-
私たちの“設計図”はどこから来たのか生命の起源 5つの大切な質問
-
-
DNA分子の驚異的な構造
染色体の模型のこの部分をロープと呼ぶことにしましょう。太さは2.5㌢ほどです。リールにきつく巻かれていて(4),それがさらにぐるぐると巻かれてコイルのようになっています。それらのコイルは足場のような物にくっついているので,あるべき場所に保たれます。そばにあるパネルの説明によると,このロープは非常に効率よく収納されているとのことです。染色体の模型全てからロープをほどいて伸ばすと,地球を半周するほどの長さになるのです。a
ある科学書は,効率の良いこの収納システムを「工学技術の偉業」と評価しています。18 では,この偉業にどんな技術者も関わっていない,と考えるのは筋の通ったことでしょうか。もしこの博物館の中に,何百万点もの商品をきれいに陳列した大きな店があり,欲しい物を簡単に見つけられるとしたら,そうした店がひとりでにできたと考えるでしょうか。もちろん,そうは考えないでしょう。では,そのような店よりはるかに収納効率が優れている細胞についてはどうでしょうか。
近くのパネルに,「ロープを手に取ってご覧ください」と書かれています。手のひらに載せて見てみると(5),これが普通のロープではないことに気付きます。2本のひもが,らせん状に絡み合っています。その2本のひもは,等間隔にある小さな棒でつながっています。ねじれたはしごのようになっていて,らせん階段に似ています(6)。これこそが,生命の神秘ともいうべきDNA分子です。
1つのDNA分子がリールや足場によってきれいにまとめられ,1本の染色体になっていたわけです。はしごの横木は,塩基対(7)と呼ばれています。それにはどんな役目があるのでしょうか。全体としてどんな働きをしているのでしょうか。パネルに簡単な説明があります。見てみましょう。
究極の情報記憶システム
パネルによれば,DNAを理解する鍵は,はしごの横木にあります。はしごを縦に割ったとしましょう。はしごの縦木それぞれから横木の半分が突き出ています。横木の部品は4種類しかなく,科学者たちはそれを,A,T,G,Cと呼んでいます。それら4つの“文字”がさまざまな配列で並び,暗号化された情報になっています。
19世紀に発明されたモールス符号をご存じかもしれません。モールス符号は,電信などによるやりとりで使用されます。モールス符号で使う“文字”は,点(・)と線(–)の2つだけです。それでも,無数の単語や文を作り出せます。一方,DNAの暗号に使われているのは4文字です。A,T,G,Cの配列の違いによって,コドンと呼ばれるさまざまな“単語”が作られます。コドンが連なると,遺伝子という“文章”になります。遺伝子1つは,平均して2万7000文字から成っています。遺伝子部分とそうでない長い部分が交互につながって,染色体という“章”が出来上がります。そして23の染色体が,ゲノムという“本”,つまりヒトの全遺伝情報を形成します。b
ゲノムは巨大な本に例えられます。どれほどの情報が収められているのでしょうか。ヒトのゲノムは合計30億ほどの塩基対(DNAのはしごの横木)で成っています。19 百科事典の中には1巻が1000ページを超えるものがありますが,ゲノムの情報を書き出そうとすると,そうした百科事典428巻分になります。各細胞内にあるゲノムのもう1つのセットを合わせると,856巻になります。このゲノム百科事典全巻をタイピングするとしたら,1日8時間,週5日,休暇なしで働いても,80年かかるほどの情報量です。
たとえ全部を入力し終えたとしても,出来上がった事典はそのままでは人体の役には立ちません。その事典の何百巻分もの情報を,100兆個もある非常に小さな細胞の一つ一つに収めなければならないからです。人間の技術では,それほどの情報をそこまでコンパクトに収めることはとてもできません。
分子生物学とコンピューター科学の一教授はこう言っています。「乾燥させると1立方㌢ほどの体積になるDNA1㌘には,CD約1兆枚分の情報を記録できる」。20 これはどれほどすごいことなのでしょうか。すでに考えたように,DNAには,遺伝子つまり人体の設計図が含まれており,各細胞に同じ完全な設計図が入っています。では,ティースプーン1杯のDNAには,何人分の設計図を収められるでしょうか。なんと現在の世界人口の約310倍分です。世界の80億人分の設計図なら,ティースプーンの表面を薄く覆う分だけで十分なのです。21
