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あなたの家族は神を第一にしていますかものみの塔 1995 | 10月1日
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あなたの家族は神を第一にしていますか
『あなたは,心をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』― マルコ 12:29,30。
1 わたしたちがエホバを愛するのはどれほど重要なことですか。
「すべてのうちどのおきてが第一ですか」。ある書士はイエスにそう尋ねました。その質問に対し,イエスは自分の個人的な意見を述べるよりもむしろ,申命記 6章4,5節の神の言葉を引用してお答えになりました。こう返答しておられます。「第一は,『聞け,イスラエルよ,わたしたちの神エホバはただひとりのエホバであり,あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』」。―マルコ 12:28-30。
2 (イ)イエスはどんな反対に直面しなければなりませんでしたか。(ロ)エホバを喜ばせることは,時にはどんなことのために難しくなる場合がありますか。
2 わたしたちは,イエスの言われた第一のおきて,つまり一番重要なおきてに従うには,常に,エホバの喜ばれることを行なわなければなりません。イエスはそうされました。ご自分の進む道に関して,ある時には使徒ペテロから異議を唱えられ,またある時には親族からも苦情を言われましたが,常に,エホバの喜ばれることを行なわれました。(マタイ 16:21-23。マルコ 3:21。ヨハネ 8:29)あなたは,もしそれと似たような状況に置かれたら,どうされますか。例えば,家族から聖書の勉強やエホバの証人との交わりはやめてほしいと言われたらどうでしょう。神の喜ばれることを行なうことによって神を第一にしますか。神に仕えようとして家族から反対されるときでも,神を第一にしていますか。
家族の反対というわな
3 (イ)イエスの教えによって家族にはどんな事態が生じるかもしれませんか。(ロ)家族の一員として,自分がだれに対してより深い愛情を抱いているかを,どのように示せますか。
3 イエスは,ご自分の教えを受け入れる人が家族から反対されるときに経験するかもしれない苦難について,控えめな言い方はされませんでした。「人の敵は自分の家の者たちでしょう」と,イエスは言われたのです。しかし,そうした悲しい事態になっても,イエスは,だれを第一にすべきかを示してこう言われました。「わたしに対するより父や母に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません。また,わたしに対するより息子や娘に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません」。(マタイ 10:34-37)わたしたちは,神のみ子,イエス・キリスト,すなわち「[神]の存在そのものの厳密な描出」である方の教えに従うことにより,エホバ神を第一にします。―ヘブライ 1:3。ヨハネ 14:9。
4 (イ)イエスは,ご自分の追随者になることには何が関係していると言われましたか。(ロ)クリスチャンは,どういう意味で家族の者を憎まなければなりませんか。
4 また,ある時イエスは,ご自分の真の追随者になることには実際に何が関係しているかについて話し,こう言われました。「わたしのもとに来て,自分の父,母,妻,子供,兄弟,姉妹,さらには,自分の魂をさえ憎まないなら,その人はわたしの弟子になることはできません」。(ルカ 14:26)イエスは人々に敵をも愛するようにと命じたのですから,追随者が家族の者を文字どおり憎むべきだという意味で言われたのでないことは明らかです。(マタイ 5:44)むしろ,ここでイエスが言わんとしておられたのは,ご自分の追随者は家族の者を,神を愛するより少なく愛さなければならないということです。(マタイ 6:24と比較してください。)この理解と一致して,聖書は,ヤコブがレアを『うとんで』ラケルを愛した,と述べています。これは,ヤコブがレアの妹ラケルを愛するほどにはレアを愛さなかったという意味です。(創世記 29:30-32)イエスは,わたしたちが自分の魂すなわち命をさえ憎む,つまりエホバより少なく愛するべきである,と言われたのです。
5 サタンはこうかつにも,どのように家族の取り決めを利用しますか。
5 創造者であり命の与え主であられるエホバは,ご自分の僕たちすべてから一意専心の対象とされるべき方です。(啓示 4:11)使徒パウロは,「わたしは父に対し,すなわち,天と地のあらゆる家族がその名を負う方に対してひざをかがめます」と書いています。(エフェソス 3:14,15)エホバは家族という取り決めを,その成員が互いに自然の情愛を抱くようなすばらしいものとして創始されました。(列王第一 3:25,26。テサロニケ第一 2:7)しかし,悪魔サタンはこうかつにも,愛する者を喜ばせたいという欲求を含む,家族の持つこの自然の情愛を利用します。サタンが家族の反対という炎をあおると,多くの人は,その中で聖書の真理を擁護してしっかり立つのが容易ではないことに気づきます。―啓示 12:9,12。
