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  • あなたにとって復活祭は何を意味しますか
    目ざめよ! 1992 | 4月8日
    • あなたにとって復活祭は何を意味しますか

      夜の8時30分です。300年の歴史を持つ北アフリカのある教会のうす暗がりの中で,白い服を身にまとった20人ほどの助祭が聖歌を歌いながら太鼓をたたいています。香炉から上る乳香の芳しい香りがあたりに漂っています。次に司祭の一団が登場し,古くからの典礼語であるゲーズ語の聖書を読みます。礼拝者たちは耳を傾けます。読まれている言葉を理解できるのは出席者の中の少数の人だけです。儀式は夜中の3時まで続きます。

      バチカン市国では,法王が特別のミサを執り行ないます。この特別の集まりには,バチカンの外交官全員,幾百人もの枢機卿や高位僧職者や司祭や尼僧たち,さらに幾千人もの巡礼者たちが出席します。

      大西洋を隔てたニューヨーク市では,警察が柵を設けて,華やいだ雰囲気の五番街への車の進入を禁止しています。優雅に装ったニューヨーク市民 ― 男性はシルクハットに燕尾服,女性は華やかな帽子をかぶっている ― は行列を成し,色とりどりに飾りつけられた街路を練り歩きます。

      何の祝いでしょうか。復活祭<イースター>の祝いです。この宗教行事を非常に重んじている人は世界中にいます。復活祭のことを,祝祭の中の女王とか,ラテン語で「祭りの中の祭り」を意味する「フェーストゥム・フェーストールム」などと呼ぶ人もいます。

      あなたにとってどれほど重要ですか

      あなたは復活祭<イースター>をどう思いますか。復活祭を祝う理由をご存じですか。多くの人は知りません。英国で行なわれた調査では,英国人の3人に一人は復活祭を祝う理由を知らないという結果が出ました。それでも英国では,世界の他のほとんどの国と同じように,復活祭がキリスト教世界の最も重要な宗教的祝祭であることに変わりはありません。

      新ブリタニカ百科事典によると,復活祭は「キリスト教会暦中の主要な祝祭であり,イエス・キリストが十字架にかけられてから三日後に復活したことを祝うもの」です。「イースター ― その由来と意義」という本は,復活祭は「教会暦中最大の祝祭であって,最高の喜びをもって祝われる。なぜなら復活祭は,キリスト教を受け入れた者すべてに同様の復活を約束するからである」と説明しています。あなたは復活祭の祝いをそこまで重要視していますか。復活祭が自分の将来の命の見込みと関係があると本当に信じていますか。

      多くの人は復活祭をそれほどの敬意をもって見てはいません。ある新聞は,復活祭が商業化していることに触れ,“偉大な商売の物語”と評しました。同紙は続けて,「最も重要なキリスト教の祝日イースターは,おもちゃ業界に言わせると,贈り物をする祝日としては2番目に大きな祝日になった」と述べました。もちろん,一番大きな祝日はクリスマスですが,教会の役員たちの中には,復活祭の世俗化はクリスマスの世俗化と同じ道をたどってきたと感じている人もいます。

      例えば,米国のキャンデーメーカーは1989年の復活祭の時期に,売り上げを8億1,500万㌦(約1,059億5,000万円)に伸ばしました。米国ではこの時期に,クリスマスに次いでたくさんのキャンデーが売れます。ある会社は復活祭用のうさぎ型のキャンデーを100種類以上作りました。

      デトロイト・ニューズ紙によれば,米国オハイオ州ボウリング・グリーン州立大学の民俗学と大衆文化の教授であるジャック・サンティノは,復活祭の世俗化が『今日の消費者志向型社会の「典型」』であることを認めました。同紙はさらに,「復活祭の中心は ― 復活ではなく ― うさちゃんになってしまった」と述べました。

      ただの祝日

      北半球では,復活祭<イースター>は春の訪れを告げる行事であり,その後の1週間は学校や大学は休みになるのが普通です。ですから,場所さえあれば,多くの若者は気候の温暖なリゾート地に群がり,浜辺のパーティーで乱ちき騒ぎをします。復活祭の時期をスキーシーズンの終わり,つまりゲレンデを楽しむ最後のチャンスとしか考えない人々もいます。

      ノルウェーでは人口のほぼ88%が,国教である福音ルーテル派教会に属していますが,最近の調査によると,復活祭には教会に行くことを考えるだろうと答えたのは回答者の約14%にすぎず,75%ほどの人は,復活祭をもはや宗教的な祝日とはみなしていませんでした。彼らはスキーに行くほうがいいと言いました。

