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フィリポはエチオピアの役人にバプテスマを施すものみの塔 1996 | 7月15日
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「わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか」
エチオピア人はフィリポに,「お願いします,預言者はだれについてこう言っているのでしょうか。自分自身についてですか,それともだれかほかの人についてですか」と尋ねました。(使徒 8:34)このエチオピア人がはっきり理解できなかったのも無理のないことでした。イザヤの預言に登場する「羊」や「僕」の実体は,長年の秘義だったからです。(イザヤ 53:11)フィリポが「イエスについての良いたより」をエチオピア人に告げ知らせたとき,この秘義はどんなにか明快になったことでしょう。少したって,エチオピア人はこう言います。「ご覧なさい,水があります。わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか」。それで,フィリポはすぐその場で彼にバプテスマを施しました。―使徒 8:35-38。
これは,早まった行動だったでしょうか。決してそうではありませんでした。このエチオピア人はユダヤ教への改宗者でした。b ですから,彼はすでにエホバの崇拝者であり,メシアに関する預言も含め,聖書の知識を持っていました。しかし,彼の知識は完全なものではありませんでした。今やイエス・キリストの役割に関するこの重要な情報を得たエチオピア人は,神が自分に何を求めておられるかを理解し,それに応じる心構えができていたのです。バプテスマを受けるのはふさわしいことでした。―マタイ 28:18-20。ペテロ第一 3:21。
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フィリポはエチオピアの役人にバプテスマを施すものみの塔 1996 | 7月15日
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もちろん,新しい人たちは急いでバプテスマを受けるべきではありません。まず最初に,エホバ神とみ子イエス・キリストに関する正確な知識を得る必要があります。(ヨハネ 17:3)次いで,悔い改めねばなりません。悪い行ないをやめ,神の規準に従うために身を転じます。(使徒 3:19)それには時間がかかります。間違った考えや行ないが深く染みついている場合は特にそうです。新しい人たちは,キリストの弟子になることに伴う犠牲を考えに入れるべきですが,エホバ神に献身した関係に入ることから得られる祝福は大きいのです。(ルカ 9:23; 14:25-33と比較してください。)エホバの証人は,神がご意志を成し遂げるために用いておられる組織にそうした新しい人々を熱心に導いています。(マタイ 24:45-47)前述のエチオピア人と同様,これらの新しい人々は,神が自分たちに求めておられる事柄について学び,それに従うことに喜びを見いだします。
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