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円熟に向けて前進するための私の決意ものみの塔 1995 | 4月1日
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それでも,聖書文書は数多く配布することができました。バナナの産地の真ん中にあるマチャラの町での宣教はその良い例です。ニコラス・ウェスリーと私が1956年にそこに到着した時,エホバの証人は私たちだけでした。当時は幹線道路が建設中だったので,そこで使われていたダンプカーに乗せてもらい,早朝に家を出るようにしていました。そしてかなり遠くまで来た時に降ろしてもらい,今度は,来た道を戻る形で,自分たちの家に着くまでずっと証言を行ないました。
ある日,ニックと私は,どちらが雑誌を多く配布するかを記録しておくことにしました。お昼までは私がリードしていましたが,夕方までには二人とも114冊配布していたのを覚えています。私たちは雑誌経路の人たちに毎月数百冊の雑誌を配布しました。1か月に1,000冊を超えたことが6回ありました。それらの雑誌からどれだけ多くの人が聖書の真理を学んだかを考えてみてください。
マチャラでは,エクアドルで最初の,会衆所有の王国会館を建てる特権にもあずかりました。35年前の1960年の話です。その当時,集会の出席者はわずか15人くらいでした。現在マチャラには,繁栄する11の会衆があります。
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円熟に向けて前進するための私の決意ものみの塔 1995 | 4月1日
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[25ページの図版]
マチャラでの伝道,1957年
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