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「教え,……良い知らせを伝え」た「来て,私の弟子になりなさい」
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セクション2
「教え,……良い知らせを伝え」た
イエスは大工として働き,奇跡を行い,病気を治しました。ほかにもいろいろなことをしましたが,周りの人から先生と呼ばれました。「教え,……良い知らせを伝え」ることがライフワークだったからです。(マタイ 4:23)イエスの弟子である私たちも,同じ伝道活動をしています。このセクションでは,伝道の面でのイエスの手本を学び,どのように倣えるかを考えます。
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「私は……そのために遣わされた」「来て,私の弟子になりなさい」
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第8章
「私は……そのために遣わされた」
1-4. (ア)イエスはサマリア人の女性をどのように上手に教えましたか。どんな結果になりましたか。(イ)使徒たちはイエスが女性と話しているのを見てどう思いましたか。
イエスと使徒たちはもう何時間も歩いています。ユダヤからガリラヤに向かって北に進んでいるところです。3日ほどで行ける最短ルートはサマリアを通ります。正午が近づいた頃,スカルという小さな町に着き,そこで少し休むことにします。
2 使徒たちが食べ物を買いに行っている間,イエスは町の外にある井戸の所で休憩しています。そこに1人のサマリア人の女性が水をくみにやって来ます。イエスは「旅のためにすっかり疲れて」いましたから,ただ目を閉じて,構わないでおいてもよかったでしょう。(ヨハネ 4:6)この本の第4章でも考えた通り,ユダヤ人はサマリア人を見下していました。それでこの女性も,ユダヤ人から話し掛けられるとは思っていなかったことでしょう。でもイエスは,この女性に話し始めます。
3 イエスはまず,この女性が毎日すること,それも今まさにしていることに触れ,それを例えにして話を続けます。水をくみに来た女性に,心の渇きを癒やし永遠の命を与える水について話したのです。会話の中で,女性は何度か議論になりかねないことを言います。a でもイエスはそれを上手にかわし,清い崇拝とエホバ神というテーマからぶれることなく会話を進めます。この会話は素晴らしい結果につながりました。女性がイエスのことを町の人たちに知らせ,その人たちもイエスの話を聞きたいと思うようになったのです。(ヨハネ 4:3-42)
4 戻ってきた使徒たちは,イエスが女性と話しているのを見てどう思ったでしょうか。真理を伝えられたことを喜んだ様子はありません。イエスがその女性と話していることにただ驚き,女性に声を掛けたりはしなかったようです。女性が去ってから,使徒たちはイエスに,買ってきたものを食べるよう勧めます。しかしイエスはこう言います。「私にはあなたたちが知らない食べ物があります」。この言葉を文字通りに受け止めた使徒たちは戸惑います。それでイエスはこう説明します。「私の食べ物とは,私を遣わした方の望むことを行い,与えられた仕事を成し遂げることです」。(ヨハネ 4:32,34)こうしてイエスは,自分にとって神から与えられた仕事をするのは食べることよりも重要だと教えました。使徒たちにも同じ見方をしてほしいと思っていました。では,神から与えられた仕事とは何でしょうか。
5. イエスは主にどんな活動をしましたか。この章ではどんなことを考えますか。
5 イエスはある時こう言いました。「私は……神の王国の良い知らせを広めなければなりません。そのために遣わされたからです」。(ルカ 4:43)この言葉から分かるように,イエスが遣わされたのは,神の王国について伝道し教えるためでした。b 現代のイエスの弟子たちも同じ活動をしています。それで,イエスがどんな思いで伝道したのか,どんなことを伝えたのか,どのように伝道に取り組んだのかを考えることは大切です。
イエスはどんな思いで伝道したか
6-7. イエスが話した例えから,真理を伝えることに対する熱い思いがどのように分かりますか。
6 イエスは,自分が教える真理に対しても,人々に対しても熱い思いを持っていました。まず,イエスがエホバから教えられた真理を伝えることについてどう思っていたかが分かる例えを考えてみましょう。イエスはこう言いました。「天の王国について教えられた教師は皆,宝物庫から新しい物と古い物を取り出す家の主人のようです」。(マタイ 13:52)この例えに出てくる家の主人は,何のために宝物庫からいろいろなものを取り出すのでしょうか。
7 自分の持ち物を見せびらかしたいのではありません。昔ヒゼキヤ王はそういうことをして,悲惨な結果になりました。(列王第二 20:13-20)では例えの主人はどうしたいのでしょうか。こんな場面を想像してみてください。あなたは尊敬する先生の家を訪ねています。先生は机の引き出しを開けて2通の手紙を出します。父親からの手紙です。片方は子供の頃にもらったもので,黄ばんできています。もう片方は最近受け取りました。先生は目をきらきらさせながら,それらの手紙にどれほど感謝しているか,手紙に書かれているアドバイスにどれほど助けられてきたか,あなたにもそのアドバイスがどう役立つかをうれしそうに話してくれます。それらの手紙は先生にとってまさしく宝物であり,それについて話さずにはいられないのです。(ルカ 6:45)先生が手紙を見せてくれたのは,自慢するためでも恩を売るためでもなく,あなたにもその手紙の価値を知ってほしいと思ってのことです。
8. 聖書から学べる真理は私たちにとってどのようなものですか。
8 素晴らしい教師であるイエスは,同じような思いで神からの真理を伝えました。イエスにとって,真理はかけがえのない宝でした。イエスは真理を愛していて,ぜひ伝えたいという熱い思いを持っていました。弟子たちみんなにも,「天の王国について教えられた教師」としてそういう思いを持ってほしいと願っていました。私たちはどうでしょうか。神の言葉から学べる真理はどれも愛すべきものです。長年大切にしてきた信条であれ,最近新しく解明されたことであれ,貴重な宝です。それで,エホバが教えてくださったことへの愛を心の中で燃え立たせ続けましょう。そして,イエスに倣い,他の人が真理の素晴らしさを感じられるよう熱意を込めて語りましょう。
9. (ア)イエスは人々のことをどう感じていましたか。(イ)イエスの人への接し方にどのように倣えますか。
9 イエスは人々のことも愛していました。そのことについてはセクション3でも考えます。聖書の中でメシアについて「立場が低い人や貧しい人を哀れに思」うと予告されていた通り,イエスは人々を思いやりました。(詩編 72:13)人々がどう考え,どう感じているかを気に掛けました。重い荷を負わされ,間違った教えや伝統のせいで真理を理解できないでいる人たちをかわいそうに思いました。(マタイ 11:28; 16:13; 23:13,15)サマリア人の女性のことを思い出してください。その女性は,イエスが気に掛けてくれてうれしかったでしょう。自分の境遇までもイエスが知っていることに驚き,預言者だと信じてイエスについてほかの人に話しました。(ヨハネ 4:16-19,39)もちろん,私たちは真理を伝えたい相手のことを全て見通すことはできません。それでも,イエスのように人を思いやり,気遣いを示すことはできます。その人がどんなことに興味があるのか,どんな問題にぶつかっているのか,どんな助けを必要としているのかを知るようにし,それに合ったことを伝えましょう。
イエスはどんなことを伝えたか
10-11. (ア)イエスはどんなことを伝えましたか。(イ)神の王国が必要になったのはどうしてですか。
10 イエスはどんなことを伝えたのでしょうか。イエスに従っていると主張する多くの教会が教えていることからして,イエスは社会を良くすることについて伝道したと思っている人たちがいます。あるいは,イエスが政治改革をしようとしたとか,何よりも個人の救いを強調したという印象を持っている人もいるかもしれません。でも先ほど考えた通り,イエスははっきりとこう言いました。「私は……神の王国の良い知らせを広めなければなりません」。その良い知らせにはどんなことが含まれるのでしょうか。
11 イエスがまだ天にいた時,サタンが神の統治の仕方は間違っていると主張してエホバの聖なる名を中傷しました。ずっと正しいことをしてきた父が不公正な統治者だと言われ,人間に良いものを与えていないと非難されたことに,イエスは心を痛めたに違いありません。最初の人間であるアダムとエバがサタンの主張を支持した時には,さらにがっかりしたはずです。その後,その反逆の影響で人類が罪と死に苦しむのも見ました。(ローマ 5:12)しかし将来,神の王国によって,こうした問題が全て解決されます。イエスはその時を本当に楽しみにしていることでしょう。
12-13. 神の王国は何よりも重要などんなことをしますか。イエスの宣教のテーマが神の王国だったことが,どんなことから分かりますか。
12 何よりも重要なのは,エホバの聖なる名が神聖なものとされることです。エホバの名は,サタンとサタンを支持する者たちから非難され,汚されてきたからです。エホバの統治者としての評判が傷つけられたので,エホバの治め方が全く正しいということが証明される必要があります。イエスはこうした重要な問題について,ほかのどんな人よりもよく理解していました。それで,弟子たちに祈り方を教えた時,まず天の父の名が神聖なものとされること,次に天の父の王国が来ること,そして神の望むことが地上でも行われることを祈り求めるようにと言いました。(マタイ 6:9,10)キリスト・イエスが治める神の王国は,間もなくサタンの悪い支配を終わらせて,エホバの正しい統治が地上に行き渡るようにします。その統治は永遠に続きます。(ダニエル 2:44)
13 この王国がイエスの宣教のテーマでした。イエスはいつも言葉と行動によって,王国がどんなもので,エホバの目的に沿ってどんなことを成し遂げるかを教えました。イエスは何にも気を散らされることなく,神の王国の良い知らせを伝えるという任務を果たしました。当時,切迫した社会問題があり,数々の不公正が見られましたが,イエスはそれらを正そうとするのではなく,自分の任務に専念しました。ではイエスは,見方が狭く,いつも同じようなことばかり言っていたのでしょうか。決してそうではありません。
14-15. (ア)イエスはどんな点で「ソロモンを上回る者」でしたか。(イ)イエスの手本に倣ってどんなことを伝えられますか。