-
-
私たちの“設計図”はどこから来たのか生命の起源 5つの大切な質問
-
-
働く機械たち
静かな博物館を見学しながら,1つ疑問が湧きます。実際の細胞核は,この模型のようにじっと静止しているのでしょうか。ふと見ると,別の展示物があります。ガラスのショーケースにDNAの模型の一部が入っていて,その上に「ボタンを押してください」と書かれています。ボタンを押すと,音声ガイドが流れます。「DNAが行う大切な仕事を2つご紹介します。1つ目は複製です。DNAは,新しい細胞に1そろいの遺伝情報が含まれるようにするため,コピーされる必要があります。それがどのように行われるかご覧ください」。
展示物の端の扉から,いかにも複雑そうな機械が現れます。幾つものロボットが組み合わさった機械です。DNAに近づいて密着し,線路の上を走る列車のように,DNAに沿って動きます。速過ぎて何をしているのかよく分かりませんが,機械の後ろから,元々は1本だったDNAのロープが2本に増えて出てきているのが見えます。
音声ガイドが流れます。「これは,DNAの複製の様子をごく簡単に再現したものです。酵素と呼ばれる機械のような分子が幾つも,DNAに沿って移動します。まず,DNAを2本のひもに分け,それぞれのひもを鋳型として,それと対になる新たなひもを作り出します。全てをお見せすることはできませんが,ほかにもいろいろなものが関わっています。例えば,複製機械の前を行き,DNAの片方のひもを切断して,DNAのねじれを緩める小さな装置があります。また,DNAの“校正”も何度か行われます。驚異的な正確さで,誤りを発見し,修正します」。(16-17ページの図をご覧ください。)
音声ガイドが続きます。「作業速度はお分かりいただけると思います。ロボットはかなりのスピードで動いています。実際の酵素は,DNAの“線路”に沿って,1秒で100の横木つまり塩基対を通り過ぎます。23 鉄道の線路の大きさまで拡大すると,この酵素の“機関車”は時速80㌔以上で疾走していることになります。細菌の中では,酵素はその10倍もの速度で動きます。ヒトの細胞では,そうした何百もの複製機械がDNAの“線路”のあちこちで働き,ゲノム全体のコピーをわずか8時間でやってのけます」。24 (20ページの「読んでコピーできる分子」という囲みをご覧ください。)
DNAを“読む”
DNAの複製機械が退場し,別の機械が現れます。これもDNAに沿って動きますが,前の機械よりもゆっくりです。DNAのロープが機械の中に取り込まれていき,そのままの姿で反対側から出てきます。でも,機械の別の所から1本の新しいひもが出てきていて,しっぽが伸びているかのようです。何が起こっているのでしょう。
再び音声ガイドが流れます。「DNAの2つ目の仕事は転写です。DNAは安全な細胞核の外に出ることはありません。では,人体を構成する全タンパク質の“レシピ”である遺伝子は,どうやって読み取られ,細胞核の外で使われるのでしょうか。そこで活躍するのがこの機械です。この酵素はまず,DNAの特定の場所を見つけます。そこには,細胞核の外から来る化学的な信号によってスイッチがオンになった遺伝子があります。この酵素は次に,その遺伝子をコピーし,RNA(リボ核酸)と呼ばれる分子を作り出します。RNAは一見,DNAの片方のひもに似ていますが,実際は違います。遺伝子内の暗号化された情報が転写されたものです。酵素内で合成されたRNAは,細胞核を出てリボソームに情報を運びます。そしてリボソームでその情報を使ってタンパク質が作られます」。
こうした模型があれば,思わず見入ってしまうでしょう。この博物館の素晴らしさに感心し,いろいろな展示物や機械を設計して作った人たちは本当にすごいと思うに違いありません。では,もしこの博物館全体が動き出し,ヒトの細胞内で同時に起きている無数のことが全て再現されるとしたら,どうでしょうか。それはきっと大迫力で,見る人を圧倒することでしょう。
博物館で見たいろいろなことが,あなたの体の100兆もの細胞の中で,今この瞬間も,小さくて複雑なたくさんの“機械”によって実際に行われているのです。DNAが読み取られて,人体を構成するおよそ10万種類のタンパク質を合成するための指示が送られています。また,DNAがコピーされて校正され,出来上がった指示書が新しい細胞内に組み込まれています。
-