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  • 赤道での驚くべき発見
    目ざめよ! 2005 | 12月22日
    • 実際の赤道

      1997年,キトのやや北にあるカテキーヤ山の山頂で,一見取るに足りない半円形の壁の遺跡が見つかりました。調査をしたクリストバル・コボは,衛星技術を使ったGPS(全地球測位システム)によって,壁の一方の端が赤道の真上にあることを発見しました。b

      壁が実際の赤道上にあったのは偶然だ,と簡単に片付けられてしまっても不思議ではなかったでしょう。しかし,壁の二つの端を結んだ線は,赤道に対して23.5度の角度になっていたのです。これは地軸の傾きとほとんど同じです。c しかも,その線を延ばしてゆくと,一方の先は,冬至に太陽が昇る位置を,もう一方の先は,夏至に太陽が沈む位置を指しています。発見はまだまだ続きました。

      研究者たちがカテキーヤ山頂で経緯儀<セオドライト>を使って測定したところ,コチャスキにある先インカ期のピラミッドは,夏至に太陽が昇る方角に位置していることが分かりました。d 注目すべきことに,パンバマルカという遺跡は,冬至に太陽が昇る方角に位置していました。

      カテキーヤ山は天体観測の中心地として用いられていたのでしょうか。他の遺跡は,ここで算定できた天文学上の数値に基づいて特別に造られたのでしょうか。

      さらなる驚くべき発見

      そうした天文学上の数値と関係のある場所をさらに地図上に記してゆくと,一つの図形が浮かび上がってきました。八つの頂点がある星の形です。その図形は古代の陶磁器によく見られ,太陽を単純に図案化したものと言われてきました。その土地の先住民は太陽崇拝者だったからです。カテキーヤ山で発掘された陶磁器のかけらを分析した結果,それらは1,000年近く昔のものであることが分かりました。今でも先住民族の人々は,その星を壁掛けや服の模様として織り込んでいます。恐らく先祖もそうしていたのでしょう。しかし,先祖たちにとってこの図形には,一般に考えられている以上に大きな意味があったようです。

      現在,コボが指揮するキツァト・プロジェクトによって,初期の先住民が天文学的な専門知識を持っていたことを示す有力な証拠が集められています。e そして,赤道上のカテキーヤ山を中心に星の形を描いてみると,10か所以上の遺跡や数多くの古代の町が星の線上にぴったりと並ぶことが分かってきました。

      さらに驚くべきなのは,当時まだ発見されていなかった遺跡の場所を予測できたことです。どのようにでしょうか。1999年9月,キツァト・プロジェクトは,カテキーヤ山から放射状に23.5度の間隔で引いた線の一つが通る,キトのアルタミラ地区で発掘を行なうことを勧めました。すると,大きな共同墓地が見つかり,それと共に,植民地時代,インカ時代,先インカ期の陶磁器が大量に出土したのです。

      カテキーヤ山から放射状に引いた線の上には,スペインの植民地時代に建てられた教会も複数あります。コボの説明によれば,1570年にリマの議会は,「すべての異教の『ワカ』[ケチュア語で「聖なる場所」の意]や,先住民が使っていた崇拝の場所の上に,教会,修道院,礼拝堂,十字架」を建てるよう強く求めました。なぜでしょうか。

      それら崇拝の場所が,スペイン王朝によって異教のものとみなされたからです。そのため,それらは破壊され,同じ場所の上にカトリックの教会が建てられました。古代の太陽神殿の上に教会を建てたため,先住民を容易にカトリックに改宗させることができました。

      キトの古い植民地地区にある聖フランシスコ教会も,カテキーヤ山から引かれた放射状の線の上にあります。その教会は,16世紀に先インカ期の建物の上に造られました。冬至に太陽が昇ると,教会の丸天井から光が差し込んで祭壇の上の三角形を照らす仕組みになっています。さらに太陽が昇るにつれ,太陽光線が下に伸び,「父なる神」と名付けられた像の顔がさん然と輝きます。この現象は,ちょうど冬至の日に起こります。地元の他の教会も,太陽崇拝者の先住民をカトリックに改宗させるため,そうした太陽の光の効果が出るような造りになっています。

      どうして分かったのか

      古代の人々は,どうしてカテキーヤ山が「世界の真ん中」だと知っていたのでしょうか。春分と秋分の正午に物体の影が消える場所は,赤道以外にありません。そのため,古代の人々は影を注意深く観察することによって赤道の位置を知ったのではないか,とキツァト・プロジェクトは考えています。

      さらに,カテキーヤ山は天然の天体観測所のような場所ですから,太陽を崇拝していた人々に注目されないはずがありません。その山は,ふもとから300㍍ほどの高さがあり,東西をアンデス山脈に挟まれています。そのため,見事なアンデスの山々を基準として,日の出と日没の位置を毎日正確に調べることができたでしょう。例えば,東には標高約5,000㍍の高さにそそり立つ,雪をかぶった雄大な火山であるカヤンベやアンティサーナがあり,太陽の動きを見るのに絶好の目印となっています。

      カテキーヤ山からは,360度の眺望が開け,肉眼でも20ほどの古代の町やおよそ50の遺跡を見渡せます。さらに,緯度0度に位置しているので,南北両半球の空を見ることもできます。ですから,カテキーヤ山はまさしく世界の真ん中にあると言えます。標高3,000㍍余りの高さでこれらすべての利点を備えた赤道上の場所は,ほかにないからです。

      赤道のラインは,大部分が海洋や,熱帯のジャングルを通っています。ジャングルでは,草木に妨げられて天体観測ができません。そのうえ,植物は正確な判断を下す安定した基準とはなりません。植物の葉は,成長したり枯れたりして絶えず変化するからです。ほかに赤道付近に山々があるのはケニアだけですが,カテキーヤ山のように両側に山脈があるわけではありません。ですから,カテキーヤ山ほど天体観測に適する恵まれた場所はないのです。

      一体だれが?

      古代のどんな人たちがこのような天体観測を行なったのでしょうか。キツァト・プロジェクトは,最初にこのことを知っていたのはキーツ族やカーラ族といった先住民族だと思われる,と述べています。とはいえ,このプロジェクトはまだ始まったばかりで,知るべきことはたくさん残っています。

      しかし,それらの先住民が持っていた幾つかの基本的な考えは明らかです。農耕に役立つ暦を作るには,太陽の動きを理解する必要があったでしょう。太陽は生きてゆくのに不可欠ですから,崇拝されたのも不思議ではありません。そのため,太陽を観察して様々な数値を割り出すことは,世俗の事柄から聖なる事柄へと引き上げられたのです。

      当時の人々は,強い宗教心に動かされて天空や天体を注意深く研究したようです。そして,何世紀にも及ぶ研究を通して天体に関する膨大な知識を蓄えたものと思われます。そして今,ようやくその知識がカテキーヤ山周辺における驚くべき発見によって日の目を見ようとしています。

  • 赤道での驚くべき発見
    目ざめよ! 2005 | 12月22日
    • [24,25ページの図版]

      カテキーヤ山。山頂にある複数の遺跡が赤道上に位置している

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