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    ものみの塔 2009 | 8月15日
    • 地上での永遠の命 ― 神から与えられている希望

      『創造物は虚無に服させられたが,それは希望に基づいていた』。―ロマ 8:20。

      1,2 (イ)わたしたちにとって地上での永遠の命という希望が重要なのはなぜですか。(ロ)多くの人が地上での永遠の命について懐疑的なのはなぜですか。

      あなたも,あの喜びを思い起こせるでしょう。近い将来,年老いて死ぬということがなくなって地上で永久に生きられるようになる,ということを初めて知った時の喜びです。(ヨハ 17:3。啓 21:3,4)そして,聖書に基づくその希望を他の人に知らせてこられたことでしょう。なんと言っても,永遠の命の希望は,わたしたちの宣べ伝える良いたよりの肝要な面なのです。わたしたちの人生観も,その希望によって形作られています。

      2 キリスト教世界の諸宗教は,概して,地上での永遠の命という希望を無視してきました。聖書が魂は死ぬと教えているにもかかわらず,諸教会の大半は,人は不滅の魂を持っているという非聖書的な教理を教えています。魂は人が死んだ後も霊の領域で生き続ける,と言うのです。(エゼ 18:20)ですから,地上での永遠の命について懐疑的な人が少なくありません。それでわたしたちは,聖書中にその希望を裏づけるものが本当にあるだろうか,あるとすれば,神が人間にその希望を初めて明らかにされたのはいつだろうか,と考えてみることができるでしょう。

      『希望に基づいて虚無に服させられた』

      3 人に対する神の目的は,人間の歴史の始めから明らかでした。どうしてそう言えますか。

      3 人類に対するエホバの目的は,人間の歴史が始まったまさにその時に明らかにされ,神がはっきりお示しになったように,アダムは従順であれば永久に生きることができました。(創 2:9,17; 3:22)しかし,アダムから数世代にわたって人々は,人間が完全ではなくなったことを理解したに違いありません。不完全さは,目に見える証拠によって確認できたからです。エデンの園に入ることは阻まれていましたし,人々は年老いて死にました。(創 3:23,24)時がたつにつれて,人間の寿命は短くなってゆきました。アダムは930年間生きましたが,大洪水を生き残ったセムは600年生きただけで,その息子のアルパクシャドは438年でした。アブラハムの父テラは205年生きましたが,アブラハムの寿命は175年で,息子イサクは180年,ヤコブは147年でした。(創 5:5; 11:10-13,32; 25:7; 35:28; 47:28)多くの人々は,寿命がそのように短くなったことの意味を ― つまり,永遠の命という見込みが失われたことを ― 悟ったに違いありません。では,永遠の命を取り戻せるという希望を持つことはできなかったのでしょうか。

      4 昔の忠実な人々には,アダムの失った祝福を神が取り戻させてくださる,と信じるどんな根拠がありましたか。

      4 神の言葉には,『[人間という]創造物は,希望に基づいて虚無に服させられた』とあります。(ロマ 8:20)どんな希望でしょうか。聖書中のまさに最初の預言は,『蛇の頭を砕く』ことになる「胤」を指し示していました。(創世記 3:1-5,15を読む。)忠実な人々にとっては,その胤に関する約束が,希望を持つための一つの根拠となりました。神は人類に対する目的を放棄したりされない,ということが理解できるからです。その約束があったので,アベルやノアといった人々は,アダムの失った祝福を神が取り戻させてくださる,と信じることができました。それらの人は,『胤のかかとが砕かれる』時に血が流されることにもなる,ということを悟っていたかもしれません。―創 4:4; 8:20。ヘブ 11:4。

      5 アブラハムが復活を信じていたことは,どんなことから分かりますか。

      5 では,アブラハムについて考えてみましょう。アブラハムは試された時,『自分の独り子イサクをささげたも同然でした』。(ヘブ 11:17)進んでそうしたのはなぜでしょうか。(ヘブライ 11:19を読む。)復活を信じていたからにほかなりません。アブラハムには復活を信じる根拠がありました。なにしろ,エホバがアブラハムの生殖力をよみがえらせて,妻のサラと共にその老年に息子を生み出せるようにされたのです。(創 18:10-14; 21:1-3。ロマ 4:19-21)また,アブラハムにはエホバの言葉もあり,神から,「あなたの胤と呼ばれるものはイサクを通して来る」と言われていました。(創 21:12)ですから,アブラハムは,神がイサクを復活させてくださるはずだ,と期待することが十分にできたのです。

      6,7 (イ)エホバはアブラハムとどんな契約を結ばれましたか。(ロ)アブラハムに対するエホバの約束は人類にとって希望となりました。どうしてそう言えますか。

      6 アブラハムが際立った信仰を示したので,エホバは,彼の子孫すなわち「胤」に関してアブラハムと契約を結ばれました。(創世記 22:18を読む。)その「胤」の主要な部分はイエス・キリストであることが判明しました。(ガラ 3:16)エホバはアブラハムに,彼の「胤」が殖えて「天の星のように,海辺の砂の粒のように」なる ― つまり,アブラハムには分からないほどの数になる ― ともお告げになりました。(創 22:17)しかしその数は,後に明らかにされました。イエス・キリストと,イエスの王国で共に支配する14万4,000人が,「胤」を構成します。(ガラ 3:29。啓 7:4; 14:1)メシアによるその王国によって『地のすべての国の民が自らを祝福する』のです。