14 このセクションで考えていきますが,イエスの教えは変化に富んだ興味をそそるものでした。聞く人たちの心をつかみました。賢い王だったソロモンも,上手に教える人でした。エホバからのメッセージを人々に伝えるために,喜ばれる言葉を探し,真実を正確に記録しました。(伝道の書 12:10)不完全な人間でしたが,エホバから「広い心」を与えられ,鳥や魚などのいろいろな動物や植物について語ることができました。大勢の人がソロモンの話を聞こうと遠くからやって来ました。(列王第一 4:29-34)イエスはその「ソロモンを上回る者」でした。(マタイ 12:42)ソロモンよりはるかに知恵があり,はるかに「広い心」を持っていました。神の言葉だけでなく,鳥や魚などの動物,農業,気象,時事,歴史,社会情勢などについても並外れた知識を持っていて,そういうものから教訓を引き出しました。それでも,人に感銘を与えようと自分の知識を見せつけることはしませんでした。いつもシンプルで明快な教え方をしました。多くの人がイエスの話に引き付けられたのもうなずけます。(マルコ 12:37。ルカ 19:48)
15 現代のクリスチャンもイエスの手本に倣おうと努力しています。イエスには到底及びませんが,私たちは皆ある程度の知識や経験があって,神の言葉の真理を教える時にそれらを活用することができます。例えば,親であれば子育ての経験を生かして,エホバが自分の子供たちに示す愛について説明できるかもしれません。ほかにも,仕事や学校生活,人間関係,最近の出来事などを引き合いに出して教えることができます。そういうときも,神の王国の良い知らせを伝えるという目的を忘れないようにしましょう。(テモテ第一 4:16)
イエスはどのように伝道に取り組んだか
16-17. (ア)イエスはどんな思いで伝道に取り組んでいましたか。(イ)イエスが生活の中で伝道を最優先していたことがどんなことから分かりますか。
16 イエスは伝道を非常に価値のある仕事だと感じていました。伝道によって,天の父がどんな方なのかを正しく知るよう人を助けることができるからです。当時,人間の教理や伝統に惑わされて真実を知らない人たちが多くいました。イエスはそういう人たちがエホバとの友情を築き,永遠に生きる希望を持てるよう助けたいと強く願っていました。良い知らせを聞いて元気になってほしいと思っていました。イエスのそういう思いがどんなことに表れていたか,3つの点を考えてみましょう。
17 第一に,イエスは生活の中で伝道を最優先しました。王国について語ることはイエスのライフワークで,その活動を何よりも大切にしていました。だからこそイエスは,第5章で考えたように,いつも簡素な生活を送っていました。人にアドバイスした通り,自分自身も一番大事なことに目の焦点を合わせていました。支払いや維持管理などに気を散らされないように,多くの物を持つことはしませんでした。宣教がおろそかになってしまうことが決してないようにしたのです。(マタイ 6:22; 8:20)
18. イエスが宣教に全力を尽くしたとどうして分かりますか。
18 第二に,イエスは宣教に全力を尽くしました。膨大な労力を費やして,パレスチナ全域を文字通り何百キロも歩き,良い知らせを伝えられる人たちを探しました。個人の家,広場,市場,野山など,さまざまな場所で人と話しました。休憩や食事,親しい友たちとの憩いのひとときが必要な時でさえ,語るのをやめませんでした。死ぬ間際にも,そばにいる人に神の王国の良い知らせを伝えました。(ルカ 23:39-43)
19-20. イエスはどんな例えで,緊急に伝道する必要があることを示しましたか。
19 第三に,イエスは宣教の緊急性を意識していました。スカルの町の外にあった井戸の所でサマリア人の女性と話した時のことをもう一度考えてみましょう。イエスの使徒たちはその時,良い知らせを緊急に伝える必要があるとは思っていなかったようです。そんな使徒たちにイエスはこう言いました。「あなたたちは,収穫までまだ4カ月あると言っていませんか。しかし,目を上げて畑を見なさい。もう色づいて収穫できます」。(ヨハネ 4:35)
20 イエスが語ったこの例えは,その時期にぴったりのものでした。現代の暦では11月半ばから12月半ばに相当するキスレウの月だったようです。ニサン14日の過ぎ越しの頃に行われる大麦の収穫まで,まだ4カ月ありました。ですから,農家の人は急いで収穫をしなければならないとは全く思っていませんでした。しかし,人々を集める比喩的な収穫についてはどうでしょうか。多くの人が聞いて学びたいと思っていました。キリストの弟子となって,エホバが与えてくださる素晴らしい希望を喜んで受け入れることのできる状態だったのです。あたかも熟した穀物がそよ風に揺れながら収穫を待っているかのようでした。イエスは比喩的な意味で,そのように色づいた畑を見渡していました。c 収穫の時が来ているので,すぐに取り掛からなければなりません。それで,後にある町の住民から引き留められた時,イエスはこう言いました。「私はほかの町にも神の王国の良い知らせを広めなければなりません。そのために遣わされたからです」。(ルカ 4:43)
21. どのようにイエスに見習えますか。
21 これらの3つの点で,私たちもイエスに見習えます。クリスチャンとして,生活の中で伝道を最優先しましょう。仕事や家族の世話をしなければならないとしても,イエスのように熱心に伝道する習慣を持つことが大切です。(マタイ 6:33。テモテ第一 5:8)また,自分の時間や体力や持っている物を惜しみなく使って,宣教に全力を尽くしましょう。(ルカ 13:24)そして,宣教の緊急性をいつも意識していましょう。(テモテ第二 4:2)あらゆる機会に,会う人に真理を伝える努力を払いたいものです。
22. 次の章ではどんなことについて考えますか。
22 イエスは伝道し教える活動が非常に大切だということをよく分かっていたので,自分の死後も活動が続くようにしました。その活動を続ける任務を弟子たちに与えたのです。その任務について次の章で詳しく取り上げます。
a 例えば,ユダヤ人とサマリア人の長年にわたる対立関係に触れ,どうしてサマリア人の自分に話し掛けるのかと尋ねました。(ヨハネ 4:9)また,ヤコブのことを自分たちの父祖だと言いましたが,当時のユダヤ人にとってそれは受け入れられないことでした。(ヨハネ 4:12)ユダヤ人はサマリア人を外国人の子孫と見なし,クタ人と呼んでいました。
b 伝道するとは,ある教えを伝えたり広めたりすることです。教えるとは,さらに踏み込んで深く詳しく伝えることです。上手に教える人は,人の心を動かし,学んだことに沿って行動しようという意欲を起こさせます。
c イエスが使った表現について,ある注釈書にはこう書かれています。「穀物は熟すと,緑色から黄色っぽい明るい色に変わるため,刈り入れの時期が来たことが分かる」。
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「行って,……人々を弟子としなさい」「来て,私の弟子になりなさい」
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第9章
「行って,……人々を弟子としなさい」
穀物が1人では収穫し切れないほど豊かに実ったら,農家の人はどうしたらよいか
1-3. (ア)穀物が1人では収穫し切れないほど豊かに実った場合,農家の人はどうしますか。(イ)西暦33年の春にイエスはどんな状況に直面していましたか。どうしましたか。
農家の人が,よく実った穀物畑を見渡しています。数カ月前に畑を耕し,種をまいてから,細心の注意を払って作物の成長を見守ってきました。種から芽が出て徐々に大きくなり,ついに刈り取れるまでになりました。一生懸命働いたかいがありました。でも,ここで問題にぶつかります。あまりにも豊かに実ったので,1人では収穫し切れません。それで,人を雇って手伝ってもらうことにします。大切な穀物を刈り入れる時間は限られているのです。
2 西暦33年の春に復活したイエスも,同じような状況に直面していました。地上での宣教期間中,イエスは真理の種をまきました。その結果,いわば作物が豊かに実り,収穫を待っていました。真理を受け入れる可能性のある人が大勢いたので,弟子になるよう助ける必要があったのです。(ヨハネ 4:35-38)イエスはどうするでしょうか。天に昇る少し前にガリラヤの山で,働く人を集める任務を弟子たちに与えました。こう言っています。「行って,全ての国の人々を弟子としなさい。……バプテスマを施し,私が命令した事柄全てを守るように教えなさい」。(マタイ 28:19,20)
3 この任務を行う人たちこそが,キリストの本物の弟子だと言えます。では,これから3つの点を考えましょう。収穫のために働く人をもっと集めるようにとイエスが言ったのはどうしてでしょうか。働く人を見つけられるよう,イエスはどのように弟子たちを訓練したでしょうか。現代の私たちはこの任務をどのように行えるでしょうか。
働く人がもっと必要だったのはどうしてか
4-5. イエス1人では伝道活動をやり遂げられなかったのはどうしてですか。イエスが天に戻った後,誰が活動を続けることになりましたか。
4 イエスは,西暦29年に伝道を始めた時,自分1人でその活動をやり遂げることはできないと分かっていました。地上で過ごせる時間は残りわずかで,回れる地域も,王国の良い知らせを伝えられる人数も限られていました。実際,イエスは基本的に,「イスラエル国民の迷い出た羊」つまりユダヤ人と改宗者だけに伝道しました。(マタイ 15:24)しかし,その「迷い出た羊」も広大なイスラエル全域に散らばっていました。さらに,いずれは世界中に良い知らせが伝えられる必要がありました。(マタイ 13:38; 24:14)
5 イエスは,自分の死後も行うべきことがたくさんあると分かっていたので,11人の忠実な使徒たちにこう言いました。「はっきり言っておきますが,私に信仰を抱く人も,私がしていることを行います。しかも,もっと大きなことを行います。私が父のもとに行くからです」。(ヨハネ 14:12)イエスが天に戻った後は,使徒たちだけでなく弟子たち全てが伝道し教える活動を続けることになります。(ヨハネ 17:20)イエスが謙遜に認めた通り,弟子たちはイエスより「もっと大きなこと」を行います。そう言える理由を3つ考えましょう。
6-7. (ア)イエスの弟子たちは,どんな意味でイエスより大きなことを行いますか。(イ)どうすればイエスの信頼に応えられますか。
