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ハイチ・クレオール語の畑2015 エホバの証人の年鑑
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この畑における勤勉な働きにエホバの祝福が注がれ,驚くべき増加がもたらされました。2009年9月1日には,ハイチ・クレオール語の会衆が23,群れが20あり,2つ目の巡回区が組織されました。2011年の記念式の出席者数は,将来の増加の見込みを示しています。例えば,リオ・リンピオという小さな町の11人の奉仕者は,記念式に594人が出席するのを見て喜びました。また,ラス・ヤヤス・デ・ビアハマという町にはエホバの証人は一人もいませんが,そこで行なわれた記念式には170人が出席しました。2011年9月になると,33の会衆と21の群れが存在するようになり,翌年に3つ目の巡回区が組織されました。
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ハイチで発生した地震2015 エホバの証人の年鑑
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中国語の畑における増加
2005年に支部は,中国語を話すベテル奉仕者の呉 梃華<ウ ティンファ>を特別開拓者に任命しました。中国語を話す大勢の人々に宣べ伝えるためです。呉兄弟の両親は中国からサントドミンゴに移住し,兄弟はこの国で生まれ育ちました。
2008年1月1日,サントドミンゴに北京<ペキン>官話の会衆が設立され,2011年にはサンティアゴに群れができました。36人の正規開拓者と数人の補助開拓者を含む,70人の奉仕者は,毎月平均76件の聖書研究を司会しています。
英語を話す人々を探す
2007年までに,376の会衆に交わる2万7466人の奉仕者が4万9795件の聖書研究を司会していました。とはいえ,この国には英語を母語とする人も大勢おり,英語会衆は1つもありませんでした。2008年4月,支部は宣教者のドナルド・エルウェルとジェーン・エルウェルをサントドミンゴに遣わします。英語の群れを立ち上げるためです。小さいながらも熱意に燃えた奉仕者の一群はまず,英語を話す人たちがどこに住んでいるのかを調査し,次いで区域を組織して,徹底的な証言を行なえるようにしました。
こうした努力によって,サントドミンゴの英語の群れは増加し,2009年7月に39人の奉仕者から成る会衆が設立されました。他の地域でも同様の努力が払われた結果,2011年11月には,国内に7つの英語会衆と1つの英語の群れができていました。
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