      7 アブラハムは,自分とエホバとの間で結ばれた契約の意味を十分には理解できなかったことでしょう。それでも,「彼は真の土台を持つ都市を待ち望んでいた」と聖書は述べています。(ヘブ 11:10)その都市とは神の王国です。アブラハムは,その王国のもとでの祝福にあずかるためには,生き返らなければなりません。アブラハムにとって地上で永遠に生きることは,復活によって可能になります。また,ハルマゲドンを生き残る人々や,死人の中からよみがえらされる人々にとっても,とこしえに生きることが可能になります。―啓 7:9,14; 20:12-14。

      『霊がわたしに圧迫を加えた』

      8,9 ヨブ記は単に,ひとりの人の試練について記述しただけのものではありません。なぜそう言えますか。

      8 アブラハムの曾孫ヨセフの時代から預言者モーセの時代までの間に,ヨブという名の人が生きていました。モーセが書いたと思われる,聖書のヨブ記は,エホバがヨブに苦しみを許されたのはなぜか,またその事態がヨブにとってどんな結果になったかを説明しています。しかし単に,ひとりの人の試練について記述しただけのものではありません。全被造物にとって重要な論争点を基軸としているのです。その書から,エホバは主権の行使の仕方において義にかなっておられる,ということが洞察でき,神の地上の僕たちすべての忠誠と命の見込みはエデンで引き起こされた論争に関係している,ということも分かります。ヨブは,その論争を理解していませんでしたが,忠誠を保ち損なったと思わせようとする3人の友の論議には屈しませんでした。(ヨブ 27:5)そのことを考えると,わたしたちの信仰は強まります。また,自分も忠誠を保ってエホバの主権を擁護できる,ということを悟れます。

      9 ヨブのいわゆる慰め手3人が話し終えた後,『ブズ人,バラクエルの子エリフが答え』ました。エリフは,ぜひ話したいという気持ちになったことについて,「わたしは言葉で満ちており,霊がわたしの腹の中でわたしに圧迫を加えた」と言いました。(ヨブ 32:5,6,18)エリフが霊感のもとに語った事柄は,ヨブの回復によって成就しましたが,その言葉は他の人々にも意味があります。忠誠を保つ人すべてに希望を差し伸べるものなのです。

      10 エホバが一個人にお与えになった音信でも,広く人類一般に当てはまる場合があります。そのことはどんな事例から分かりますか。

      10 エホバは時折,広く人類一般にも当てはまる音信を一個人にお与えになることがあります。例えばダニエルの預言にあるように,バビロンの王ネブカドネザルは,夢の中で1本の巨大な木が切り倒されるのを見ました。(ダニ 4:10-27)その夢は,ネブカドネザルに関連して成就したとはいえ,はるかに大きな事柄を指し示すものでした。それは,ダビデ王の家系の王国によって表明されていた,地に対する神の主権が,西暦前607年から2,520年経過した後に再びはっきり表明されることを示すものだったのです。a 地球に対する神の主権は,1914年にイエス・キリストが天の王として立てられることにより,改めて顕示され始めました。考えてみてください,王国のその支配によって,従順な人類の希望が間もなく実現するのです。

      「坑に下るのを彼に免れさせよ!」

      11 エリフの言葉は,神についてどんなことを示すものでしたか。

      11 エリフはヨブへの返答の中で,『人にその廉直なことを告げる,ひとりの使者,千のうちの一人,代弁者』に言及しています。その使者が『その人のことを喜んでくださるようにと神に嘆願をする』なら,どうでしょうか。エリフはこう述べています。「そのとき,神はその人を恵んで言われる,『坑に下るのを彼に免れさせよ! わたしは贖いを見いだした! 彼の肉は若いころよりもみずみずしくなり,その若い時の精力の日に返るように』」。(ヨブ 33:23-26)この言葉は,悔い改めた人間のために神が進んで「贖い」つまり「覆うもの」を受け入れてくださる,ということを示すものでした。―ヨブ 33:24,脚注。

      12 エリフの言葉には,人類一般のためのどんな希望が反映されていますか。

      12 預言者たちが自分の書いた事柄一つ一つを完全には把握していなかったのと同様,エリフも贖いの意味を十分には理解していなかったことでしょう。(ダニ 12:8。ペテ一 1:10-12)それでも,エリフの言葉には,神はいつの日か贖いを受け入れて人を老化と死から解放して自由にしてくださる,という希望が反映されています。永遠の命という素晴らしい見込みが提示されたのです。ヨブ記はまた,復活があることも示しています。―ヨブ 14:14,15。

      13 エリフの言葉には,クリスチャンにとってどんな意味がありますか。

      13 今日でも,エリフの言葉には,現在の事物の体制の滅びを生き残るという希望を抱く幾百万ものクリスチャンにとって意味があります。生き残る人々のうち年老いた人たちは,その若い時の精力の日に返るのです。(啓 7:9,10,14-17)また,忠実な人々は,復活した人たちの若かったころと同じ姿を見ることも,楽しみにしています。もちろん,油そそがれたクリスチャンが天で不滅性を得るのも,イエスの「ほかの羊」が地上で永遠の命を得るのも,キリストの贖いの犠牲に信仰を働かせることにかかっています。―ヨハ 10:16。ロマ 6:23。