6 1つ目に,イエスの弟子たちはもっと広い範囲を回ります。現代では,イエス自身が回った範囲をはるかに超えて,世界中で伝道しています。2つ目に,もっと多くの人に良い知らせを伝えます。イエスが弟子にした少数の人たちが伝道した結果,間もなく弟子の数は何千人にも増えました。(使徒 2:41; 4:4)現在では何百万人にもなっており,毎年大勢の人がバプテスマを受けています。3つ目に,弟子たちはもっと長い期間にわたって伝道します。イエスが伝道したのは3年半でしたが,その後もおよそ2000年間ずっと活動が続けられてきました。
7 弟子たちが「もっと大きなこと」を行うというイエスの言葉には,弟子たちへの信頼が表れています。イエスは,「神の王国の良い知らせ」を伝えて人々を教えるという一番大切にしていた活動を,弟子たちに任せました。(ルカ 4:43)弟子たちがその任務を忠実に果たしてくれることを確信していたのです。そのことを考えるとどんな気持ちになりますか。現代の私たちも,心を込めて熱心に伝道することによって,イエスの信頼に応えることができます。素晴らしいことではないでしょうか。(ルカ 13:24)
イエスは弟子たちを訓練した
心からの愛を抱いて,人がいればどこでも伝道する
8-9. イエスはどんな手本を残しましたか。イエスの手本に倣ってどのように伝道できますか。
8 イエスは弟子たちが伝道活動を行っていけるよう,よく訓練しました。イエスが示した完璧な手本から,弟子たちはたくさんのことを学びました。(ルカ 6:40)前の章で学んだ,伝道へのイエスの取り組み方について思い出してください。イエスは人のいる所ならどこででも伝道し,湖畔や丘,町や広場,家々で話しました。宣教旅行に同行していた弟子たちは,イエスのそういう手本を見ることができました。(マタイ 5:1,2。ルカ 5:1-3; 8:1; 19:5,6)イエスが朝早くから夜まで熱心に働き続けているのも見ました。イエスが伝道をどれほど大切にしているかが伝わってきたことでしょう。(ルカ 21:37,38。ヨハネ 5:17)同情心がにじみ出たイエスの表情を見て,イエスが人々を深く愛しているからこそ伝道しているということも分かったはずです。(マルコ 6:34)弟子たちはイエスの手本からどんな感化を受けたと思いますか。あなたはイエスの手本についてどう感じますか。
9 私たちはキリストの弟子として,イエスの手本に倣って伝道します。良い知らせを「徹底的に知らせる」ために努力します。(使徒 10:42)イエスのように,家にいる人たちを訪ねます。(使徒 5:42)必要に応じて,人が家にいそうな時間に訪問できるように自分の予定を調整します。街路や公園,店,仕事場などでも,そこにいる人に真理を伝える機会を探します。私たちは伝道の重要性を意識して,「力を尽くし,努力し」続けます。(テモテ第一 4:10)人々を心から愛しているので,人がいればいつでもどこでも伝道したいと思っています。(テサロニケ第一 2:8)
「70人が喜びながら帰ってき」た
10-12. イエスは弟子たちを伝道に送り出す前に,どんな大切なことを教えましたか。
10 イエスは具体的な指示を与えることによっても弟子たちを訓練しました。12使徒を伝道に送り出した時も,後に70人の弟子たちを送り出した時も,まず講習会のようなものを行いました。(マタイ 10:1-15。ルカ 10:1-12)素晴らしい成果があり,ルカ 10章17節によると70人は「喜びながら帰ってき」ました。では,イエスが教えた大切なことを2つ考えてみましょう。当時のユダヤ人の習慣を踏まえてイエスの指示を考えると,イエスが教えたかったことが見えてきます。
11 イエスが教えたことの1つは,エホバを信頼するということです。イエスはこう指示しました。「帯の中に金や銀や銅のお金を入れてはならず,旅のための食物袋,替えの衣服,サンダル,つえも手に入れてはなりません。働く人には当然,食物が与えられます」。(マタイ 10:9,10)当時の人は大抵,お金を入れられる帯を巻き,食物袋や替えのサンダルを持って旅行しました。a そういうものについて心配しないよう教えることによって,イエスはいわばこう言っていました。「エホバを100%信頼しなさい。必要な物はエホバが与えてくださいます」。エホバは,良い知らせを聞いて受け入れた人の心を動かして,弟子たちに必要な物を与えるようにするのです。訪問客をもてなす習慣があったイスラエルでは,それは自然なことでした。(ルカ 22:35)
12 イエスは弟子たちに,あまり重要ではないことに時間を取られないようにとも教えました。こう指示しています。「道中,誰にもあいさつをしてはなりません」。(ルカ 10:4)あいさつをしないなんて失礼ではないか,と思うかもしれません。でもイエスが言っていたのは,一言もあいさつの言葉を交わしてはならないということではありません。当時はあいさつといえば幾つもの儀礼や作法があって,長々と会話するのが普通でした。ある聖書学者はこう説明しています。「オリエントの人々が交わすあいさつは,我々がするような軽い会釈や握手ではなく,何度も抱擁し,お辞儀し,さらには地面に平伏するというものであった。こうしたことすべてを行なうにはかなり時間がかかった」。イエスはそのような儀礼的なあいさつをしないよう指示することによって,いわばこう言っていました。「時間を有効に使いなさい。良い知らせを緊急に伝える必要があるからです」。b
13. イエスが1世紀の弟子たちに与えた指示を心に留めている人は,どんな生き方をしますか。
13 私たちも,イエスが1世紀の弟子たちに与えた指示を心に留めます。伝道するに当たって,エホバを100%信頼します。(格言 3:5,6)「王国……をいつも第一に」するなら,生活に必要な物は全て与えられると確信しています。(マタイ 6:33)世界中の全時間奉仕者たちが実際に経験してきた通り,大変な時にもエホバは必ず助けてくれます。(詩編 37:25)私たちは,あまり重要ではないことに時間を取られないようにも気を付けます。注意していないと,世の中のものにすぐ気を散らされてしまいかねません。(ルカ 21:34-36)人々の命が懸かっていますから,良い知らせを緊急に伝える必要があります。(ローマ 10:13-15)そのことをいつも意識し,宣教に使えるはずの時間や体力をほかのものに奪われてしまうことがないようにしましょう。収穫は多いですが,残されている時間は短いのです。(マタイ 9:37,38)
現代の私たちにとっても大切な任務
14. マタイ 28章18-20節に書かれている任務がキリストの弟子全てに与えられていると言えるのはどうしてですか。(脚注も参照。)
14 復活したイエスは,「行って,……人々を弟子としなさい」と言い,弟子たちに重要な務めを与えました。その時にガリラヤの山にいた弟子たちだけに与えたのではありません。c イエスは「全ての国の人々」に伝道するよう命じ,その活動は「体制の終結まで」続くと言いました。ですからこの任務は,現代の私たちを含め,キリストの弟子全てに与えられています。では,マタイ 28章18-20節のイエスの言葉を詳しく見てみましょう。
15. 人々を弟子とするようにというイエスの命令に従うのが大切なのはどうしてですか。
15 イエスは任務を与える前にこう言いました。「私には天と地における全ての権威が与えられています」。(18節)イエスは確かに大きな権威を持っています。天使長として,数え切れないほどの天使たちを統率しています。(テサロニケ第一 4:16。啓示 12:7)「会衆……の頭」として,地上にいる弟子たちを指導しています。(エフェソス 5:23)1914年以来,メシアである王として天で治めています。(啓示 11:15)さらに,イエスは亡くなった人を生き返らせることができるので,墓に眠っている人を死から解放する権威も持っています。(ヨハネ 5:26-28)イエスはまず自分にそれほどの権威があることに触れ,これから言う命令に従ってほしいと思っていることを強調しました。イエスは神から権威を与えられているのですから,イエスの命令に従うのは大切なことです。(コリント第一 15:27)
16. イエスは最初にどんなことを命じていますか。その命令に従ってどんなことができますか。
16 次にイエスは,「行って」という言葉で任務の説明を始めます。(19節)王国の良い知らせを伝えるために人々の所へ行きなさい,と命じているのです。その命令に従う方法はいろいろあります。家を1軒ずつ訪ねて伝道することは,人とじかに会うとても効果的な方法です。(使徒 20:20)毎日の生活の中で人に会ういろいろな機会にも,会話して良い知らせを伝えることができます。具体的にどのように伝道するかは場所や状況によって変わってきますが,次のことは変わりません。私たちは「行って」,弟子になる見込みのある人を探すのです。(マタイ 10:11)
17. どうすれば人をイエスの「弟子」とすることができますか。
17 それからイエスは何を目指してほしいかを伝え,「全ての国の人々を弟子としなさい」と言います。(19節)どうすれば人をイエスの「弟子」とすることができるでしょうか。弟子とは学ぶ人,教えを受ける人のことですが,単に情報を知ってもらえばよいというわけではありません。関心がある人と聖書レッスンをするときに私たちが目指すのは,キリストに従うようその人を助けることです。できるだけイエスの手本を際立たせ,学んでいる人がイエスに付いていきたいと思えるようにします。イエスに倣った生き方をし,イエスと同じ活動をしてほしいからです。(ヨハネ 13:15)
18. バプテスマがキリストの弟子にとって人生で一番大切なステップだと言えるのはどうしてですか。
18 この任務で大事なことの1つは,「父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施」すことです。(19節)バプテスマはキリストの弟子にとって人生で一番大切なステップです。神への心からの献身を表すものであり,救われるために欠かせないからです。(ペテロ第一 3:21)バプテスマを受けた弟子は,ベストを尽くしてエホバに仕え続けるなら,間もなく来る新しい世界でいつまでも祝福を味わうことができます。あなたは,バプテスマを受けてキリストの弟子になるよう誰かを助けたことがありますか。クリスチャンとして伝道していて,それ以上にうれしいことはありません。(ヨハネ第三 4)
19. 新しい人にどんなことを教える必要がありますか。バプテスマの後もどんなことを教えられますか。