その難しい問題に立ち向かう
6,7 (イ)どうすれば聖書研究やクリスチャンの交わりの重要性を認識するよう家族の者を助けることができますか。(ロ)わたしたちはどうすれば,家族を本当に愛していることを実証できますか。
6 あなたは,神を喜ばせるか家族の者を喜ばせるかの二者択一を迫られたとしたら,どうしますか。もしわたしが神の言葉を勉強してその種々の原則を当てはめることが原因で家族内にあつれきが生じるのであれば,わたしがそうすることを神は望まれない,と自分に言い聞かせますか。しかし,考えてみてください。もしあなたが屈して,聖書研究やエホバの証人との交わりをやめてしまうなら,あなたの愛する人たちは,聖書の正確な知識を得るか得ないかで生死が分かたれるということを,どうして理解できるでしょうか。―ヨハネ 17:3。テサロニケ第二 1:6-8。
7 わたしたちはこうした状況を,次のような例えで説明できるかもしれません。家族内のだれかがアルコール飲料に対する過度の渇望を抱いているとしましょう。そのアルコール依存症を無視したり大目に見たりすることは当人のためになるでしょうか。当人のしたいようにさせ,その依存症に関して何もしないで平和を保つほうが良いでしょうか。いいえ,あなたは多分,たとえ当人の憤りや脅しに立ち向かわねばならないとしても,アルコール依存症を克服できるよう助ける努力をするのが最善であることに同意されるでしょう。(箴言 29:25)同様にあなたも,もし家族を本当に愛しているなら,聖書の勉強をやめさせようとする彼らの努力に屈伏してしまうことはないでしょう。(使徒 5:29)しっかりと立って初めて,キリストの教えに従って生きることはまさに命を意味するという点を認識するよう,家族を助けることができるのです。
8 わたしたちは,イエスが忠実に神のご意志を行なわれたことから,どのような益を受けていますか。
8 神を第一にすることは,時には非常に難しい場合もあるかもしれません。しかし,忘れないでください。サタンはイエスが神のご意志を行なうことをも難しくしたのです。それでもイエスは,決してあきらめませんでした。わたしたちのために苦しみの杭の苦悶をさえ耐え忍んでくださいました。『イエス・キリストはわたしたちの救い主である』と,聖書は述べています。『キリストはわたしたちのために死んでくださった』のです。(テトス 3:6。テサロニケ第一 5:10)わたしたちはイエスが反対に屈しなかったことを感謝しているのではないでしょうか。イエスが犠牲としての死を甘受されたからこそ,わたしたちには,イエスの流された血に信仰を働かせることにより,義にかなった平和な新しい世での永遠の命の見込みがあるのです。―ヨハネ 3:16,36。啓示 21:3,4。
受けるかもしれない豊かな報い
9 (イ)クリスチャンはどうすれば,他の人たちを救う業の一端にあずかれますか。(ロ)テモテの家族はどんな状況にありましたか。
9 あなたは,深く愛する親族をはじめ他の人たちを救う業の一端に自分もあずかれる,ということをはっきり理解していますか。使徒パウロはテモテに,こう勧めました。「[あなたが教えられた]これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは,自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになるのです」。(テモテ第一 4:16)テモテは父親がギリシャ人で不信者でしたから,分かたれた家庭で生活していました。(使徒 16:1。テモテ第二 1:5; 3:14)テモテの父親が信者になったかどうかは分かりませんが,信者になる可能性は,妻ユニケとテモテの忠実な行状によって相当大きなものになっていました。
10 クリスチャンは未信者の配偶者のために何を行なえますか。
10 夫にせよ妻にせよ聖書の真理を確固たる態度で擁護する人は,クリスチャンではない配偶者を信者となるよう助けて当人の救いに貢献できることを聖書は明らかにしています。使徒パウロはこう書きました。「ある兄弟に信者でない妻がいて,彼女が夫と共に住むことを快く思っているなら,その人は妻を去ってはなりません。また,信者でない夫のいる女は,彼が妻と共に住むことを快く思っているなら,彼女は夫を去ってはなりません。というのは,妻よ,あなたは夫を救えないとどうして分かるのですか。また,夫よ,あなたは妻を救えないとどうして分かるのですか」。(コリント第一 7:12,13,16)使徒ペテロは妻が事実上どのように夫を救うことができるかを述べ,強くこう勧めました。「自分の夫に服しなさい。それは,み言葉に従順でない者がいるとしても,言葉によらず,妻の行状によって……引き寄せられるためです」― ペテロ第一 3:1,2。
11,12 (イ)大勢のクリスチャンはどんな報いを受けていますか。それらの人は,その報いを受けるために何をしましたか。(ロ)家族内での忠実な忍耐が報われた一人の人の経験を話してください。