      死は呑み込まれ,地から除かれる

      14 イスラエル人が永遠の命の希望を持つためには,モーセの律法以上のものが必要でした。なぜそう言えますか。

      14 アブラハムの子孫は,神との契約関係に入った時,独立した国民となりました。エホバはその民に律法を授ける際,「あなた方はわたしの法令と司法上の定めとを守らねばならない。それを守り行なうなら,人はそれによって必ず生きるのである」と述べられました。(レビ 18:5)しかしイスラエル人は,律法の完全な規準に従えなかったので,律法によって有罪とされました。そのため,その有罪宣告から解放してもらう必要がありました。―ガラ 3:13。

      15 ダビデは霊感のもとに将来のどんな祝福について書いていますか。

      15 モーセ以後にも,エホバは他の聖書筆者が霊感のもとに永遠の命の希望に言及するようにされました。(詩 21:4; 37:29)詩編作者ダビデが,シオンでの真の崇拝者たちの一致を歌った詩の結びとして,「エホバはそこに祝福が,まさに定めのない時に至る命があるようにとお命じになった」と述べていることは,その一例です。―詩 133:3。

      16 エホバはイザヤを通して,「全地」の将来についてどんなことを約束しておられますか。

      16 エホバは,イザヤが霊感のもとに,地上での永遠の命について預言するようにさせました。(イザヤ 25:7,8を読む。)罪と死が,重苦しい「覆い」のように ― 毛布のように ― 人類に重くのしかかっていますが,エホバはそれを呑み込む,「全地から」除く,とご自分の民に保証しておられるのです。

      17 永遠の命への道が開かれているのは,メシアが預言どおりどんな役割を果たしたからですか。

      17 モーセの律法の中でアザゼルのやぎに関して規定されていた手順についても考えてみてください。年に一度,贖罪の日に,大祭司が『生きているやぎの頭の上に両手を置き,イスラエルの子らのすべてのとがをその上に言い表わしてやぎの頭の上に置き,そのやぎが彼らのすべてのとがを砂漠の地に担って行き』ました。(レビ 16:7-10,21,22)イザヤはメシアの到来を予告しましたが,メシアがそのやぎと同じような役割を果たし,「病」や「痛み」や「多くの人々の罪」を担い,運び去って,永遠の命への道を開くことになっていたのです。―イザヤ 53:4-6,12を読む。

      18,19 イザヤ 26章19節とダニエル 12章13節では,どんな希望のあることがはっきり示されていますか。

      18 エホバはイザヤを通してご自分の民イスラエルに,こうお告げになりました。「あなたの死者たちは生きます。わたしの死体[「わたしの殺された者たち」,脚注] ― それらは起き上がります。塵の中の居住者よ,目を覚まし,喜び叫べ! あなたの露はあおいの露のようであり,地が死んだ無力な者たちをも生み落とすからです」。(イザ 26:19)ヘブライ語聖書は,地上での復活と命という希望をはっきり示しています。ダニエルが100歳近くになっていた時,エホバが,「あなたは休むが,日々の終わりに自分の分のために立ち上がるであろう」と保証なさったことも,その一例です。―ダニ 12:13。

      19 マルタは,復活の希望を抱いていたので,自分の死んだ兄弟に関してイエスに,「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と言うことができました。(ヨハ 11:24)その希望は,イエスの教えやその弟子たちが霊感のもとに書いた事柄によって変えられたでしょうか。今でもエホバは,地上での永遠の命という希望を人類に差し伸べておられますか。それらの点については,次の記事で考えましょう。

      [脚注]

      a 「ダニエルの預言に注意を払いなさい」の本の6章を参照。

  • 地上での永遠の命 ― クリスチャンの希望?
    ものみの塔 2009 | 8月15日
    • 地上での永遠の命 ― クリスチャンの希望?

      『神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はない』。―啓 21:4。

      1,2 1世紀のユダヤ人の多くは地上での永遠の命という希望を抱いていました。そのことは,どうして分かりますか。

      若くて富裕で著名な男性がイエスのもとに走り寄って,その前にひざまずき,「善い師よ,永遠の命を受け継ぐためには何をしなければならないでしょうか」と尋ねました。(マル 10:17)その青年は永遠の命を受け継ぐことについて尋ねていましたが,どこで受ける命のことを言っていたのでしょうか。前の記事で考えたとおり,その時より何世紀も前から神はユダヤ人に,地上での復活と永遠の命という希望を与えておられました。その希望は1世紀の多くのユダヤ人の間で受け入れられていました。

      2 イエスの友であったマルタは,自分の亡くなった兄弟について,「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と言った時,地上での命への回復のことを考えていたものと思われます。(ヨハ 11:24)当時のサドカイ人たちが復活を否定していたのは事実です。(マル 12:18)しかし,ジョージ・フット・ムーアという人は,自著「西暦初期のユダヤ教」(英語)の中で,「紀元前2世紀ないし前1世紀の……書物も,世界の歴史の転換点がやがて到来すると,それまでの世代の死者が地上に生き返らされる,という信条があったことを証ししている」と述べています。イエスに近づいたあの富んだ人は,地上でのとこしえの命を得たいと思っていたのです。