19 イエスはさらに,「私が命令した事柄全てを守るように教えなさい」と言いました。(20節)イエスは,神を愛しなさい,隣人を愛しなさい,人々を弟子としなさい,といった命令を与えました。私たちは新しい人たちに,そうした命令に従うよう教えます。(マタイ 22:37-39)また,聖書の真理を説明したり,自分の信仰について人に話したりできるよう,少しずつ教えていきます。学んでいる人が会衆の伝道活動に参加できるようになったら,一緒に行い,どうすれば上手に伝道できるかを教えて手本を見せます。その人がバプテスマを受けたらもう教えなくていいというわけではありません。バプテスマを受けたばかりの人は,キリストの弟子としてぶつかる問題をどうやって乗り越えたらいいか,さらに教えてもらう必要があるでしょう。(ルカ 9:23,24)
「私は……いつの日もあなたたちと共にいる」
20-21. (ア)イエスから与えられた任務を果たすときに恐れる必要がないのはどうしてですか。(イ)今ペースを落とすべきでないのはどうしてですか。あなたはどんなことを決意していますか。
20 イエスは任務を与えた時,次のとても心強い言葉で締めくくりました。「私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいるのです」。(マタイ 28:20)イエスが弟子たちに与えた任務は決して楽なものではありません。任務を行う人たちは激しい反対に遭うこともあります。(ルカ 21:12)それでも,恐れる必要はありません。リーダーであるイエスは,私たちが自分の力だけでは任務を果たせないということをよく分かってくれています。「天と地における全ての権威」を持つ方が共にいて助けてくれると思うと,本当に安心できるのではないでしょうか。
21 イエスは弟子たちに,「体制の終結」までずっと宣教をサポートすると言いました。私たちは終わりが来るまで,イエスから与えられた任務を行っていかなければなりません。今はペースを落としてよい時ではありません。大々的な収穫の真っただ中で,大勢の人が真理を受け入れて集められています。ぜひ,キリストの弟子として,この重大な任務を果たすことを固く決意しましょう。自分の時間や体力や持っている物を惜しみなく使って,「行って,……人々を弟子としなさい」というキリストの命令に従いましょう。
a 当時の帯の中には,袋状の部分に硬貨を入れて運べるものがあったようです。食物袋は,肩に掛けて食べ物などを持ち運ぶための大きな袋で,大抵は革製でした。
b 預言者エリシャも同じような指示を与えたことがあります。息子を亡くした女性の家に従者のゲハジを先に行かせた時,「誰かに会ってもあいさつしてはいけません」と言いました。(列王第二 4:29)至急行く必要があり,時間を無駄にできなかったからです。
c イエスの弟子のほとんどはガリラヤにいたので,復活したイエスが「500人以上の」人たちの前に現れたのは,マタイ 28章16-20節に書かれている出来事があった時だったのかもしれません。(コリント第一 15:6)イエスが人々を弟子とするようにという任務を与えた時,その場にはそれぐらいの数の人がいたと考えられます。
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「こう書いてあります」「来て,私の弟子になりなさい」
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第10章
「こう書いてあります」
「この聖句は,今日実現しています」
1-3. イエスはナザレの人たちにどんな重要な事実を知ってほしいと思いましたか。人々が信じられるように何をしましたか。
宣教を始めて間もない頃,イエスは故郷のナザレに戻りました。同郷の人たちに,自分が昔から予告されていたメシアであるという重要な事実を知ってほしいと思ったからです。人々が信じられるよう,イエスは何をするでしょうか。
2 多くの人は奇跡を見たいと思っていたことでしょう。イエスが行った奇跡についてうわさで聞いていたからです。しかし,イエスは奇跡を見せることはせず,いつもの習慣通り会堂に行きます。イエスが朗読のために立ち上がると,イザヤの巻物が手渡されます。イエスはその長い巻物を一方の手で広げ,もう一方の手で巻き取りながら,読みたい箇所を見つけます。そして,現在のイザヤ 61章1-3節に当たる部分を朗読します。(ルカ 4:16-19)
3 そこはメシアについての預言が書かれている所で,聴衆はその内容を知っていたはずです。皆がじっとイエスを見つめ,会堂は静まり返ります。イエスは,「皆さんがいま聞いたこの聖句は,今日実現しています」と言います。それから聖句の意味を詳しく説明したと思われます。聴衆はイエスが語った魅力的な言葉に驚きますが,まだ多くの人が奇跡を見たいと思っていたようです。そこで,イエスは聖書に書かれている例を使い,その人たちに信仰がないことをはっきり指摘します。それを聞いたナザレの人たちは,イエスを殺そうとします。(ルカ 4:20-30)
4. イエスは宣教で何を大切にしていましたか。この章ではどんなことを考えますか。
4 この例から,イエスが宣教で何を大切にしていたかが分かります。イエスはいつも神の言葉を根拠として伝道しました。もちろん奇跡も,イエスが神の聖なる力を受けていることの強力な証拠となりました。でもイエスは,聖書が何よりも重要だと考えていました。では,イエスが神の言葉を引用し,攻撃から守り,説明する点でどんな手本を残しているか考えてみましょう。
神の言葉を引用した
5. イエスは皆にどんなことを知ってほしいと思っていましたか。自分の教えの出どころを示すために何をしましたか。
5 イエスは,自分が伝えているメッセージの出どころを皆に知ってほしいと思っていました。こう言っています。「私の教えは私のものではなく,私を遣わした神のものです」。(ヨハネ 7:16)別の時にはこう言いました。「私[は]何事も自分の考えで行ってい[るのではありません。] 父が教えてくださった通りに,これらのことを話しています」。(ヨハネ 8:28)次のように言ったこともあります。「あなたたちに言うことは,独自の考えで言っているのではありません。私とずっと結び付いている父が私を通して行動しているのです」。(ヨハネ 14:10)イエスは神の言葉である聖書を何度も引用することにより,自分が確かに神の教えを伝えていることを示しました。
6-7. (ア)イエスはヘブライ語聖書のどれほどの部分から引用しましたか。それがすごいことだと言えるのはどうしてですか。(イ)イエスの教え方は律法学者たちとどのように違っていましたか。
6 記録に残っているイエスの言葉をよく調べると,イエスがヘブライ語聖書の半分以上の書から引用したり,その内容に触れたりしたことが分かります。意外と少ないと感じますか。3年半も伝道して人々を教えたのに,当時の聖書の全ての書から引用しなかったのはどうしてだろう,と思うかもしれません。実際には,イエスはきっとそうしたに違いありません。記録に残っているのは,イエスが言ったりしたりしたことのごく一部にすぎません。(ヨハネ 21:25)福音書に書かれているイエスの言葉を全部朗読しても,数時間しかかからないでしょう。では,自分が神や王国について数時間だけ話すとしたら,ヘブライ語聖書の半分以上の書から引用できるだろうか,と考えてみてください。しかもイエスの場合には,巻物が手元にないことがほとんどでした。それでも,例えば有名な山上の垂訓を語った時には,ヘブライ語聖書の内容に何度も言及しています。全て記憶していたのです。
7 イエスが聖書をよく引用したことから,神の言葉にどれほど深い敬意を持っていたかが分かります。イエスの話を聞いた人たちは,「その教え方に大変驚」きました。イエスが「律法学者たちのようにではなく,権威を授かった人のように教えていたから」です。(マルコ 1:22)律法学者たちは,教える時にいわゆる口伝律法を好んで引き合いに出しました。昔の博学なラビたちの言葉を引用したのです。対照的にイエスは,自分の教えの裏付けとして口伝律法やラビの言葉を使うことは一度もありませんでした。弟子たちを教えるときにも,間違った考えを正すときにも,常に神の言葉に基づいて語り,「……と書いてあります」といった表現を何度も使いました。
8-9. (ア)イエスは神殿を清めた時,神の言葉に基づいて行動していることをどのように示しましたか。(イ)宗教指導者たちは神殿でどのように聖書に対してひどく不敬な態度を取りましたか。
8 イエスはエルサレムの神殿を清めた時,こう言いました。「『私の家は祈りの家と呼ばれる』と書いてあるのに,あなた方はそれを強盗のすみかとしています」。(マタイ 21:12,13。イザヤ 56:7。エレミヤ 7:11)その前日,イエスは神殿で多くの奇跡を行いました。感動した少年たちがイエスをたたえ始めます。しかし,宗教指導者たちは憤り,子供たちが言っていることが聞こえるか,とイエスに言います。イエスはこう答えます。「はい。『あなたは,幼い子供たちの口から賛美を生じさせた』とあるのを読んだことがないのですか」。(マタイ 21:16。詩編 8:2)聖書に書かれている預言通りのことが起きているということを,宗教指導者たちに知ってほしかったのです。
9 後に宗教指導者たちは一団となって,「どんな権威でこうしたことをするのか」とイエスに詰め寄ります。(マタイ 21:23)イエスは自分の権威がどこから来ているかをすでにはっきり示していました。自分の考えで新しいことを教えていたのではなく,天の父の言葉に基づいて教え,行動していたにすぎません。ですから,イエスに食って掛かった祭司や律法学者たちは,実際にはエホバと聖書に対してひどく不敬な態度を取っていたのです。イエスに魂胆を暴かれ,とがめられたのも当然です。(マタイ 21:23-46)
10. 神の言葉を使う点でどのようにイエスに見習えますか。イエスの時代にはなかったどんなツールがありますか。
10 イエスと同じように,現代の本物のクリスチャンも聖書を根拠として伝道します。エホバの証人は,聖書からメッセージを伝える人たちとして世界中で知られています。エホバの証人の出版物では聖書がよく引用されます。私たちは伝道で人と話す時にも,できるだけ聖書を使います。(テモテ第二 3:16)聖句を読んで説明したり,神の言葉がどれほどためになるかについて話し合ったりできると,本当にうれしいものです。私たちはイエスのような完全な記憶力はありませんが,イエスの時代にはなかったさまざまなツールを使うことができます。ますます多くの言語で出版されている聖書全巻に加えて,聖書のメッセージを伝えるのに役立つ雑誌や本やパンフレットなどがたくさんあります。なるべく聖書を引用し,人々の注意を聖書に向けるように努力しましょう。
神の言葉を攻撃から守った
11. イエスが神の言葉を攻撃から守らなければならなかったのはどうしてですか。