11 近年,非常に大勢の人が,エホバの証人である親族のクリスチャンとしての活動に何か月も,あるいは何年も反対した後にエホバの証人になりました。これは,確固とした態度を保ったクリスチャンにとって何という報いでしょう。また,かつて迫害者であった人たちにとって何という祝福でしょう。74歳になるあるクリスチャンの長老はしみじみと,「よく家内と子供たちには,私が反対していた年月の間にも真理に堅く付いていてくれたことを感謝するんです」と語りました。その話によると,3年間というものはかたくなに,妻が聖書のことを自分に話すのを許そうともしませんでした。この長老はこう言っています。「ところが家内は,私に心理作戦をかけ,私の足をさすりながら証言するようになりました。私は家内が反対に屈しなかったことを本当に感謝しています」。
12 家族に反対していた別の夫は,こう書いています。『私は妻の最大の敵でした。なぜなら,妻が真理を知ってからというもの,私は妻を脅しつけ,私たちは毎日口論したからです。つまり,いつも私がけんかを仕掛けたのです。しかし,何をしても無駄でした。妻は聖書に堅く付いていました。こうして真理に対する,また妻と子供に対する私の狂気じみた戦いの12年が経過しました。妻と子供の二人にとって,私は悪魔の化身でした』。やがて,この人は自分の生き方を分析するようになりました。こう説明しています。『私は自分がどれほど意地の悪い人間であったかを悟りました。そして,聖書を読みました。その教えのおかげで,いま私はバプテスマを受けた証人となっています』。妻の受けた大きな報いのことを考えてみてください。そうです,12年に及ぶ反対を忠実に耐え忍ぶことによって『夫を救う』助けになったのです。
イエスから学ぶ
13 (イ)夫や妻がイエスの生涯の歩みから学ぶべき主要な教訓とは何ですか。(ロ)神のご意志に服することを難しく感じている人は,どうすればイエスの模範から益を受けられますか。
13 夫や妻がイエスの生涯の歩みから学ぶべき主要な点は,神への従順に関する教訓です。イエスはこう言われました。『わたしは常に,その方の喜ばれることを行なっています』。『わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を求めています』。(ヨハネ 5:30; 8:29)イエスは,神の意志の特定の面が自分にとって好ましく思えなかった時でさえ従順でした。「父よ,もしあなたの望まれることでしたら,この杯をわたしから取り除いてください」と祈りましたが,そのあとすぐに,「しかしやはり,わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」と言われたのです。(ルカ 22:42)イエスは神にご意志を変更してくださるよう願うことはされませんでした。自分に対する神の意志が何であれ,その意志に従順に服することにより,神を本当に愛していることを示されました。(ヨハネ第一 5:3)イエスのように神のご意志を常に第一にすることは,独身生活だけでなく結婚生活や家族生活においても,成功を収めるうえで極めて重要です。なぜそう言えるのか,考えてみましょう。
14 一部のクリスチャンは,不適切にもどのように推論しますか。
14 すでに見たように,信者は神を第一にするとき,未信者の配偶者と別れないでいるように努めるので,しばしば配偶者を救いにあずかるよう助けることができます。たとえ夫婦共に信者であっても,その結婚生活が理想的とはとても言えないこともあります。夫も妻も,罪深い傾向のゆえに,互いに対していつも愛のこもった気遣いを示すとは限りません。(ローマ 7:19,20。コリント第一 7:28)中には,離婚する聖書的な根拠が全くないにもかかわらず,別の配偶者を得ようとするまでになってしまう人もいます。(マタイ 19:9。ヘブライ 13:4)そういう人たちは,二人にとってそれが最善であり,ずっと一緒に暮らすという夫婦に対する神のご意志に従うことは難しすぎる,と推論します。(マラキ 2:16。マタイ 19:5,6)これも確かに,神の見解よりも人間の見解を取っている例の一つです。
15 神を第一にすることはなぜ身の守りですか。
15 神を第一にすることは,本当に身の守りになります。神を第一にする夫婦は,努めて協力し合うようにし,問題が起きても神の言葉の助言を当てはめて解決します。そのようにして,神のご意志を無視した場合に生じるあらゆる心痛を避けるのです。(詩編 19:7-11)この点は,ある若い夫婦の例からもよく分かります。二人は離婚寸前の状態だった時,聖書の助言に従うことを決意しました。何年も後に妻は,結婚生活の中で味わっている喜びに思いを巡らして,こう述べました。「この年になるまでずっと夫と別居していたかもしれないと思うと,もう居たたまれなくなって泣いてしまいます。そして,エホバ神に祈り,感謝するんです。自分たちがこんな幸せな関係になれたのも,神の助言と導きがあったおかげなんですもの」。
夫の皆さん,妻の皆さん ― キリストに見倣いましょう
16 イエスは夫婦双方の見倣うべきどんな模範を残されましたか。