      3 この記事ではどんな点について考えますか。

      3 今日,多くの宗教や聖書学者たちは,地上で永久に生きるという希望がキリスト教の教えであることを否定しており,ほとんどの人は,死後に霊の領域で生きることを望みます。ですから,クリスチャン・ギリシャ語聖書を読んで「永遠の命」という表現が出てくると,『これは天での命のことに決まっている』と考える人が少なくありません。しかし,本当に天での命なのでしょうか。イエスは永遠の命に言及したとき,何のことを言おうとしたのでしょうか。イエスの弟子たちは何を信じていましたか。クリスチャン・ギリシャ語聖書には,地上での永遠の命という希望のことが述べられていますか。

      『再創造のさいに』受ける永遠の命

      4 『再創造のさいに』何が起きることになっていますか。

      4 聖書は,油そそがれたクリスチャンが復活して天から地を治める,と教えています。(ルカ 12:32。啓 5:9,10; 14:1-3)とはいえ,イエスは永遠の命について話す際,いつもそのグループのことだけを念頭に置いていたわけではありません。あの富んでいた青年が,所有物を後にしてキリストの追随者になるようにという招きを断わって悲嘆しつつ去って行ったあと,イエスが弟子たちに言った事柄について考えてみてください。(マタイ 19:28,29を読む。)使徒たちに,彼らが王として支配し,「イスラエルの十二の部族」を ― つまり,天的支配階級以外の人類の世を ― 裁く者となる,ということを告げました。(コリ一 6:2)また,イエスに従う人「皆」の受ける報いのことも語りました。そのような人も「永遠の命を受け継ぐ」のです。そうしたことすべてが『再創造のさいに』起きることになっています。

      5 「再創造」とは何のことですか。

      5 イエスは「再創造」と言いましたが,何のことを言っていたのでしょうか。その表現は,「新共同訳」(共同訳聖書実行委員会)では「新しい世界」と訳されており,「エルサレム聖書」(英語)では『すべてが新しくされる』,また「聖書 ― 新国際訳」(英語)では「すべてのものの刷新」と訳されています。イエスは,その表現を何も説明することなく使っているので,それまで幾世紀もユダヤ人が望んでいた事柄に言及したものと思われます。地上の状態が再創造されて,物事がエデンの園のような,アダムとエバが罪をおかす前の状態になるということです。その再創造によって,『新しい天と新しい地を創造する』という神の約束が成就するのです。―イザ 65:17。

      6 羊とやぎに関する例えから,永遠の命の希望について,どんなことが分かりますか。

      6 イエスは,事物の体制の終結について語った時にも,永遠の命のことを述べています。(マタ 24:1-3)こう言いました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます」。有罪とされた者たちは「去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。永遠の命を受ける「義なる者たち」は,霊によって油そそがれた,キリストの『兄弟たち』を忠節に支援する人たちです。(マタ 25:31-34,40,41,45,46)油そそがれた者は,選ばれて天の王国で支配する人たちなので,「義なる者たち」とは,その王国の地上の臣民となる人々のことであるに違いありません。聖書には,「[エホバの王は]海から海に至るまで,川から地の果てに至るまで臣民を持つことになります」と予告されていました。(詩 72:8)それら臣民は,地上で永遠の命を享受するのです。

      ヨハネの福音書からどんなことが分かるか

      7,8 イエスはニコデモに,どんな2種類の希望について語りましたか。

      7 マタイ,マルコ,ルカの福音書によれば,イエスは,前述のそれぞれの時に「永遠の命」という表現を用いています。ヨハネによる福音書には,永久に生きることに関するイエスの言葉が17回引用されています。では,イエスが地上での永遠の命という希望について何と述べているか,その幾つかを調べてみましょう。

      8 ヨハネによれば,イエスは永遠の命について,最初にニコデモという名のパリサイ人に話し,「水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできない」と語りました。天の王国に入る人は「再び生まれ」なければなりません。(ヨハ 3:3-5)しかし,イエスの話はそれで終わったのではありません。そのあとで,世全体に差し伸べられている希望に言及しています。(ヨハネ 3:16を読む。)イエスは,天に行く油そそがれた追随者たちと地上にいる他の人々のための永遠の命の希望について述べていたのです。

      9 イエスはサマリア人の女性にどんな希望について話しましたか。

      9 イエスは,エルサレムでニコデモに話した後,北方のガリラヤへ向かい,その途上サマリアのスカルという都市の近くにある,ヤコブの泉の所で,ある女性に出会いました。そして,その女性にこう語りました。「だれでもわたしが与える水を飲む人は,決して渇くことがなく,わたしが与える水は,その人の中で,永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」。(ヨハ 4:5,6,14)この水は,全人類に永遠の命を取り戻させる,神による備えを表わしており,その人類には,地上で生きることになる人々が含まれます。「啓示」の書の中では神ご自身が,「だれでも渇いている者に,わたしは命の水の泉から価なしに与える」と言う方として描かれています。(啓 21:5,6; 22:17)ですから,イエスがサマリア人の女性に話していたのは,油そそがれた王国相続者たちの受ける永遠の命のことだけでなく,信仰を持つ,地上の希望を抱く人々の受ける永遠の命のことでもあったのです。