      復活祭の重要な象徴の中には,多くの人にとって陽気な騒ぎの象徴となったものがあります。例えば,多くの国では卵が復活祭の象徴として最もよく知られています。卵を象徴として用いることには非常に宗教的な意味があります。一見死んでいるように見える卵から生まれる新しい命は,イエス・キリストの復活を表わすと考えられています。ですから,魅力的な色や模様で卵に装飾を施す習慣は,復活祭の祝いの重要な特徴です。

      しかし,ある人々にとって復活祭の卵の主な価値は,子供を楽しませることにあります。ある町では,教会で行なわれた伝統的な復活祭の卵探しが,最後には卵合戦になってしまいました。ロバート・J・マイヤーズは自著「祝典」の中で,「子供たちにとってイースターとは,面白い遊び,驚き,そして恐らくハロウィーンが来るまでもつほどのキャンデーその他のお菓子のことである」と述べています。

      理論的には,復活祭は引き続きキリスト教世界の宗教上の祝日の中で最大の位置を占めています。しかし実際には,復活祭をただの祝日と考え,あまり重視しない人々がますます増えています。あなたの場合はいかがですか。あなたにとって復活祭は何を意味しますか。しかし,その質問に答える前に,まず次のような質問をすべきではないでしょうか。つまり,『神にとって復活祭は何を意味するだろうか。復活祭を祝えば神に喜ばれるだろうか。クリスチャンは復活祭を祝うよう本当に要求されているのだろうか』などの質問です。

      復活祭はキリスト教世界の主要な宗教的祝祭であると言われています。多くの人は復活祭をキリスト教の信仰のかなめとみなします。あなたは復活祭をどのように見ておられますか。そして最も重要な点ですが,神にとって復活祭は何を意味するのでしょうか。

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      復活祭の象徴は陽気な騒ぎの象徴になった

  • 神にとって復活祭は何を意味しますか
    目ざめよ! 1992 | 4月8日
    • 神にとって復活祭は何を意味しますか

      「祝祭の中の女王!」,「フェーストゥム・フェーストールム!」と呼ばれる復活祭<イースター>はキリストの復活を祝う祝祭であると言われています。しかし,イエスはご自分の復活を記念することについて何と言われたでしょうか。使徒たちは復活祭を祝うようわたしたちに命じていますか。復活祭の祝いは神から与えられた命令ですか,それとも人間が作りだした伝統ですか。二つの情報源,つまり歴史と聖書を調べれば,これらの質問の答えを容易に見いだすことができます。

      歴史の証言

      まず,歴史は何を語っているでしょうか。西暦5世紀に著作活動を行なっていた歴史家のソクラテス・スコラスティコスは自著「教会史」の中で,「復活祭の祝いは,他の多くの風習が確立されたのと全く同様,どこかの古い習わしから教会に導入されたように思える」と述べています。

      「民間風習の珍しい特徴」という本はこう説明しています。「根絶し得ない既存の異教の儀式にキリスト教的な意味を付すのは教会[の方針であった]。復活祭の場合には,転換がことのほか容易であった。自然の太陽が昇り,自然界が冬の死んだ状態から目覚めることに対する喜びは,義の太陽が昇り,キリストが墓から復活したことに対する喜びになった。また,5月1日ごろに行なわれていた幾つかの異教の行事の時期をずらして,復活祭の祝いと重なるようにされた。多くの新しい特徴が加味された」。

      ロバート・J・マイヤーズは自著「祝典」の中でその点を認め,「春分に祝われていた異教の数多くの再生の儀式が祭りの一部になった」と述べています。新ブリタニカ百科事典もこれらの点を支持してこう述べています。「クリスマスの場合と同じように復活祭の場合にも,広く行なわれている習慣の中には,古代の異教の風習の名残を反映しているものが少なくない。この場合の名残とは,復活祭の象徴である卵や野ウサギやウサギなどのことで,それらは春の多産の儀式と関係がある」。

      起源は異教にある?

      そのようなわけで,今日祝われている復活祭<イースター>には明らかに異教的な儀式や習慣が染み込んでいます。といっても,復活祭の祝いが聖書中の出来事と全く関係がないというわけではありません。

      例えば,復活祭は聖書的行事であるユダヤ人の過ぎ越しを受け継いだものであると言われてきました。「民間風習の珍しい特徴」という本は,「初期教会においては,復活祭の日付は過ぎ越しと同じであった。実際,二つの祝祭は同じ起源を持つからである」と述べています。ですから,フランス語,ギリシャ語,イタリア語,スペイン語などの多くの言語において,復活祭を表わす語と過ぎ越しを表わす語が同じかまたは類似しているとしても驚くには当たりません。

      しかし,初期のクリスチャンはユダヤ人の過ぎ越しのキリスト教版を毎年の祭りとして祝ったのではありません。「アビングトン現代宗教事典」は復活祭について,「原始の儀式は,キリストが十字架にかけられたことを記念する(ユダヤ人の太陰暦では,ニサン14日)行事だった」と述べています。