16 神を常に第一にしたイエスは,夫婦双方の見倣うべきすばらしい模範を残されました。ですから,夫婦がイエスの模範に細心の注意を払うのは良いことです。夫は,イエスがクリスチャン会衆の成員に対して優しく頭の権を行使する仕方に見倣うよう強く勧められています。(エフェソス 5:23)そしてクリスチャンである妻も,神に服する点でのイエスの完ぺきな模範から学ぶことができます。―コリント第一 11:3。
17,18 イエスはどんな点で夫の見倣うべき立派な模範を残されましたか。
17 聖書はこう命じています。「夫たちよ,妻を愛し続けなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡されたのと同じようにです」。(エフェソス 5:25)イエスは追随者たちから成るご自分の会衆に愛を示す一つの重要な方法として,彼らの親しい友になられました。「わたしはあなた方を友と呼びました。自分の父から聞いた事柄をみなあなた方に知らせたからです」と,イエスは言われました。(ヨハネ 15:15)イエスが弟子たちと語り合うのに費やした時間のことを考えてみてください。イエスは非常に多くの機会に彼らと話をされたのです。また,彼らに対するイエスの信頼のほどについても考えてみてください。これは夫の見倣うべき優れた模範ではないでしょうか。
18 イエスは弟子たちに真の関心を持ち,偽りのない愛情を抱いておられました。(ヨハネ 13:1)ご自分の教えが弟子たちにとって理解しにくかった時には,自分たちだけになった時に辛抱強く時間をかけて色々な事を分かりやすく説明されました。(マタイ 13:36-43)夫の皆さん,あなたにとっても妻の霊的な福祉は同じように重要なことですか。妻と一緒に時間を過ごし,確実に二人が共に聖書の真理を思いと心に銘記するようにしておられますか。イエスは使徒たちを伴って宣教に携わりました。恐らく,一人一人を個人的に訓練されたことでしょう。あなたは妻を伴って宣教に携わり,家から家の訪問や聖書研究の司会を行なっておられますか。
19 イエスが使徒たちの繰り返し表わす弱さに対処された仕方は,どのように夫の模範となっていますか。
19 イエスは,特に使徒たちの不完全さに対処した際に,夫の見倣うべき非常に優れた模範を残されました。イエスは使徒たちと最後の食事をしていた時,繰り返し表われる対抗心に気づきました。イエスは彼らを厳しく批判されたでしょうか。いいえ,へりくだって一人一人の足を洗われたのです。(マルコ 9:33-37; 10:35-45。ヨハネ 13:2-17)あなたは妻に対してそのような辛抱を示しておられますか。繰り返し表われる弱さのことで不平を言うよりもむしろ,辛抱強く妻を助け,自分の手本によって妻の心を動かすよう努力していますか。使徒たちもやがてこたえ応じたように,妻は恐らく,そのような愛ある同情心にこたえ応じることでしょう。
20 クリスチャンである妻は,どんなことを決して忘れるべきではありませんか。妻の見倣うべき模範となっているのはだれですか。
20 妻も,イエスのことを考える必要があります。イエスは,『キリストの頭は神である』ことを決して忘れなかったからです。常に天の父に服しておられました。同様に妻も,『女の頭は男である』こと,そうです,夫が自分の頭であることを忘れるべきではありません。(コリント第一 11:3。エフェソス 5:23)使徒ペテロはクリスチャンの妻たちに,昔の「聖なる女たち」の模範,特に「アブラハムを『主』と呼んでこれに従っていた」サラの模範を考えるよう強く勧めました。―ペテロ第一 3:5,6。
21 アブラハムとサラの結婚生活が成功し,ロトとその妻の結婚生活が失敗したのはなぜですか。
21 サラは,繁栄していた都市にある住み心地のよい家で生活していたものと思われますが,それを後にして異国の地で天幕生活をしました。なぜでしょうか。そのような生活様式が好きだったのでしょうか。そうは考えられません。夫から一緒に行ってくれるようにと頼まれたのでしょうか。多分,それが一つの要因となったことでしょう。サラはアブラハムの敬虔な特質のゆえに彼を愛し,尊敬していたからです。(創世記 18:12)とはいえ,夫に付いて行ったおもな理由は,サラがエホバを愛しており,神の指示に従いたいと心から願っていたことにあります。(創世記 12:1)サラにとって神に従順に従うことは喜びでした。これに反し,ロトの妻は,神のご意志を行なうことをためらい,そのため住み慣れたソドムに残して来た物を未練がましく振り返りました。(創世記 19:15,25,26。ルカ 17:32)その結婚生活はなんという悲惨な終わりを迎えたのでしょう。そうなったのは,ロトの妻が神に不従順だったからなのです。
22 (イ)家族内の各人がどんな自己吟味をするのは賢明なことですか。(ロ)次の研究ではどんなことが取り上げられますか。
22 ですから,夫として,また妻として,こう自問してみるのは肝要なことです。『我が家では神が第一になっているだろうか。わたしは神が与えてくださった家族内での自分の役割を本当に果たそうと努めているだろうか。わたしは配偶者を愛するよう誠実な努力をし,相手がエホバとの良い関係を築くよう,また維持するよう助けているだろうか』。ほとんどの家族には子供たちもいます。わたしたちは次に,親の役割と,親子が共に神を第一にすることの必要性について取り上げます。
