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「だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」ものみの塔 1990 | 12月15日
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ほかの羊も加わって,「来なさい!」と言う
13,14 1930年代には,ほかの人たちも象徴的な水を飲むことが,さらにどのように明確にされましたか。
13 さらに「ものみの塔」誌は,早くも1932年に,今度は「ほかの羊」が「来なさい!」と言う責任を担う番であることを指摘しました。(ヨハネ 10:16)同誌は8月1日号の232ページ,29節で,「今エホバの証人は,エヒウと同じ熱意を抱いている。彼らはエホナダブ級[ほかの羊]が彼らと共に来て,神の王国が近いことを他の人々にふれ告げる業の,ある部分に加わるよう励まさなければならない」と述べました。その節は,次いで啓示 22章17節を引用し,その後こう述べています。「油そそがれた者たちは,王国の良いたよりを告げる業にあずかることを決意する人たちすべてを励ますべきである。主の音信を宣明するために,その人たちが主の油そそがれた者である必要はない。彼らにも,エホバのあふれるほどの善良さによりハルマゲドンを通過して地上での永遠の命を与えられる人々の級に命の水を運ぶことが許されている。そのことを知るようになったのは,エホバの証人にとって大きな慰めである」。b
14 1934年以降,油そそがれた残りの者は,これらほかの羊が今や神に献身し,その献身の象徴として水のバプテスマを受けてから,花嫁級に加わり,渇いているさらに別の人たちに「来なさい!」と言わなければならないことを指摘しました。したがって,それら渇いているほかの羊を集め,「一人の羊飼い」であるイエス・キリストのもとにある「一つの群れ」とするため,花嫁級は明確な招待を差し伸べるようになりました。(ヨハネ 10:16)1935年,油そそがれた残りの者はその年の全体大会において,自分たちが「来なさい!」と言っている羊のような人々の級が実際には啓示 7章9節から17節にある「大群衆」であることを知って鼓舞されました。これで,招待の業に大きなはずみがつきました。
15 「来なさい!」という招待に,「霊」はどのように関係していましたか。
15 「来なさい!」と言う花嫁級は神の霊と調和していました。神は,書き記されたみ言葉の預言の意味をご自分の霊によって解明し,花嫁級の残りの者に招待を差し伸べさせました。彼らが招待を差し伸べるに当たって拠りどころとしていたそれらの預言は,神の霊感によるものでした。したがって,羊のような大群衆の人々に「来なさい!」と言っていたのは,事実上,キリストとその花嫁を通して流れる神の霊でした。―啓示 19:10。
16 今日,招待の業に関して,霊と花嫁はどのように一致していますか。
16 今日に至るまで,霊も,残りの者によって代表される花嫁も,「『来なさい!』と言いつづけ(て)」います。残りの者はそれらほかの羊たちに,さらに他の人々を「来なさい!」と言って招待するよう勧めています。ほかの羊は,現在得られる「命の水」を自分たちだけのものにしておいてはなりません。「霊と花嫁」から出される命令,つまり「だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」という命令に従わなければなりません。自らの渇きを癒している人は皆,この招待を広めなければなりません。人種,国籍,言語,現在の宗教のいかんを問わずあらゆる人に,そうです,あらゆる場所のあらゆる人に招待を差し伸べなければなりません。エホバの証人は,現在得られる「命の水」にすべての人が価なくしてあずかれるよう招待し,援助しています。
17 今日得られるのは,どんな「水」ですか。
17 子羊イエス・キリストは全地において,大群衆を実際に「命の水の泉」へと導いています。(啓示 7:17)これは汚染された水ではなく,まさにその源から得た,清くて冷たい健全な水です。その象徴的な水は,聖書の真理の理解という意味での水以上のものを意味しています。それは,イエス・キリストを通して与えられる神の備えすべてを表わしています。今でさえ大群衆はその備えによって,幸福で完全な永遠の命を得るための道を歩み始めています。
ふれ告げる業にいま加わりなさい
18 現代における招待の業はどれほど広範に行なわれていますか。
18 この大群衆の数はすでに数百万人に達しています。彼らは人の住む全地で王国の良いたよりを熱心にふれ告げ続けています。また,王国の良いたよりを宣べ伝える野外活動を定期的に報告しており,その業の行なわれている国や地域は212に上ります。この事物の体制の終結の時の時間が許す限り,偉大な時間厳守者であられるエホバ神の忍耐と辛抱強さに応じて,この招待の業はこれからも続けられます。神は,その時が尽きるのはいつか,また聖書預言の中で繰り返されている言葉に従って約束通りすべての人にご自分をエホバとして知らせる決定的な時はいつかを判断されるでしょう。―エゼキエル 36:23; 38:21-23; 39:7。
19 この「水」が価なくして提供されていると言えるのはなぜですか。
19 ですから,まだ時間が残されている間,大群衆に属する人々は喜んで花嫁級の残りの者に加わり,『来て,命の水を価なくして受けなさい』と言います。命を救うこの良いたよりの宣明者たちは価なくしてこの業を行なっており,世界中に王国の音信を広める奉仕に対して支払いを請求するようなことはしません。
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