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    神の王国は支配している!
    • 16章

      崇拝のために集まり合う

      この章で考えること

      集会の歴史を振り返り,集まり合うことの大切さを考える

      1. 弟子たちが共に集まっていた時,どんな助けが与えられましたか。その助けが必要だったのはなぜですか。

      イエスが復活して程なく,弟子たちは励まし合うために集まりました。しかし,敵対者たちを恐れて,戸に錠をかけていました。そんな時,彼らのただ中にイエスが現われ,「聖霊を受けなさい」と言います。さっきまで抱いていた恐れは消えうせたことでしょう。(ヨハネ 20:19-22を読む。)後日,弟子たちは再び集まります。エホバはその時,彼らに聖霊を注がれます。弟子たちは前途の宣べ伝える業に備えて,大いに強められたに違いありません。―使徒 2:1-7。

      2. (イ)エホバはどのようにして力を与えてくださいますか。その力がわたしたちに必要なのはなぜですか。(ロ)家族の崇拝の取り決めは,なぜ非常に重要ですか。(脚注と「家族の崇拝」という囲みを参照。)

      2 わたしたちも,1世紀の兄弟たちと同様の問題に直面します。(ペテ一 5:9)時には人への恐れが障害となることがあります。宣べ伝える業を行ない続けるには,エホバが与えてくださる力が必要です。(エフェ 6:10)集会は,エホバがそのような力を与えるための主要な手段です。現在は,週に2回,有益な集会に出席する機会に恵まれています。公開集会とそれに続く「ものみの塔」研究,そして「クリスチャンとしての生活と奉仕」と呼ばれる週日の集会です。a さらに,特別な集いが年に4回あります。地区大会,2度の巡回大会,キリストの死の記念式です。これらの集まりすべてに出席することが極めて重要なのはなぜですか。現代において,集会はどのような変化を遂げてきましたか。集会に対する態度は,わたしたちについてどんなことを明らかにしますか。

      なぜ集まり合うか

      3,4. エホバはご自分の民にどんなことを求めておられますか。例を挙げてください。

      3 エホバは昔から,ご自分の民が崇拝のために集まり合うことを求めてこられました。例えば西暦前1513年にイスラエル国民にお与えになった律法には,週ごとの安息日の規定がありました。家族でエホバを崇拝し,律法から教えを受けるためです。(申 5:12; 6:4-9)イスラエル人が神の命令に従った時,家族は強められ,国民全体は霊的な清さと強さを保てました。しかし,律法を守らず,エホバを崇拝するため定期的に集まるようにといった要求を軽んじた時,神の恵みを失いました。―レビ 10:11; 26:31-35。代二 36:20,21。

      4 イエスの手本についても考えましょう。イエスは,週ごとの安息日に会堂に行くことを習慣にしていました。(ルカ 4:16)イエスの死と復活の後,弟子たちはもはや安息日の律法のもとにはいませんでしたが,それまでの習慣どおり定期的に集まりました。(使徒 1:6,12-14; 2:1-4。ロマ 14:5。コロ 2:13,14)それらの集会で,1世紀のクリスチャンは教えや励ましを受けただけでなく,祈りや注解や歌によって賛美の犠牲を神にささげることもしました。―コロ 3:16。ヘブ 13:15。

      復活後,イエスは弟子たちが集まっていたところに現われる

      イエスの弟子たちは集まり合い,力と励ましを得た

      5. わたしたちが毎週の集会や年ごとの大会に出席するのはなぜですか。(「神の民を一致させる年ごとの集い」という囲みを参照。)

      5 わたしたちも,毎週の集会や年ごとの大会に出席する時,神の王国を支持していることを示せます。また,聖霊によって力を与えられ,自分の信仰を言い表わして他の人を励ますことができます。さらに重要な点として,祈りと注解と歌によってエホバを崇拝することができます。それらの集会は,古代のイスラエル人や1世紀のクリスチャンが出席した集まりとは形式が異なるものの,大切であることに変わりはありません。では,現代において集会はどのような変化を遂げてきましたか。

      「愛とりっぱな業」を促進する毎週の集会

      6,7. (イ)集会の目的は何ですか。(ロ)かつて,集会の開き方はグループによりどのように異なっていましたか。

      6 チャールズ・テイズ・ラッセル兄弟は,神の言葉の真理を探究し始めたころ,同じ志を持つ人たちと集まる必要があることを見て取りました。1879年にラッセルはこう書いています。「私はピッツバーグの他の人たちと共に,聖書を調べるための聖書研究会を組織し,毎週日曜日に集まりを持った」。「シオンのものみの塔」誌の読者は,集まり合うように勧められました。そして,1881年にはペンシルバニア州ピッツバーグで毎週日曜日と水曜日に集会を開いていました。「ものみの塔」(英語)1895年11月号は,集会の目的は「クリスチャンの交友や愛や親睦」を深め,出席する人たちが互いに励まし合う機会を持つことである,と述べています。―ヘブライ 10:24,25を読む。

      7 幾年もの間,集会の形式や頻度は聖書研究者のグループにより異なっていました。例えば,1911年の出版物に掲載された,米国のあるグループからの手紙には,「毎週少なくとも集会を5回開いています」とありました。月曜日,水曜日,金曜日に開き,日曜日には2回開いたのです。また,1914年に掲載された,アフリカのグループからの別の手紙には,「集会を月に2回開いています。金曜日に始めて日曜日に終わります」と述べられていました。しかしやがて,現在のような形の集会が行なわれるようになってゆきます。それぞれの集会の歴史を手短に取り上げましょう。

      8. 初期の公開講演ではどんなテーマが取り上げられましたか。

      8 公開集会。ラッセル兄弟は,「シオンのものみの塔」誌を創刊した翌年の1880年,イエスの手本に倣って伝道旅行に出ました。(ルカ 4:43)その際に,現在の公開集会の前身となる集まりを開きました。「ものみの塔」誌は,その伝道旅行について発表し,ラッセルが「『神の王国に関する事柄』を論じる公開の集まりを喜んで開く」ことを知らせました。1911年に,幾つかの国でクラスつまり会衆が設けられるようになると,各クラスは資格ある講演者たちを周辺の地域に派遣し,裁きや贖いなどのテーマで一連の6つの講演を行なうよう勧められました。このような講演会の終わりには,翌週の講演者の名前と話の題が知らされました。