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親の皆さん,子供の皆さん,神を第一にしましょうものみの塔 1995 | 10月1日
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親の皆さん,子供の皆さん,神を第一にしましょう
「まことの神を恐れ,そのおきてを守れ」― 伝道の書 12:13。
1 親も子供もどんな恐れを培う必要がありますか。そのような恐れは親子に何をもたらしますか。
イエス・キリストに関する一つの預言は,「エホバへの恐れに彼の楽しみがあるであろう」と述べていました。(イザヤ 11:3)イエスの抱いた恐れとは,本質的に,神に対する深い崇敬,また畏敬の念,つまり神を愛するがゆえに神の不興を買うようなことはしたくないという気持ちでした。親も子供も,そういうキリストの抱いたような神への恐れを培う必要があります。そのような恐れは,イエスの場合と同様に,親子に楽しみをもたらします。親も子も,神のおきてに従うことにより,自分たちの生活の中で神を第一にしなければなりません。ある聖書筆者によれば,「それが人の務めのすべて」なのです。―伝道の書 12:13。
2 律法で一番重要なのは,どんなおきてでしたか。そのおきては,おもにだれに対して与えられましたか。
2 律法の一番重要なおきて,すなわち,『心,魂,活力をつくしてエホバを愛する』べきであるというおきては,おもに親に対して与えられました。このことは,律法のその続きの,「あなたは[エホバを愛することについてのその言葉]を自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」という言葉から分かります。(申命記 6:4-7。マルコ 12:28-30)このように親は,自ら神を愛することにより,また子供にも神を愛するよう教えることによって神を第一にするよう,命じられていました。
クリスチャンの責任
3 イエスは子供たちへの気遣いの大切さを,どのように行動で示されましたか。
3 イエスは,幼子にさえ気を配ることの大切さを行動で示されました。地上での宣教も終わりに近づいていたある時,人々が次々にイエスのもとに幼児たちを連れて来ました。弟子たちは,多忙なイエスを煩わせるべきではないと考えたのでしょう,人々をとどめようとしました。ところが,イエスは弟子たちをたしなめ,「幼子たちをわたしのところに来させなさい。止めようとしてはなりません」と言われました。イエスは「子供たちを自分の両腕に抱き寄せ(る)」ことさえして,子供への気遣いの大切さを感動的な仕方で示されました。―ルカ 18:15-17。マルコ 10:13-16。
4 『すべての国の人々を弟子にしなさい』という命令は,だれに対して与えられましたか。それらの人は何をすることが求められますか。
4 イエスはまた,ご自分の追随者たちには自分の子供だけでなく他の人々をも教える責任があることをはっきり示されました。イエスは死と復活の後,「一度に五百人以上の兄弟に現われました」。その中には,親の立場にある人たちもいました。(コリント第一 15:6)この出来事は,11人の使徒たちも集まっていたガリラヤの山で起きたようです。その所でイエスは彼ら全員に,「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,……わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」と勧めました。(マタイ 28:16-20)当然のことですが,クリスチャンであればこの命令を無視することはできません。父親また母親の立場にある人がこれを行なうためには,自分の子供たちを世話すると共に,公の宣べ伝えて教える業に参加することが求められます。
5 (イ)使徒たち全員ではないにしても,そのほとんどが妻帯者であったこと,またそれゆえに子供がいたかもしれないことは,どんな点から分かりますか。(ロ)家族の頭は,どんな助言を真剣に受け止める必要がありましたか。
5 考えてみれば,使徒たちでさえ,自分の家族を顧みる責任と,宣べ伝えると共に神の羊の群れを牧する責務とをバランスよく果たさなければなりませんでした。(ヨハネ 21:1-3,15-17。使徒 1:8)それは,使徒たち全員ではないにしても,そのほとんどが妻帯者だったからです。使徒パウロが,「わたしたちには,ほかの使徒や主の兄弟たち,またケファと同じように,姉妹を妻として連れて歩く権限があるのではありませんか」と釈明したのはそのためです。(コリント第一 9:5。マタイ 8:14)使徒たちの中には,子供のいる人もいたかもしれません。エウセビオスなど初期の歴史家たちは,ペテロには子供がいたと述べています。初期クリスチャンで親の立場にあった人は皆,「当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです」という聖書の助言に留意する必要がありました。―テモテ第一 5:8。
主要な責任