11 神の言葉は頻繁に攻撃されていましたが,イエスはそのことで動じたりしませんでした。天の父への祈りの中で,「あなたの言葉は真理です」と言いました。(ヨハネ 17:17)「世の支配者」であるサタンが「うそつきで,うその根源」だということもよく知っていました。(ヨハネ 8:44; 14:30)サタンからの誘惑を退けた時,イエスは聖書を3回引用しました。サタンが詩編の言葉を自分の都合のいいように引用すると,イエスはサタンが間違っていることを示して神の言葉を守りました。(マタイ 4:6,7)
12-14. (ア)宗教指導者たちはモーセの律法をどのように不敬に扱っていましたか。(イ)イエスはどのように神の律法を間違った教えから守りましたか。
12 聖書を間違って解釈したり,神の言葉をねじ曲げて教えたりする人が多かったので,イエスはそういう人たちから聖書を守るために奮闘しました。当時の宗教指導者たちは,神の言葉の教え方が非常に偏っていました。モーセの律法を厳格に守るようにと口うるさく言う一方で,律法の基になっている原則についてはほとんど教えませんでした。そのようにして,体裁ばかりを気にするうわべだけの崇拝を人々に押し付け,公正や憐れみや忠実さなどのもっと重大な事柄を無視していました。(マタイ 23:23)イエスはどのように神の律法を間違った教えから守ったでしょうか。
13 山上の垂訓の中で,イエスは何度も「あなたたちは,こう命じられたのを知っています」と言って,モーセの律法の法令を取り上げました。そのたびに,「しかし私は言います」と続け,法令の根底にある原則について説明しました。律法を否定していたのではなく,表面的な解釈から守っていたのです。例えば,「殺人をしてはならない」というおきてはよく知られていましたが,人を憎むこともこのおきての基になっている考えに反しているとイエスは教えました。同じように,自分の配偶者ではない人に情欲を抱くことは,姦淫を禁じる神の律法の根底にある原則に反していると指摘しました。(マタイ 5:17,18,21,22,27-39)
14 イエスはこうも言いました。「あなたたちは,こう命じられたのを知っています。『隣人を愛し,敵を憎まなければならない』。しかし私は言います。敵を愛し続け,迫害する人のために祈り続けなさい」。(マタイ 5:43,44)「敵を憎まなければならない」という命令は,神の言葉に含まれていたでしょうか。そうではなく,これは宗教指導者たちが勝手に教えていたことでした。神の完全な律法に人間の考えを混ぜ込み,質を落としていたのです。イエスはそうした人間の伝統の有害な影響から,神の言葉を勇敢に守りました。(マルコ 7:9-13)
15. イエスは,神の律法が非常に厳しいものであるかのように思わせる人たちから,どのように律法を守りましたか。
15 宗教指導者たちは,神の律法が非常に厳しいものであるかのように思わせることによっても,律法を攻撃しました。イエスの弟子たちが畑の中を通りながら穀物の穂をむしって食べた時,それを見たパリサイ派の人たちは安息日を守っていないと言って非難しました。イエスは聖書に書かれている例を引き合いに出して,この極端な解釈から神の言葉を守りました。空腹だったダビデと仲間たちが,神の家の供え物のパンを食べたことに触れたのです。それは聖書に記録されている,祭司ではない人が聖なるパンを食べた唯一の例です。こうしてイエスは,パリサイ派の人たちがエホバの憐れみや思いやりを正しく理解していないことを示しました。(マルコ 2:23-27)
16. 宗教指導者たちはモーセの律法の離婚に関する規定をどう解釈していましたか。イエスはどうしましたか。
16 宗教指導者たちは,律法の抜け道を考え出して,神の律法の効力を弱めることもしていました。一例として,律法によれば,夫は妻に「恥ずべき点」があるのが分かった場合には離婚することができました。「恥ずべき点」とは,家族の恥となる重大な問題のことだと思われます。(申命記 24:1)ところがイエスの時代には,宗教指導者たちはそれを都合よく解釈し,夫はあらゆる理由で妻と離婚できるとしていました。夕食を焦がしたことさえ離婚の根拠になりました。a イエスは,モーセが聖なる力に導かれて語った言葉を彼らがひどく曲解していることを指摘し,結婚に関するエホバの当初の基準を示しました。結婚は1人の男性と1人の女性の結び付きであり,離婚の正当な根拠となるのは性的不道徳だけです。(マタイ 19:3-12)
17. 現代のクリスチャンは,イエスに見習ってどのように神の言葉を攻撃から守れますか。
17 キリストの現代の弟子たちも,聖書を攻撃から守りたいと思っています。宗教指導者たちは,正しい生き方に関する聖書の教えは時代遅れだとほのめかすことにより,聖書を攻撃しています。聖書の教理だと言って間違ったことを教えることもあります。私たちは,神が三位一体の一部ではないことを示すなどして,神の清い真理の言葉を攻撃から守れることを誇らしく思っています。(申命記 4:39)もちろん,批判的な言い方はせず,いつでも温和に敬意を込めて話すようにします。(ペテロ第一 3:15)
神の言葉を説明した
18-19. イエスは神の言葉を説明するのがとても上手でした。どんな例からそのことが分かりますか。
18 ヘブライ語聖書が書かれた時,イエスは天にいました。地上に来て神の言葉を説明でき,とてもうれしく思ったことでしょう。一例として,復活した後にエマオへ向かう道で2人の弟子に会った時のことを考えましょう。最初イエスだと気付かなかった2人は,愛する主人を亡くして自分たちがどれほど悲しみ,動揺しているかを話します。イエスはどうしたでしょうか。「モーセと全ての預言者の書から始めて,聖書全巻にある自分に関連した事柄を2人に解き明かし」ました。2人はそれを聞いてどう思ったでしょうか。後に互いにこう言っています。「あの方が道中,話してくれた時,聖書をはっきり説明してくれた時,私たちの心は燃えていたではないか」。(ルカ 24:15-32)
19 その日の後刻,イエスは使徒たちや他の人と会いました。その時にも,「聖書の意味を把握できるよう弟子たちの思考を十分に刺激し」ました。(ルカ 24:45)弟子たちは,それまでもイエスが何度も同じようにしてくれたことを思い出したに違いありません。イエスはしばしば,よく知られている聖句を取り上げて十分に説明し,聞いている人たちが神の言葉をより深く理解して新しいことを学べるように助けました。
20-21. イエスは,燃える木の所でエホバがモーセに語った言葉をどのように説明しましたか。
20 ある時,イエスはサドカイ派の人たちにも神の言葉を説明しました。サドカイ派は祭司たちとの結び付きが強いユダヤ教の教派で,復活を信じていませんでした。イエスは彼らにこう言いました。「死者の復活に関して,神が語った事柄を読まなかったのですか。こう言っています。『私はアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』。この方は死んだ人の神ではなく,生きている人の神です」。(マタイ 22:31,32)この時イエスが使った聖句は,サドカイ派の人たちもよく知っていて,彼らが尊敬するモーセが書いたものでした。イエスの説明にとても説得力があると言えるのはどうしてでしょうか。
21 モーセが燃える木の所でエホバと話したのは,紀元前1514年ごろのことでした。(出エジプト記 3:2,6)アブラハムが亡くなってから329年,イサクが亡くなってから224年,ヤコブが亡くなってから197年がたっていました。それでもエホバは,「私は[彼らの]神である」と言いました。サドカイ派の人たちもよく知っていたように,エホバは死後の世界を治めているとされる異教の神々とは全く違います。イエスが言った通り「生きている人の」神です。では,どんな結論になるでしょうか。イエスの力強い説明によると,「彼らは皆,神にとっては生きているのです」。(ルカ 20:38)薄れることのない無限の記憶を持つエホバは,自分に仕えた愛する人たちが亡くなってもその人たちのことをずっと覚えていて,確実に生き返らせます。ですから,その人たちは生きているも同然なのです。(ローマ 4:16,17)実に見事な説明ではないでしょうか。それを聞いた群衆が「大変驚いた」のもうなずけます。(マタイ 22:33)
22-23. (ア)イエスに見習ってどのように神の言葉を説明できますか。(イ)次の章ではどんなことを考えますか。
22 現代のクリスチャンにも,イエスに見習って神の言葉を説明するという素晴らしい役割が与えられています。イエスのように完璧にはできないまでも,会う人たちと聖句について話し合えます。相手はその聖句を知っているとしても,その意味を深く考えたことはないかもしれません。例えば,「御名が崇められますように」とか「御国が来ますように」といった言葉を知ってはいても,「御名」や「御国」が実際のところ何なのかは聞いたことがない人がいます。(マタイ 6:9,10,「新共同訳」,日本聖書協会)そうしたことを聖書から分かりやすく説明し,真理を知ってもらえると,本当にうれしく感じます。
23 ぜひ神の言葉を引用し,攻撃から守り,説明して,イエスのように真理を伝えていきましょう。次の章では,イエスがどのように聖書の真理を上手に教え,聞く人たちの心を動かしたか,さらに考えます。
a パリサイ派の人で離婚歴があった1世紀の歴史家ヨセフスは後に,男性たちがさまざまな理由で離婚していることに触れ,「どんな理由であれ」離婚は許されるという考えを示しました。
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「あのように話した人はこれまでいませんでした」「来て,私の弟子になりなさい」
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第11章
「あのように話した人はこれまでいませんでした」
1-2. (ア)イエスを捕まえるために遣わされた下役たちが,イエスを連れずに戻ったのはどうしてですか。(イ)イエスが非常に優れた教師だったのはどうしてですか。
パリサイ派の人たちは怒りに燃えています。イエスが神殿で天の父について教えているからです。聞いている人たちの反応はさまざまで,イエスに信仰を持った人がたくさんいる一方,イエスを捕まえたいと思っている人もいます。怒りを抑え切れない宗教指導者たちは,イエスを捕まえようとして下役たちを遣わします。しかし,下役たちはイエスを連れずに戻ります。祭司長とパリサイ派の人たちが「どうして彼を連れてこなかったのか」と問いただすと,下役たちは「あのように話した人はこれまでいませんでした」と答えます。イエスの教えがあまりに素晴らしかったので,捕まえる気にならなかったのです。a (ヨハネ 7:45,46)