      10 イエスは,ベツザタの池の所で一人の男性をいやしたあと,宗教上の反対者たちに永遠の命についてどんなことを述べましたか。

      10 翌年,イエスは再びエルサレムにいて,ベツザタの池の所で,病気だったある男性に健康を取り戻させました。そのことを批判したユダヤ人にイエスは,『子は,自分からは何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を行なえるにすぎない』と説明し,『父は裁くことをすべて子にゆだねておられる』と告げたあと,『わたしの言葉を聞いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持っている』と言いました。また,『記念の墓の中にいる者がみな,人の子の声を聞いて出て来る時が来ようとしている。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来る』とも言いました。(ヨハ 5:1-9,19,22,24-29)イエスは,迫害するユダヤ人たちに,自分は地上での永遠の命というユダヤ人の希望を実現させるために神によって任命された者であり,死人をよみがえらせることによってその希望を実現させる,ということを述べていたのです。

      11 ヨハネ 6章48-51節に記されているイエスの言葉には,地上での永遠の命という希望が含まれています。そのことは,どうして分かりますか。

      11 ガリラヤでは,奇跡によってパンを供給してもらうことを望む幾千人もの人々が,イエスに付いて来るようになりました。それでイエスはその人々に,別の種類のパン,すなわち「命のパン」について話します。(ヨハネ 6:40,48-51を読む。)「わたしが与えるパンとは,……わたしの肉なのです」と言いました。イエスは自分の命を,天の王国で共に支配する人たちのためだけでなく,請け戻し可能な人類の「世の命のため」にも与えました。「だれでもこのパンを食べる」人,つまりイエスの犠牲の持つ請け戻す力に信仰を働かせる人は,永遠の命を得ることができるようになるのです。実際,『永久に生きる』というその言葉には,メシアの統治期間中に地上で永遠の命を得るという,ユダヤ人の長年の希望が含まれていました。

      12 イエスは,反対者たちに『わたしは自分の羊に永遠の命を与えます』と言った時,どんな希望のことを述べていましたか。

      12 後に,エルサレムでの献納の祭りの際,イエスは反対者たちにこう言いました。『あなた方は信じません。わたしの羊ではないからです。わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知っており,彼らはわたしに付いて来ます。そしてわたしは彼らに永遠の命を与えます』。(ヨハ 10:26-28)イエスは天での命のことだけを話していたのでしょうか,それとも,楽園となる地上でのとこしえの命のことも念頭に置いていたのでしょうか。その時より少し前に,イエスは追随者たちを励まして,「恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです」と言いました。(ルカ 12:32)しかし,その献納の祭りの時に,『わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければなりません』とも言いました。(ヨハ 10:16)ですから,イエスが反対者たちに話した時,その言葉には,「小さな群れ」の受ける天での命という希望と,幾百幾千万人という「ほかの羊」の受ける地上での永遠の命という希望の両方が含まれていたのです。

      何も説明する必要がなかった希望

      13 イエスは,「あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言いましたが,どういう意味でそう言いましたか。

      13 イエスは苦しみの杭の上で苦悶する中,人類の希望を反論の余地なくはっきりさせました。傍らで杭に付けられていた悪行者から,「イエスよ,あなたがご自分の王国に入られる時には,わたしのことを思い出してください」と言われ,イエスはその人に,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と約束しました。(ルカ 23:42,43)その人はユダヤ人だったようなので,パラダイスについては何も説明してもらう必要がありませんでした。来たるべき世における地上での永遠の命という希望について知っていたのです。

      14 (イ)使徒たちにとって天への希望に関する話は理解し難いものでした。どんなことからそれが分かりますか。(ロ)イエスの追随者たちはいつ,天への希望をはっきり理解しましたか。

      14 一方,イエスが天への希望のことを述べた時には,説明が必要でした。弟子たちに,自分が天へ行って彼らのために場所を準備することを話した時,弟子たちはその意味を理解できませんでした。(ヨハネ 14:2-5を読む。)後にイエスは弟子たちに,「わたしにはまだあなた方に言うべきことがたくさんありますが,あなた方は今はそれに耐えることができません。しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき,あなた方を真理の全体へと案内するでしょう」と語りました。(ヨハ 16:12,13)イエスの追随者たちは,神の霊により将来の王として油そそがれた西暦33年のペンテコステの後に初めて,自分たちの王座は天にあるということを悟りました。(コリ一 15:49。コロ 1:4,5。ペテ一 1:3,4)天で相続財産を受けるという希望は啓示されたものであり,クリスチャン・ギリシャ語聖書中の霊感による書簡の中心的論題となりました。では,それらの手紙には,地上での永遠の命という人類の希望のことも述べられているでしょうか。

      霊感による書簡には何と述べられているか

      15,16 霊感によるヘブライ人への手紙とペテロの言葉は,地上での永遠の命という希望をどのように指し示していますか。

      15 使徒パウロはヘブライ人への手紙の中で仲間の信者に,「聖なる兄弟たち,天の召しにあずかる人たちよ」と呼びかけました。しかし,神が「来たるべき,人の住む地」をイエスに服させる,ということも述べています。(ヘブ 2:3,5; 3:1)クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で「人の住む地」を意味する元の言葉は,常に,人間の居住している地を指して用いられています。したがって,「来たるべき,人の住む地」とは,イエス・キリストによる支配のもとに置かれる,将来の地上の事物の体制のことです。イエスはその時,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」という神の約束を成就するのです。―詩 37:29。

