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  • 心霊術 ― 神はどう見ておられるか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
塔87 9/1 4–6ページ

心霊術 ― 神はどう見ておられるか

ローマの歴史家サルスティウスは,「好き嫌いが同じであること,これによって友情は堅いものになる」と言いました。確かに,友人とは,自分と共通点の最も多い人,信頼できる人です。同様に神も,もしわたしたちの好き嫌いがご自分と同じであるなら,わたしたちを友として見てくださり,わたしたちがご自分に近づくことを許してくださいます。自分の好き嫌いが神と同じであるということは,愛・平和・親切・善良といった神の特質に魅力を感じ,生活の中でそうした性格を見倣うよう誠実な努力をしているという意味です。―ガラテア 5:22,23。

心霊術が神の是認を受けるものかどうかを知るためには,まず,心霊術の生み出している実を調べてみるのがよいでしょう。(マタイ 7:17,18)心霊術は敬虔な魅力ある特質を培う助けになるでしょうか。では,二つの実例を見てみましょう。

占い,いやがらせ,死

スリナムに住む中年の婦人アサマヤ・アミーリャが,心霊術の一種である占いに初めて関係するようになったのは17歳の時でした。アミーリャの予言は的中し,お伺いを立てに来た人たちは彼女の助言から恩恵を受けたので,アミーリャはその地域社会では大変尊敬されていました。(使徒 16:16と比較してください。)しかし,彼女はある事柄に悩んでいました。

こう述べています。「私を通して語った霊たちは,彼らの助けを求めた人たちには親切でしたが,私の生活はひどく不快なものにしました。ひと仕事終わる度に私は打ちのめされたように感じ,ほとんど動けませんでした。夜になれば少しは休めるかと思いましたが,霊たちは私をほうっておいてはくれませんでした。絶えずうるさくし,話しかけ,眠らせてくれません。しかも,その話といったら!」 アミーリャは溜息をついてうつむき,嫌だというように頭を振りました。「霊たちはセックスについて話すのが好きで,私と関係を持つことをしつこく要求したのです。あきれてしまいました。私は夫のある身ですし,不忠実なことはしたくありませんでしたから,そう言いました。でも,だめでした。ある時など,目に見えない力が私を押さえつけ,体に触ったり締めつけたり,かみついたりして,私は本当に惨めな思いをしました」。

『霊たちが性の不道徳を勧めるですって? それはちょっと考えすぎですよ!』と,声を大にして言う人がいるかもしれません。それらの霊たちは本当にそこまで堕落しているのでしょうか。

前の記事で紹介したイーザクは,「もっと質が悪い」と言います。「ある夜,私たちは,霊に悩まされていた病気の婦人を助けるために呼ばれました。そのグループの指導者 ― 他より強力な霊の霊媒だった ― はその婦人についていた霊を追い出そうとしました。私たちが丸1日,指導者の霊に助けを嘆願し,踊ったり太鼓をたたいたりしていたところ,婦人は次第によくなってゆきました。指導者は婦人の霊に出るよう命じ,それはうまくゆきました。『我々は勝ったぞ』と,指導者が顔をほころばせたので,私たちは座ってくつろぎました」。

イーザクは手振りをやめて意味ありげに一呼吸置き,それからこう続けました。「しばらくは何事もないように見えたのですが,その時,沈黙を突き破って鋭い叫び声が上がりました。声のした家に私たちが駆けつけると,そこには指導者の妻がいて,非常に興奮して泣いていました。家の中に入ってみると,その人の幼い娘が目に留まりましたが,なんと顔が背中の方を向いていたのです。何らかの力がその子の首をねじって,鶏を殺すように殺してしまったのです。恐らく,追い出された霊が復しゅうをしたのでしょう。まったくいまいましい! ああいう霊どもは,サディスティックな殺人鬼なのです」。

心霊術と「肉の業」

心霊術と関連したそれら二つの経験に見られるような,汚れや性の不道徳や殺人は,神のご性格に真っ向から対立するものです。またそのことは,それらの霊たちの正体を見極める助けになります。それらの霊たちは神の使者のふりをするかもしれませんが,その不道徳な行ないや殺人行為は,彼らが神の敵また史上最初の殺人者である悪魔サタンに倣う者であることを暴露しています。(ヨハネ 8:44)悪魔は彼らの指導者です。彼らは悪魔の手先であり,邪悪なみ使い,すなわち悪霊です。―ルカ 11:15-20。

しかし,『そうしたサタン的な性格が心霊術に見られるのはごくまれなことではありませんか。大抵は,心霊術によって,いっそう神に近づかせてくれる良い霊たちと接触できるのではありませんか』と尋ねる方があるかもしれません。答えは否です。聖書は,「心霊術の行ない」を,クリスチャンの特質に直接反する他の「肉の業」と一緒に挙げています。―ガラテア 5:19-21。

啓示 21章8節では,「心霊術を行なう者」(「悪霊と対話する者」,英文リビングバイブル)は「信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,……偶像を礼拝する者,またすべての偽り者」と同じ範ちゅうに入れられています。エホバは,意図的にうそをつく者,淫行の者,殺人をする者,心霊術を行なう者などをどのようにみなしておられますか。そのような行ないは憎んでおられるのです。―箴言 6:16-19。