      聖書によれば,イエスは亡くなられる前の晩に,ユダヤ人の過ぎ越しを祝うため,大きな部屋で弟子たちと集まりを持たれました。(マルコ 14:12-16)イエスが主の晩さんとして知られているものを開始されたのは,ご自分にとって最後の過ぎ越しとなったこの祝いの後のことでした。それから弟子たちに,「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」とお命じになりました。―ルカ 22:19。

      年に1度祝われることになったこの主の晩さんは,イエスの死を記念して行なわれます。使徒パウロはこの記念日について,「このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくので(す)」と述べました。―コリント第一 11:25,26。

      聖書の教えを不純にする

      真のクリスチャンは,聖書のこの命令に従って毎年ニサン14日にこの祝いを行ないました。しかし,そのうちに人々はイエスの復活も祝うようになりました。新ブリタニカ百科事典はこう説明しています。「最も初期のクリスチャンはユダヤ人と同じ時,つまり春の最初の月の最初の満月の夜(ニサン14-15日)に主の過ぎ越しを祝った。2世紀の半ばまでには,ほとんどの教会がこの祝いの日付をユダヤ人の祭りの後の日曜日に変更した」。

      「季節の祝祭日」という本は,「4世紀の終わりごろに初めて,聖金曜日と復活祭<イースター>は別個の記念日としてエルサレムで守られるようになったようだ」と述べています。

      次のように考える学者たちもいます。つまり,クリスチャンを自任する人々とユダヤ人との間に敵意が増していたため,キリスト教世界の一部の指導者たちは,自分たちの最も重要な祝日の日付が,ユダヤ人の最も重要な祝日と正確に重なることを望まなかったということです。こうした態度のゆえに変化が生じました。そのうちにキリスト教世界の大半の教会は,春分に続く満月の後の最初の日曜日にイエスの復活を祝うようになり,これを最も重要な祝いとしました。事実上,彼らはイエスの死の祝いを格下げしたのです。

      ですから,これらの資料によれば,キリスト教世界の復活祭は,実はもともとイエスの死の記念式であったものを横領しているのです。

      聖書の証言

      聖書は復活祭<イースター>について何と述べているでしょうか。もちろん,聖書はイエスが復活したことに関する豊富な証拠を挙げています。キリストの復活は真のキリスト教の基本的な教理です。使徒パウロは確かにこのことを信じていました。こう述べています。「もしキリストがよみがえらされなかったとすれば,わたしたちの宣べ伝える業はほんとうに無駄であり,わたしたちの信仰も無駄になります。さらに,キリストがよみがえらされなかったのであれば,あなた方の信仰は無駄になります。あなた方はまだ自分の罪のうちにあることになります」― コリント第一 15:14,17。

      とはいえ,年に1度イエスの復活を祝うことについて,聖書は暗示することさえしていません。歴史家ソクラテス・スコラスティコスは次のことを認めています。「救世主とその使徒たちが,この祭りを守るための規則を作って我々に命じたことはない。また新約聖書も,それを怠ると罰や懲らしめや呪いを受けるといって脅してはいない」。もっと最近では,クリスチャン・センチュリー誌が復活祭に関する記事の中で,『初期のクリスチャンは2世紀から復活を祝うようになった』と述べました。ですから,復活祭は使徒たちが全員没し,聖書が完成してかなりたってから持ち込まれたのです。伝統的な復活祭が,神から与えられたものではなく,人間が作りだしたものであるということは隠しようがありません。

      しかし,『イエスの復活を記念として祝ってどこが悪いのか』と尋ねる人がいるかもしれません。なるほど,聖書は復活祭を祝うようクリスチャンに要求してはいませんが,聖書の中にそれを禁じている箇所があるのでしょうか。

      清く,汚れのない崇拝

      聖書の中にイエスの復活を祝うことを明確に禁じている箇所がないことは事実です。しかし,人間が作りだした伝統によって清い崇拝を不純にしないよう聖書がクリスチャンに警告していることもまた事実です。このことは,復活祭<イースター>のように,異教の習慣と古くからの偽りの宗教の儀式とが入り混じっている伝統に特によく当てはまります。

      アラン・W・ワッツは,復活祭について123ページから成る本を書いていますが,その序文の中で,「イースターにまつわる話は全体に歴史と神話がたいへん複雑に混じり合っているため,その二つを区別するという難しい仕事は,1冊の薄い本などではとうていできることではない」と述べました。これが復活祭の真相であるとすれば,そのような異教の習慣が崇拝に含まれている場合,神はその崇拝を受け入れてくださるでしょうか。いいえ,受け入れてはくださいません。神は,「清く,汚れのない崇拝の方式」だけを受け入れられるからです。それは,「自分を世から汚点のない状態に保つこと」を意味します。これには,復活祭に関係したこの世的な習慣も含まれるでしょう。―ヤコブ 1:27。