      16 使徒ペテロも,霊感のもとに人類の将来について書きました。「今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれている」と書いています。(ペテ二 3:7)いま存在している,政府という天と,邪悪な人間社会に替わって,何が存在するようになるのでしょうか。(ペテロ第二 3:13を読む。)それは,「新しい天」― つまり,神のメシアによる王国 ― と,「新しい地」― つまり,真の崇拝者たちで構成される義にかなった人間社会 ― です。

      17 人類の希望は,啓示 21章1-4節でどのように描写されていますか。

      17 聖書巻末の書には,人類が完全な状態へと引き上げられることを示す幻が含まれており,わたしたちの心は奮い立たされます。(啓示 21:1-4を読む。)これは,エデンの園で人間の完全性が失われて以来,信仰を持つ人々の希望となってきました。廉直な人は,老化することなく,いつまでも地上のパラダイスで生きてゆくことができます。この希望は,ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書の両方にしっかり基づいており,今日に至るまでエホバの忠実な僕たちを強めるものとなっているのです。―啓 22:1,2。

  • 地上での永遠の命 ― 再発見された希望
    ものみの塔 2009 | 8月15日
    • 地上での永遠の命 ― 再発見された希望

      『ダニエルよ,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘しておくように。多くの者が行き巡り,真の知識が満ちあふれる』。―ダニ 12:4。

      1,2 この記事では,どんな点について考えますか。

      今日,幾百万もの人々が,楽園となる地上で永久に生きるという希望の聖書的な根拠をはっきり理解しています。(啓 7:9,17)人間の歴史の始めに神が明らかにされたところによると,人はわずかな年月だけ生きたあと死ぬようにではなく,永久に生きるように造られました。―創 1:26-28。

      2 人類がアダムの失った完全性にまで引き上げられることは,イスラエルの希望の一部でした。クリスチャン・ギリシャ語聖書は,人類が地上のパラダイスで永遠に生きることを神がどんな手段で可能にされるのかを説明しています。そうであれば,人間のその希望は,なぜ再発見されなければならなかったのでしょうか。どのように暗がりから出されて幾百万という人々に知られるようになったのでしょうか。

      希望が覆い隠された

      3 地上での永遠の命という人類の希望が覆い隠されたのも驚くには当たりません。それはなぜですか。

      3 イエスは,偽預言者たちがイエスの教えを汚し,大多数の人々が惑わされることを予告していました。(マタ 24:11)使徒ペテロもクリスチャンに,「あなた方の間に偽教師が現われる」と警告しました。(ペテ二 2:1)使徒パウロも,「人々が健全な教えに堪えられなくなり,自分たちの欲望にしたがって,耳をくすぐるような話をしてもらうため,自分たちのために教え手を寄せ集める時期が来る」と述べました。(テモ二 4:3,4)サタンは人々を惑わすことに関係しており,背教したキリスト教を用いて,人と地に対する神の目的についての心温まる真理を覆い隠してきました。―コリント第二 4:3,4を読む。

      4 背教した宗教指導者たちは,人類のためのどんな希望を退けましたか。

      4 聖書の説明によれば,神の王国は,人間の支配すべてを打ち砕いて終わらせる,天の政府です。(ダニ 2:44)キリストの1,000年にわたる支配の間サタンは底知れぬ深みに封じ込められ,その支配中に死者は復活させられ,人類は地上で完全な状態へと高められます。(啓 20:1-3,6,12; 21:1-4)ところが,キリスト教世界の背教した宗教指導者たちは,他の思想を受け入れました。例えば,3世紀の教父,アレクサンドリアのオリゲネスは,千年期の地上での祝福を信じる人たちを非難しました。カトリックの神学者,ヒッポのアウグスティヌス(西暦354-430年)は,「将来に千年期なるものはない,という確信を固守した」と,カトリック百科事典(英語)は述べています。a

      5,6 オリゲネスやアウグスティヌスが千年期説に反対したのはなぜですか。

      5 オリゲネスやアウグスティヌスが千年期説に反対したのはなぜでしょうか。オリゲネスは,アレクサンドリアのクレメンスの弟子でした。ギリシャの伝承から不滅の魂という思想を取り入れていたクレメンスの教えを受け,魂に関するプラトンの思想に強く影響されたオリゲネスは,「プラトンから取り入れた,魂の壮大なドラマをそっくりキリスト教の教理の中に組み込んだ」と,神学者のウェルナー・イェーガーは述べています。そのようなわけで,オリゲネスは千年期の地的祝福を霊的領域へ移してしまったのです。

      6 アウグスティヌスは,33歳で“キリスト教”に改宗する以前,新プラトン主義者でした。3世紀にプロティノスが発展させた,プラトン哲学に基づく新説の信奉者だったのです。アウグスティヌスの考え方は,改宗後も新プラトン主義のままでした。「彼の頭脳は,新約聖書の宗教がギリシャ哲学のプラトン的伝統とほぼ完全に融合する坩堝であった」と,新ブリタニカ百科事典(英語)は述べています。アウグスティヌスは,啓示 20章に描かれている千年統治を,それに「寓意的解釈」を加えることによって説明した,とカトリック百科事典は述べています。そして,「この説明はその後継者である西方の神学者たちに受け入れられ,初期の形での千年期説はもはや支持されなくなった」と付け加えています。