ですから,心霊術を研究するのは,エホバ神が嫌っておられる事柄を好むのと同じことになります。それは,エホバを退けてサタンの陣営に入り,神の最大の敵およびその後援者の側に付くようなものです。考えてみてください。自分の敵に味方する人と親しくしたいと思うでしょうか。もちろん,そのようなことはありません。むしろその人には近づかないようにするでしょう。であれば,エホバの反応も同様のものであることは明らかです。箴言 15章29節には,「エホバは邪悪な者たちから遠く離れておられる」と述べられています。―詩編 5:4もご覧ください。

心霊術は死につながる

心霊術に手を出すと,命を危険にさらすことにもなります。神は,古代イスラエルのご自分の民の間で,心霊術を死刑に値する罪とみなされました。(レビ記 20:27。申命記 18:9-12)であれば,心霊術を行なう者が『神の王国を受け継がない』のも当然でしょう。(ガラテア 5:20,21)それどころか,「その分は火と硫黄で燃える湖の中にあ(ります)」。これは「第二の死」つまり永遠の滅びを表わしているのです。(啓示 21:8)今日キリスト教世界には心霊術を容認している教会も確かにあるかもしれませんが,聖書の見解は変わっていません。

では,すでに心霊術に足を踏み入れてしまった人の場合はどうでしょうか。そういう人はすぐにやめて転向するのがよいでしょう。神の預言者イザヤが昔のイスラエル人に与えた,神からの霊感による助言に従うことです。彼らの状況は,汚れた行ないをしていながらなおかつ神を崇拝していると思っている今日の人々の状況と似ています。それで,イスラエル人の経験の中には大切な教訓が含まれています。どのような教訓でしょうか。

イザヤの警告に注意しなさい

イザヤ書 1章を見れば,イスラエル人が「エホバを捨て,……その方に背を向け」ていたことが分かります。(4節)彼らは正道からそれていましたが,引き続き犠牲をささげ,宗教上のしきたりを守り,祈りをささげていました。しかし,無駄なことでした。彼らには自分たちの創造者に喜んでいただきたいという内なる願いが欠けていたため,エホバは,「わたしはあなた方から目を隠す。たとえあなた方が多くの祈りをしようとも,わたしは聴いてはいない」と言われました。それらのイスラエル人は,汚れた行ないに熱中して『その手を流血で満たす』ことにより,神に反逆していました。―11-15節。

彼らがどのようになれば,エホバは再び受け入れてくださるのでしょうか。イザヤ 1章16節にはっきり説明されている要求に注目してください。『身を洗い,身を清めるように』と言われています。ですから,もしその助言を真剣に受け止めるのであれば,「肉の業」の一種である心霊術も含め,汚れた行ないをやめ,また避けることでしょう。さらに,心霊術の背後にある邪悪な精神が悪魔サタンの精神であることを知っているのですから,それに対する憎しみを培うことでしょう。

そして,心霊術に関連したすべての物品を処分するはずです。イーザクはそうしました。こう語っています。「ある日私は,心霊術関係の持ち物を全部集めて家の前に出し,斧をつかんで,それらを粉々に砕きました。近所の婦人は金切り声を上げ,私が自分のしたことを後悔するだろう,と言いました。その人が金切り声を上げて騒いでいるうちに,私は砕いた物にガソリンを掛け,どれもこれもみな焼却しました。残った物は一つもありませんでした」。

それは28年前のことです。イーザクは自分の取った行動を後悔したでしょうか。いいえ,今イーザクは,エホバの証人の会衆の一つでクリスチャン奉仕者として喜びのうちにエホバに仕えています。

イザヤ 1章17節はさらに,『善を行なうことを学びなさい』と助言しています。そのためには,「神の善にして受け入れられる完全なご意志」が何かを見極めるよう,エホバの言葉,聖書を研究する必要があります。(ローマ 12:2)そして,新たに見いだしたその知識に従って行動するなら,さわやかな祝福を経験することになるでしょう。アサマヤはそれを体験しました。

親族や近所の人たちからひどい迫害を受けましたが,アサマヤは勇気を出してエホバの証人と聖書研究を行ない,その後すぐに心霊術との関係を絶ちました。そしてエホバ神に献身し,大会の時にバプテスマを受けました。それから12年ほどたちましたが,アサマヤは,「バプテスマを受けて以来,霊たちに悩まされたことはありません」と,感謝の気持ちをこめて語りました。また,「バプテスマを受けた日の夜は,邪魔されることなく本当にぐっすり眠れました。それで次の日の朝,大会のプログラムに遅刻してしまいました」と,ほほえみながら当時のことを思い出して語りました。

永続する益

今ではイーザクもアサマヤも,詩編作者のアサフと共に,「わたしについていえば,神に近づくことは良いことなのです」と,心から言うことができます。(詩編 73:28)実際,彼らはエホバに近づくことにより,身体的にも感情的にも益を受けることができました。とりわけ内面の平和とエホバとの親しい関係が得られました。

その祝福に比べれば,心霊術のくびきを振り払うときの苦痛や苦闘は微々たるものです。とはいえ,関係を断ち切ろうと思えば,厳しい試練を受けることになる場合があります。スリナムに住む婦人,リンティナ・ファン・ヘーネンも,そのような経験をしました。次の記事ではこの婦人が何年間もの闘いの末,どのように勝利を収めたかが述べられています。

[5ページの図版]

『霊たちは……私の生活をひどく不快なものにしました。……しかも,その話といったら!』と,アサマヤ・アミーリャは語る

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