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フランス領ギアナ2001 エホバの証人の年鑑
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立案されたプロジェクトは本当に並外れたものとなりました。そのプロジェクトは1993年に実行に移されました。建設される建物は,2,000平方㍍の大会ホール,王国会館5軒,特別開拓者の宿舎3棟,宣教者ホーム3軒でしたが,そのすべてがなんと8週間で建てられたのです。
フランスからは,32の大型コンテナに入った大量の資材が送られてきました。積み荷の中にはトラクター,トラック,バス,建築用ブロック,トタン板,その他の建設資材,それに加えて大量の食糧などがありました。このプロジェクトにかかわったフランスの各地区建設委員会は,たいへん勤勉に働きました。
このプロジェクト中,フランスの兄弟姉妹が800人も自費でやって来て,地元の500人の兄弟姉妹と共に四つの現場で働きました。いちばん西寄りの現場は,いちばん東寄りの現場から250㌔も離れていたので,十分に意思の疎通を図ることが必要でした。フランスの兄弟たちは2か月のあいだ交替で来ましたが,フランスから来た500人が地元の422人の証人たちと一緒に働いていたこともありました。すべての作業者のために宿舎を準備するのも容易なことではありませんでした。近隣の多くの家族がそれぞれ,フランスから来た作業者二,三人に宿舎を提供したので,ホテルに泊まった人はだれもいませんでした。作業者の交通手段も必要になりました。一人の兄弟はこう述べています。「仕事に出かける途中,回り道をして数人の作業者を現場で降ろし,仕事が終わるとまた迎えに行きました。作業者の皆さんにくつろいでもらえるよう精一杯のことをしました」。
主だったグループがマトゥリの大会ホール(王国会館が併設されるよう設計されていた)の現場で作業している間にも,別のグループはシンナマリで,王国会館とこぢんまりした宣教者ホームを建てていました。マナでは,もう1軒の王国会館と宣教者ホームの建設が進んでいました。マナのスラナントンゴ語の地区では,特別開拓者の宿舎のある王国会館が1軒建設中でした。サン・ローランでは,330席ある王国会館と,6人が住める宣教者ホームが建てられました。そこでは二つの会衆が集まっています。この大きな王国会館は,スラナントンゴ語の大会でも使用されていて,600人ほどの人が集まることもあります。
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フランス領ギアナ2001 エホバの証人の年鑑
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(2,3)マナや(4)サン・ローラン,そして(5)シンナマリにある王国会館や宿舎。
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