      7 地上での永遠の命という人間の希望は,どんな偽りの信条によって損なわれましたか。どのようにむしばまれてしまいましたか。

      7 地上での永遠の命という人類の希望は,むしばまれてしまいました。古代バビロンで主流となって世界じゅうに広まった一つの思想,すなわち人には不滅の魂もしくは霊があり,それは肉体に宿っているにすぎない,という思想によって損なわれたのです。キリスト教世界がその思想を受け入れた時,神学者たちは聖書を曲解して,天への希望に言及している聖句を,『善人はみな天へ行く』と教えているかのように思わせました。そうした見方によれば,地上での人の命は一時的なもの ― 天での命を受けるに値するかどうかを裁定するための試験期間 ― にすぎません。ユダヤ人が元々抱いていた,地上での永遠の命という希望に関しても,それと同じようなことが起きています。ユダヤ人が徐々に,人間には本来不滅性が備わっているというギリシャ思想を受け入れるにつれ,地上での命という最初に抱いていた希望は薄れたのです。聖書の中で示されている人間像とはなんと異なっているのでしょう。人は霊者ではなく,肉の被造物です。エホバは最初の人間に,『あなたは塵である』とお告げになりました。(創 3:19)人の永遠の住まいは,天ではなく地なのです。―詩編 104:5; 115:16を読む。

      闇の中で真理の光がひらめく

      8 1600年代の学者たちの中には,人間の希望についてどんなことを述べた人がいますか。

      8 キリスト教を奉じると唱える宗教の大半が地上での永遠の命という希望を否定しているとはいえ,サタンは真理を常に覆い隠すことができたわけではありません。幾世紀も前から少数ながら,聖書を注意深く読んで,神が人類にどのように完全性を取り戻させてくださるかに関して幾つかの面を理解し,真理の光を見た人もいました。(詩 97:11。マタ 7:13,14; 13:37-39)聖書は1600年代までには,翻訳され印刷されて,より多くの人々が入手できるようになっていました。1651年に,ある学者は,アダムを通して人間は「パラダイスを,また地上でのとこしえの命を失った」のだから,キリストにあって「すべての人は地上で生きるようにされる。そうでなければ,両者の対照は適正とは言えない」と書きました。(コリント第一 15:21,22を読む。)英語圏の有名な詩人ジョン・ミルトン(1608-1674年)は,「失楽園」と続編の「復楽園」を書き著わし,その著作の中で,忠実な人々が地上の楽園で受ける報いのことを述べました。生涯中の多くの年月を聖書研究にささげましたが,聖書の真理を十分に理解することはキリスト臨在の時まではできない,ということを悟りました。

      9,10 (イ)アイザック・ニュートンは,人類の希望についてどんなことを書きましたか。(ロ)ニュートンにとってキリスト臨在の時が遠い先のことのように思えたのはなぜですか。

      9 有名な数学者,アイザック・ニュートン卿(1642-1727年)も,聖書に深い関心を抱いていました。ニュートンは,聖なる者たちが天での命によみがえらされてキリストと共に目に見えない仕方で支配する,ということを理解しました。(啓 5:9,10)また,その王国の臣民については,「裁きの日の後も,地球には人間が千年ばかりか永久に住み続けるであろう」と書いています。

      10 ニュートンはキリストの臨在を何世紀も後のことと考えました。「ニュートンが神の王国を遠い将来のこととみなした理由の一つは,自分の周囲に三位一体説による深刻な背教を見て,ひどく悲観的になっていたからである」と,歴史家のスティーブン・スノーベレンは述べています。良いたよりは依然としてベールに包まれていたため,ニュートンは,福音を宣べ伝えることのできるクリスチャンのグループを目にすることはなく,「ダニエルとヨハネのそうした預言[ヨハネの預言は「啓示」の書に記されている]は,終わりの時が来るまで理解されない」と書きました。そして,こう説明しています。「ダニエル書には,『その時,多くの者行き巡らん。しかして知識増すべし』とある。福音は大患難と世の終わりの前にあらゆる国民の中で宣べ伝えられなければならないからである。やしの枝を持った群衆は,その大患難から出て来るのだが,大患難が来る前に福音が宣べ伝えられることによってあらゆる国民の中から集められるのでなければ,数え切れないほどの群衆とはなり得ないのである」。―ダニ 12:4。マタ 24:14。啓 7:9,10。

      11 ミルトンやニュートンの時代には,人類の希望がほとんどの人にとって覆い隠されていたのはなぜですか。

      11 ミルトンやニュートンの時代に,教会の公式教理に反する考えを言い表わすのは危険なことでした。ミルトンやニュートンの聖書研究の成果の多くが死後まで公表されなかったのはそのためです。16世紀に宗教改革はありましたが,人間には本来不滅性が備わっているという教えは改革されず,プロテスタントの主流派教会もやはり,千年期は過去のものであって将来のものではないというアウグスティヌスの思想を教え続けました。では,終わりの時になって知識は増し加わったでしょうか。