6 (イ)家族を持つクリスチャンの長老たちには,取り組むべきどんな課題がありますか。(ロ)長老の主要な責任は何ですか。
6 今日クリスチャンの長老で家族を持っている人たちは,使徒たちの場合と同じような状況にあります。そのような長老たちは,自分の家族の霊的また身体的な必要を顧みる責任と,公に宣べ伝え,神の羊の群れを牧する責務とをバランスよく果たさなければなりません。どの活動を優先すべきでしょうか。「ものみの塔」誌,1964年7月1日号には,このような一文があります。『父親の第一の責務は家族に対するものであり,もしこの責務を果たさないとすれば,実際,会衆にふさわしく仕えることはできません』。
7 クリスチャンである父親はどのように神を第一にしますか。
7 ですから,父親の立場にある人は,『子供をエホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい』という命令に留意することによって神を第一にしなければなりません。(エフェソス 6:4)その責任は,たとえ父親がクリスチャン会衆内の様々な活動を監督する務めを割り当てられているとしても,ほかのだれかにゆだねることのできるものではありません。そのような父親はどうすれば,家族に身体的,霊的,感情的な面で必要なものを与えるという責任を果たすと同時に,会衆内で主宰や監督の任に当たることができるでしょうか。
必要な支えとなる
8 長老の妻は,どうすれば夫の支えになれますか。
8 家族の責任を持つ長老たちは,支えが得られれば助けになることは明らかです。先ほど引用した「ものみの塔」誌には,クリスチャンである妻が夫の支えになれるという点も指摘されていました。こう述べています。『妻は,夫が自分のいろいろな割り当ての準備をするうえで,できるだけ都合のいいようにすることができ,また家庭内の物事の良い予定を立て,時間どおりに食事を準備し,会衆の集会にすぐに出かけられるようにして,夫のためにも自分自身のためにも貴重な時間を節約することができます。……クリスチャンの妻は夫の指示を仰ぎながら,子供がエホバを喜ばせるために行くべき道を進むよう,子供の養育の面で多くのことを行なえます』。(箴言 22:6)そうです,妻は「助け手」となるために創造されたのです。ですから,賢明な夫は妻の差し伸べる援助を喜んで受け入れるでしょう。(創世記 2:18)妻の支えがあれば,夫は家族の責任と会衆の責任の両方をより効果的に果たすことができます。
9 テサロニケ会衆のだれが,会衆内の他の人たちを助けるよう励まされましたか。
9 しかし,『神の羊の群れを牧する』と共に自分の家族を顧みなければならない監督を支える活動にあずかれるのは,クリスチャンの長老の妻だけではありません。(ペテロ第一 5:2)ほかにだれがあずかれるでしょうか。使徒パウロはテサロニケの兄弟たちに,彼らの間で『主宰の任に当たっている』人たちを重んじるよう勧めました。しかし,パウロはさらにその同じ兄弟たち ― 特に主宰の任に就いていない人たち ― に対して話しかけ,「兄弟たち,またあなた方に勧めます。無秩序な者を訓戒し,憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ,弱い者を支え,すべての人に対して辛抱強くありなさい」と書いています。―テサロニケ第一 5:12-14。
10 兄弟たち全員が愛ある助けを差し伸べるとき,それは会衆にどんなすばらしい結果をもたらしますか。
10 会衆内の兄弟たちが,憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ,弱い者を支え,無秩序な者を訓戒し,すべての人に対して辛抱強くあるよう自分を動かす愛を抱いているなら,それは何とすばらしいことでしょう。大きな患難に遭いながら聖書の真理を受け入れたばかりであったテサロニケの兄弟たちは,そうするようにというパウロの助言を当てはめました。(使徒 17:1-9。テサロニケ第一 1:6; 2:14; 5:11)彼らの愛ある協力によって会衆全体が一致団結するという,すばらしい結果について考えてみてください。同様に,今日でも兄弟たちが互いに慰め,支え,訓戒し合うとき,顧みるべき家族を持っている場合の多い長老たちの牧羊の責任は,担うのがずっと容易になります。
11 (イ)「兄弟たち」という表現には女性も含まれていた,と結論するのはなぜ道理にかなったことですか。(ロ)円熟したクリスチャンの女性は,今日の比較的若い女性にどんな助けを差し伸べることができますか。
