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エホバは「耐え忍んで実を結ぶ」人たちを愛されるものみの塔(研究用)2018 | 5月
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エホバは「耐え忍んで実を結ぶ」人たちを愛される
「りっぱな土の上のもの[は]耐え忍んで実を結ぶ者たちです」。ルカ 8:15
1,2. (イ)反応があまり良くない区域で忠実に奉仕している兄弟姉妹から,どんな励みを得られますか。(冒頭の写真を参照。)(ロ)イエスは「郷里」で伝道することについて,どんなことを述べましたか。(脚注を参照。)
米国に住むセルジョとオリンダは,80代の開拓者の夫婦です。最近は足が痛み,歩くのも大変です。でも朝になると,2人は人通りの多い広場に歩いて行きます。7時にはバス停のそばのいつもの場所に就き,行き交う人たちに聖書の出版物を見せます。ほとんどの人は無視して通り過ぎて行きます。でも2人は目が合う人たちに温かくほほえみかけます。そして,昼になるとゆっくり歩いて家に帰ります。翌日も朝7時から同じ場所で奉仕を始めます。週に6日,1年中そうしています。もう何十年も,こんなふうに王国について知らせ続けています。
2 セルジョとオリンダだけではありません。世界中の大勢の兄弟姉妹が,人々の反応があまり良くない地元の区域で何十年も忠実に奉仕しています。あなたもその一人かもしれません。本当によく頑張っておられます。a あなたが忠実に奉仕し続けている姿は,経験豊かな兄弟姉妹を含め,多くの人の励みになっています。巡回監督たちはこう述べています。「忠実な兄弟姉妹と一緒に伝道すると,力がわいてきます」。「自分もあきらめずに伝道を続けよう,という気持ちになります」。「兄弟姉妹が忠実に奉仕する姿に心を打たれます」。
3. この記事ではどんな点を考えますか。なぜですか。
3 イエスから与えられた宣教の務めを行ない続けるため,3つの点を考えましょう。落胆することがあるのはなぜか,どのように実を結ぶことができるか,耐え忍んで実を結び続けるうえでどんなことが役立つか,という点です。
落胆することがあるのはなぜか
4. (イ)良い反応を示さなかったユダヤ人について,パウロはどう感じましたか。(ロ)パウロがそのような気持ちになったのはなぜですか。
4 区域の人々の反応が良くないために落胆したことがありますか。使徒パウロも落胆したことがあります。パウロは30年ほど宣教を行ない,大勢の人々がキリストの弟子になるよう助けました。(使徒 14:21。コリ二 3:2,3)しかし,ユダヤ人への伝道はあまり成果を収めませんでした。ほとんどのユダヤ人は良いたよりに耳を貸さず,パウロを迫害する人たちもいました。(使徒 14:19; 17:1,4,5,13)パウロはどんな気持ちになったでしょうか。こう述べています。「わたしはキリストにあって真実を語ります。……わたしの心には大きな悲嘆と絶えざる苦痛があります」。(ロマ 9:1-3)パウロがそのような気持ちになったのは,心をこめて宣教を行なっていたからです。ユダヤ人を深く気遣っていたので,彼らが神の憐れみを退けるのを見てつらく感じました。
5. (イ)わたしたちが伝道するのは,どんな気持ちを抱いているからですか。(ロ)人々の反応があまり良くない時,落胆することがあるのはなぜですか。
5 わたしたちも人々を深く気遣っているので伝道しています。(マタ 22:39。コリ一 11:1)エホバに仕えるならたくさんの祝福がある,ということを知っています。どれほど素晴らしい祝福が得られるか知ってほしい,と思います。そう願っているからこそ,エホバがどんな方か,人類に対してどんな目的をお持ちかを学ぶよう勧め続けます。いわば人々にこう言っています。「素晴らしいプレゼントをお持ちしました。ぜひ受け取ってください」。プレゼントを受け取ってもらえないと,「心に……苦痛」を感じます。そう感じるのは信仰が足りないからではありません。心をこめて宣教を行なっているからです。それで,落胆することがあっても,耐え忍んで頑張り続けます。25年以上開拓奉仕をしているエレナという姉妹もこう述べています。「伝道は簡単な仕事ではありません。でも,これこそわたしがしたい仕事です」。