      9. 公開集会はどのような変化を遂げてきましたか。この集会にどのように貢献できますか。

      9 1945年,世界的な公開集会運動の始まることが「ものみの塔」誌で知らされました。一連の8つの聖書講演の中で取り上げられるのは,「この時代における切迫した問題」でした。その後の何十年にもわたり,講演者は忠実な奴隷の用意したテーマに基づく話に加え,個人で作った話も行ないました。しかし,1981年には,会衆に提供される筋書きに基づいて話を行なうようにという指示がすべての講演者に与えられました。b 1990年まで,一部の筋書きには聴衆による参加や実演を含めるようにという指示が載せられていました。しかし,その年に行なわれた調整により,公開講演はその後,話だけの形式になりました。2008年1月にも調整が行なわれ,公開講演の時間が45分から30分に短縮されました。このように幾つかの変更が加えられてきましたが,よく準備された公開講演を聞く時,神の言葉に対する信仰が築かれ,神の王国についていろいろな事柄を学べます。(テモ一 4:13,16)聖書に基づく重要な講演を聞きに来るよう,再訪問先の人をはじめ,エホバの証人になっていない人々に熱心に勧めていますか。

      10-12. (イ)「ものみの塔」研究の形式はどのように変わってきましたか。(ロ)どんな点を自問できますか。

      10 「ものみの塔」研究。1922年には,巡礼者と呼ばれた兄弟たち ― ものみの塔協会から派遣されて各会衆で講演を行ない,宣べ伝える業に率先した奉仕者たち ― が,定期的に開かれる集会の一つを「ものみの塔」誌の研究に充てることを協会に提案しました。この案が採用され,「ものみの塔」研究が行なわれるようになりました。その集会は当初,週日か日曜日に開かれました。

      聖書研究者の集会,ガーナ,1931年

      「ものみの塔」研究,ガーナ,1931年

      11 「ものみの塔」(英語)1932年6月15日号には,この集会の行ない方に関する詳しい指示が掲載されました。ベテルで行なわれていた研究に倣い,一人の兄弟がこの集会を司会します。3人の兄弟が前に座り,交替で節の朗読をします。当時,記事には質問が載っていなかったので,司会者は出席者に,読まれた節に基づく質問を挙げるよう勧めました。その後,他の出席者に,その質問の答えを述べるよう促しました。もし補足すべき点があれば,司会者は「簡潔で的を射た」説明を述べることになっていました。

      12 初めのうちは,どの号を研究するかを会衆ごとに選ぶことができました。成員の多くが研究したいと思う号を選べたのです。しかし,「ものみの塔」(英語)1933年4月15日号では,すべての会衆で最新号を使うことが勧められました。1937年には,「ものみの塔」研究を日曜日に行なうようにという指示が与えられます。また「ものみの塔」(英語)1942年10月1日号では,新たな変更が加えられることが知らされました。それにより,「ものみの塔」研究は現在わたしたちが知っている方法で行なわれることになりました。まず,研究記事の各ページの下に質問が載り,それらの質問を用いることになります。さらに,その集会は1時間で終えなければなりません。答えを述べる人は,節の語句をそのまま読み上げるのではなく,「自分の言葉で」述べるよう勧められました。「ものみの塔」研究は今でも,忠実な奴隷が時に応じた霊的食物を提供するための主要な集会です。(マタ 24:45)わたしたちはこう自問できます。『毎週の「ものみの塔」研究の予習をしているだろうか。できるだけ注解をするよう努めているだろうか』。

      13,14. 「会衆の聖書研究」の歴史について述べてください。あなたはこの集会のどんなところが良いと思いますか。

      13 会衆の聖書研究。1890年代の初め,「千年期黎明」(英語)の幾つかの巻が発行されていました。そのころ,米国メリーランド州ボルティモア市に住む聖書研究者のH・N・ラーン兄弟は,聖書研究のための「黎明会」を開くことを提案しました。当初,これらの集会は試験的に行なわれ,たいていは個人の家で開かれました。1895年9月の時点で,「黎明会」は米国の幾つもの都市で順調に開かれていました。同じ月の「ものみの塔」誌は,真理の研究者すべてに,その集会を開くことを勧めました。司会者は上手に朗読できる人であるべきでした。司会者は一文を朗読してから間を置き,出席者たちに注解の機会を与えます。一つの節のすべての文の朗読と討議を終えてから,司会者は引照聖句を開いて朗読します。各章の結びに,出席者全員は,章全体の概要を手短に述べることになっていました。

      14 この集会の名称は何度か変わりました。「黎明会」に続いて,「聖書研究のためのベレア人会」と呼ばれるようになりました。聖書を注意深く調べた1世紀のベレアの人々にちなんで付けられた名称です。(使徒 17:11)後に,その名称は「会衆の書籍研究」に改められました。今では「会衆の聖書研究」と呼ばれ,個人の家で群れごとに集まる代わりに,王国会館で会衆の全員が共に学びます。これまで,様々な書籍やブロシュアーが用いられました。「ものみの塔」誌の記事が用いられたこともあります。初期のころから,出席者は皆,この集会で注解に加わるよう勧められてきました。わたしたちが聖書についての知識を深めるうえで,この集会は大いに役立ってきました。あなたも,自分にできる範囲で定期的に,予習をし参加していますか。

      両親と2人の女の子が家族の崇拝を一緒に楽しんでいる

      あなたは毎週の予定に,家族の崇拝を含めていますか

      家族の崇拝

      この終わりの日が進むにつれ,エホバの組織は,家族で聖書研究を行なう必要があることをますます強調しています。(テモ二 3:1)早くも,1932年に発行された「家庭と幸福」(英語)という小冊子は,「家族として早速,家で聖書を学び始めましょう」と率直に述べていました。「ものみの塔」(英語)1956年5月15日号も,クリスチャンのすべての家族に,「家族全員の益のため家で聖書を定期的に学ぶ」ことを勧め,こう問いかけました。「あなたの家族は,集会に先立つどこかの晩に一緒に『ものみの塔』を研究していますか」。