11 使徒パウロが「兄弟たち」と呼びかけた相手には,女性も含まれていたのでしょうか。確かに,含まれていました。多くの女性が信者となっていたからです。(使徒 17:1,4。ペテロ第一 2:17; 5:9)そのような婦人たちは,どのような助けを差し伸べることができたでしょうか。例えば,諸会衆には,比較的若い婦人たちの中に「性的な衝動」を制御する点で問題を抱える人や「憂いに沈んだ魂」となる人がいました。(テモテ第一 5:11-13)今日でも,同じような問題を抱えている女性がいます。それらの人は,ただ自分の話に耳を傾けてくれる人や同情してくれる人を大いに必要としている場合があります。多くの場合,そのような助けを差し伸べるのに最も適しているのは,円熟したクリスチャンの女性です。その人は,例えば,クリスチャンの男子が一人で扱うのはふさわしくない,女性の個人的な問題を当人と話し合うことができます。パウロは,そのような助けを差し伸べることの価値を際立たせ,こう書いています。「年取った婦人も……良いことを教える者であるべきです。それは,彼女たちが若い婦人たちに,夫を愛し,子供を愛し,健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそしみ,善良で,夫に服すべきことを銘記させ,こうして神の言葉があしざまに言われることのないようにするためです」― テトス 2:3-5。
12 会衆内の皆がだれの指導に従うのは肝要なことですか。
12 会衆内の謙遜な姉妹たちは,自分の夫と長老たちの両者に協力し,彼らを支えるとき,本当に祝福となります。(テモテ第一 2:11,12。ヘブライ 13:17)家族の様々な責任を持つ長老たちは,皆が協力して愛の精神のうちに助け合うとき,また任命された牧者たちの指導に皆が柔順に従うとき,特に益を受けます。―ペテロ第一 5:1,2。
親の皆さん,あなたは何を第一にしていますか
13 多くの父親は自分の家族を顧みる点でどのように失敗していますか。
13 何年も前のことですが,ある著名な芸能人はこう述べました。「わたしは,世で成功した人たちが何百人もの従業員のいる会社を経営しているのを見ます。そういう人たちは,実業界ではあらゆる状況の扱い方,懲戒や褒賞の与え方を知っています。しかし,当人の営んでいる最大の事業は自分の家族であり,その点では失敗しています」。なぜでしょうか。それは,彼らが仕事や他の関心事を第一にして神の助言を無視しているからではないでしょうか。神の言葉は,『わたしが命じているこれらの言葉を自分の子に教え込まねばならない』と述べています。そして,これは毎日行なうべきことでした。親は自分の時間を ― また,特に愛と深い関心を ― 惜しみなく与える必要があります。―申命記 6:6-9。
14 (イ)親は自分の子供をどのように世話するべきですか。(ロ)子供のふさわしい養育にはどんなことが含まれますか。
14 聖書は,子供がエホバからの相続物であることを思い起こさせてくれます。(詩編 127:3)あなたはお子さんを,神の財産つまり神から預けられた贈り物として世話しておられますか。お子さんは,もしあなたの両腕に抱き寄せられてあなたの優しい気遣いと気配りを感じるなら,恐らく良い反応を示すことでしょう。(マルコ 10:16)しかし,『子供をその行くべき道にしたがって育て上げる』には,単に抱き締めたり口づけしたりする以上のことが必要です。子供には,人生行路における落とし穴を避ける知恵を身に着けさせるために,愛に基づいた懲らしめも必要です。親は「懲らしめをもって子を捜し求める」ことにより本当の愛を示します。―箴言 13:1,24; 22:6。
15 親による懲らしめの必要性を何が示していますか。
15 親による懲らしめの必要性は,生活指導に当たる女性教員が,相談室にやって来る子供たちについて述べている次のような言葉から分かります。「皆かわいそうな子たちです。心にわだかまりがあり,自信を失っています。どんな実情なのかを泣きながら話してくれます。自殺を図ったことのある子も少なくありません。その数は人が考える以上に多いのです。自殺しようとするのは,あまりにも幸福だからではありません。自分はあまりにも不幸で,面倒をみてもらえず,こんなに若いのに“物事をまかされて”荷が重すぎる,と感じているからなのです」。この指導教員はさらに,「若い人にとって自分が色々な事をやりくりしていると感じるのは恐ろしいことなのです」と述べています。確かに,子供は懲らしめを嫌がるかもしれませんが,実際には,親の設ける指針や制限の価値を認識しています。子供は親が子供のために制限を設けるだけの気遣いを示してくれることをうれしく思っているのです。親から幾つかの制限を設けられているある十代の若者は,「かえって気分的にとても楽です」と言いました。
16 (イ)クリスチャンの家庭で育った子供の中にも,どうなる子供がいますか。(ロ)子供が正しい道からそれて行ったとしても,それは必ずしも親が良い訓練を与えなかったことを意味するものではありません。なぜそう言えますか。
16 とはいえ,中には,親から愛され,良い訓練を与えられているにもかかわらず,イエスの例えに出てくる放とう息子のように,親による指導を退けて正しい道から離れてゆく若者もいます。(ルカ 15:11-16)しかし,そのこと自体は必ずしも,親が箴言 22章6節で命じられているとおりに子供を正しく育て上げる責任を果たさなかった,ということを意味するものではありません。『子供をその行くべき道にしたがって育て上げるなら,その子は年老いても,それから離れないであろう』という言葉は,一般原則として述べられています。残念なことですが,中には放とう息子のように,『親への従順をさげすむ』ようになる子供もいるのです。―箴言 30:17。
17 正しい道から離れてしまった子供を持つ親は,どんなことに慰めを見いだせるかもしれませんか。