      「真の知識が満ちあふれる」

      12 いつ真の知識が満ちあふれることになっていましたか。

      12 ダニエルは,「終わりの時」に関して,非常に好ましい発展を予告していました。(ダニエル 12:3,4,9,10を読む。)イエスは,「その時,義人たちは……太陽のように明るく輝く」と言いました。(マタ 13:43)では,終わりの時に,どのように真の知識が満ちあふれるようになったでしょうか。終わりの時の始まった年である1914年に先立つ数十年間の歴史的発展を振り返ってみましょう。

      13 チャールズ・テイズ・ラッセルは,革新という論題を検討した後に,何と書いていますか。

      13 1800年代の後期に,誠実な人たちが,「健全な言葉の型」を理解しようと努めていました。(テモ二 1:13)その一人が,チャールズ・テイズ・ラッセルです。ラッセルと数人の真理探求者たちは,1870年に聖書研究会を作り,1872年には革新という論題を検討しました。後にラッセルは,「その時まで我々は,目下試されている教会の受ける報いと,世の忠実な人々の受ける報いとの間の大きな差異をはっきり理解していなかった」と書いています。後者の受ける報いは,「彼らの始祖であり頭であったアダムがかつてエデンで享受していた,人間としての完全性を取り戻す」ことなのです。ラッセルは,聖書の研究という点で他の人たちに助けられたことを認めています。だれに助けられたのでしょうか。

      14 (イ)ヘンリー・ダンは使徒 3章21節をどのように理解していましたか。(ロ)ダンは,どんな人々が地上で永久に生きると言いましたか。

      14 一人は,ヘンリー・ダンという人です。すでにダンは,「神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して語られたすべての事柄の回復」について書いていました。(使徒 3:21)その回復には,人類がキリストの千年統治の間に地上で完全な状態へと高められることも含まれる,ということを知っていたのです。ダンはまた,どんな人々が地上で永久に生きるのかという,多くの人の抱いていた疑問を検討しました。そして,無数の人々が復活させられ,真理を教えられて,キリストに信仰を働かせる機会を与えられる,と説明しました。

      15 ジョージ・ストーズは,復活についてどんなことを識別しましたか。

      15 1870年には,ジョージ・ストーズも,不義者は復活して永遠の命を得る機会にあずかる,という結論に至りました。また,次の点も聖書から識別しました。すなわち,復活してもその機会を受け入れない人は「死んでしまう。たとえその『罪人が百歳である』としても,そうなる」という点です。(イザ 65:20)ストーズは,米国のニューヨーク市ブルックリンに住んでいて,「バイブル・イグザミナー」(英語)と呼ばれる雑誌を編集していました。

      16 聖書研究者たちはどんな点でキリスト教世界とは分かたれましたか。

      16 ラッセルは,良いたよりを広く知らせるべき時が来ていることを聖書から識別しました。それで,1879年に,「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌を出版し始めました。その雑誌は現在,「エホバの王国を告げ知らせる ものみの塔」と呼ばれています。それまで人類の希望についての真理を理解していたのはごく少数の人だけでしたが,今や多くの国で幾つもの聖書研究者のグループが「ものみの塔」誌を受け取って研究するようになりました。それら聖書研究者たちは,少数の人だけが天へ行き,他の無数の人々は地上で完全な人間としての命を得る,という信条の点で,キリスト教世界の大半の人々とは分かたれました。

      17 真の知識はどのように豊富になりましたか。

      17 予告されていた「終わりの時」は,1914年に始まりました。人類の希望についての真の知識は豊富になったでしょうか。(ダニ 12:4)1913年までにはラッセルの訓話が,全部で1,500万人の読者を擁する2,000の新聞に載せられていました。1914年の終わりまでに三つの大陸の900万人以上の人々が,キリストの千年統治について説明する活動写真とスライドを含む「創造の写真劇」を見ました。また,1918年から1925年まで,地上での永遠の命の希望について説明する「現存する万民は決して死することなし」という講演が,エホバの僕たちによって30余りの言語で世界じゅうで行なわれました。1934年までにエホバの証人は,地上で永久に生きることを望む人はバプテスマを受けるべきである,ということを理解しました。その結果,王国の良いたよりを宣べ伝えるための新たな熱意に満たされました。今日,幾百万という人々は,地上で永久に生きるという見込みを与えられ,心にエホバへの感謝があふれています。

      前途に「栄光ある自由」!

      18,19 イザヤ 65章21-25節では,どんな質の命のことが予告されていますか。

      18 預言者イザヤは霊感のもとに,神の民が地上でどんな命を享受するかについて書きました。(イザヤ 65:21-25を読む。)今から2,700年ほど前イザヤがその言葉を書いた時に生きていた樹木の中には,今日なお生きているものもあるようです。あなたは,それほど長く強さと健康を保って生きている自分を想像できますか。

      19 命は,揺りかごから墓場までの短いものではなく,建てたり植えたり学んだりする機会を無限に楽しめるものとなります。育むことのできる友情についても考えてみてください。愛ある関係がいつまでも成長してゆくのです。その時,『神の子供たち』は,地上でなんと大きな「栄光ある自由」を享受できるのでしょう。―ロマ 8:21。

      [脚注]

      a アウグスティヌスは,神の王国の千年統治は将来のものではなく,教会の設立をもってすでに始まっている,と主張しました。

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