2 イエスの教えに驚いたのはこの下役たちだけではありませんでした。大勢の人が,イエスの話を聞くためだけに集まりました。(マルコ 3:7,9; 4:1。ルカ 5:1-3)イエスがそれほど優れた教師だったのはどうしてでしょうか。第8章で考えたように,イエスは自分が教える真理を愛していて,人々のことも愛していました。また,上手な教え方もよく知っていました。では,イエスの教え方の特長を3つ調べ,どのように倣えるかを考えましょう。
シンプルに分かりやすく教えた
3-4. (ア)イエスが簡単な言葉を使って教えたのはどうしてですか。(イ)イエスがシンプルに分かりやすく教えたことは,山上の垂訓にどのように表れていますか。
3 イエスはその気になれば,誰よりもたくさんの語彙を使いこなせたでしょう。でも,聴衆が理解できないような言葉を使って教えることは決してありませんでした。聴衆の多くが「教育のない普通の人」だということを意識していたのです。(使徒 4:13)イエスはその人たちの限界を思いやり,受け止められないほど多くのことを一度に教えたりはしませんでした。(ヨハネ 16:12)簡単な言葉を使いながらも,深い真理を教えました。
4 一例として,マタイ 5章3節から7章27節に書かれている山上の垂訓について考えてみましょう。イエスはこの垂訓の中で,物事の核心を突く深いアドバイスを与えています。それでも,複雑な説明や言い回しはしていません。子供でもすぐに分かるような言葉を使っています。イエスの話を聞いていた人たちの中には農家の人や羊飼いや漁師もたくさんいたと思われますが,イエスが話し終えた時,皆がイエスの「教え方に大変驚いて」いました。(マタイ 7:28)
5. イエスはシンプルな表現を使って深い意味のあることを言いました。どんな例がありますか。
5 イエスは教える時によく,短くて分かりやすい表現を使って深い意味のあることを言いました。そのようにして,まだ本などなかった時代に,自分の教えが聞いている人たちの記憶と印象に残るようにしたのです。例えばこういうことを言いました。「裁くのをやめなさい。裁かれないためです」。「健康な人に医者は必要ではなく,病気の人に必要なのです」。「心は強く願っていても,肉体は弱いのです」。「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。「受けるより与える方が幸福である」。b (マタイ 7:1; 9:12; 26:41。マルコ 12:17。使徒 20:35)語られてから2000年近くたった今でも,こうした言葉には強いインパクトがあります。
6-7. (ア)簡単な言葉を使って教えるのが大事なのはどうしてですか。(イ)一度にあまりに多くのことを教えて相手を圧倒してしまうことがないよう,どんなことができますか。
6 私たちもどうすればシンプルに分かりやすく教えることができるでしょうか。1つの大事なポイントは,大抵の人がすぐに理解できるような簡単な言葉を使うことです。聖書の基本的な真理は決して難解ではありません。エホバは自分の考えを,誠実で謙遜な人なら誰でも理解できるようにしてきました。(コリント第一 1:26-28)よく選んだシンプルな表現を使えば,真理を分かりやすく伝えられます。
いつでもシンプルに分かりやすく教えましょう
7 聖書レッスンでは,一度にあまりに多くのことを教えて相手を圧倒してしまうことがないようにするのも大切です。あらゆることを事細かに教える必要はありません。とにかく決まった分量を終わらせようとして急いでレッスンを進める必要もありません。学んでいる人の状況や理解力などに応じてレッスンのペースを決めましょう。目標は,キリストの弟子になってエホバを崇拝するようその人を助けることです。そのためには,相手が学んでいることを十分に理解できるよう,必要なだけ時間をかけなければなりません。そうすれば相手は聖書の真理に心を動かされ,学んだことに沿って行動したいという気持ちになるでしょう。(ローマ 12:2)
上手に質問をした
8-9. (ア)イエスは何のために質問をしましたか。(イ)神殿税を払うかどうかについてペテロが正しい答えを出せるよう,イエスはどのように質問しましたか。
8 イエスは,自分で説明した方が手っ取り早い場合にも,上手に質問を使って教えました。何のために質問したのでしょうか。時には,鋭い質問をして反対者たちの考えを明らかにし,それ以上反論できないようにしました。(マタイ 21:23-27; 22:41-46)とはいえ大抵は,弟子たちの考えや気持ちを引き出し,考える力を伸ばすために質問をしました。それで,「どう考えますか」とか「このことを信じますか」などと尋ねました。(マタイ 18:12。ヨハネ 11:26)質問によって弟子たちの心を動かすようにしたのです。1つの例を考えてみましょう。
9 ある時,税を徴収する人たちがペテロに,イエスは神殿税を払わないのかと尋ねました。c ペテロはすぐに「払います」と答えます。その後,イエスはペテロに考えさせるためにこう聞きます。「シモン,どう考えますか。地上の王たちは物品税や人頭税を誰から受け取っていますか。自分の子からですか,それともほかの人からですか」。ペテロが「ほかの人からです」と答えると,イエスは「そうであれば,子は税を課されていません」と言います。(マタイ 17:24-27)ペテロは,イエスがその質問によって何を言いたかったのかよく分かったことでしょう。王の家族は税を免除されていました。ですから,神殿で崇拝されている天の王の独り子であるイエスには,神殿税を払う義務はありませんでした。イエスは,税を徴収する人たちにどう答えるべきだったかをただペテロに伝えるのではなく,上手に質問をして,ペテロが自分で正しい答えを出せるようにしました。ペテロは,今後は答える前にもっとよく考える必要があるということも学んだでしょう。
相手に合わせて,興味を引きそうな質問をしましょう
10. 伝道でどのように上手に質問できますか。
10 私たちは伝道でどのように上手に質問できるでしょうか。家の人の興味を引きそうなことを質問し,良い知らせを伝えるきっかけをつくれるかもしれません。例えば,年配の人が出てきたら,敬意を払いつつ,「世の中が変わったなと感じることはありますか」と聞いてみることができます。答えを聞いてから,さらにこう質問できます。「いずれもっと暮らしやすい世の中になると思われますか」。(マタイ 6:9,10)幼い子供がいる母親が出てきたら,「お子さんが大人になる頃にはもっといい世の中になっていてほしいと思われませんか」と尋ねられます。(詩編 37:10,11)家の様子などをよく見て,どんな質問をしたら家の人が興味を持ってくれそうか考えることができます。
11. 聖書レッスンではどのように上手に質問できますか。
11 聖書レッスンの時にも,学んでいる人の考えや気持ちを引き出すような質問ができます。(格言 20:5)例えば,「いつまでも幸せに暮らせます」d の本のレッスン43,「クリスチャンはお酒を飲んでもいい?」を一緒に学んでいるとしましょう。そのレッスンでは,飲み過ぎや酩酊を神がどう見ているかが取り上げられています。相手は聖書が教えていることを正しく答えるかもしれませんが,学んだことに本当に同意しているでしょうか。そのことを知るため,「神のこの見方はもっともだと思いますか」,「学んだことをどんなふうに生かせそうですか」などと聞いてみることができます。そうするときも,相手の尊厳を尊重することが大切です。きまりの悪い思いをさせるようなことは不用意に聞かないようにしましょう。(格言 12:18)
論理的で説得力のある話し方をした
12-14. (ア)イエスはどんなときに人に筋道立てて考えさせましたか。(イ)パリサイ派の人たちがイエスの力はサタンからのものだと主張した時,イエスはどのように論理的に話しましたか。
12 完全な知力を持っていたイエスは,人に筋道立てて考えさせるのがとても上手でした。反対者たちに不当に非難された時には,見事に論破しました。弟子たちに大切なことを教える時にも,論理的で説得力のある話し方をしました。幾つかの例を見てみましょう。
13 邪悪な天使に取りつかれた,目が見えなくて口が利けない男性をイエスが癒やした時のことです。パリサイ派の人たちが,「この男が邪悪な天使を追い出すのは,邪悪な天使の支配者ベエルゼブブ[サタン]の力によるのだ」と言って非難しました。邪悪な天使を追い出すには普通の人間にはない力が必要だということは認めていましたが,イエスの力はサタンからのものだとしたのです。この非難は不当なだけでなく,筋の通らないものでした。イエスは彼らの考えが間違っていることを示し,こう言いました。「内部で分裂している王国はどれも荒廃し,内部で分裂している町や家はどれも長くは続きません。同じように,サタンがサタンを追い出すなら,サタンが自分自身に敵対して分裂していることになります。そうしたら,その王国はどうして長く続くでしょうか」。(マタイ 12:22-26)つまりイエスは,「私がサタンから力をもらって邪悪な天使を追い出しているとすれば,サタンは自分で自分に反対して自滅に向かっていることになります」と言っていたのです。反論の余地がない論理です。
14 イエスはさらに話を続けます。パリサイ派の弟子たちも邪悪な天使を追い払っていることを知っていたので,的を射た次の質問をします。「もし私がベエルゼブブによって邪悪な天使を追い出すのであれば,あなた方の弟子は誰によって追い出すのですか」。(マタイ 12:27)つまり,「もし私がサタンの力によって邪悪な天使を追い出しているのであれば,あなた方の弟子もそうだということになりますね」と言っていたのです。パリサイ派の人たちはぐうの音も出ません。自分たちの弟子がサタンから力をもらっているなどと認められるわけがないからです。こうしてイエスは,彼らの考えが間違っていることを論理的に示し,自分が神からの力によって邪悪な天使を追い出していることを彼らが認めざるを得ないようにしました。イエスが筋道立てて話した様子について読むだけでも感心するのではないでしょうか。イエスが話すのを直接聞いていた群衆は,イエスの堂々とした様子や声の調子も相まって,いっそう強い説得力を感じたことでしょう。
15-17. イエスが「まして」という言葉を使って天の父がどれほど愛情深い方かを教えた,どんな例がありますか。
15 イエスは天の父がどれほど愛情深く信頼できる方であるかを教えるときにも,論理的で説得力のある話し方をしました。よく「まして」という言葉を使い,聞いている人たちがよく知っていることに基づいて強い確信を持てるように助けました。e そのように物事を比較して教えることにより,イエスは人の心を動かしました。2つの例を考えてみましょう。
16 祈り方を教えてほしいと弟子たちに言われた時,イエスは不完全な人間の親でも喜んで子供に「良い贈り物」を与えることについて話し,結論としてこう言いました。「あなたたちが罪深い人間でありながら,子供に良い贈り物を与えることを心得ているのであれば,まして天の父は,ご自分に求めている人に聖なる力を与えてくださるのです」。(ルカ 11:1-13)このようにイエスは,人間の親とエホバを比較して教えました。罪深い人間の親でも子供に必要なものを与えるのですから,完全でいつも正しいことを行う天の父はなおのことそうしてくれるはずです。エホバを崇拝し謙遜に助けを祈り求める人たちに,喜んで聖なる力を与えてくれるのです。
17 イエスは,生活のことで心配しないようにというアドバイスを与えた時にも,同じような教え方をしました。こう言っています。「ワタリガラスのことを考えなさい。種をまいたり刈り取ったりしませんし,納屋も倉も持っていません。それでも神はその鳥を養っています。あなたたちは鳥よりずっと価値があるのではありませんか。ユリがどのように育つかを考えなさい。苦労して働いたり,糸を紡いだりはしません。……神が,今日は生えていて明日火に放り込まれる野の草木にこのように服を与えているなら,ましてあなたたちには服を与えてくださるのです。信仰の少ない人たち」。(ルカ 12:24,27,28)エホバは鳥や花を世話しているのですから,ご自分を愛し崇拝する人たちのことも必ず世話してくれます。このように教えてもらうと心に響き,信仰が強まります。
18-19. 目に見えない神は信じられないと言う人に,どのように筋道立てて話せますか。
18 私たちも伝道で論理的で説得力のある話し方をし,間違った宗教の教えの矛盾に気付かせたり,エホバがどれほど素晴らしい方かを伝えたりしたいものです。(使徒 19:8; 28:23,24)長々と込み入った説明をする必要はありません。イエスの手本から学べる通り,シンプルに分かりやすく話すのが一番です。
19 例えば,目に見えない神は信じられないと言われたら,どのように話せるでしょうか。何らかの結果には必ず原因があるという法則に基づいて,こんなふうに言えるかもしれません。「快適な家が建っていて,中に食べ物もいっぱいあったら(結果),その家を建てて食べ物を準備した人(原因)がいるはずではないでしょうか。そうであれば,地球という快適な住まいがあって,食べ物もたくさんある(結果)のは,誰か(原因)が地球をそのように造ったからではないでしょうか。聖書にもこんな言葉があります。『家は全て誰かによって造られるのであり,全てのものを造ったのは神です』」。(ヘブライ 3:4)もちろん,どんなに説得力のあることを言っても,全ての人が納得するわけではありません。(テサロニケ第二 3:2)
相手の心を動かすことを目指して,筋道立てて話しましょう
20-21. (ア)エホバがどんな方かを教えるときに,イエスのように物事を比較する方法をどのように使えますか。(イ)次の章ではどんなことを考えますか。
20 伝道や集会でエホバがどんな方かを教えるときに,イエスのように物事を比較する方法も使えます。例えば,神は悪いことをした人を火の燃える地獄で永遠に苦しめるようなことは絶対にしない,ということをこんなふうに説明できるかもしれません。「子供を愛している父親が,罰を与えるために子供を火であぶったりするでしょうか。では,人間の親よりさらに愛情深い天の父にとって,地獄で人を苦しめることなど考えられないのではないでしょうか」。(エレミヤ 7:31)兄弟姉妹が気落ちしていたら,エホバがその人を愛していることを確信させるためにこう言えます。「小さなスズメでさえ大事に思っているエホバは,間違いなく兄弟(姉妹)のことを深く愛して気遣っていますよ。兄弟(姉妹)はずっと頑張ってエホバに仕えてきましたから,エホバにとってすごく大切な存在だと思います」。(マタイ 10:29-31)このように論理的に話せば,人の心を動かせるでしょう。
21 こうしてイエスの教え方の特長を3つ調べただけでも,イエスを捕まえられなかった下役たちが言った,「あのように話した人はこれまでいませんでした」という言葉が大げさではなかったことが分かります。次の章では,イエスがよく例えを使って教えたことについて考えます。それはイエスの教え方の最大の特長とも言えます。
a この下役たちはサンヘドリンの職員で,祭司長たちの権限の下にあったと思われます。
b この最後の言葉は使徒 20章35節に書かれています。イエスの言葉としてこれを取り上げているのは,使徒パウロだけです。パウロはこの言葉を,イエスがそう言うのを聞いた人か,復活したイエス自身から聞いたのかもしれません。あるいは,神から啓示されたとも考えられます。
c ユダヤ人は神殿税として毎年2ドラクマを払うよう求められていました。2ドラクマは2日分の賃金に相当しました。ある本にはこう書かれています。「この税は主に,毎日捧げられる全焼の捧げ物や,民のために捧げられるさまざまな犠牲全ての費用を賄うために使われた」。
d 発行: エホバの証人
e このような論法は,「ア・フォルティオリ」と呼ばれることがあります。このラテン語の表現には,「いっそう強力な理由で,さらに確かに,なおさら」という意味があります。
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「例えを使わずに話そうとはしなかった」「来て,私の弟子になりなさい」
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第12章
「例えを使わずに話そうとはしなかった」
1-3. (ア)イエスと一緒に旅をしている弟子たちにはどんな素晴らしい機会がありましたか。弟子たちがイエスの教えをよく覚えていられたのはどうしてですか。(イ)良い例えが記憶に残るのはどうしてですか。
イエスと一緒に旅をしている弟子たちには,偉大な教師から直接学ぶという素晴らしい機会がありました。神の言葉の意味を説明し,感動的な真理を教えるイエスの声を聞けたのです。イエスの言葉が書き記されるのはしばらく先のことだったので,それまで弟子たちはイエスが話した大切なことを覚えておかなければなりません。a それでイエスは,弟子たちが覚えやすいような教え方をします。特に,記憶に残る例えをとても上手に使いました。
2 良い例えは確かに印象に残ります。ある専門家によると,例えは「耳を目にならせ」,聞く人が「頭の中で絵を描きながら考え」られるようにします。絵や映像を使って説明すると分かりやすいのと同じように,例えを使うと抽象的な概念も理解しやすくなります。話が生き生きとし,大切な教訓が聞く人の脳裏に刻まれます。
3 イエス・キリストほど上手に例えを使った人は,これまで誰もいません。現代に至るまで,イエスの例えは多くの人にインパクトを与えてきました。では,イエスが教える時によく例えを使ったのはどうしてでしょうか。イエスの例えはどんなところが良かったのでしょうか。どうすればイエスのように例えを使って上手に教えられるでしょうか。
イエスが例えを使って教えたのはなぜか
4-5. イエスはどんな理由で例えを使いましたか。
4 聖書によれば,イエスが例えを使ったのには2つの重要な理由がありました。1つは,預言を実現させるためです。マタイ 13章34,35節にはこう書かれています。「イエスは……例えで群衆に話した。実際,例えを使わずに話そうとはしなかった。預言者を通してこう語られたことが実現するためである。『私は口を開いて例えを語り,始めから隠されてきた事柄を言い広める』」。ここでマタイが引用している預言は,詩編 78編2節です。詩編作者はイエスが生まれる何世紀も前に,神の聖なる力に導かれてその言葉を書きました。エホバは何百年も前から,メシアが例えを使って教えることを予告していたのです。エホバがその教え方に大きなメリットがあると考えていることが分かります。
5 イエスが例えを使った2つ目の理由は,真理を受け入れる人たちと「心が鈍く」なった人たちをいわばふるい分けるためでした。(マタイ 13:10-15。イザヤ 6:9,10)イエスの例えによって人々の心の状態が明らかになったのはどうしてでしょうか。イエスは時に,説明がなければ十分に理解できないような例えを語りました。謙遜な人は例えの意味を尋ねましたが,傲慢な人や無関心な人はそうしませんでした。(マタイ 13:36。マルコ 4:34)ですから,イエスは例えを使うことにより,真理を求める人たちには真理を明らかにし,高慢な人たちからは真理を隠したのです。
6. イエスが例えを使ったことには,ほかにもどんなメリットがありましたか。
6 イエスが例えを使ったことには,ほかのメリットもありました。人々は興味を引かれ,もっと聞きたいという気持ちになりました。内容を頭の中で思い描き,よく理解することができました。そして冒頭でも考えた通り,イエスが話したことをよく覚えておくことができました。イエスが特にふんだんに例えを使った例として,マタイ 5章3節から7章27節に書かれている山上の垂訓が挙げられます。この垂訓には50を超える比喩表現が含まれているともいわれています。全体を20分ほどで話せることを考えると,平均して20秒に1回比喩表現が使われていることになります。すぐにイメージが思い浮かぶような教え方をイエスが意識していたことがよく分かります。
7. イエスに見習って例えを使うとよいのはどうしてですか。
7 キリストの弟子である私たちも,イエスに見習って例えを使って教えたいと思います。食べ物の味を引き立てる調味料のように,良い例えは私たちが語ることをいっそう魅力的にします。また,よく考えられた例えを使うと,重要な真理が分かりやすくなります。では,イエスの例えのどんなところが良かったのかさらに詳しく考え,例えを使った上手な教え方を学びましょう。
シンプルな例えを使った
イエスは鳥や花を例えに使い,神が必要な物を与えてくれることを教えた
8-9. イエスはシンプルで分かりやすいどんな例えを使いましたか。
8 イエスが教える時によく使った例えは,短くてシンプルなものでした。イエスは簡単な言葉で,聞いている人が生き生きとしたイメージを思い描けるようにし,重要な真理を分かりやすく教えました。例えば,衣食住のことで心配しないよう弟子たちにアドバイスした時,「鳥」や「ユリ」に注目させました。鳥は種をまいたり作物を刈り取ったりしませんし,ユリは糸を紡いだり布を織ったりしません。それでも,神のおかげで食べ物に困ることはなく,きれいに装っています。要点は明らかです。神は,鳥や花に必要な物を与えているのですから,「王国……をいつも第一に」している人たちにも必ず必要な物を与えてくださるのです。(マタイ 6:26,28-33)