どのように実を結べるか
6. これからどんな点を考えますか。何に注目しますか。
6 どんな区域で伝道していても,実を結ぶことができます。なぜそう言えますか。この大切な点を考えるため,「実を結[ぶ]」ことに関するイエスの2つの例えに注目しましょう。(マタ 13:23)最初は,ぶどうの木に関する例えです。
7. (イ)「耕作者」,「ぶどうの木」,「枝」はそれぞれだれを表わしていますか。(ロ)これからどんな点を考えますか。
7 ヨハネ 15:1-5,8を読む。イエスは使徒たちにこう言いました。「あなた方が多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」。イエスはエホバが「耕作者」,自分が「真のぶどうの木」,弟子たちが「枝」であると述べました。b では,弟子たちが結ばなければならない実とは何でしょうか。イエスはその点を直接述べていませんが,手がかりとなる事柄を述べています。
8. (イ)実とは新しい弟子のことではありません。なぜそう言えますか。(ロ)エホバはどんな要求をされませんか。
8 イエスは,「父は,わたしにあって実を結んでいない枝をみな取り去[る]」と言いました。言い換えると,エホバは実を結ぶ人だけをご自分の僕とご覧になります。(マタ 13:23; 21:43)クリスチャン各自が結ばなければならない実とは,新しい弟子のことではありません。(マタ 28:19)なぜでしょうか。実が新しい弟子を表わすとしたら,反応の良くない区域で忠実に伝道していても,人々を弟子とすることができていないクリスチャンは,実を結んでいない枝ということになります。そんなはずはありません。人々を強制的に弟子にすることはできません。愛あるエホバは,わたしたちに無理な要求を課して,できなかったら切り捨てるという方ではありません。神が求める事柄はすべて,わたしたちに行なえる事柄なのです。(申 30:11-14)
9. (イ)何を行なえば実を結んでいることになりますか。(ロ)これからどんな例えについて考えますか。
9 結ばなければならない実とは何でしょうか。わたしたちすべてが行なえる事柄を表わしているはずです。何を行なえば「実を結んでいる」ことになるでしょうか。神の王国の良い知らせを伝えることです。c (マタ 24:14)その点は種まき人に関する例えからも分かります。次にその例えについて考えましょう。
10. (イ)種と土は何を表わしていますか。(ロ)生み出された実とは何ですか。
10 ルカ 8:5-8,11-15を読む。種まき人の例えに出てくる種は,「神の言葉」つまり王国の知らせを表わしています。土は人の心を表わしています。りっぱな土の上に落ちた種は根を出し,芽生え,成長しました。茎が伸び,葉が出てきたのです。そして,「百倍の実を生み出しました」。茎や葉のある小さな植物を生み出したのでしょうか。いいえ,新しい種を生み出したのです。この例えでは,1粒の種が100粒の種を生み出しました。この例えは宣教にどのように当てはまりますか。
どのように「耐え忍んで実を結ぶ」ことができますか。(11節を参照。)
11. (イ)種まき人の例えは宣教にどのように当てはまりますか。(ロ)どうすれば新しい王国の種を生み出すことができますか。
11 わたしたちはエホバの証人の兄弟姉妹や親から王国の知らせを聞きました。りっぱな土のように,わたしたちの心は種のような王国の知らせを受け入れ,しっかり保ちました。その結果,王国の知らせは根を出し,成長し,実を生み出せるようになりました。植物の生み出す実が小さな新しい植物ではなく新しい種であるように,わたしたちの生み出す実も新しい弟子ではなく新しい王国の種です。d では,どうすれば新しい王国の種を生み出せますか。様々な方法で王国の知らせを伝えることによって,自分の心に植えられた種をまくことができます。(ルカ 6:45; 8:1)王国について知らせ続ける限り,「耐え忍んで実を結[んで]」いることになるのです。
12. (イ)ぶどうの木の例えと種まき人の例えから何を学べますか。(ロ)あなたは2つの例えから学んだことについてどう思いますか。
12 ぶどうの木の例えと種まき人の例えから何を学べますか。実を生み出せるかどうかは区域の人々の反応に依存していない,ということです。忠実に伝道し続けるなら,実を生み出していることになります。パウロもこう述べています。「各々はその労苦に応じて報いを受けます」。(コリ一 3:8)報いは労苦の結果に応じてではなく,労苦に応じて与えられるのです。20年開拓奉仕をしてきたマティルダという姉妹はこう言います。「エホバが努力に報いてくださるのは本当にうれしいことです」。
耐え忍んで実を結ぶ
13,14. ローマ 10章1,2節によると,パウロが王国の知らせに良い反応を示さなかった人たちを見限らなかったのはなぜですか。
13 耐え忍んで実を結び続けるうえでどんなことが役立ちますか。先ほど考えたとおり,パウロは王国の知らせに対するユダヤ人の反応にがっかりしました。それでもユダヤ人のことを見限ったりしませんでした。ローマのクリスチャンに宛てた手紙の中で,ユダヤ人についてこう述べています。「わたしの心の善意と,彼らのために神にささげる祈願は,彼らの救いのためにほかなりません。わたしは,彼らが神に対する熱心さを抱いていることを証しするのです。しかし,それは正確な知識によるものではありません」。(ロマ 10:1,2)パウロが宣教を続けたのはなぜでしたか。
14 第一に,パウロは「心の善意」に動かされて伝道し続けたと述べています。ユダヤ人が幾人かでも救われることを心から願っていたのです。(ロマ 11:13,14)第二に,「彼らのために神にささげる祈願」と述べています。ユダヤ人が王国の知らせを受け入れるよう助けてほしいと,神に懇願しました。第三に,「彼らが神に対する熱心さを抱いている」とも述べました。ユダヤ人の可能性に目を向けていたのです。正しい事柄に熱意を向けるようになれば,誠実なユダヤ人は熱心な弟子になるかもしれません。パウロはそのことをよく知っていました。
15. どのようにパウロに倣えますか。例を挙げてください。
15 どのようにパウロに倣えますか。第一に,「永遠の命のために正しく整えられた」人を見つけたいという心からの願いを持ち続けます。第二に,誠実な人たちの心を開いてください,とエホバに祈願します。(使徒 13:48; 16:14)30年近く開拓奉仕をしているシルバナはこう言います。「家を訪問する前,積極的な見方を持てるように助けてください,とエホバに祈ります」。誠実な人たちに会えるよう天使が導いてくれますように,と祈ることもできます。(マタ 10:11-13。啓 14:6)30年以上開拓奉仕をしているロバートはこう述べています。「天使たちは家の人たちの生活に何が起きているかを知っています。そのような天使たちと共に働いていると思うとわくわくします」。第三に,人々の可能性に目を向けます。バプテスマを受けて50年以上になるカールという長老はこう言います。「家の人の誠実さを示すわずかなサインも見逃さないようにします。笑顔,親切な応対,誠実な質問などです」。わたしたちもパウロのように耐え忍んで実を結びましょう。
「手を休めるな」
16,17. (イ)伝道の書 11章6節からどんなことを学べますか。(ロ)種をまく仕事は,わたしたちを観察している人たちにどんな影響を与えますか。例を挙げてください。
16 王国の知らせが人々の心に達していないように思えても,種をまく仕事によって成し遂げられている事柄を過小評価しないようにしましょう。(伝道の書 11:6を読む。)多くの人は耳を傾けませんが,わたしたちを観察しています。きちんとした服装や礼儀正しい態度や温かい笑顔を見ています。やがて,わたしたちに対する見方を変えるかもしれません。冒頭に出てきたセルジョとオリンダはそのような経験をしました。
17 セルジョはこう言います。「具合が悪くて,しばらく広場での奉仕に行けませんでした。体調が回復して久しぶりにいつもの場所に行くと,そばを通る人たちが『久しぶりですね。元気でしたか』とか『心配してましたよ』と声をかけてくれました」。オリンダは笑顔でこう言います。「バスの運転手さんたちが手を振って,『頑張ってますね!』と言ってくださいました。雑誌を取りに来た運転手さんたちもいます」。ある男性は証言カートの所に来て花束を差し出し,「いつもありがとうございます」と言いました。2人はびっくりしました。
18. 「耐え忍んで実を結ぶ」ことが大切なのはなぜですか。
18 「手を休める」ことなく王国の種をまき続けるなら,「あらゆる国民に対する証し」に貢献できます。(マタ 24:14)何よりも,エホバに是認されているという深い喜びを味わえます。エホバは「耐え忍んで実を結ぶ」人を愛されるのです。
b 枝は天での命を得る見込みのある人たちを表わしていますが,この例えには神の僕すべてに役立つ教訓が含まれています。
c 「実を結[ぶ]」ことは「霊の実」を生み出すことにも当てはまりますが,この記事と次の記事では,「唇の実」を生み出すこと,つまり王国について知らせることを考えます。(ガラ 5:22,23。ヘブ 13:15)
d イエスは別の機会に,まく者と刈り取る者の例えを用いて,人々を弟子とする活動について説明しました。(マタ 9:37。ヨハ 4:35-38)
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「多くの実を結びつづけ」るべきなのはなぜですかものみの塔(研究用)2018 | 5月
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「多くの実を結びつづけ」るべきなのはなぜですか
「あなた方が多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」。ヨハネ 15:8
1,2. (イ)イエスは亡くなる少し前,弟子たちにどんなことを伝えましたか。(冒頭の挿絵を参照。)(ロ)伝道する理由を考えることが大切なのはなぜですか。(ハ)これからどんなことを考えますか。
イエスは亡くなる前の晩,使徒たちに長い時間話し,彼らを深く愛していることを伝えました。前の記事で学んだように,ぶどうの木の例えも話し,「多くの実を結びつづけ」るよう勧めました。耐え忍んで王国について知らせ続けるよう励ましたのです。(ヨハ 15:8)
2 イエスは弟子たちに,何を行なう必要があるかだけではなく,なぜ行なうべきかを伝えました。伝道し続ける理由を教えたのです。その理由を考えることが大切なのはなぜでしょうか。耐え忍んで「あらゆる国民に対する証し」を続けたいという願いを持てるからです。(マタ 24:13,14)では,伝道を行なう4つの理由を聖書から調べましょう。また,耐え忍んで実を結び続けるためにエホバが与えてくださっている4つの助けについても考えましょう。
エホバに栄光をもたらす
3. (イ)ヨハネ 15章8節から,伝道すべきどんな理由が分かりますか。(ロ)イエスの例えのぶどうの実は何を表わしていますか。この例えが適切なのはなぜですか。
3 伝道する最も大切な理由は,エホバに栄光をもたらし,エホバの名を神聖なものにすることです。(ヨハネ 15:1,8を読む。)イエスは父エホバをぶどうの耕作者に,ご自分をぶどうの木つまり幹に,弟子たちを枝に例えました。(ヨハ 15:5)ぶどうの実はキリストの弟子たちが生み出す王国の実を表わしています。イエスは使徒たちにこう述べました。「あなた方が多くの実を結びつづけ[る]こと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」。良い実を生み出すぶどうの木は耕作者の栄誉になります。同様に,わたしたちが王国について一生懸命知らせるなら,エホバに誉れや栄光をもたらすことができます。(マタ 25:20-23)
4. (イ)どうすれば神の名を神聖なものにすることができますか。(ロ)あなたは神の名を神聖なものにすることができることを,どう感じていますか。
4 伝道することによって,神の名を神聖なものにできるのはなぜでしょうか。神の名はすでに絶対的な意味で神聖で清いものです。ですから,神の名をいっそう神聖なものにすることはできません。しかしイザヤはこう述べています。「万軍のエホバ ― この方をあなた方は聖なる方とすべき[つまり,聖なる方と見るべき]であ[る]」。(イザ 8:13)ですから,神の名を最も偉大な名と見ること,また他の人たちがその名を聖なるものと見るよう助けることによって,神の名を神聖なものにすることができます。(マタ 6:9,脚注)例えば,エホバの素晴らしい特質や人類に対する不変の目的を人々に伝えるなら,神の名を汚すサタンの中傷が偽りであることを明らかにできます。(創 3:1-5)また,エホバが「栄光と誉れと力を受けるにふさわしい」神であることを知るよう人々を助けることによって,神の名を神聖なものにすることができます。(啓 4:11)16年開拓奉仕をしているルネという兄弟はこう言います。「宇宙の創造者の証人となる機会が与えられていると思うと,感謝の気持ちでいっぱいになります。ぜひ伝道し続けたいという気持ちになります」。
エホバとイエスを愛している
5. (イ)ヨハネ 15章9,10節から,伝道すべきどんな理由が分かりますか。(ロ)イエスは努力し続けることの大切さをどのように強調しましたか。
5 ヨハネ 15:9,10を読む。わたしたちは,エホバとイエスを心から愛しているので,王国について知らせます。(マル 12:30。ヨハ 14:15)イエスは弟子たちに,ご自分の「愛のうちにとどまる」ようにと言いました。キリストに従い続けるには大きな努力が求められるからです。イエスは,ヨハネ 15章4-10節に記されている短い話の中で,「とどまる」とか「結びついたままでいる」という表現を何度も用いて,イエスに従うために努力し続けることの大切さを強調しました。
6. キリストの愛のうちにとどまりたいと思うなら,何をしなければなりませんか。
6 キリストの愛のうちにとどまり,キリストに喜ばれたいと思うなら,何をしなければなりませんか。イエスのおきてを守り行なうこと,つまりイエスに従うことです。イエスご自身,神に従っています。こう述べています。「わたしが父のおきてを守り行なってその愛のうちにとどまっているのと同じです」。イエスが神に従っているように,わたしたちもイエスに従いましょう。(ヨハ 13:15)
7. 従うことと愛にはどんな関係がありますか。
7 従うことと愛の関係について,イエスは使徒たちにこう述べました。「わたしのおきてを持ってそれを守り行なう人,その人はわたしを愛する人です」。(ヨハ 14:21)わたしたちも,行って,宣べ伝えなさいというイエスの命令に従うことにより,神への愛を表わせます。イエスのおきてにはエホバのお考えが表われているからです。(マタ 17:5。ヨハ 8:28)わたしたちがエホバとイエスを愛し続けるなら,エホバとイエスもわたしたちを愛し続けてくださいます。
警告を与える
8,9. (イ)伝道する理由にはほかにどんなものがありますか。(ロ)エゼキエル 3章18,19節と18章23節にあるエホバの言葉を読んで,あなたはどんな努力を払いたいと思いますか。
8 伝道を続ける別の理由は,警告を与えることです。聖書はノアを「伝道者」と呼んでいます。(ペテロ第二 2:5を読む。)大洪水前の伝道には,滅びについて警告することも含まれていたようです。イエスがこう述べているからです。「洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」。(マタ 24:38,39)人々は無関心でしたが,ノアは神から与えられた警告を忠実に伝えました。
9 わたしたちは王国について知らせることにより,人類に対する神のご意志を知る機会を人々に与えています。エホバと同様,人々が王国の知らせに注意を向けて「生きつづける」ことを願っています。(エゼ 18:23)同時に,神の王国が来てこの悪い世界を終わらせることを警告しています。家から家に,また公の場所で伝道し,できる限り多くの人たちにその警告を伝えています。(エゼ 3:18,19。ダニ 2:44。啓 14:6,7)