      2009年,組織は週日の集会予定を調整し,家族研究の大切さを強調しました。それ以後,会衆の聖書研究が神権宣教学校や奉仕会と同じ晩に行なわれることになりました。「わたしたちの王国宣教」2011年1月号には,こうあります。「この調整がなされた一つの理由は,家族として霊性を強める機会を持てるようにすることです。毎週,いずれかの晩を家族の崇拝のために取り分けるのです」。また,「その晩を活用して聖書から時間をかけて話し合うことや,家族の必要とする事柄に合った研究をする」ようにという勧めも掲載されました。c

      家族の崇拝はなぜそれほど重要なのでしょうか。それを欠かすべきでないのはなぜですか。家族の崇拝は,家族だけでなく会衆の霊的強さにも影響を及ぼすからです。こんな例えで考えてみましょう。会衆は,れんが造りの家のようです。(ヘブライ 3:4-6を読む。)d そのような家の強度は,2つのおもな要素で決まります。土台の質と,れんが一つ一つの耐久性です。もし土台がしっかりしていないなら,家は倒壊するでしょう。ですが,たとえ堅固な土台の上に建てられた家でも,れんががもろいなら,崩れやすくなります。クリスチャン会衆は,最も堅固な土台とも言えるキリストの教えの上に築かれています。(コリント第一 3:10-15を読む。)e れんがに相当するのは,会衆内の個人や家族です。家族の崇拝の時間は,個人や家族が,火に耐えるしっかりした信仰を築き,それを保つための貴重な機会です。個人や家族が強ければ,会衆も強くなります。あなたは毎週の予定に,家族の崇拝を含めていますか。

      c 家族の崇拝で活用できる資料に関する提案は,「わたしたちの王国宣教」2011年1月号に掲載されています。

      d パウロの言葉は「天の召し」にあずかる人たちに宛てられたものです。(ヘブ 3:1)しかし,原則的にはクリスチャンすべてに当てはまります。

      e 聖書のこの記述についての詳しい説明は,「ものみの塔」1999年7月15日号12-14ページ15-20節に掲載されています。その箇所を読んで,家族の崇拝にどのように適用できるかを考えてみることをお勧めします。

      15. 神権宣教学校にはどんな目的がありましたか。

      15 神権宣教学校。ケアリー・バーバーは,ニューヨークのブルックリンにある世界本部で奉仕していた時のことを回想し,こう述べました。「1942年2月16日,月曜日の晩,ブルックリン・ベテルの男子の成員すべては,後に神権宣教学校と呼ばれるようになる教育課程に入校するよう招かれました」。それからかなり後に統治体の成員になったバーバー兄弟は,この学校について,「エホバが現代においてご自分の民のために行なわれたことの中で特に顕著なもの」と表現しました。この課程は,兄弟たちが教える技術と伝道の技術を向上させることに大いに貢献しました。そのため,1943年以降,「神権宣教課程」(英語)という小冊子が世界中の会衆で徐々に用いられるようになりました。「ものみの塔」(英語)1943年6月1日号によれば,神権宣教学校は,神の民が「王国を告げ知らせる,より優れた証人として自分を整える」ことを目的としたものでした。―テモ二 2:15。

      16,17. 神権宣教学校で学んだのは技術的な面だけでしたか。説明してください。

      16 初めのうち,大勢の聴衆の前で話すことに気後れした人は少なくありませんでした。クレイトン・ウッドワース・ジュニア(父親が1918年にラザフォード兄弟や他の人たちと共に不当に投獄された)は,自分が1943年にこの学校に入校した当初のことを振り返り,こう述べました。「演壇から話をするのは非常に苦手でした。舌がうまく回らず,口はからからに渇き,声がひっくり返ってしまうように感じました」。しかし,兄弟は進歩し,公の場で話す特権を多く与えられました。この学校では,単に技術的な面だけを学んだわけではありません。謙遜さの価値とエホバに頼ることの大切さも学んだのです。兄弟はこう語りました。「私は,話し手そのものが重要なわけではない,ということを理解するようになりました。それでも,よく準備し,エホバに全く依り頼むなら,喜びを与える話ができ,人々は何がしかのことを学べるのです」。

      17 1959年には,姉妹たちもこの学校に入校するよう招かれました。エドナ・バウアー姉妹は,大会でその発表があった時のことをこう回想しました。「姉妹たちの間で期待が高まったのを覚えています。姉妹たちにも,より大きな機会が開かれたのです」。長年にわたり,多くの兄弟姉妹は,神権宣教学校に入校してエホバに教えられるという機会を活用してきました。今日でも,週日の集会でそうした訓練を受けることができます。―イザヤ 54:13を読む。

      18,19. (イ)現在,宣教奉仕を行なうための実際的な導きはどのように得られますか。(ロ)集会で歌を歌うのはなぜですか。(「真理を述べた歌を歌う」という囲みを参照。)

      18 奉仕会。1919年にはすでに,野外奉仕の活動を組織するための集会が開かれていました。そのころ,この集会に出席したのは会衆の全員ではなく,文書の配布に直接携わる人だけでした。1923年には,ほとんどの月に奉仕会は月一度開かれ,クラスつまり会衆の全員に出席が求められました。1928年には,会衆が奉仕会を毎週行なうよう勧められていました。そして1935年の「ものみの塔」誌に次の勧めが掲載されます。それは奉仕会を「奉仕の指示」(後の名称は「通知」,さらにその後は「わたしたちの王国宣教」)に掲載された情報をもとに行なうように,という勧めです。間もなく,奉仕会は各会衆が定期的に開く集会の一つになります。

      19 今日では,週日の集会で,宣教奉仕を行なうための実際的な導きが得られます。(マタ 10:5-13)資格にかない「集会ワークブック」を受け取っているなら,それを研究し,奉仕を行なう時にその提案を当てはめていますか。

      一年で最も重要な集まり

      初期クリスチャンの会衆が,年ごとのキリストの死の記念式を行なっている

      クリスチャンが年に一度集まってキリストの死の記念式を行なうことは1世紀に始まった(20節を参照)

      20-22. (イ)わたしたちがイエスの死を記念するのはなぜですか。(ロ)毎年,記念式に出席することからどんな益が得られますか。

      20 イエスの追随者たちは,イエスが到来するまでその死を記念してゆくように,という指示を与えられています。キリストの死の記念式は,過ぎ越しの祝いと同様,年に一度行なわれます。(コリ一 11:23-26)毎年,この集まりに非常に多くの人が出席します。油そそがれた人たちはその集いから,王国の共同相続人になるという特権を思い起こします。(ロマ 8:17)ほかの羊の場合は,神の王国の王に対する深い敬意と忠節が育まれます。―ヨハ 10:16。