9 イエスは,比喩の一種でインパクトの強い隠喩もよく使いました。隠喩とは,「……のようだ」といった表現を使わずにあるものを別のもので例えることです。例えば,ある時イエスは弟子たちに,「あなたたちは世の光です」と言いました。弟子たちはすぐにポイントをつかめたことでしょう。光を輝かせるかのように,自分たちの言動によって真理を明らかにし,神がたたえられるようにすることができる,ということです。(マタイ 5:14-16)イエスはほかにも,「あなたたちは地の塩です」とか「私はブドウの木,あなたたちはその枝です」といった隠喩を使いました。(マタイ 5:13。ヨハネ 15:5)こうした例えはどれも,シンプルだからこそ強い印象を与えます。
10. 教える時にどんな例えを使えますか。
10 私たちも教える時にシンプルな例えを使いたいものです。凝った話を長々とする必要はありません。例えば,復活について話し合っていて,死んだ人を生き返らせることはエホバにとって難しくないということを説明したい場合,どんな例えを使えるでしょうか。聖書の中で死は眠りに例えられているので,こう言えるかもしれません。「神にとって,死んだ人を生き返らせるのは,眠っている人を起こすようなものなんですよ」。(ヨハネ 11:11-14)子供がすくすく育つには親からの愛情や思いやりが必要だということを伝えたい場合はどうでしょうか。聖書では子供が「オリーブの若枝」に例えられています。(詩編 128:3)それで,「子供にとって愛情や思いやりは,植物にとっての日光や水のようなものです」と言えます。例えがシンプルであればあるほど,聞く人はポイントをつかみやすくなります。
日常的な事柄を題材にした
11. イエスは故郷のガリラヤで観察したであろうどんなものを例えの題材にしましたか。
11 イエスは一般の人の生活に基づく例えを上手に使いました。故郷のガリラヤで観察したであろう日常的な光景をよく題材にしました。子供の頃,母親が粉をひき,パン生地に酵母を混ぜ,ランプをともし,家の中を掃くのを何度も見たことでしょう。(マタイ 13:33; 24:41。ルカ 15:8)漁師がガリラヤ湖に網を下ろすのもよく目にしたはずです。(マタイ 13:47)子供たちが広場で遊ぶのも,見慣れた光景でした。(マタイ 11:16)イエスはほかにも,種まき,結婚披露宴,色づいた穀物畑など,自分が実際に見た事柄をいろいろな例えで使っています。(マタイ 13:3-8; 25:1-12。マルコ 4:26-29)
12-13. イエスが親切なサマリア人の例え話を,「エルサレムからエリコに下っていく」道路という場面設定にしたのはどうしてですか。
12 イエスは,聞いている人たちがよく知っている細かい情報を例えに含めることもありました。一例として,親切なサマリア人の例え話の冒頭でこう言いました。「ある男性がエルサレムからエリコに下っていく途中で,強盗たちに襲われました。強盗は服を剝ぎ,殴り,半殺しにして去っていきました」。(ルカ 10:30)イエスが「エルサレムからエリコに下っていく」道路という場面設定にしたことに注目できます。この例え話が語られたのはユダヤのエルサレムからそう遠くない場所だったので,聴衆はその道路のことを知っていたに違いありません。それは人里離れた所を通る曲がりくねった道路で,強盗が隠れられるような場所がたくさんあったので,特に1人で歩くには危険なことで知られていました。
13 イエスはほかにも,聞いている人たちにとってなじみ深い情報を含めました。例え話の続きで,まず祭司が,次にレビ族の人がその道路を通ります。しかし,どちらも立ち止まって被害者を助けようとはしません。(ルカ 10:31,32)祭司たちはエルサレムの神殿で奉仕し,レビ族の人たちは祭司をサポートしていました。多くの祭司やレビ族の人が,神殿での務めがない間はエルサレムから21㌔しか離れていないエリコで暮らしていました。ですから,その道路をよく通っていたことでしょう。さらにイエスは,彼らが「エルサレムから」の道路を上っていくのではなく「下っていく」ところだったと言っています。聞いている人たちはしっくりきたことでしょう。エルサレムはエリコより標高が高かったので,「エルサレムから」来る人は確かに「下っていく」ことになったからです。b イエスが聞いている人たちにとってイメージしやすい話をしたことがよく分かります。
14. 相手にとってイメージしやすい例えを使えるよう,どんなことを考えるとよいですか。
14 私たちも,相手にとってイメージしやすい例えを使いたいと思います。相手の年齢,育った環境,職業などからして,どんな例えが合うかを考えるとよいでしょう。一例として,農村地域の人であれば,大都市に住む人よりも農業を題材にした例えを分かってもらいやすいかもしれません。相手の普段の生活や関心事に合わせて,子供,家,趣味,食べ物などを例えの題材にすることもできます。
創造物を題材にした
15. イエスが創造物を熟知していたのはどうしてですか。
15 イエスが語った多くの例えから,イエスが植物や動物や自然現象についてよく知っていたことが分かります。(マタイ 16:2,3。ルカ 12:24,27)どうしてイエスは自然界のことにそれほど詳しかったのでしょうか。故郷のガリラヤで,創造物を観察する機会がたくさんあったに違いありません。また,イエスは「全創造物の中の初子」であり,エホバがあらゆるものを創造するのを「優れた働き手」として手伝いました。(コロサイ 1:15,16。格言 8:30,31)ですから,創造物を熟知していたのです。では,その知識がイエスの例えにどのように生かされているか考えましょう。
16-17. (ア)イエスが羊の習性をよく知っていたことがどんなことから分かりますか。(イ)羊が羊飼いの声を聞き分けられることがどんな例から分かりますか。
16 イエスは自分を「立派な羊飼い」に,弟子たちを「羊」に例えました。例えの内容から分かる通り,イエスは家畜の羊の習性をよく知っていました。羊飼いと羊の間には特別な絆があります。羊は羊飼いに導かれるまま,素直にどこにでも付いていきます。なぜ付いていくかというと,イエスが言った通り「羊飼いの声を知っているからです」。(ヨハネ 10:2-4,11)羊は本当に羊飼いの声を聞き分けられるのでしょうか。
17 ジョージ・A・スミスという人は羊を観察し,「聖地の歴史地理」(英語)という本の中でこう書いています。「私たちは時折,ユダヤ各地にあるそうした井戸の傍らで,昼の休憩を取った。井戸には,三,四人の羊飼いが自分の群れと一緒に下りて来る。それぞれの群れの羊は入り交じっているので,羊飼いはどのようにして自分の羊を再び集めるのだろうか,と私たちは思っていた。ところが,水を飲ませ,遊ばせ終えると,羊飼いたちは一人ひとり谷の別々の斜面に上って行き,各々が独特の呼び声を上げた。すると,大きな群れからそれぞれの羊たちが自分の牧者のもとへ向かい,各群れが来た時と同じように整然と去って行った」。羊は確かに羊飼いの声を聞き分けられるので,イエスの例えは言いたかったことにぴったり合っていました。私たちもいわばイエスの声を聞き分け,イエスの教えに従ってイエスに付いていくなら,「立派な羊飼い」に大切にしてもらえるのです。
18. エホバの創造物について知るために,どんなものを調べることができますか。
18 私たちも創造物を題材にした例えを使うことができます。例えば,動物の特徴を簡単に取り上げたシンプルな例えです。エホバの創造物について知るために,何を調べたらいいでしょうか。聖書にはいろいろな動物について書かれていて,動物の習性に基づく例えも出てきます。ガゼルやヒョウのように速い,蛇のように用心深い,ハトのように純真といった例えです。c (歴代第一 12:8。ハバクク 1:8。マタイ 10:16)「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌,jw.orgの「だれかが設計?」シリーズの記事や動画からも,たくさんの情報を得られます。そうした資料に出てくる分かりやすい例えも参考になります。
実例を使った
19-20. (ア)イエスは最近の出来事を使って,ある考えが間違っていることをどのように示しましたか。(イ)私たちはどのように実例を使って教えることができますか。
19 実例を引き合いに出すのも効果的です。ある時イエスは最近の出来事を使って,悲惨な目に遭うのは神からの処罰だという考えが間違っていることを示しました。こう言っています。「シロアムの塔が倒れて死んだあの18人はエルサレムの他の全ての住民より罪が重かった,と思いますか」。(ルカ 13:4)その18人が命を落としたのは,何かの罪を犯して神の怒りを買ったからではありませんでした。「思いも寄らないこと」がたまたま身に降り掛かったのです。(伝道の書 9:11)このようにイエスは,よく知られていた出来事に触れて,聞いている人たちが正しい考えを持てるように助けました。
20 私たちはどのように実例を使って教えることができるでしょうか。例えば,イエスの臨在のしるしに関する預言の実現について話し合っているとします。(マタイ 24:3-14)戦争や飢餓や地震についての最近のニュースに触れて,イエスが預言した通りになっていることを説明できます。新しい人格を身に着けようと努力している人を励ますために,実際に変化を遂げた人の例を伝えたい場合はどうでしょうか。(エフェソス 4:20-24)身近な兄弟姉妹の経験談を引き合いに出せるかもしれませんし,エホバの証人の出版物に載っている経験談なども使えます。jw.orgの「聖書は人の生き方を変える」というシリーズから,ぴったりの例を探すこともできます。
21. 神の言葉を上手に教えることができると,どんな良いことがありますか。
21 イエスはまさに最高の教師でした。このセクションで考えた通り,「教え,王国の良い知らせを伝え」ることをライフワークにしていました。(マタイ 4:23)私たちもそうしたいと思います。上手に教えることができると,良いことがたくさんあります。教えることによって人に与えると,与えることから来る幸福感を味わえます。(使徒 20:35)エホバについての真理という,人を永遠に幸せにできる何よりも貴重なものを与えられるのです。また,人類史上最も素晴らしい教師であるイエスの手本に倣っているという充実感も味わえます。イエスと同じ活動を行えるのは,本当にうれしいことです。
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