17 息子が正しい道から離れてしまったある父親は,こう嘆きました。「これまで,あの子の心を動かそうと絶えず努力してきました。いろいろ手を尽くしましたが,今は何をしたらいいのか分かりません。うまくいったものは一つもないのです」。わたしたちの願いは,言うことを聞かないそのような子供もやがては,あの放とう息子のように,自分の受けた愛ある訓練を思い起こして立ち返ることです。とはいえ,中には反抗し,不道徳なことを行なって親に多大の心痛をもたらす子供もいる,という事実は変わりません。親は,地上に生存した最も偉大な教師でさえ,ご自分の長年の教え子であったユダ・イスカリオテに裏切られたことを思えば,慰められるかもしれません。また,エホバ神ご自身も,ご自分の側には全く落ち度がなかったのに霊の子たちの多くが助言を退けて反逆したとき,悲しまれたに違いありません。―ルカ 22:47,48。啓示 12:9。
子供の皆さん ― あなたはだれを喜ばせますか
18 子供たちは神を第一にしていることをどのように示せますか。
18 エホバは皆さん方若い人に,「主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい」と強く勧めておられます。(エフェソス 6:1)若い人たちはそうすることによって神を第一にします。愚か者となってはなりません。「愚かな者はその父の懲らしめを軽べつする」と,神の言葉は述べています。また,尊大にも,自分は懲らしめを受けなくても大丈夫だと考えるべきではありません。実のところ,「自分の目には浄いが,自分の汚れから身を洗っていない世代がある」のです。(箴言 15:5; 30:12,アメリカ標準訳)ですから,神の指示に留意してください。親のおきてや懲らしめに『聴き従いなさい』,それを『蓄えなさい』,「忘れてはならない」,それに『注意を払いなさい』,それを『守り行ないなさい』,「捨て去ってはならない」とあります。―箴言 1:8; 2:1; 3:1; 4:1; 6:20。
19 (イ)子供たちには,エホバに従うべきどんな強力な理由がありますか。(ロ)若い人は,神に感謝していることをどのように示せますか。
19 皆さんには,エホバに従うべき強力な理由があります。エホバはあなたを愛しておられるので,あなたを保護し,幸福な生活を楽しめるよう助けるために,子供は親に従いなさいというおきてをはじめとする律法を与えておられます。(イザヤ 48:17)また,あなたが罪と死から救われて永遠の命を楽しめるよう,あなたのために命をなげうつみ子を与えてくださいました。(ヨハネ 3:16)あなたは感謝していますか。神は天から見守り,あなたが本当に神を愛し,神からの備えに感謝しているかどうかを知ろうと,あなたの心を調べておられます。(詩編 14:2)サタンも見守っており,神を嘲弄して,この者はあなたに従わないだろうと主張しています。あなたは,神に不従順になるとき,サタンを喜ばせてエホバに「痛みを覚えさせ(る)」ことになります。(詩編 78:40,41)エホバはあなたにこう訴えかけておられます。「我が子よ,賢くあって,[わたしに従順であることにより]わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」。(箴言 27:11)そうです,問題は,あなたはだれを喜ばせるか,サタンか,エホバか,ということです。
20 ある若い女性は,恐ろしいと感じる時でさえエホバに仕えるために,どのようにして勇気を保ってきましたか。
20 サタンとその世から圧力を加えられる中で神のご意志を行なうのは容易なことではありません。恐ろしいと感じる場合もあります。ある若い女性はこう述べました。「恐ろしさは寒さに似ています。それに対しては打つ手があります」。そして,こう説明しています。「寒いと思ったら,セーターを着ます。それでもまだ寒ければ,もう一枚着ます。そのようにして寒くなくなるまで着込んだら,もう寒さは感じなくなります。ですから,恐ろしいと感じた時にエホバに祈るのは,寒いと思った時にセーターを着ることに似ています。私は,一度祈ってもまだ恐ろしい時は,もう一度祈ります。恐ろしさを感じなくなるまで何度も祈ります。こうすると本当に怖くなくなります。私はいつもこうして問題を切り抜けているんです」。
21 もしわたしたちが生活の中で神を第一にしようと本当に努力するなら,エホバはどのように背後から助けてくださいますか。
21 もしわたしたちが生活の中で神を第一にしようと本当に努力するなら,エホバは背後から助けてくださいます。神はわたしたちを強めてくださり,み子のためにされたように,必要な時にはみ使いによる助けを備えてくださるでしょう。(マタイ 18:10。ルカ 22:43)親の皆さんも子供の皆さんも,勇気を出してください。キリストのような恐れを持ちましょう。そうすれば,そこから楽しみが得られるでしょう。(イザヤ 11:3)そうです,『まことの神を恐れ,そのおきてを守ってください。それが人の務めのすべてだからです』。―伝道の書 12:13。
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