      21 ラッセル兄弟とその仲間たちは,記念として主の晩さんを行なうことの重要性を理解していました。また,それを行なうのは年に一度だけであることも知っていました。「ものみの塔」(英語)1880年4月号にはこう述べられています。「ここ数年にわたり,ピッツバーグにいるわたしたちの多くが習慣としてきたのは……過ぎ越し[記念式]を執り行ない,主の体と血を示す表象物にあずかることである」。やがて記念式の際に大会が開かれるようになります。初めて人数が記録されたのは1889年の大会で,225人が出席し,22人がバプテスマを受けました。

      22 現在では,記念式の時に大会を開くことはなくなりました。それでもわたしたちは,王国会館や借りた会場で記念式を行ない,出席するよう地域のすべての人々を招待します。2013年には,1,900万人余りがイエスの死を記念する式に集いました。わたしたちには,極めて重要な晩に行なわれる記念式に自分が出席することに加え,出席するよう人々に勧めるという大きな特権があります。毎年,熱意をこめて,できるだけ多くの人を記念式に招いていますか。

      わたしたちの態度が明らかにするもの

      23. あなたは,集まり合うことについてどう感じていますか。

      23 エホバの忠節な僕たちは,集まり合うようにという指示を重荷とは考えません。(ヘブ 10:24,25。ヨハ一 5:3)例えば,ダビデ王は,崇拝のためにエホバの家に行くことを心から喜んでいました。(詩 27:4)とりわけ,神を愛する仲間と共にエホバを崇拝することを楽しみとしていました。(詩 35:18)イエスの手本もあります。イエスは,年若い時から,み父の崇拝の家にいることを強く願っていました。―ルカ 2:41-49。

      神の王国があなたにとってどれほど現実的であるかは,共に集まり合いたいという願いの強さに表われます

      24. 集会はどんな機会になりますか。

      24 集会に出席する時,わたしたちはエホバへの愛と信仰の仲間を強めたいという願いを表わすことになります。また,神の王国の臣民としての生き方をぜひ学びたいという願いを表わすことにもなります。そのような教育はおもに,集会や大会で与えられるからです。集会ではまた,いま神の王国が推し進めている極めて重要な活動を行ない続けるのに必要な,力と技術を得ることができます。その活動とは,王イエス・キリストの弟子を作り訓練することです。(マタイ 28:19,20を読む。)神の王国があなた自身にとってどれほど現実的であるかは,共に集まり合いたいという願いの強さに表われます。これからも集会を大切にしてゆけますように。

      a 会衆での週ごとの集会に加え,家族や個人は,家族の崇拝や個人研究のための時間を取るよう勧められています。

      b 2013年現在,公開講演の筋書きは180以上あります。

  • 崇拝のために集まり合う
    神の王国は支配している!
    • 大会出席者の一団が「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」を掲げている

      神の民を一致させる年ごとの集い

      エホバはイスラエル人の男子すべてが,年に3回エルサレムに集まるよう指示なさいました。(出 23:14-17。レビ 23:34-36)イエスの養父ヨセフは,そのような機会に家族全員をエルサレムに連れて行くことがありました。イスラエル人の男子の中には,同じようにした人たちがほかにもいたことでしょう。今日の神の民も,毎年3回,大会のために集まり合います。大会の中には,この終わりの日の間に,神の組織の地上の部分における重要な里程標となったものもあります。そのような大会を幾つか取り上げ,記念すべきどんな進展があったかを考えてみましょう。

      • 1919年: 米国オハイオ州シーダーポイント

        第一次世界大戦後の最初の大規模な大会。

        この大会を機に再び,宣べ伝える業が活発に行なわれるようになる。

        「黄金時代」誌(現在の「目ざめよ!」誌)が発行されるという発表がなされる。

      • 1922年: オハイオ州シーダーポイント

        「王国」というテーマの話によって,宣べ伝える業に弾みがつく。この話の中で,「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」という奮い立たせる呼びかけがなされる。

      • 1931年: オハイオ州コロンバス

        エホバの証人という名称が採択される。

      • 1935年: ワシントンDC

        啓示 7章9節の「大いなる群衆」(「ジェームズ王欽定訳」[英語])は地上で永遠に生きる人々である,ということが初めて理解される。

      • 1942年: 「新しい世神権大会」,世界の85の都市で開催

        「平和 ― それは永続するか」という講演の中で,啓示 17章の預言が解明され,第二次世界大戦の後に神の王国の臣民をさらに多く集める機会が開かれる,という考えが示される。

      • 1950年: 「拡大する神権政治大会」

        「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」(英語)が発表される。

      • 1958年: 『神の御心』国際大会

        1つの都市で開かれた国際大会としては最大のもの。123の国や地域を代表する25万人以上がニューヨーク市に集まった。

      • 1961年: 「一致した崇拝者の大会」

        「新世界訳聖書」全巻が1冊にまとめられて発表される。

      • 1992年: 「光を掲げる人々」大会

        エホバの証人が旧ソビエト連邦,ロシアのサンクトペテルブルクで初めて開いた国際大会。

      • 1993年: 「神の教え」大会,ウクライナのキエフ

        7,402人がバプテスマを受けた。1つの大会でバプテスマを施された人の数としては過去最高の数字。

      • 2011年: 「神の王国が来ますように!」大会

        ダニエル 2章の預言的な像に関する理解が精錬された。鉄と粘土でできた足は英米世界強国を表わしていること,また神の王国が象徴的な像全体を打ち砕く時に支配的な世界強国となっているのは英米世界強国である,という理解が示される。

      • 2014年: 「神の王国をいつも第一に求めなさい!」大会

        キリストの王国が天で設立されてから100周年に当たる年。

      イエスと弟子たちが共に神への賛美の歌を歌っている

      「真理を述べた歌を歌う」

      エホバの民が,エホバへの専心の思いを好んで表わす方法があります。それは,エホバについての歌をエホバに歌うという方法です。例えば,エホバが紅海でイスラエル人をエジプト軍から救出なさった時,人々は心からわき上がる歌によってエホバへの感謝と感嘆の念を表現しました。(出 15:1-21)歌うことは後に,神殿におけるエホバの崇拝の欠かせない部分となりました。(代一 23:4,5; 25:7)1世紀には,イエスと弟子たちがエホバへの気持ちを賛美の歌で表現しました。―マタ 26:30。エフェ 5:19。