      使徒パウロは,人間が作りだした伝統を会衆内に持ち込まないようクリスチャンに警告してこう言いました。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい,また世の基礎的な事柄にしたがってキリストにしたがわない哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」― コロサイ 2:8。

      イエスご自身も,聖書の真理をねじ曲げて真の崇拝を不純にするユダヤ人の伝統に反対されました。当時の宗教指導者たちに対するイエスの言葉は,マルコ 7章6節から8節に記録されています。「イザヤはあなた方偽善者たちについて適切に預言しました。こう書いてあります。『この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。彼らは,教理として人間の命令を教えるからである』。あなた方は神のおきてを捨て置いて,人間の伝統を堅く守っているのです」。

      聖書はコリント第二 6章14節から17節の中で,わたしたちに次のように警告しています。「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。さらに,キリストとベリアルの間にどんな調和があるでしょうか。また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。……『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』と,エホバは言われる。『そして汚れた物に触れるのをやめよ』」。

      イエスの死の記念日

      さらに,聖書の教えによると,わたしたちが救われるための備えの中には,イエスの完全な命の犠牲,イエスの復活,イエスがご自分の犠牲の価値を天の神に差し出すことが含まれています。これらはすべて重要な事柄です。(ヘブライ 7:25; 9:11-14)イエスは弟子たちに,ご自分の死を記念して祝うようお命じになりました。それは,聖書の中でクリスチャンが記念として行なうよう命じられている唯一の行事です。

      1992年の今年は,幾百万人ものエホバの証人が4月17日(ニサン14日)の日没後に集い合って,イエスの死を記念します。その祝いの際には,キリストの犠牲の死の意義を説明する講演が行なわれます。その講演は,あなたが永遠の命の見込みを持てるよう,ご自分の独り子を与えることによって示されたエホバ神の人類に対する愛の深さを認識する助けになるでしょう。1992年の最も重要なその日の集いにご出席ください。

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      異教の行事の時期をずらして,復活祭の祝いと重なるようにした

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      年に1度イエスの復活を祝ったり守ったりすることについて,聖書は暗示することさえしていない

      [6ページの囲み記事]

      “復活祭<イースター>”という言葉の起源は何か

      ■ 「この名前は英語とドイツ語を話す人々の間でだけ使われているが,恐らくオースタラ,オーステル,イーステルなどと呼ばれる,異教徒のサクソン人の一女神の名前に由来するものと思われる。この女神は東と朝と春の化身であった」―「民間風習の珍しい特徴」,ウィリアム・S・ウォルシュ著。

      ■ 「昔の英国の年代記作者,尊師ベーダが我々に語ったところによると,『イースター』という言葉はもともと,エオストル,もしくはオースタラの名で知られていたアングロ・サクソン人の夜明けの女神の名前であった。この女神の主な祭りは春分に執り行なわれた。これについて述べているのはベーダだけである。そのような女神に関する記録はほかにないからである。しかし,敬虔なクリスチャンであるベーダが,わざわざイースターに異教の起源があるという話を作り上げたとは考えられない。それでも,そのような女神がいたかどうかにかかわりなく,“イースター”という語と,日が昇る方角の“東<イースト>”という語との間に何らかの歴史的関連がある可能性は大きいように思える」―「イースター ― その由来と意義」,アラン・W・ワッツ著。

      ■ 「キリストの復活の祝いを表わす言葉の起源はアングロ・サクソンの春の女神,イーステルにあると一般に考えられてきた。しかし,クノーブローホは最近の研究によって,……別の解釈を提出した」― 新カトリック百科事典。

      ■ 「英語のイースターという名は,ドイツ語のオステルンと同様,アングロ・サクソンの女神の名前エオストルからではなく,たぶん春の季節を表わす古代スカンディナビアの言葉,オーストゥルから来ているのだろう」― 宗教百科事典。

      [8ページの図表]

      復活祭 過ぎ越し

      デンマーク語 ポスケ ポスケ

      オランダ語 パセン ヨーツ・パースフェースト

      フィンランド語 ペースィエイネン ペースィエイネン(ユーテライステン)

      フランス語 パーク ラ・パーク

      ドイツ語 オステルン パサー

      ギリシャ語 パスカ パスカ

      イタリア語 パスクア パスクア・エブライカ

      スペイン語 パスクワ・フロリダ パスクワ

      スワヒリ語 パサカ パサカ

      [7ページの図版]

      異教に起源を有する古代の儀式にキリスト教的な意味を付し,復活祭の祝祭に付け加えられた

      [9ページの図版]

      イエスはご自分の弟子たちと共に主の晩さんを開始された

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