人々を愛している
10. (イ)マタイ 22章39節には,伝道するどんな理由が記されていますか。(ロ)パウロとシラスはフィリピでどのように牢番を助けましたか。
10 わたしたちが伝道を続けるもう一つの理由は何でしょうか。人々を愛しているからです。(マタ 22:39)人々を愛しているので,あきらめずに伝道を続けます。状況が変われば人々の心も変わるかもしれません。パウロとシラスについて考えましょう。2人はフィリピで反対者たちに投獄されました。真夜中ごろ,突然地震が起こり,牢屋の戸がすべて開きました。牢番は囚人たちが逃げてしまったと思い,自殺しようとしました。パウロは「自分を傷つけてはいけない」と叫びました。牢番は「救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」と尋ねました。2人は「主イエスを信じて頼りなさい。そうすれば救われます」と答えました。(使徒 16:25-34)
わたしたちは,エホバとイエスと人々への愛に動かされて伝道する。(5,10節を参照。)
11,12. (イ)牢番に関する記述から何を学べますか。(ロ)わたしたちが伝道を続けたいと思うのはなぜですか。
11 この記述からどんなことを学べますか。牢番は地震の後初めて心が変化し,助けを求めました。同様に,以前は王国の知らせに無関心だったものの,人生を揺るがす出来事を経験して,心が変化し,助けを求めるようになる人がいます。例えば,失業や離婚を経験して,落胆している人がいます。重い病気にかかったり大切な人を亡くしたりして,意気消沈している人もいるでしょう。そうしたつらい経験をすると,かつてはあまり気に留めなかった人生の意味について真剣に考えるようになるものです。いわば,「救われるために何をしなければならないだろうか」と考えます。次にエホバの証人に会う時には,生まれて初めて聖書の話に耳を傾けるかもしれません。
12 ですから,忠実に伝道し続けるなら,人々が助けを受け入れる気持ちになっている時に助けになれます。(イザ 61:1)38年全時間奉仕をしているシャルロットはこう述べています。「人々は途方に暮れています。王国の知らせを聞く必要があります」。34年開拓奉仕をしているエイボーはこう言います。「今は特に,気持ちが沈んでいる人がたくさんいます。何とかして助けになりたいと思います。ですから,これからも伝道を続けます」。人々への愛は伝道を続ける強力な理由です。
伝道を続けるための助け
13,14. (イ)ヨハネ 15章11節によると,伝道を続けるためのどんな助けがありますか。(ロ)どうすればイエスと同じ喜びを味わえますか。(ハ)喜びは伝道を続けるうえでどのように助けになりますか。
13 イエスは亡くなる前の晩,耐え忍んで実を結ぶための助けについて使徒たちに話しました。どんな助けがあるでしょうか。わたしたちにとって,どのように助けになりますか。
14 喜び。宣べ伝えなさいというイエスの命令に従うことは重荷ですか。そのようなことはありません。イエスはぶどうの木の例えを話した後,王国について知らせるなら,イエスと同じ喜びを味わえると述べました。(ヨハネ 15:11を読む。)どうすればイエスと同じ喜びを味わえますか。すでに考えたように,イエスはご自分をぶどうの木に,弟子たちを枝に例えました。枝は木に付いている限り,水分や栄養分を吸収できます。わたしたちも,イエスの歩みにしっかり従ってイエスに結びついたままでいる限り,イエスが父エホバのご意志を行なう時に味わうのと同じ喜びを味わえます。(ヨハ 4:34; 17:13。ペテ一 2:21)40年以上開拓奉仕をしているハネはこう述べています。「伝道した後はいつも喜びでいっぱいになり,エホバへの奉仕を続けたいという気持ちが強まります」。確かに,深い喜びは,反応があまり良くない区域で伝道を続ける力になります。(マタ 5:10-12)
15. (イ)ヨハネ 14章27節によると,伝道を続けるためのどんな助けがありますか。(ロ)平安な気持ちは,実を結び続けるうえでどのように助けになりますか。
15 平安。(ヨハネ 14:27を読む。)イエスはぶどうの木の例えを話す前,使徒たちに「わたしの平安を与えます」と述べました。イエスから与えられる平安は実を結ぶうえでどのように役立ちますか。あきらめずに伝道し続けるなら,エホバとイエスに是認されていることを実感でき,平安な気持ちでいられます。(詩 149:4。ロマ 5:3,4。コロ 3:15)45年全時間奉仕をしているウルフはこう言います。「伝道すると体は疲れますが,満足感を味わえます。充実した生き方をしていると感じます」。平安な気持ちを持てるのは本当に素晴らしいことです。
16. (イ)ヨハネ 15章15節によると,伝道を続けるうえでどんなことは力になりますか。(ロ)使徒たちはイエスの友であり続けるため,何をしなければなりませんでしたか。
16 友情。イエスは使徒たちの喜びが「満ちる」よう願っていると述べた後,自己犠牲の愛を表わすことの大切さを教えました。(ヨハ 15:11-13)そして,「わたしはあなた方を友と呼びました」と言いました。イエスの友になれるのは素晴らしい祝福です。これは伝道を続けるうえで大きな力になります。使徒たちはイエスの友であり続けるため,何をしなければなりませんでしたか。「進んで行って実を結びつづけ」なければなりませんでした。(ヨハネ 15:14-16を読む。)この2年ほど前,イエスは使徒たちに「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と命じました。(マタ 10:7)亡くなる前の晩には,始めたその仕事を耐え忍んで続けるよう励ましました。(マタ 24:13。マル 3:14)簡単な仕事ではありませんでしたが,弟子たちは伝道を続け,イエスの友であり続けることができました。伝道を続けるうえで別の助けもありました。
17,18. (イ)ヨハネ 15章16節によると,イエスは伝道を続けるうえでどんな助けがあることを約束しましたか。(ロ)その助けは,イエスの弟子たちが王国について知らせるうえでどのように力になりましたか。(ハ)どんな祝福は,実を結び続ける力になりますか。
17 祈りが聞かれる。イエスは,「あなた方がわたしの名によって父に何を求めても,父がそれをあなた方に与えてくださる」と述べました。(ヨハ 15:16)この約束は使徒たちにとって大きな力になったに違いありません。a 彼らはまだはっきり理解していませんでしたが,イエスは間もなく地上での生涯を終えることになっていました。でも,使徒たちは支えを全く失うわけではありません。エホバはいつでも祈りに答え,王国について知らせるのに必要な助けを与えてくださいます。実際,イエスが亡くなった後,勇気を求める使徒たちの祈りに答えてくださいました。(使徒 4:29,31)
エホバは助けを求める祈りに必ず答えてくださる。(18節を参照。)
18 わたしたちも耐え忍んで実を結ぶなら,イエスの友になれます。また,エホバはいつでも祈りに答え,王国について知らせる際にぶつかる障害を克服できるよう助けてくださいます。(フィリ 4:13)祈りが聞かれ,イエスの友になれるのは素晴らしい祝福です。エホバが与えてくださるこうした祝福は,実を結び続けるための力になります。(ヤコ 1:17)
19. (イ)わたしたちが伝道を続けるのはなぜですか。(ロ)神から与えられた仕事を成し遂げるうえで,何が助けになりますか。
19 この記事で考えたとおり,わたしたちが伝道を続けるのは,エホバに栄光をもたらし,神の名を神聖なものにし,エホバとイエスへの愛を表わし,警告を与え,人々への愛を表わすためです。神から与えられたこの仕事を成し遂げるために,喜び,平安,友情,祈りは助けになります。ではこれからも,「多くの実を結びつづけ[る]」ために精一杯努力しましょう。そうすれば,エホバは心から喜んでくださるでしょう。
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