があり(18ページ),もう一方には第41年の第12の月という日付があります。(「旧約聖書とセム語研究」,ハーパー,ブラウン,およびムーア共編,1908年,第1巻,304ページ,書字板 第12号,名称 CBM,5505)ですから,アルタクセルクセスはその統治の第41年に王位を譲ったのではなく,その年の最後まで支配を行ないました。このことから,アルタクセルクセスは41年以上支配を行なったに違いないこと,したがって,その最初の在位年が西暦前464年に始まったとみなすべきではないことを示しています。

      アルタクセルクセス・ロンギマヌスがその第41年以降も支配したことを示す証拠は,アルタクセルクセスの第50年という日付のある,ボルシッパから出土した商業文書に見られます。(「大英博物館バビロニア書字板目録」,第7巻:シッパール2の書字板,E・ライヒティーおよびA・K・グレイソン共著,1987年,153ページ; 書字板名 B. M. 65494)アルタクセルクセスの治世の終わりとダリウス2世の治世の始まりを結び付ける書字板の一つには,次のような日付が付されています。「第51年,即位年,第12の月,20日,ダリウス,諸国の王」。(「ペンシルバニア大学バビロニア探査隊シリーズA: 楔形文字テキスト」,第8巻,第1部,アルバート・T・クレイ著,1908年,34,83ページ,およびプレート57,書字板 第127号,名称 CBM 12803)ダリウス2世の最初の在位年は西暦前423年なので,アルタクセルクセスの第51年は西暦前424年であり,その最初の在位年は西暦前474年でした。

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