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    ものみの塔 2006 | 8月15日
    • ヨブ ― 忍耐と忠誠の人

      「あなたはわたしの僕ヨブに心を留めたか。地上には彼のような人,とがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れている人はひとりもいないのだが」。―ヨブ 1:8。

      1,2 (イ)ヨブは,予期せずにどんな悲劇を経験しましたか。(ロ)悲劇に見舞われる前のヨブの生活はどのようなものでしたか。

      多くの資産,社会的地位,健康,幸福な家族 ― こうしたものすべてを持っている人がいました。その人が,相次いで3回,悲劇に見舞われました。一夜にして富を失い,次いで突然のあらしに襲われて子ども全員が死んでしまい,その後まもなく自分も病気にかかって衰弱し,体じゅうに痛みを伴う腫れ物ができました。お気づきでしょう,その人は聖書のヨブ記の主人公ヨブです。―ヨブ 1,2章。

      2 「ああ,わたしが昔の太陰の月々のときのようであったらよいのに」とヨブはうめきました。(ヨブ 3:3; 29:2)災いに遭ったときにはだれしも,以前の日々を懐かしく思うものです。ヨブの場合,まじめな生活を送っていて,不幸に遭わないよう守られているかのようでした。著名な人たちから尊敬され,助言を求められたものです。(ヨブ 29:5-11)裕福でしたが,金銭に対するふさわしい見方を保っていました。(ヨブ 31:24,25,28)やもめや孤児が困窮しているのを目にすれば,助けを差し伸べました。(ヨブ 29:12-16)また,妻に対してずっと忠実でした。―ヨブ 31:1,9,11。

      3 エホバはヨブをどうご覧になっていましたか。

      3 ヨブは神を崇拝していたので,とがめのない生活を送っていました。「地上には彼のような人,とがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れている人はひとりもいない」とエホバは言われました。(ヨブ 1:1,8)ところが,道徳的な面で忠誠に歩んでいたにもかかわらず,度重なる悲劇によって,それまでの平穏な生活は破壊されました。働いて得たものすべてが消え失せ,苦痛や苦悩,挫折感を味わって気力も尽きそうになりました。

      4 ヨブの試練について考えることが有益なのはなぜですか。

      4 言うまでもなく,神の僕の中で個人的な災難に遭ったのは,決してヨブだけではありません。今日のクリスチャンの中には,ヨブの経験を読むと身につまされる思いがする人も,少なからずいることでしょう。ですから,次の二つの質問を取り上げるのはふさわしいことです。ヨブの受けた試練を思い起こすことは,わたしたちが悲劇に見舞われた時にどのように助けになるでしょうか。またヨブの試練から,苦しんでいる人の身になって考えることの大切さをどのように学べるでしょうか。

      忠節に関する論争と忠誠の試み

      5 サタンに言わせれば,ヨブが神に仕えていたのはなぜですか。

      5 ヨブの事例は特別なものでした。ヨブは知りませんでしたが,悪魔は,神に仕えるヨブの動機を疑っていました。天での集会の最中,エホバがヨブの立派な特質に注目させた時サタンは,「あなたが,彼とその家と彼の持っているすべてのものとの周りにくまなく垣を巡らされたではありませんか」と言い返しました。つまり,ヨブの動機は利己的なものだと主張し,神の他の僕たちの動機もみな同じであるに違いない,とほのめかしたのです。そしてエホバに,「どうか,あなたの手を出して,彼の持っているすべてのものに触れて,果たして彼が,それもあなたの顔に向かってあなたをのろわないかどうかを見てください」と言いました。―ヨブ 1:8-11。

      6 サタンはどんな重大な論争を引き起こしましたか。

      6 その論争は重大でした。サタンはエホバの主権の行使の仕方に異議を唱えたのです。神が宇宙を愛によって支配することは本当に可能でしょうか。それとも,サタンがほのめかしたように,結局はいつでも利己心が支配的になるのでしょうか。エホバはご自分の僕ヨブの忠誠と忠節を確信しつつ,悪魔がヨブを巻き込むことを許し,一つの判例となるようにされました。ですから,立て続けに災いをヨブに臨ませたのはサタンです。そうした最初の攻撃が功を奏さなかったとき,サタンは,痛みの伴う病気でヨブを苦しめました。「皮のためには皮をもってしますので,人は自分の魂のためなら,持っているすべてのものを与えます」と悪魔は主張したのです。―ヨブ 2:4。