      ラッセル兄弟とその仲間たちが真理を再発見した時代から現在に至るまで,わたしたちはエホバを崇拝するために様々な歌の本を用いてきました。歌の重要な役割について,「ものみの塔」(英語)1896年2月15日号にはこうあります。「真理を述べた歌を歌うのは,神の民にとって真理を心と頭の中に収める良い方法です」。

  • 崇拝のために集まり合う
    神の王国は支配している!
  • 王国の奉仕者たちを訓練する
    神の王国は支配している!
    • 17章

      王国の奉仕者たちを訓練する

      この章で考えること

      王国の奉仕者たちが割り当てられた務めを果たすうえで,神権的な学校はどのように役立ってきたか

      1-3. イエスは宣べ伝える業を拡大するために,どんなことを行ないましたか。この章ではどのような点を考えますか。

      イエスは2年にわたってガリラヤの各地で伝道してきました。(マタイ 9:35-38を読む。)多くの都市や村を訪れ,会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝えました。どこであれ,イエスのもとには群衆が集まってきました。そのためイエスは,「収穫は大きい」と述べました。さらに多くの働き人が必要でした。

      2 イエスは宣べ伝える業を拡大することにし,「神の王国を宣べ伝え」るために12使徒を遣わします。(ルカ 9:1,2)使徒たちは,この仕事をどう果たせばよいかについて,いろいろな疑問を抱いたことでしょう。それでイエスは愛情深くも,彼らを遣わす前に,自分が天の父にしてもらったことを彼らに対して行ないます。使徒たちを訓練したのです。

      3 ここで次のような点を考えてみましょう。イエスはみ父からどんな訓練を受けたのでしょうか。イエスは使徒たちをどのように訓練しましたか。今日において,メシアなる王は追随者たちが宣教奉仕を行なえるようどのように訓練してきましたか。

      「ちょうど父が教えてくださったとおりに話している」

      4. イエスはいつ,どこで,み父から教えを受けましたか。

      4 イエスは,自分がみ父から教えを受けたことを率直に認めました。宣教期間中にこう語りました。「わたしはこれらのことを,ちょうど父が教えてくださったとおりに話しているのです」。(ヨハ 8:28)イエスはいつ,どこで教えを受けたのでしょうか。神の初子として創造されて間もなく,その訓練は始まったようです。(コロ 1:15)み子は計り知れないほど長い期間を天の父の傍らで過ごし,「偉大な教訓者」に耳を傾け,その行動を観察しました。(イザ 30:20)結果としてみ子は,み父の特質や働きや目的に関する比類のない教育を受けたのです。

      5. み父は,み子が地上で行なうことになる宣教奉仕についてどんな指示をお与えになりましたか。

      5 やがてエホバは,み子が地上で行なうことになる宣教奉仕について教えを授けました。偉大な教訓者とその初子との関係を描いている預言に注目してみましょう。(イザヤ 50:4,5を読む。)この預言には,エホバがみ子を「朝ごとに」目覚めさせた,と記されています。その描写は,朝早く生徒を起こして授業を始める教師を連想させます。聖書関係のある参考書には,こう述べられています。「エホバは……その僕をいわば生徒として学校に連れて行き,何を,どのように宣べ伝えたらよいかを教えられた」。この天の“学校”で,エホバはみ子に,「何を告げ何を話すべきかについて」教えを授けました。(ヨハ 12:49)み父はまた,どのように教えるべきかについての指示もお与えになりました。a イエスは地上にいた時,天で受けた訓練を活用しました。ただ自分が宣教奉仕を行なうだけでなく,追随者を訓練して彼らも宣教奉仕を行なえるようにしたのです。

      6,7. (イ)イエスは使徒たちにどんな訓練を施しましたか。その訓練により,使徒たちは何を行なうことができましたか。(ロ)イエスは今日,追随者たちがどんな訓練を受けられるようにしてきましたか。

      6 この章の初めで触れたように,イエスは使徒たちを訓練しました。どんな訓練を施しましたか。マタイ 10章によれば,イエスは奉仕に関する具体的な指示を与えました。それには次の点が含まれています。どこで宣べ伝えるか(5,6節),どんな音信を伝えるか(7節),エホバに頼るべきこと(9,10節),家の人にどのように近づくか(11-13節),断わられたらどうするか(14,15節),迫害されたらどう対応するか(16-23節)などの点です。b 使徒たちは,イエスからこうした実際的な訓練を与えられたので,1世紀に良いたよりを宣べ伝える業の先頭に立つことができました。

      7 今日ではどうでしょうか。神の王国の王であるイエスは,わたしたち追随者に非常に重要な割り当てを与えてくださいました。「王国のこの良いたより」を「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝え」るという務めです。(マタ 24:14)それとともに,極めて重要なこの業を行なえるよう,王イエスはわたしたちを訓練してくださっています。追随者たちが,会衆外の人々に宣べ伝える方法や会衆内で特別な責任を果たす方法について確実に訓練を受けられるよう,イエスは天から指導してきたのです。

      福音宣明者となるよう奉仕者たちを訓練する

      8,9. (イ)神権宣教学校のおもな目的は何でしたか。(ロ)あなたが宣教を効果的に行なううえで,週日の集会はどのように役立ってきましたか。

      8 エホバの組織はかねてから,大会や,奉仕会など会衆の集会により,神の民に宣教奉仕の訓練を施してきました。そしてさらに訓練を与えるため,1940年代以降,本部で指導の任に当たる兄弟たちは様々な学校を設けてきました。

      9 神権宣教学校。前の章で考えたように,神権宣教学校は1943年に始まりました。この学校は単に,生徒たちが会衆の集会で上手に話せるよう訓練することを目的としていたのではありません。おもな目的は,話す能力という賜物を宣教奉仕でエホバを賛美するために用いるよう,神の民を訓練することでした。(詩 150:6)兄弟であれ姉妹であれ,この学校に入校したすべての人は,王国の奉仕者としていっそう効果的に働くための助けが得られました。現在,そうした訓練は週日の集会で与えられています。

