ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目89 3/8 11–13ページ
  • わたしは車を運転する用意ができているだろうか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • わたしは車を運転する用意ができているだろうか
  • 目ざめよ! 1989
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 十代のドライバー: 記録は語る
  • お粗末なドライバーになる若者たちが多い理由
  • 『運転してはいけません!』
  • あなたのお子さんは車の免許を取る用意がありますか
    目ざめよ! 1974
  • 安全運転を習慣にしましょう
    目ざめよ! 1988
  • 車を運転する用意ができていることをどうすれば親に納得してもらえるだろうか
    目ざめよ! 1989
  • 自動車事故 ― あなたは安全ですか
    目ざめよ! 2002
もっと見る
目ざめよ! 1989
目89 3/8 11–13ページ

若い人は尋ねる…

わたしは車を運転する用意ができているだろうか

「[運転]免許を持っていないティーンエージャーなんて,本当のティーンエージャーとは言えないよ」。この十代の少年の意見に共感を覚える若者は少なくないでしょう。控え目に言っても,多くの国の若者たちは,車のハンドルを握る日が待ちきれないようです。

多くの若者にとって,運転免許は地位や円熟性の象徴です。運転できるということは自由を意味し,親の監督から解かれることを意味します。それはまた動きやすくなるということでもあります。もう親や年上の兄弟姉妹に交通手段を頼る必要がなくなります。もちろん,すべての若者が健全な動機から運転を望んでいるわけではありません。例えば,異性との間にロマンスが生まれる可能性があるために運転を望む若者もいます。また,ハイム・G・ジノット博士が自著「親と十代の若者との間」で述べているように,一部の若者にとって,車は「力とスピードと興奮の象徴」なのです。

それでも,慎重な,責任ある方法で運転すれば,車は真の財産となり得ます。例えば,エホバの証人の多くの若者たちは,公の宣教の際に車をよく活用しています。また車があれば,若い人は,他の人たちのために使い走りをしたり,クリスチャンの集会に行くための交通手段を必要としている人たちを援助したりすることができます。

仮にあなたが,法的に免許を取得できる年齢に達しているとしましょう。あなたは学校で自動車運転教習課程を履修し,交通法規を入念に学びました。両親(または学校)の指示のもとに,何度かハンドルを握ったこともあります。運転免許試験に合格し,免許証を取得したかもしれません。しかし,これでもう運転する用意ができたことになるでしょうか。必ずしもそうとは言えません。

十代のドライバー: 記録は語る

ジノット博士は,「巧みに,自信を持って車を操り,親よりうまく運転する16歳の若者がいる一方,18歳になっても非常に未熟で,責任上運転を任せられないような若者もいる」と述べています。

この嫌疑の正しさは様々な事実によって裏づけられています。「米国 1988年の統計的要約」によれば,21歳以下のドライバーはドライバー全体の約10%にすぎません。ところが,死亡事故を起こしたドライバーの実に20%が21歳以下のドライバーなのです。さらに,「いい気持ちでの運転: 運転,飲酒,麻薬の危険」という本によれば,米国における16歳から19歳までの若者の死因の第一位は自動車事故です。ほかにも幾千人という若者が自動車事故で,負傷したり,一生治らない障害を負ったりしてきました。

そうした怪我の多くは,若いドライバーがシートベルトを着用するという簡単な予防策を講じていれば,防ぐことができたものでした。しかし,デービッド・ホックベルク博士は,命を救うものとなる制限に妨げられずに運転する“権利”に固執する若者が多いという事実を嘆いています。若者たちに直接話しかけて,同博士はこう述べています。「わたしは,命を取りとめた者を乗せた担架のそばに立ち,君たちの傷の具合いを診てどのような治療が必要かを考える。そして,『シートベルト……をしていなかったのはなぜだね』と何百回となく尋ねてきた質問をする。すると,虚勢を張ったはったり屋たちは,『それは僕の権利だよ,先生』と,いとも簡単に答える」。

しかし,若者たちの“権利”が健康や幸福に対する他の人の権利と衝突する場合が余りにも多すぎます。カー・アンド・ドライバー誌に掲載された一記事はある調査について伝えていますが,それによると,「十代のドライバーは自分自身よりも他の人たちを死亡させるケースが多く,十代の若者が引き起こした事故で死亡した人の半数以上は,同乗者か,“巻き添えになった”車に乗っていた人たちだった」ということです。「率直に言って,十代のドライバーは紛れもない脅威とみなして差し支えない」とその記事は結論しています。