      7 今日の神の僕たちも,どのようにヨブの場合と同じような試練を受けていますか。

      7 ヨブほどの苦しみを経験する人は多くないとはいえ,今日のクリスチャンも確かに様々な患難に遭います。迫害や家族の問題に直面している人も少なくありません。経済的苦境や身体的不調に耐え難くなる場合もあります。信仰のために自分の命を犠牲にした人もいます。もちろん,わたしたちの巻き込まれる悲劇はすべてサタンが直接に引き起こしたものだ,と決めてかかってはなりません。実のところ,わたしたち自身の間違いや遺伝的な体質に起因するような問題もあります。(ガラテア 6:7)また,だれしも老化や自然災害の悪影響を被ります。聖書から明らかなことですが,エホバは現在ご自分の僕たちをそうした苦しみから奇跡的に保護することはされません。―伝道の書 9:11。

      8 サタンはわたしたちの遭う患難にどのように乗じる場合がありますか。

      8 しかしサタンは,わたしたちの遭う患難に乗じてわたしたちの信仰を弱まらせようとする場合があります。使徒パウロは,『肉体の一つのとげ』に悩まされており,それが「サタンの使い」として終始「平手打ちを加え」てくる,と述べました。(コリント第二 12:7)それが弱視といった身体的な問題であれ,ほかの何かであれ,パウロは,サタンがその問題やそれに起因する挫折感に付け込んで喜びや忠誠心を失わせようとすることを,よく理解していました。(箴言 24:10)今日サタンは,家族の成員,学校の友達,時には独裁的な政府を動かして,神の僕たちを何らかの方法で迫害するよう仕向けるかもしれません。

      9 逆境や迫害に直面しても過度に驚くべきでないのはなぜですか。

      9 そうした問題に,どうすれば首尾よく立ち向かえるでしょうか。それを,エホバに対する愛と神の主権に対する服従が不動のものであることを実証する機会と見れば,立ち向かえます。(ヤコブ 1:2-4)苦悩の原因が何であれ,神に忠節を尽くすことの重要性を理解しているなら,霊的な平衡を維持するのも容易になります。使徒ペテロは,クリスチャンにあててこう書きました。「愛する者たちよ,あなた方の間の燃えさかる火は,試練としてあなた方に起きているのであり,何か異常なことが身に降り懸かっているかのように当惑してはなりません」。(ペテロ第一 4:12)パウロも,「キリスト・イエスにあって敬虔な専心のうちに生活しようと願う人はみな同じように迫害を受けます」と説明しました。(テモテ第二 3:12)サタンは,ヨブの場合と同様,今でもエホバの証人たちの忠誠に疑問を投げかけています。事実,聖書が示しているとおり,サタンはこの終わりの日にあって神の民に対する攻撃を増し加えてきました。―啓示 12:9,17。

      誤解と間違ったアドバイス

      10 ヨブはどんな不利な点のゆえに苦しみましたか。

      10 ヨブは,わたしたちにはない不利な点のゆえに余計に苦しみました。数々の災いが降りかかった理由を知らなかったのです。それで,間違った結論でしたが,「エホバが与え,エホバが取り去られた」のではないかと思いました。(ヨブ 1:21)おそらくサタンが意図的に,この苦しみを引き起こしたのは神であるという印象をヨブに抱かせようとしたのでしょう。

      11 災いに見舞われた時のヨブの反応について説明してください。

      11 ヨブは,妻から勧められても神をのろったりはしませんでしたが,確かにひどく失望しました。(ヨブ 2:9,10)『邪悪な人々のほうがずっといい暮らしをしているように見える』と言いました。(ヨブ 21:7-9)『神がわたしを罰しておられるのはなぜだろう』と考えたに違いありません。死んでしまいたいと思ったこともあり,強い語調で,「ああ,あなたが私をシェオルに隠し,あなたの怒りが元に戻るまで,私を秘めてお(い)てくださればよいのに」と言いました。―ヨブ 14:13。

      12,13 ヨブは3人の友の言葉を聞いてどんな影響を受けましたか。

      12 ヨブには3人の友がおり,『彼に同情し,これを慰める』ということで,やって来ました。(ヨブ 2:11)ところが,3人とも「厄介な慰め手」であることが明らかになりました。(ヨブ 16:2)ヨブとしては数々の問題について話して幾らかでも楽になれたらよかったのですが,その3人はヨブの思いをますます混乱させ,挫折感を深めさせてしまったのです。―ヨブ 19:2; 26:2。

      13 ですから,ヨブはこう考えたかもしれません。『なぜわたしが,これほどの災いに遭わなければならないのか。一体どんな悪事を犯したというのだろう』。ヨブの友たちは,全く誤った説明をします。その3人は,ヨブが何らかの重大な罪を犯して自ら苦しみを招いた,と決めてかかっていたのです。「どこに廉直な人でぬぐい去られた者があるか。わたしの見てきたところでは,有害なことをたくらむ者,また厄介なことをまく者は自らそれを刈り取ることになる」とエリパズは言いました。―ヨブ 4:7,8。

      14 苦しむのは間違ったことをしたからだ,とすぐに決めつけるべきでないのはなぜですか。

      14 確かに,聖霊にしたがってではなく肉にしたがってまくなら,問題が生じます。(ガラテア 6:7,8)しかし現在の体制下では,行ないに関係なく厄介な問題の生じることがあります。それだけでなく,悪いことをしない人はどんな災いにも遭わずにすむ,などとは決して言えません。イエス・キリストは「偽りも汚れもなく,罪人から分けられ」ていましたが,苦しみの杭に掛けられて悲痛な死を遂げましたし,使徒ヤコブも殉教しました。(ヘブライ 7:26。使徒 12:1,2)ヨブは,エリパズとその二人の友から誤った論法で非難されたため,自分の評判を守ろうとし,潔白さを主張しました。それでも,ヨブの苦しみは身から出た錆だとしつこく言い立てられたので,神の公正さについてゆがんだ見方をしてしまったようです。―ヨブ 34:5; 35:2。

      患難に直面したとき助けを見いだす

      15 苦しみに遭ったときには,理性的にどう考えるとよいでしょうか。

      15 ここに,学ぶべき教訓があるでしょうか。自分に悲劇,病気,あるいは迫害が臨むと,とても不公平なことのように思えるかもしれません。他の人々はそのような問題の多くを免れているかに見えます。(詩編 73:3-12)そこで,時々,次のような根本的な点について自問しなければならないでしょう。『わたしは,自分の身にどんなことが降りかかろうと,神に対する愛ゆえに神に仕えようとするだろうか。エホバが「ご自分を嘲弄している者に返答する」ことに関して少しでも役に立ちたい,と切に願っているだろうか』。(箴言 27:11。マタイ 22:37)決して,他の人の無思慮な言葉に影響されて天の父に疑念を抱く,というようなことがあってはなりません。何年も慢性的な病気に苦しんだある忠実なクリスチャンは,かつてこう言いました。「わたしは,何であれエホバのお許しになる事柄は受け入れることができます。耐えるのに必要な力を与えてくださる,ということを知っているからです。エホバはいつもそうしてくださいました」。

      16 辛苦のもとにある人にとって,神の言葉はどのように助けになりますか。

      16 わたしたちは,サタンの策略に関して,ヨブの理解していなかったことを理解しています。「わたしたちはその謀りごと[つまり,サタンのよこしまな企て]を知らないわけではない」のです。(コリント第二 2:11)さらに,活用できる実際的な知恵も,豊かに与えられています。聖書には,様々な辛苦を耐え忍んだ忠実な男女に関する記述が収められています。クリスチャンの中でも多くの苦しみに遭った使徒パウロは,こう書いています。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)第二次世界大戦のとき信仰ゆえに投獄されたあるヨーロッパのエホバの証人は,三日分の配給食糧と引き換えに聖書を1冊譲ってもらいました。こう述べています。「こうして聖書を入手し,何と豊かに報われたのでしょう。肉体的には飢えていましたが,霊的な食物を取り入れることができ,私のみならず,当時の不穏な時期に同様な試練に遭遇していたほかの人たちも,その霊的な食物で支えられました。私は今でもその聖書を持っています」。

      17 神の設けてくださっているどんな備えは,耐え忍ぶための助けになりますか。

      17 わたしたちには,聖書からの慰めのほかに,聖書研究の手引き書が数多くあり,様々な問題に対処するための健全な指針を得ることができます。「ものみの塔出版物索引」を調べれば,自分と同じような試練に遭った仲間のクリスチャンの経験を見つけることができるでしょう。(ペテロ第一 5:9)自分の置かれた状況について,理解のある長老たちや他の円熟したクリスチャンと話し合うのもよいかもしれません。そして何よりも,祈ることによって,エホバからの助けと聖霊に頼ることができます。パウロは,サタンの「平手打ち」に負けないよう,どのように対処したでしょうか。神の力に頼ることを学んで対処しました。(コリント第二 12:9,10)「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」と書いています。―フィリピ 4:13。

      18 仲間のクリスチャンはどのように貴重な励ましを与えてくれますか。

      18 そのように,助けとなるものは備えられています。ですから,ちゅうちょすることなくそれを求めるべきです。「あなたは苦難の日に自分が失望していることを明らかにしたか。あなたの力は乏しくなる」と箴言は述べています。(箴言 24:10)ちょうどシロアリが木造の家を倒壊させることがあるのと同じように,失意はクリスチャンの忠誠心をむしばむものとなりかねません。そうした危険に陥らないように,エホバは,わたしたちの仲間である神の僕たちを通して支えてくださいます。イエスは,捕縛される夜,目の前に現われたみ使いによって強められました。(ルカ 22:43)パウロは,囚人としてローマへ連れて行かれる途上,アピウスの市場と三軒宿で兄弟たちに会った時,「神に感謝し,また勇気づけられ」ました。(使徒 28:15)ドイツのあるエホバの証人の女性は,十代のときラベンスブリュック強制収容所に入れられました。不安な思いでそこに到着した時に与えられた助けを今でも覚えていて,こう述べています。「仲間の一人のクリスチャンがすぐわたしを見つけ,温かく迎えてくださいました。もう一人の忠実な姉妹はいろいろと世話をしてくださり,わたしにとって霊的な母親のようになりました」。

      『忠実であることを示しなさい』

      19 ヨブにとって,サタンからの攻撃に抵抗するのに何が助けになりましたか。

      19 エホバはヨブのことを,「忠誠を堅く保っている」人と描写されました。(ヨブ 2:3)ヨブは,落胆していたにもかかわらず,また苦しみに遭っている理由を理解していなかったにもかかわらず,忠節をめぐる非常に重要な論争に関してぐらつくことはなく,生きる目的としてきた事柄を何一つ否定しようとはしませんでした。「わたしは息絶えるまで,自分の忠誠を自分から奪い去らない!」と断言したのです。―ヨブ 27:5。

      20 忍耐することに価値があるのはなぜですか。

      20 わたしたちも同じような決意を抱いていれば,誘惑や反対に遭おうと,逆境にさらされようと,どんな状況下でも忠誠を保つことができます。イエスはスミルナの会衆にこう告げました。「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難[難儀,苦難,もしくは虐げ]に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう」。―啓示 2:10。

      21,22 患難を耐え忍んでいる時でも,どんなことを知っていると慰められますか。

      21 サタンの支配するこの体制下では,わたしたちの忍耐と忠誠が試されます。とはいえ,イエスの保証の言葉のとおり,将来に目を向ければ,恐れる理由は何もありません。重要なのは,忠実であることを実証する,ということです。パウロが述べているとおり,「患難はつかの間で軽いものです」が,エホバの約束してくださっている「栄光」つまり報いは『いよいよ重みを増し,永遠に』続きます。(コリント第二 4:17,18)ヨブの忍んだ患難でさえ,ヨブが試練の前と後に享受した長い幸福な年月に比べれば,つかの間のものでした。―ヨブ 42:16。

      22 それでも,わたしたちの生涯中には,試練がいつまでも続くように思え,苦しくて耐え難く感じる時があるかもしれません。次の記事では,ヨブの経験から忍耐に関するさらにどんな教訓を学べるかを考えます。また,他の人が逆境のもとにあるとき,どのように力になれるかについても見てゆきます。

  • 『あなた方はヨブの忍耐について聞きました』
    ものみの塔 2006 | 8月15日
    • 『あなた方はヨブの忍耐について聞きました』

      「あなた方はヨブの忍耐について聞き,エホバがお与えになった結末を見ました。エホバは優しい愛情に富まれ,憐れみ深い方なのです」。―ヤコブ 5:11。

      1,2 ポーランドのある夫婦は,どんな試練に直面しましたか。

      ハラルト・アプトがエホバの証人になって1年もたたないころ,ヒトラーの軍隊がポーランド北部のダンチヒ(現在のグダニスク)を制圧しました。そのため,その地に住んでいた真のクリスチャンたちにとって事態は難しくなり,危険と言えるほどになりました。ゲシュタポは無理やりハラルトに,信仰を捨てるという内容の宣言書に署名させようとしましたが,ハラルトは拒否しました。投獄されて何週間かたった後ハラルトは,ザクセンハウゼン強制収容所へ送られ,何度となく脅迫されたり殴打されたりしました。ある将校は,火葬場の煙突を指さしてハラルトに,「もし信仰を捨てないと,2週間以内にあそこからお前たちのエホバのところへ上っていくことになるぜ」と言いました。

      2 ハラルトが逮捕された時,妻のエルザには,まだ乳を飲ませている生後10か月の女の子がいました。しかしゲシュタポは,エルザを大目には見ませんでした。ほどなくしてエルザは,その子を取り上げられ,アウシュビッツの絶滅収容所へ送られました。それにもかかわらず,ハラルトと同じように,何年にもわたる試練を生き延びることができました。「ものみの塔」誌,1980年7月15日号には,二人がどのように耐え忍んだかについて,さらに詳しく述べられています。ハラルトはこう書きました。「合計すると,私は自分の人生の14年を,神への信仰のため,強制収容所や刑務所で過ごしてきました。『奥さまは,そのすべてを忍耐する上でご自分の助けになりましたか』と尋ねる人がいます。妻は本当に大きな助けでした。妻が信仰において決して妥協しないことは初めから分かっていましたが,このことは私の助けになり,私を支えてくれました。妥協したために自由にされた私のことを聞くよりも,死んで担架の上に横たわる私を見るほうが妻の喜びになることが私には分かっていました。……エルザはドイツの強制収容所での生活で,あまたの患難を忍びました」。

      3,4 (イ)どんな人たちの模範について考えると,クリスチャンは忍耐するよう力づけられますか。(ロ)聖書がわたしたちに,ヨブの経験について調べるよう勧めているのはなぜですか。

      3 多くのエホバの証人が証言できることですが,苦しみを忍ぶのは決して容易なことではありません。ですから,聖書はすべてのクリスチャンに,「苦しみを忍び,辛抱する点で,エホバの名によって語った預言者たちを模範としなさい」と助言しています。(ヤコブ 5:10)幾世紀にもわたって大勢の神の僕たちが,正当な理由もなく迫害されました。この大勢の「雲のような証人たち」が残した模範を考えると,クリスチャンとしての競走を忍耐して走りつづけるよう力づけられます。―ヘブライ 11:32-38; 12:1。

      4 聖書の記録の中でヨブは,忍耐の手本として際立っています。ヤコブはこう書きました。「ご覧なさい,忍耐した人たちは幸福である,とわたしたちは言います。あなた方はヨブの忍耐について聞き,エホバがお与えになった結末を見ました。エホバは優しい愛情に富まれ,憐れみ深い方なのです」。(ヤコブ 5:11)ヨブの経験について調べると,エホバが忠実な人を祝福してどんな報いを与えてくださるかをかいま見ることができます。さらに重要なこととして,逆境のもとにある時のわたしたちに益となる真理をはっきり理解することができます。ヨブ記は,次のような問いに答える助けになります。わたしたちが試練のもとにある時,関係している幾つかの主要な論争点をぜひ理解しようとすべきなのはなぜでしょうか。忍耐するのにどんな特質や態度が助けになるでしょうか。苦しみに遭っている仲間のクリスチャンをどのようにして強めることができるでしょうか。

      全容を把握する

      5 試練や誘惑に直面するときには,どんな主要な論争点を銘記しているべきですか。

      5 逆境に直面しながらも霊的な平衡を保つためには,全容を把握している必要があります。そうしていないと,自分個人の問題のために霊的な視界が曇るかもしれません。特に重要なのは,神への忠節という争点です。天の父はわたしたちに,一人一人が心に銘記できるよう,こう訴えかけておられます。「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」。(箴言 27:11)なんと比類のない特権でしょう。わたしたちは,弱さを持つ不完全な人間でありながら,創造者を歓ばせることができるのです。エホバを愛するゆえに試練や誘惑に耐えるとき,エホバは歓んでくださいます。真のクリスチャンの愛はすべての事を忍耐します。愛は決して絶えません。―コリント第一 13:7,8。

      6 サタンはエホバをどのように嘲弄していますか。それはどの程度にまで及んでいますか。

      6 ヨブ記は,エホバを嘲弄しているのがサタンであることをはっきり示しています。また,目に見えないこの敵が邪悪な者であり,わたしたちと神との関係を破壊したいと思っていることも明らかにしています。ヨブの場合にも見られたように,サタンは基本的にエホバの僕すべてを訴えて利己的な動機で仕えていると言い,神への愛は冷める場合があるということを証明しようとしています。サタンは何千年にもわたって神を嘲弄してきました。サタンが天から追放された時,天からの声がサタンを「わたしたちの兄弟を訴える者」と呼び,『日夜わたしたちの神の前で』そのように訴えていると言いました。(啓示 12:10)わたしたちが忠実に忍耐すれば,サタンの訴えに何の根拠もないことが明らかになります。

      7 身体的な弱さを抱えていても,どうすれば最善の対応ができますか。

      7 覚えておかなければならないことは,悪魔はわたしたちが患難に直面するとその機に乗じてわたしたちをエホバから引き離そうとする,ということです。悪魔はどんな時にイエスを誘惑したでしょうか。イエスが幾日も断食して空腹だった時です。(ルカ 4:1-3)しかしイエスは,霊的に強かったので,悪魔の誘惑をきっぱりはねつけることができました。わたしたちも,病気や老齢などに起因する身体的な弱さを抱えている場合,霊的な強さをもって対応することは重要ではないでしょうか。たとえ「わたしたちの外なる人は衰えてゆこう」とも,あきらめたりはしません。「わたしたちの内なる人は,日々新たにされてゆく」からです。―コリント第二 4:16。

      8 (イ)消極的な感情はどのように有害な影響を及ぼす場合がありますか。(ロ)イエスはどんな精神態度を抱いていましたか。

      8 また,消極的な感情も,霊的な面で害になる場合が少なくありません。例えば,『エホバはなぜこんなことを許されるのだろう』と考えたり,不親切な扱いを受けて,『兄弟なのにどうしてあんなことをするのだろう』と思ったりすることがあるかもしれません。そのような気持ちでいると,主要な論争点を見過ごして自分個人のことばかり考えてしまうでしょう。ヨブは,考え違いをしていた3人の友に対していらだった結果,疾患による身体的な害と同じほどの感情的な害を被ったようです。(ヨブ 16:20; 19:2)わたしたちも,使徒パウロが指摘しているとおり,怒ったままでいると「悪魔にすき[または,機会]を与えて」しまう場合があります。(エフェソス 4:26,27)ですから,他の人にいらだつ気持ちや怒りをぶちまけたり,何らかの不公正な状況のことばかり考えるよりも,クリスチャンとしてイエスに倣い,『義にそって裁くエホバ神に自分をゆだねる』ほうがよいでしょう。(ペテロ第一 2:21-23)イエスと同じ「精神の意向」を抱いていることは,サタンの攻撃に対して強力な防御策となります。―ペテロ第一 4:1。

      9 わたしたちの耐えなければならない重荷や直面する誘惑に関して,神はどんな言葉で安心させてくださっていますか。

      9 とりわけ,何か問題を抱えたとしても,自分は神の不興を被っているのだと思ってはなりません。ヨブは,慰めるために来たはずの友たちから厳しい言葉で責め立てられたとき,そのように誤解して傷つきました。(ヨブ 19:21,22)聖書にはわたしたちを安心させる次のような言葉があります。『悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもありません』。(ヤコブ 1:13)それどころかエホバは,わたしたちがどんな重荷にも耐えられるよう,またどんな誘惑からも逃れられるように助ける,と約束しておられます。(詩編 55:22。コリント第一 10:13)わたしたちは苦難の時に神に近づくことにより,物事を全体との関連で見て,悪魔に首尾よく立ち向かうことができます。―ヤコブ 4:7,8。

      忍耐するための助け

      10,11 (イ)ヨブにとって,忍耐するのに何が助けになりましたか。(ロ)正しい良心を抱いていたことは,ヨブにとってどのように助けになりましたか。

      10 ヨブは,“慰め手”から言葉による虐待を受けていることや,自分に災いが臨んだ本当の理由が分からないことも含め,悲惨な経験をしていましたが,それでも忠誠を保ちました。わたしたちはヨブが示した忍耐からどんなことを学べるでしょうか。疑いもなく,ヨブが忍耐できた根本的な理由は,エホバに対する忠実さにありました。ヨブは「神を恐れ,悪から離れて」いました。(ヨブ 1:1)それがヨブの生き方でした。物事が突然狂ってしまった理由が分からなくても,エホバに背を向けようとはしませんでした。順調な時だけでなく,そうでない時にも神に仕えるべきである,という信念を抱いていたのです。―ヨブ 1:21; 2:10。

      11 正しい良心を抱いていたことも,ヨブにとって慰めとなりました。命が尽きようとしているかに思われた時でも,人を助けるために力を尽くしてきたことや,エホバの義の規準を守ってきたこと,それにどんな形の偽りの崇拝も避けてきたことを自覚し,慰められたのです。―ヨブ 31:4-11,26-28。

      12 ヨブはエリフが差し伸べてくれた助けにどうこたえ応じましたか。

      12 そのヨブにも,確かに,幾つかの点で見方を調整するための助けが必要でした。ヨブはそれを謙遜に受け入れました。これも,首尾よく忍耐するうえで大切なことでした。ヨブはエリフの賢明な助言に敬意を払って耳を傾け,矯正となるエホバの諭しに積極的にこたえ応じました。こう認めています。「私は語りましたが,理解していませんでした。……私は撤回し,塵と灰の中でまさしく悔い改めます」。(ヨブ 42:3,6)ヨブは,なおも疾患に悩まされていたにもかかわらず,自分の考え方がそのように調整されて神に一層引き寄せられたことを歓びました。「私はあなた[エホバ]がすべてのことをなし得ることを知りました」と述べています。(ヨブ 42:2)エホバがご自分の偉大さを具体的に述べてくださったおかげで,ヨブは,創造者との関係における自分の立場を一層はっきりと理解しました。

      13 ヨブにとって憐れみを示すことはどのように益となりましたか。

      13 最後に,ヨブは憐れみという点でも際立った模範を残しています。偽りの慰め手たちから深く傷つけられましたが,それらの者のために祈るようにとエホバから言われたとき,そのとおりにしました。そのあと,エホバはヨブの健康を回復させました。(ヨブ 42:8,10)明らかに,忍耐するうえで,苦々しい気持ちは何の助けにもなりませんが,愛と憐れみは助けになります。憤りを捨てるなら霊的な面でさわやかになり,エホバの祝福を受けることができます。―マルコ 11:25。

      忍耐するよう助けてくれる賢い助言者たち

      14,15 (イ)助言を与える際,どんな態度で接すれば相手をいやせますか。(ロ)エリフが効果的にヨブを助けることができたのはなぜか,説明してください。

      14 ヨブに関する記述からはさらに,賢い助言者の価値についても学べます。そのような助言者は,「苦難のときのために生まれた」兄弟のようです。(箴言 17:17)一方,ヨブの経験からも分かるように,助言の仕方によっては人をいやすのではなく傷つけてしまう場合もあります。良い助言を与えるには,エリフがしたように,相手の身になって考え,敬意を払い,親切にする必要があります。長老をはじめ円熟したクリスチャンは,問題を抱えて意気消沈している兄弟たちの考え方を調整しなければならないかもしれません。その点に関して,ヨブ記から多くのことを学べます。―ガラテア 6:1。ヘブライ 12:12,13。

      15 問題をエリフがどう扱ったかということに,多くの優れた教訓が含まれています。エリフは,ヨブの3人の友の間違った発言にすぐ反応せずに,じっくり耳を傾けました。(ヨブ 32:11。箴言 18:13)エリフはヨブを名前で呼んで,友人として訴えかけました。(ヨブ 33:1)3人の偽りの慰め手たちとは異なり,自分のことをヨブに勝る者とは考えませんでした。「粘土でわたしは形造られた。わたしもまた」と言ったのです。無思慮な言葉でヨブの苦しみを増し加えることなど望みませんでした。(ヨブ 33:6,7。箴言 12:18)ヨブの以前の行ないを批判するのではなく,ヨブの義を褒めました。(ヨブ 33:32)最も重要な点として,エリフは物事を神の観点から見ました。そしてヨブを助けて,エホバが不正を行なうことなど決してないという事実に注目できるようにしました。(ヨブ 34:10-12)また,自分の義を懸命に証明しようとするよりもエホバを待ち望むように励ましました。(ヨブ 35:2; 37:14,23)クリスチャンの長老や他の人たちは,そのような点から確かに益を得られます。

      16 ヨブの3人の偽りの慰め手は,どのようにサタンの手先になりましたか。

      16 エリフの賢明な助言は,エリパズ,ビルダド,ツォファルの有害な言葉とは対照的です。エホバはその3人に,「あなた方(は)わたしに関して……真実なことを語らなかった」とお告げになりました。(ヨブ 42:7)その3人は,たとえ自分は善意で語ったと主張したとしても,忠実な友ではなくサタンの手先となっていました。3人とも初めから,ヨブが災いを被ったのはヨブ自身のせいだ,と決めつけていました。(ヨブ 4:7,8; 8:6; 20:22,29)エリパズによれば,神はご自分の僕たちを全く信頼しておらず,神にとっては人が義にかなっているかどうかなど重要ではないのです。(ヨブ 15:15; 22:2,3)エリパズは,ヨブの犯さなかったとがを挙げてまでヨブを責め立てました。(ヨブ 22:5,9)一方エリフは,ヨブを霊的な面で実際に助けました。愛をもって助言を与える人は常にそれを目指します。

      17 試練のもとに置かれるときには,どんなことを銘記しているべきですか。

      17 ヨブ記からは,忍耐についての教訓をもう一つ得ることができます。愛ある神は,わたしたちの状況を見守っておられ,わたしたちを助けようという意志と様々な方法で助ける能力の両方を持っておられます。先ほどエルザ・アプトの経験に注目しましたが,エルザが結びに述べた次の言葉について考えてみてください。「逮捕される前,私はある姉妹の手紙を読みました。そこには,厳しい試練の下にある人はエホバの霊によって全く冷静でいられると書かれていました。私はその姉妹が幾分誇張して書いているに違いないと考えていました。しかし,自分で試練を経験して,その姉妹の言葉が真実であることを知りました。まさにそのとおりなのです。経験した人でなければなかなか分からないことです。でも,それが私の身に実際に起きたのです。エホバは助けを与えてくださいます」。エルザは,何千年も昔のヨブの時代にエホバが行なえたことや行なったことについて語っていたのではありません。今の時代のことを述べていたのです。そうです,「エホバは助けを与えてくださいます」。

      忍耐する人は幸福

      18 ヨブは忍耐したことからどんな益を受けましたか。

      18 わたしたちのうち,ヨブほどの厳しい患難に直面しなければならない人はまずいないでしょう。しかし,この事物の体制下でどんな試練に遭おうと,わたしたちにはヨブの場合と同じように,忠誠を保つべき十分の理由があります。事実,ヨブの人生は,忍耐したゆえに豊かなものになりました。ヨブは全く整えられ,完全な者となりました。(ヤコブ 1:2-4)また,神との関係は強まりました。確信をこめてこう述べています。「私はあなたのことをうわさで聞いていましたが,今は,私のこの目があなたを確かに見ております」。(ヨブ 42:5)サタンは,ヨブの忠誠を打ち砕けなかったので,偽り者であることが明らかになりました。それから何百年もたってからでさえエホバは,ご自分の僕ヨブのことを義の模範として述べられました。(エゼキエル 14:14)ヨブの忠誠と忍耐についての記録は,今日でも神の民の心を動かすものとなっています。

      19 なぜあなたは,忍耐することには価値があると思いますか。

      19 ヤコブは1世紀のクリスチャンにあてた手紙の中で忍耐について書いた時,忍耐する人は満ち足りた気持ちを味わえると述べました。そしてヨブの例を挙げて,エホバがご自分の忠実な僕たちに豊かな報いをお与えになることを思い起こさせています。(ヤコブ 5:11)ヨブ 42章12節には,「エホバは後に,ヨブの終わりをその始めよりも祝福された」とあります。神はヨブに,失ったものの2倍をお与えになり,ヨブは長生きして幸福な人生を送りました。(ヨブ 42:16,17)同様に,わたしたちがこの事物の体制の終わりの期間中にどんな痛みや苦しみを耐え忍ぶとしても,神の新しい世になればそれらはすべてぬぐい去られ,忘れ去られます。(イザヤ 65:17。啓示 21:4)わたしたちはヨブの忍耐について聞いており,エホバの助けを得てヨブの模範に倣うよう決意しています。聖書はこう約束しています。「試練に耐えてゆく人は幸いです。なぜなら,その人は是認されるとき,エホバがご自分を愛し続ける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受けるからです」。―ヤコブ 1:12。

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