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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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隠された帝国にいたもう一人の開拓者
それとだいたい同じころ,もう一人の勇敢な開拓者クリコール・ハツァコルツィアンは,霊的な啓発を母国語のアルメニア語だけでなく,ギリシャ語やフランス語でも広めるためにエチオピアに入りました。それはいろいろな点で異なった国に入って行くという冒険でした。
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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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こうした中,1935年に,ハツァコルツィアン兄弟は開拓者のパートナーがいなかったにもかかわらず,エホバに全幅の信頼を置いていました。その活動を伝える手紙の以下の抜粋は,「ものみの塔」誌,1935年11月1日号(英文)に掲載され,兄弟が直面していた状況についてわたしたちに教えてくれます。
「私は義のために迫害されることを少しも不思議には思いません。さらに迫害が続くと思います。……万軍のエホバは過去において私を助けてくださいましたし,将来もそうしてくださるでしょう。
「ある日の正午ごろ,私は奉仕を終えて家に戻るところでした。サタンの代理人が物陰から突然出てきて,大きな棒で私の頭を二度殴りました。その男は私をひどく殴ったため,その棒は折れてしまいました。しかし主の助けにより,また近所の人も驚いたことに,私のけがはたいしたことはありませんでした。二日寝込んだだけでした。別のときには,敵の中の主立った者たちがナイフを手にして私を襲ってきました。しかし,ちょうど彼らが私を刺そうとしたその時,何か不思議な力の影響で彼らはナイフを投げ捨て,私を残して逃げて行きました。
「しかし迫害は続いています。今回彼らは私に関する偽りの申し立てをし,皇帝の前に立たせるために私を首都(アディスアベバ)に送りました。首都での滞在中(4か月),私はいろいろな場所に出かけて行っては,家から家に,またホテルや喫茶店でも証言を行ないました。最後に私は皇帝の前に連れて行かれました。皇帝は私の言い分を聞いてくださり,どこにも罪が見いだされなかったので私を自由にし,家に帰るようにと命じてくださいました。この勝利に対して主がほめたたえられますように!」
この国の人々は恐れと当惑を感じつつ暮らしていますが,私は主にあって歓びます。全能のエホバが皆さんを豊かに祝福してくださり,与えてくださった業を成し遂げることができるように強めてくださいますように。
キリストによって結ばれたあなたの兄弟,
K・ハツァコルツィアン」。
第二次世界大戦の動乱の時期,ハツァコルツィアン兄弟からの音信は途絶えてしまいましたが,1950年代の初め,ギレアデで訓練を受けた宣教者たちがアディスアベバに到着した時,「あなたたちと同じようなことを話す」男性がディレダワにいるといううわさを耳にしました。ヘイウッド・ウォードはこの東部の町に行き,英語の話せない一人の老人を見つけました。宣教者が自己紹介をすると,この老人はどっと泣きだし,天を見上げて,アルメニア語でエホバのお名前を含む言葉をつぶやきました。その人はハツァコルツィアン兄弟だったのです。兄弟はこの日をどれほど待ちわびていたことでしょう。うれしさのあまり涙を流しながら兄弟はウォード兄弟を抱き締めました。それから兄弟は古びた箱を誇らしげに引っ張り出して,使い古した「ものみの塔」誌や書籍を見せ,その間じゅうウォード兄弟には理解できない言語でうれしそうに話していました。
ウォード兄弟はこの兄弟に会えたことをとても喜び,もう一度訪問しようと思いました。しかしそれは実現しませんでした。他の宣教者たちが会いに行ったとき,人々は嘆き悲しんでいました。ハツァコルツィアン兄弟は亡くなったのです。
宣教者たちにとってハツァコルツィアン兄弟は「メルキゼデク」のような存在でした。(ヘブライ 7:1-3)答えの見つからない疑問が数多くありました。彼はだれなのでしょう。どこから来たのでしょうか。どこで真理を学んだのでしょうか。第二次世界大戦の騒然とした期間に彼の身にどんなことが起きたのでしょうか。いずれにせよ,ハツァコルツィアン兄弟はエチオピアに入った初期の勇敢な開拓者でした。
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