      10,11. 今ではどんな人がギレアデ学校に入校できますか。この学校のカリキュラムにはどんな目的がありますか。

      10 ものみの塔ギレアデ聖書学校。ものみの塔ギレアデ聖書学校は,今とは異なる校名で,1943年2月1日,月曜日に始まりました。元々,世界の各地で宣教者として奉仕するよう開拓者や他の全時間奉仕者を訓練することを目的としていました。しかし2011年10月以降,この学校に入校できるのは,すでに何らかの特別全時間奉仕を行なっている人に限られるようになりました。それは特別開拓者,旅行する監督とその妻,ベテル奉仕者,またこの学校に出席したことのない野外の宣教者です。

      11 ギレアデ学校のカリキュラムにはどんな目的があるのでしょうか。長く教訓者として奉仕してきた兄弟はこう答えています。「神の言葉の徹底的な研究により生徒たちの信仰を強めること,また割り当てられた奉仕に伴う困難に対処するのに必要な霊的特質を伸ばせるよう助けることです。加えて,福音宣明の業をさらに行ないたいという強い願いを生徒たちに植えつけることも,このカリキュラムの基本的な目的です」。―エフェ 4:11。

      12,13. ギレアデ学校の効果は,世界的な伝道の業にどのように表われていますか。例を挙げてください。

      12 ギレアデ学校の効果は,世界的な伝道の業にどのように表われているでしょうか。1943年以降,この学校で8,500人以上が訓練を受け,c ギレアデで訓練を受けた宣教者は170余りの国や地域で奉仕してきました。彼らは受けた訓練をよく活用して,宣教奉仕において熱心さの手本を示し,同じ熱意を持つよう他の人を訓練してきました。多くの場合,それらの宣教者は王国伝道者がほとんどいない地域で先頭に立って奉仕しました。

      13 日本の例を考えてみましょう。第二次世界大戦中には,組織的な公の伝道活動は停止していました。1949年8月,日本の伝道者は,10人足らずでした。しかし,その年の終わりには,ギレアデで訓練を受けた13人の宣教者が国内で活発に伝道をしていました。そして,さらに多くの宣教者が入ってきました。初めはおもに大都市で集中的に奉仕し,その後,他の都市でも奉仕するようになりました。宣教者は,研究生や他の人たちに,開拓奉仕をぜひ始めるよう温かく勧めました。宣教者たちの熱心な努力は豊かな実を結びます。今では日本の王国宣明者は21万6,000人を超え,そのうち40%近くが開拓者として奉仕しているのです。d

      14. 神権的な学校は,どんなことを示す強力な証拠ですか。(「王国の奉仕者を訓練する学校」という囲みを参照。)

      14 他の神権的な学校。開拓奉仕学校,「クリスチャンの夫婦のための聖書学校」,「独身の兄弟のための聖書学校」で学んだ人たちもいます。e 彼らもそれらの学校から,霊的に成長し,福音宣明の業に熱心な態度で率先するための助けを得てきました。神権的な学校はどれも,王イエスが追随者たちに奉仕の務めを果たすための万全な装備をさせてきたことの強力な証拠です。―テモ二 4:5。

      特別な責任を担う兄弟たちを訓練する

      15. 責任ある立場で奉仕する人は,どんな点でイエスに倣うことを願っていますか。

      15 この章の初めのほうで,イエスが神から教えを受けたことに関するイザヤの預言を取り上げました。み子は,天の“学校”で,「疲れた者にどのように言葉を用いて答えるか」を学びました。(イザ 50:4)イエスは地上にいた時にその教えを当てはめ,「労苦し,荷を負っている人」をさわやかにしました。(マタ 11:28-30)種々の責任ある立場で奉仕する人も,イエスに倣い,兄弟姉妹にさわやかさを与える存在になることを願っています。その目的で,幾つかの学校が設立されました。資格ある兄弟たちは,信仰の仲間にいっそう良い世話を行なう方法を教えられます。

      16,17. 王国宣教学校にはどんな目的がありますか。(脚注を参照。)

      16 王国宣教学校。この学校の最初のクラスは,1959年3月9日,米国ニューヨーク州サウスランシングで始まりました。旅行する監督や会衆の僕が招かれたその課程は,1か月に及ぶものでした。後に,この課程の内容は英語から他の言語に訳され,それに伴い,世界各地の兄弟たちも徐々に訓練を受けられるようになりました。f

      ロイド・バリーが日本の王国宣教学校で教えている,1970年

      日本の王国宣教学校で教えるロイド・バリー兄弟,1970年

      17 王国宣教学校の目的について,「1962 エホバの証人の年鑑」(英語)にはこう記されていました。「多忙を極める今の世界にあって,エホバの証人の会衆内の監督は,生活を組織できる人でなければなりません。会衆のすべての人によく気を配り,皆の祝福となるためです。それとともに,会衆を優先するあまり家族をないがしろにすることがあってはなりません。健全な思いの霊を表わす必要があります。世界各地の会衆の僕には,実に優れた機会が開かれています。王国宣教学校に出席して訓練を受け,聖書に述べられている監督の務めを果たすための助けを与えられるのです」。―テモ一 3:1-7。テト 1:5-9。

      18. 神の民すべてが王国宣教学校の恩恵にあずかっている,と言えるのはなぜですか。

      18 実のところ,神の民すべてが王国宣教学校の恩恵にあずかってきました。なぜそう言えますか。長老や奉仕の僕がこの学校で学んだ事柄を当てはめる時,彼らはイエスのように,信仰の仲間をさわやかにする存在になるからです。長老や奉仕の僕がわたしたちのことを気遣って,親切な言葉をかけたり,話を聴いたり,励みのある訪問をしてくれたりすると,うれしく思うのではありませんか。(テサ一 5:11)それら資格ある男子は,確かに会衆の祝福となっているのです。

      19. 教育委員会は,他のどんな学校も監督していますか。それらの学校ではどんな助けが与えられますか。

      19 他の神権的な学校。組織内の責任ある立場で奉仕する兄弟たちを訓練する学校はほかにもあります。統治体の教育委員会は,それらの学校を監督します。責任ある兄弟たち,例えば会衆の長老,旅行する監督,支部委員会の成員はそれらの学校から,担っている多くの責任をいっそう効果的に果たすための助けを与えられます。学校の課程は聖書に基づいており,そこで学ぶ兄弟たちは,自分自身の霊性を維持し,エホバから世話を託された貴重な羊を扱う際に聖書の原則を当てはめよう,という思いを新たにします。―ペテ一 5:1-3。

      マラウイで開かれた第1期の宣教訓練学校

      マラウイで開かれた第1期の宣教訓練学校,2007年

      20. わたしたちが皆「エホバに教えられる」と,イエスが述べたのはなぜですか。あなたはどうしたいと思いますか。

      20 メシアなる王は,追随者たちが十分に訓練を受けられるよう確実に取り計らってきました。その訓練はどれも上から与えられてきました。エホバがみ子を訓練し,み子は追随者たちを訓練してきたのです。それでイエスは,わたしたちが皆「エホバに教えられる」と言うことができました。(ヨハ 6:45。イザ 54:13)王が与えてくださった訓練の機会を十分に活用することを決意しましょう。また,これらの訓練のおもな目的を忘れないようにしましょう。それは,霊的な強さを保ち奉仕の務めを十分に果たせるよう,わたしたちを助けることにあるのです。

      a み父が,どのように教えるべきかをみ子に教えた,と言えるのはなぜですか。次の点を考えてみてください。イエスは教える際に例えをたくさん用いました。そのことは,イエスが誕生するよりも何世紀も前に記されていた預言の成就です。(詩 78:2。マタ 13:34,35)その預言の源であるエホバは,み子が例えやたとえ話を用いて教えることを前もって定めておられたのです。―テモ二 3:16,17。

      b 後にイエスは,「ほかの七十人を指名し……二人ずつ」遣わして宣べ伝えさせました。彼らにも訓練を施したのです。―ルカ 10:1-16。

      c ギレアデ学校に再び招かれた人もいます。

      d ギレアデで訓練を受けた宣教者が世界各地でどんな働きをしてきたかについて,詳しくは「エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々」の本の23章を参照。

      e 3つのうち,あとの2つは「王国福音宣明者のための学校」に変わっています。

      f 今では長老全員が王国宣教学校で学ぶことができます。学校の期間は様々で,数年ごとに開かれます。1984年以降は,奉仕の僕もこの学校で訓練を受けてきました。

  • 王国の奉仕者たちを訓練する
    神の王国は支配している!
    • 王国の奉仕者を訓練する学校

      クリスチャンとしての生活と奉仕

      目的: 良いたよりの効果的な伝道者また教え手となるよう奉仕者たちを訓練する。

      期間: 継続的。

      場所: 地元の王国会館。

      入校: 会衆と活発に交わり,聖書の教えに同意し,クリスチャンの原則に調和した生活をしている人はみな入校できる。入校するためには,生活と奉仕の集会の監督に申し出る。

      益: 週日の集会では,調査することや資料を論理的に提供することを学びます。他の人の話を聴くこと,また自分の霊的な必要だけでなく他の人の霊的な必要にも注意を向けることを学びます。

      長年旅行する監督として奉仕しているアーニーは,次のように述べます。「わたしは子どものころから吃音の問題があり,人の目を見て話すことができませんでした。でも,この[集会]のおかげで自信を持てるようになりました。また,受けた訓練とエホバの助けによって,正しい呼吸の仕方や精神を集中させる方法を習得できました。会衆や宣教奉仕でエホバを賛美できることに感謝しています」。

      若い奉仕者が神権宣教学校で聖書朗読を行なっている

      会衆の長老のための学校g

      目的: 霊性を深めるよう,また会衆内の責任を担えるよう長老たちを助ける。

      期間: 5日間。

      場所: 支部が決定する。たいてい,近くの王国会館か大会ホール。

      入校: 長老が支部から招かれる。

      益: 米国ニューヨーク州パタソンの第92期のクラスの兄弟たちから寄せられたコメントを紹介します。

      「学校から非常に多くの益を受けました。自分を正直に見つめる機会になり,エホバの羊を世話する方法を学ぶことができました」。

      「受けた訓練は生涯忘れません」。

      開拓奉仕学校

      目的: 自分の奉仕の務めを「十分に果た」せるよう開拓者たちを助ける。―テモ二 4:5。

      期間: 6日間。

      場所: 支部が決める。たいてい,近くの王国会館。

      入校: 正規開拓奉仕を少なくとも1年間行なっている人は自動的にリストに載せられ,巡回監督から知らせを受ける。長く開拓奉仕を行ない,この学校に過去5年間出席していない開拓者も招待されることがある。

      益: リリーはこう語っています。「この学校に出席して,宣教や生活で直面する色々な問題に対処できるようになりました。また,自分の研究の仕方や,教え方,聖書の用い方などが大幅に改善されました。他の人を援助する,長老たちを支える,会衆の成長に貢献するといった点でも意識が高まりました」。

      この学校に2度出席したブレンダは,このように言います。「霊的な事柄にいっそう集中できました。それに,良心が強められ,他の人を助けることにも注意を向けることができました。エホバは本当に寛大な方です」。

      ベテル新入者学校

      目的: ベテルで良い奉仕が行なえるよう新しいベテル奉仕者を助ける。

      期間: 1日4時間の授業を4日間。

      場所: ベテル。

      入校: ベテル家族の正規の成員,あるいは長期(1年以上)のテンポラリー・ボランティアは自動的にリストに載せられる。

      益: 1980年代にこの学校に出席したディミトリアスは,こう言います。「この課程を通して,研究の習慣が改善され,ベテルで長く奉仕するよう助けられました。教訓者,カリキュラム,受けた実際的な助言などから,エホバの愛ある気遣いや,ベテル奉仕で成功してほしいというエホバの願いを強く感じました」。

      王国福音宣明者のための学校h

      目的: エホバと神の組織にとっていっそう有用な者になれるよう,全時間奉仕者(夫婦,独身の兄弟,独身の姉妹)に特別な訓練を施す。卒業生の多くは,自国内の必要の大きな場所での奉仕の割り当てを受ける。50歳未満の卒業生の中には,一時的な特別開拓者として,僻地における伝道の業を開拓し,拡大するために働く人もいる。

      期間: 2か月。

      場所: 支部が決める。たいてい,王国会館か大会ホール。

      奉仕中の姉妹

      兄弟も姉妹も神権的な訓練から益を得ている

      入校: 23歳から65歳までの全時間奉仕者。健康であり,どこでも必要な場所で仕えることができ,「ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください」という態度を持っている人。(イザ 6:8)この学校に出席する人は皆,独身の兄弟姉妹も夫婦も,中断することなく少なくとも2年間全時間奉仕を行なっている。夫婦は,結婚してから少なくとも2年たっていなければならない。兄弟は,長老か奉仕の僕として少なくとも2年間,中断することなく奉仕している。支部の管轄区域でこの学校が行なわれる場合,地区大会の際に,入校に関心のある人たちとの集まりが開かれ,情報が提供される。

      益: 「独身の兄弟のための聖書学校」や「クリスチャンの夫婦のための聖書学校」に出席した人たちから,喜びのコメントが数多く寄せられている。2013年,統治体はこの2つの学校を「王国福音宣明者のための学校」に統合することを承認した。それにより,独身の姉妹を含む,より多くの忠実な開拓者がこの課程で学べるようになった。

      ものみの塔ギレアデ聖書学校

      目的: 卒業生は旅行する監督,野外の宣教者,ベテル奉仕者として割り当てられることがある。受けた訓練を活用して,野外や支部組織を強め,安定させる。

      期間: 5か月。

      場所: 米国ニューヨーク州パタソンのものみの塔教育センター。

      ギレアデの生徒たちが教訓者の話を聴く

      ギレアデの授業 ― ニューヨーク州パタソン

      入校: 夫婦,独身の兄弟,独身の姉妹で,すでに何らかの特別全時間奉仕を行なっている人。それにはギレアデ卒業生ではない野外の宣教者,特別開拓者,ベテル奉仕者,旅行する監督とその妻が含まれ,対象者は申し込むよう支部委員会から勧められる。英語を話し,書くことができなければならない。

      益: 米国出身の夫婦ラードとモニークは,割り当てられた国で奉仕を始めて数年になります。二人のコメントです。

      ラードは,「ギレアデ学校では,世界のどこへでも行って,いわば腕まくりして愛する兄弟たちと働くよう整えられました」と言います。

      モニークはこう語っています。「神の言葉から学んだことを当てはめると,自分の割り当てに大きな喜びを見いだせます。そうした喜びは,エホバの愛のいっそうの証拠だと思います」。

      王国宣教学校

      目的: 監督としての務めや組織上の責任を担えるよう,旅行する監督,長老,奉仕の僕を訓練する。(使徒 20:28)諸会衆の現状や傾向,また当面の必要が取り上げられる。統治体の決定に基づき,数年ごとに開かれる。

      期間: 最近は,様々な期間で行なわれている。

      場所: たいてい,近くの王国会館か大会ホール。

      入校: 長老と奉仕の僕は巡回監督から知らせを受け,旅行する監督は支部から招かれる。

      益: 「この学校では短い時間に多くのことを学びますが,長老たちはエホバの奉仕において喜びを保ち,雄々しくあるよう励まされます。新しい長老も,長老として長年仕えてきた人も,効果的な牧羊の仕方や,同じ考え方で結ばれていることの大切さを学びます」。―クイン。

      「この学校でバランスの取れた訓練を受けました。霊的な認識が築かれ,様々な危険に気づかされ,群れを世話するための実際的な提案が与えられました」。―マイケル。

      巡回監督と妻のための学校i

      目的: いっそう効果的に諸会衆に仕え,「話すことや教えることに骨折」り,ゆだねられた人たちを牧するよう,巡回監督を助ける。―テモ一 5:17。ペテ一 5:2,3。

      期間: 1か月。

      場所: 支部が決める。

      入校: 巡回監督とその妻は支部によって招かれる。

      益: 「イエスが組織に対して頭の権を行使しておられる,という認識が深まりました。また,兄弟たちを励まし,会衆の一致を強める必要性も理解できました。この課程で強く印象に残ったことがあります。旅行する監督は,兄弟たちに提案や,時には矯正を与えますが,それには目的があるということです。そのおもな目的は,エホバから愛されていることを理解できるよう兄弟たちを助けることなのです」。―ジョエルとコニー,第1期,1999年。

      支部委員と妻のための学校

      目的: 以下の務めをいっそうよく担えるよう,支部委員を助ける。ベテル・ホームを監督する,諸会衆に影響を与える奉仕関連の事項を扱う,管轄区域内の巡回区を監督する。―ルカ 12:48後半。

      期間: 2か月。

      場所: 米国ニューヨーク州パタソンのものみの塔教育センター。

      入校: 支部委員会や国内委員会の成員とその妻は,統治体の奉仕委員会によって招かれる。

      益: 第25期のローウェルとカラは,ナイジェリアで奉仕しています。

      ローウェルは次のように述べます。「仕事がどんなに忙しくても,またどんな仕事を行なっていても,エホバを喜ばせるかぎは霊性である,と教えられました」。

      カラはこの学校を通して次のことを学んだと言います。「もしある点を分かりやすく説明できないなら,人に教える前に,そのことについてもっと学ぶ必要があります」。

      g この学校がまだ開かれていない国もあります。

      h この学校がまだ開かれていない国もあります。

      i この学校がまだ開かれていない国もあります。

  • 王国の教育 ― 王の僕たちを訓練する
    神の王国は支配している!
    • 1. エホバの証人が屋外で集まる,ロンドン,1945年。2. 屋外でのエホバの証人の大会,マラウイ

      左: 屋外で集まる。英国ロンドン,1945年。右: 特別一日大会。アフリカのマラウイ,2012年

      セクション5

      王国の教育 ― 王の僕たちを訓練する

      ステージの話し手にあなたは温かいまなざしを向けます。あなたの会衆の若い兄弟で,大会のプログラムを扱うのは初めてです。その話を聞きながら,神の民は本当に素晴らしい訓練を受けていると,改めて感じます。兄弟が初めて会衆で話をした時のことをあなたはよく覚えています。今ではこんなに成長したのです。開拓奉仕学校に出席して大きな進歩を遂げ,少し前に妻と共に「王国福音宣明者のための学校」を出たばかりです。話し終えた兄弟に拍手しつつ,場内の人々に目を向け,神の民すべてがよく教えられていることを実感します。

      聖書は,神の民が皆「エホバに教えられる」ようになる時が来ることを予告していました。(イザ 54:13)わたしたちはその時代に生きています。出版物だけでなく,集会や大会,またエホバの組織における特定の割り当てに備えさせる学校を通して,教育を受けているのです。これらの教育は,神の王国が現在支配している確かな証拠と言えます。その理由をこのセクションで考えます。

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