若いドライバーは年配の人々に比べ,反射神経や視力や聴力が優れており,手先も器用で,自動車の仕組みをよく理解していることが多いにもかかわらず,こうした惨めな記録があるのです。だれの目にも明らかなとおり,人を資格あるドライバーにするのは単なる技術でもなく,法定年齢に達していて運転免許試験に合格するのに必要な知識を持っているといったことでもありません。a

お粗末なドライバーになる若者たちが多い理由

「青年期に関する家庭ハンドブック」という本はこう述べています。「体力があるということは,運転にとって比較的小さな問題である。……身体的な能力は,必ずと言ってよいほど感情的な能力に先行する」。確かに,若いドライバーがかかえる問題の一つは若さという特徴そのものです。ソロモンは,「若者の美しさはその力……である」と言いました。これは,若者は強さと能力に富んでいるという意味かもしれません。(箴言 20:29)しかし悲しいことに,若者たちはよい判断力に欠けていることが少なくありません。実際,無謀な運転をして,愚かさがいまだに強く「心につながれている」ことを示した若者たちがいます。―箴言 22:15。

したがって,一部の若者たちは不注意であったり,スリルや興奮を味わうために車を使ったり,挑発したり,挑発されたりする傾向があります。そうした若者の手にかかると,車は凶器に,運転免許は殺人のライセンスになる恐れがあります。一例として,高校のフットボール選手であったハービーという名の17歳の少年が起こした事故を考慮してみましょう。ハービーは初めて一人で夜間に車で出かけた日に,交差点で急発進をして,母親と子供をひいてしまいました。

ハービーの体育のコーチは,この悲劇の原因を次のように指摘しています。「もしわたしが意見を求められていたなら,ハービーは感情的な面でまだ車を運転するだけの用意がないと答えていただろう。ロッカー室での彼はかんしゃく持ちで,他の選手をよくからかっていた。彼の競技は派手で,すぐけんか腰になるところがあった。彼のこうした精神態度は,監督者がいなくなった際の運転の仕方にすぐに表われた。信号が青に変わった時,自分が真っ先に発進しなければ気がすまなかったのである」。

残念なことに,免許を持っている若者の中には,「感情的な面でまだ車を運転するだけの用意がない」若者が少なくありません。ロナルド・M・ウィアレスは,自著「殺人のライセンス」の中で,米国のある大手の保険会社が十代のドライバーを対象にして行なった調査に触れています。その調査によれば,十代のドライバーが起こした自動車事故の多くに見られる主な原因は,「不注意と血の気の多いこと,それに十代特有の“いいところを見せようとする”傾向」でした。

特に憂慮されているのは,非常に多くの若者が酒に酔って路上に出るという事実です。米国における最新の統計によると,飲酒運転で死亡事故を起こした人のほぼ四人に一人は21歳未満のドライバーでした。「青年期を生き残る方法」という本はこう説明しています。「ティーンエージャーの間で飲酒運転が特によく見られるのは三つの理由による。(1)飲酒にも運転にも慣れていないため,どちらの行為に関しても判断を働かせる際に頼れる経験上の基盤がない。(2)自分がどれほど“熟練”しているかを友達に印象づけようとする。(3)酒酔い運転をしていたり,事故を起こしたりして捕まるのはいつも他の人で,自分ではないと考えている。しかし,過去10年間の統計は,飲酒運転による事故で死亡した人の60%までがティーンエージャーであることを非常に明確に示している」。

『運転してはいけません!』

以上の事実から考えると,運転免許取得のための年齢要求を引き上げることや,夜間の運転の禁止さえ政府に求める人々がいるのも不思議ではありません。しかし,あなたがもっと関心を持つのは,両親の反応かもしれません。

一部の親は,十代の若者が運転する場合の危険性をよく知っているので,子供が法的に運転できる年齢に達しても,子供に運転を許そうとしません。一人の親はこう述べました。「私たちは16歳の息子に車の運転を許していません。新聞を読んで,どんなことが起こるか知っているからです。息子が車で出かけるたびに,死ぬほど心配することなどまっぴらです」。

こうした態度は不公平で不当なものだとあなたには思えるかもしれません。結局のところ,あなたは真面目で良心的な若者かもしれず,自分や他の人の命を危険な目に遭わせるようなことは決してないかもしれません。問題は,このことを両親にどう納得してもらうかということです。次号の記事ではこの問題が取り上げられます。

[脚注]

a 日本のように厳しい基準を有する国もありますが,米国では全く機械的に運転免許が交付されます。したがって,米国の試験方法はきわめて不適切であると非難されてきました。

[12ページの図版]

車は威信と力と興奮の象徴

[13ページの図版]

正しくない,あるいは不注意な運転をすると,車は凶器になる恐れがある

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする