ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「霊の実」によって神の栄光をたたえる
    ものみの塔 2011 | 4月15日
    • 「霊の実」によって神の栄光をたたえる

      『あなた方が多くの実を結びつづけること,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです』。―ヨハ 15:8。

      1,2. (イ)わたしたちには,他の人を励ますどんな機会がありますか。(ロ)エホバからのどんな賜物は,神に仕えるわたしたちの能力を向上させますか。

      二つの状況を考えましょう。あるクリスチャン女性は,若い姉妹が何か悩んでいることに気づき,野外奉仕で一緒に働くよう誘います。家々を訪問する合間に,若い姉妹は悩んでいる事柄を話し始めます。その日の後刻,その姉妹はエホバに祈り,円熟した姉妹の愛ある関心を感謝します。まさに必要としていたものだったのです。別の場所で,外国で伝道していて帰国した夫婦が,交わりで経験を熱く語ります。若い兄弟がそれを静かに聴いています。数年後,その兄弟は外国での奉仕に向かう準備をしながら,その夫婦のことを思い返しています。二人の話が宣教者を目指すきっかけになったのです。

      2 あなたも,自分の人生に影響を及ぼした人のことを思い出すかもしれません。逆にあなたの影響を受けた人もいるでしょう。もちろん,一度の会話で生き方が変わることはめったにありません。とはいえ,わたしたちには毎日,他の人を励まし強める機会があります。では,もし,あなたの能力や特性を,兄弟たちにとってより有益で神にとってより有用なものとなるよう向上させる助けがあるとしたら,どうでしょうか。それは素晴らしいことではないでしょうか。実のところ,エホバはまさにそのような賜物を与えてくださっています。聖霊です。(ルカ 11:13)神の霊は,わたしたちの生活の中で働き,わたしたちのうちに麗しい特質を生み出します。そうした特質によって,あらゆる分野で神により良く仕えられるようになります。本当に驚くべき賜物です。―ガラテア 5:22,23を読む。

      3. (イ)「霊の実」を培うことによってどのように神に栄光が帰されますか。(ロ)これからどんな点を考えますか。

      3 聖霊が生み出す特質は,その霊の源であるエホバ神のご性格を反映しています。(コロ 3:9,10)イエスはクリスチャンが神に見倣うよう努めるべき最大の理由を示し,使徒たちにこう述べました。『あなた方が多くの実を結びつづけること,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです』。a (ヨハ 15:8)「霊の実」を培うと,その結果は話し方や行動の仕方にはっきり表われ,神に賛美がもたらされます。(マタ 5:16)では,霊の実はサタンの世の特性とどんな点で異なっているでしょうか。どのように霊の実を培うことができますか。そうするのが難しい場合があるのはなぜでしょうか。霊の実の最初の三つの面,愛,喜び,平和について,これらの点を考えてゆきましょう。

      高次の原則に基づく愛

      4. イエスは,どんな種類の愛を実践するよう追随者たちに教えましたか。

      4 聖霊によって生み出される愛は,この世でよく見られる種類の愛とは著しく異なります。どのようにでしょうか。高次の原則に基づいているのです。イエスは,山上の垂訓の中でその違いを際立たせました。(マタイ 5:43-48を読む。)イエスが指摘したとおり,罪人でさえ,よくしてくれる人にはよくします。そのような“愛”は真の犠牲を伴っておらず,好意の交換に過ぎません。『天におられる父の子であることを示し』たいなら,異なっていなければなりません。わたしたちは,他の人に対する見方や接し方の点で,相手が自分にするのと同じようにではなく,エホバがその人にするのと同じようにすべきなのです。では,どのようにして,イエスの命令に沿って敵を愛することができるのでしょうか。

      5. 迫害する人にどのように愛を示せますか。

      5 聖書の手本を一つ考えましょう。パウロとシラスは,フィリピでの伝道の際,捕縛され,激しく打ちたたかれ,奥の獄に入れられて,足かせ台につながれました。その間に,牢番からも厳しい扱いを受けたことでしょう。地震によって思いがけず自由になった時,二人は牢番に仕返しできると喜んだでしょうか。そのようなことはありません。その人の福祉に対する誠実な関心,自己犠牲的な愛に動かされ,彼のために素早く行動して,彼とその家の者すべてが信者となる機会を開きました。(使徒 16:19-34)現代の大勢の兄弟たちも,『迫害する人を祝福する』という道に従っています。―ロマ 12:14。

      6. 兄弟たちへの自己犠牲的な愛をどのように示せますか。(21ページの囲みを参照。)

      6 仲間の信者への愛はそれ以上のものです。「わたしたちは兄弟たちのために自分の魂をなげうつ務めがあります」。(ヨハネ第一 3:16-18を読む。)とはいえ,もっと小さな方法で愛を示す機会が多くあります。例えば,兄弟の感情を害するような言動をしてしまった場合,平和を回復するために率先することによって愛を表わせます。(マタ 5:23,24)感情を害された場合はどうでしょうか。「進んで許し」ますか。それとも,恨みを抱くような時があるでしょうか。(詩 86:5)聖霊によって生み出される熱烈な愛によって,小さな違犯を覆い,「エホバが惜しみなく許してくださったように」他の人を惜しみなく許すことができます。―コロ 3:13,14。ペテ一 4:8。

      7,8. (イ)人々への愛は神への愛とどのように関連していますか。(ロ)エホバへの愛をどのように深められますか。(下の写真を参照。)

      7 兄弟たちへの自己犠牲的な愛をどのように培えるでしょうか。神への愛を深めることによってです。(エフェ 5:1,2。ヨハ一 4:9-11,20,21)聖書通読,黙想,祈りによってエホバと親しく過ごす一時が,心を養い,天の父への愛をはぐくみます。とはいえ,神に近づく時間を買い取る必要があります。

      8 一つの例えで考えてみましょう。毎日決まった時間にしか神の言葉を読み,黙想し,エホバに祈ることができないとしましょう。あなたは,エホバと個人的に過ごせるその時間にほかのものが入り込まないよう,必死に頑張るのではないでしょうか。もちろん,祈りで神に近づくのをだれも制限できませんし,わたしたちの多くは,望む時に聖書を読むことができます。それでも,日常の慌ただしい活動が神との個人的な時間に食い込まないよう対策を講じる必要があるかもしれません。エホバに近づくために,毎日,できる限り多くの時間を買い取っていますか。

      「聖霊の喜び」

      9. 聖霊によって生み出される喜びの特色は何ですか。

      9 霊の実の際立った特色は,持続性です。これから考える霊の実の第二の面,喜びも,その耐久性を例証するものです。喜びは,厳しい環境のもとでもよく育つ丈夫な植物のようです。世界じゅうで大勢の神の僕たちが「多くの患難のもとで聖霊の喜びを抱きながらみ言葉を受け入れ」てきました。(テサ一 1:6)困難や窮乏に直面する人もいます。しかし,エホバはご自分の霊によって,「十分に耐え忍ぶ者,また喜んで辛抱する者」となれるよう力を与えてくださいます。(コロ 1:11)この喜びの源は何でしょうか。

      10. わたしたちの喜びの源は何ですか。

      10 サタンの世の「不確かな富」とは異なり,エホバから受ける霊的な宝には,永続的な価値があります。(テモ一 6:17。マタ 6:19,20)エホバは,終わりのない将来という喜ばしい見込みを与えてくださっています。世界的なクリスチャンの兄弟関係の一員であるという喜びもあります。何よりも,わたしたちの喜びは神との関係に基づいています。わたしたちはダビデと同じ気持ちを抱いています。ダビデは逃亡生活を余儀なくされましたが,エホバを賛美し,こう歌いました。「あなたの愛ある親切は命にも勝るので,わたしの唇はあなたをほめるのです。こうして,わたしは生きている限りあなたをほめたたえ……ます」。(詩 63:3,4)困難を経験している時でも,喜びにあふれた神への賛美の気持ちが心のうちにわき上がるのです。

      11. エホバに喜びをもって仕えるのが重要なのは,なぜですか。

      11 使徒パウロはクリスチャンに,こう勧めています。「主にあって常に歓びなさい。もう一度言います。歓びなさい!」(フィリ 4:4)クリスチャンがエホバへの奉仕を喜びをもって行なうのが重要なのは,なぜですか。エホバの主権に関連してサタンが提起した論争のためです。サタンは,心から進んで神に仕える者はいないと主張しました。(ヨブ 1:9-11)すべきことをしていても喜びなくエホバに仕えているとしたら,わたしたちの賛美の犠牲は不十分なものとなってしまいます。ですから,詩編作者の次の勧めに聴き従うように努めましょう。「歓びをもってエホバに仕えよ。喜びの叫びをもってそのみ前に来るように」。(詩 100:2)喜びをもって心から進んでささげる奉仕により,神に栄光が帰されます。

      12,13. 消極的な感情と闘うために何ができますか。

      12 とはいえ現実には,エホバの献身した僕でも,落胆して,積極的な見方を保つのが難しい時があります。(フィリ 2:25-30)そのような時,何が助けになるでしょうか。エフェソス 5章18,19節は,『いつも霊に満たされ,詩と神への賛美と霊の歌とをもって自分に語り,心の調べに合わせてエホバに歌う』よう勧めています。この助言をどのように適用できますか。

      13 消極的な感情に悩まされる時,エホバに嘆願し,称賛すべき事を黙想するよう努めることができます。(フィリピ 4:6-9を読む。)王国の歌を録音したものに合わせて穏やかにハミングすると元気が出て,考えを切り替える助けになる,という人もいます。ある兄弟は,厳しい試練に直面し,幾度も落胆したり弱気になったりしましたが,こう語っています。「定期的に心から祈ることに加えて,王国の歌を数曲覚えました。声に出しても出さなくても,エホバへの美しい賛美を歌うと,心が安らぎました。また,そのころ,『エホバに近づきなさい』の本が出て,それを1年の間に2度読みました。わたしの心をいやす香油のようでした。エホバが努力を祝福してくださったと感じています」。

      「結合のきずなである平和」

      14. 聖霊によって生み出される平和の際立った特徴は何ですか。

      14 国際大会では,様々な国からの代表者がクリスチャンの温かな交友を楽しみます。そうした場面において,今日の神の民が享受している平和の一つの特徴,つまり世界的な一致が際立ちます。互いに敵対してもおかしくない人たちが『結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守るため真剣に励む』のを見て,周囲の人々はしばしば驚きます。(エフェ 4:3)この一致は,多くの人が克服しなければならなかった事柄を考えると,本当に注目に値します。

      15,16. (イ)ペテロの背景はどのようなものでしたか。そのために,どんなことが挑戦となりましたか。(ロ)エホバは,ペテロが態度を調整できるようどのように助けられましたか。

      15 いろいろな背景の人々を一致させるのは簡単なことではありません。そうした一致を達成するために克服しなければならない事柄を理解するために,1世紀の使徒ペテロの例を考えましょう。無割礼の異邦人に対するペテロの態度は,次の言葉から見て取れます。「ユダヤ人にとって,別の人種の人と一緒になったり近づきになったりするのがいかに許されないことか,あなた方もよく知っておられます。ですが神は,何人をも,汚れているとか清くないとか呼ぶべきでないことをわたしにお示しになりました」。(使徒 10:24-29; 11:1-3)当時の一般的な見方に沿って,ペテロも,律法が義務づけているのは仲間のユダヤ人だけを愛することだと信じて育ったようです。異邦人を憎むべき敵と見るのは,ごく自然なことに思えたことでしょう。b

      16 ペテロがコルネリオの家に入った時に感じたであろうぎこちなさを想像してみてください。異邦人に対して否定的な見方をしていた人が,「結合のきずなである平和」のうちに異邦人と「調和よく組み合わされる」ことができたのでしょうか。(エフェ 4:3,16)できました。少し前に,神の霊はペテロの心を開き,態度を調整して偏見を克服することができるよう助けていました。エホバは幻を通して,人々に対する神の見方は人種や国籍に依存しないことを明らかになさったのです。(使徒 10:10-15)それでペテロはコルネリオに次のように言うことができました。「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」。(使徒 10:34,35)ペテロは変化し,「仲間の兄弟全体」と真に一致するようになりました。―ペテ一 2:17。

      17. 神の民の享受している一致はどうして注目すべきものですか。

      17 ペテロの経験は,今日の神の民の間で生じている注目すべき変化を認識する助けになります。(イザヤ 2:3,4を読む。)「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」幾百万もの人が,考え方を調整し,「神の善にして受け入れられる完全なご意志」に沿って行動しています。(啓 7:9。ロマ 12:2)かつてはサタンの世の憎しみ,敵意,分裂にかかわっていた人も少なくありません。しかし,神の言葉の研究と聖霊の助けにより,『平和に役だつ事柄を追い求める』ようになったのです。(ロマ 14:19)その結果として生じている一致は,神に賛美をもたらしています。

      18,19. (イ)わたしたち各自は,会衆の平和と一致にどのように貢献できますか。(ロ)次の記事では,どんな点を考えますか。

      18 わたしたち各自は,神の民の平和と一致にどのように貢献できるでしょうか。会衆の中には,外国から来た人たちが交わっているところもあります。異なる習慣を持っている人やわたしたちの言語をよく話せない人もいるでしょう。そのような人に積極的に近づきますか。神の言葉はそのように勧めています。パウロは,ユダヤ人と異邦人が交わっていたローマの会衆にこう書き送りました。「神の栄光となることを目ざしつつ,キリストがわたしたちを迎え入れてくださったように,あなた方も互いを迎え入れなさい」。(ロマ 15:7)あなたの会衆にも,もっとよく知り合うことのできる人がいますか。

      19 生活の中で聖霊が働くように,ほかに何ができるでしょうか。次の記事では,霊の実の残りの面を取り上げて,その点を考えます。

      [脚注]

      a イエスが述べた実には,「霊の実」と,クリスチャンが王国伝道の業によって神にささげる「唇の実」の両方が含まれます。―ヘブ 13:15。

      b レビ記 19章18節は,こう述べています。「あなたの民の子らに対して復しゅうをしたり,恨みを抱いたりしてはならない。あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない」。ユダヤ教の指導者たちは,「あなたの民の子ら」および「あなたの仲間」という言葉はユダヤ人だけを指している,と考えていました。律法は,諸国民から離れているようイスラエル人に求めていました。しかし,1世紀の宗教指導者たちが奨励していた見方,すなわち,非ユダヤ人はみな敵であり,憎むべき存在であるという見方を支持していませんでした。

  • 神の霊に導かれるようにしていますか
    ものみの塔 2011 | 4月15日
    • 神の霊に導かれるようにしていますか

      「あなたの霊は善良です。それがわたしを廉直の地に導き入れてくれますように」。―詩 143:10。

      1,2. (イ)エホバがご自分の僕のために聖霊をお用いになった例を挙げてください。(ロ)聖霊が働くのは特別な時だけですか。説明してください。

      聖霊の働きというと,どんなことを思い浮かべますか。ギデオンやサムソンの力強い行動でしょうか。(裁 6:33,34; 15:14,15)それとも,初期クリスチャンの大胆さやステファノがサンヘドリンで示した穏やかさでしょうか。(使徒 4:31; 6:15)あるいは現代のことですか。国際大会で見られるあふれるほどの喜び,中立の立場ゆえに投獄された兄弟たちの忠誠,宣べ伝える業の驚くべき拡大などです。これらは皆,聖霊の働きの証拠です。

      2 聖霊は,特別な時や特異な状況でのみ働くのでしょうか。そうではありません。神の言葉はクリスチャンについて,『霊によって歩む』,「霊に導かれている」,「霊によって生きている」と述べています。(ガラ 5:16,18,25)こうした表現から,聖霊がわたしたちの生活に絶えず影響を及ぼし得ることが分かります。わたしたちは日々エホバに祈り,自分の考え,話し方,行動をご自分の霊によって導いてくださるよう懇願すべきです。(詩編 143:10を読む。)生活の中で聖霊が自由に働くようにするなら,わたしたちのうちに生み出される実によって,他の人をさわやかにし,神に賛美をもたらすことができます。

      3. (イ)聖霊に導かれる必要があるのはなぜですか。(ロ)これからどんな点を考えますか。

      3 聖霊に導かれるのが肝要なのはなぜでしょうか。わたしたちを支配しようとする別の力,聖霊の働きと対立する力があるからです。それは聖書の中で「肉」と表現されており,わたしたちの堕落した肉の罪深い傾向,アダムの子孫として受け継いだ不完全さを指しています。(ガラテア 5:17を読む。)では,神の霊に導かれるようにすることには何が関係していますか。罪深い肉の影響に抵抗するためのどんな実際的な方法があるでしょうか。「霊の実」の残りの六つの面,「辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制」について,これらの点を考えてゆきましょう。―ガラ 5:22,23。

      温和と辛抱強さは会衆の平和を促進する

      4. 温和と辛抱強さは会衆の平和にどのように寄与しますか。

      4 コロサイ 3:12,13を読む。温和と辛抱強さが協働し,会衆の平和を促進します。霊の実のこの二つの面により,他の人に慈しみ深く接し,刺激されても穏やかさを保ち,不親切な言動に仕返しをしないよう助けられます。仲間のクリスチャンとの間で不和が生じた場合,辛抱強さは,兄弟や姉妹に愛想を尽かすのではなく関係修復のためにできることを行なう助けになります。温和と辛抱強さは会衆で本当に必要でしょうか。必要です。わたしたちは皆,不完全だからです。

      5. パウロとバルナバの間で,どんなことが起きましたか。このことは何を浮き彫りにしていますか。

      5 パウロとバルナバの間で生じたことを考えましょう。二人は良いたよりを広めるために幾年も肩を並べて働いており,それぞれ立派な特質を持っていました。ところが,ある時,二人の間で「怒りが激しくぶつかって,彼らは互いに別れることに」なります。(使徒 15:36-39)この出来事は,神の献身した僕の間でも時に不和が生じることを浮き彫りにしています。仲間の信者との間で意見の相違が生じた場合,それが激しい言い争いにまで発展して亀裂が残ってしまうということを避けるために,何ができるでしょうか。

      6,7. (イ)仲間の信者との話し合いが激しいやり取りになる前に,聖書のどんな助言に沿って行動できますか。(ロ)「聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅くある」なら,どんな益がありますか。

      6 「怒りが激しくぶつかって」という表現は,パウロとバルナバの不和が突然の激しいものであったことを示しています。仲間の信者と話し合っていて怒りを感じ始めたなら,ヤコブ 1章19,20節の助言に従うのは賢明なことです。こうあります。「すべての人は,聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅くあるべきです。人の憤りは神の義の実践とはならないからです」。状況に応じて,話題を変える,話し合いを延期する,激しいやり取りになる前にその場を去る,といったことができるでしょう。―箴 12:16; 17:14; 29:11。

      7 この助言に沿って行動することには,どんな益があるでしょうか。気を落ち着かせ,その件について祈り,最善の答え方を考えるために時間を取ることによって,自分が神の霊に導かれるようにすることができます。(箴 15:1,28)霊の影響を受けると,温和や辛抱強さを表わすことができます。そうすれば,エフェソス 4章26,29節の助言に従えるようになります。こうあります。「憤っても,罪を犯してはなりません。……腐ったことばをあなた方の口から出さないようにしなさい。むしろ,必要に応じ,どんなことにせよ築き上げるのに良いことばを出して,聞く人たちに恵みとなるようにしなさい」。温和と辛抱強さを身に着けるなら,会衆の平和と一致に貢献できます。

      親切と善良さによって家族をさわやかにする

      8,9. 親切,また善良とは,何ですか。それらは家庭の雰囲気にどんな影響を与えますか。

      8 エフェソス 4:31,32; 5:8,9を読む。暑い日のそよ風や冷たい飲み物のように,親切と善良さはさわやかさをもたらします。家庭において,心地よい雰囲気に貢献します。親切は,他の人への誠実な関心に根ざす魅力的な特質で,その関心は,助けとなる行動や思いやりのある言葉によって示されます。善良も,親切と同様,他の人の益となる行動に表われる積極的な特質です。その特徴は寛大な精神です。(使徒 9:36,39; 16:14,15)とはいえ,善良さにはそれ以上のことが関係します。

      9 善良とは,道徳的に優れていることです。それには,何を行なうかだけでなく,より重要なこととして,どんな人であるかが関係しています。家族のために果物を切り分けている主婦を思い描いてみてください。切りながら,どの部分も甘くて熟しており,どこも傷んでいないことを確かめます。聖霊によって生み出される善良さは,クリスチャンの生き方全体に浸透しているものなのです。

      10. 家族が霊の実を培うのを助けるために,何ができますか。

      10 クリスチャンの家庭で,家族が互いに親切と善良をもって接するのに何が助けになるでしょうか。神の言葉に関する正確な知識は重要な役割を果たします。(コロ 3:9,10)毎週の晩の家族の崇拝に霊の実の研究を含めている家族の頭もいます。それは難しいことではありません。自分の言語で利用できる調査用の道具を使って,霊の実のある面に関する資料を選んでください。週ごとに数節ずつ考慮し,一つの面を何週間かかけて研究することができます。資料を学ぶ際は,引照聖句を読んで話し合ってください。学んだ点をどのように適用できるかを考え,努力を祝福してくださるようエホバに祈りましょう。(テモ一 4:15。ヨハ一 5:14,15)こうした研究によって,家族の互いへの接し方は本当に変わるのでしょうか。

      11,12. 二組のクリスチャン夫婦は親切について研究し,どんな益を受けましたか。

      11 ある若い夫婦は,幸福な結婚生活を送りたいと思い,霊の実の深い研究を行なうことにしました。どんな益を受けたでしょうか。妻はこう語っています。「親切に忠誠と忠節が含まれることを知って,互いへの接し方が本当に変わりました。譲ることや許すことを学びました。また,ふさわしい時にはいつでも『ありがとう』とか『ごめんなさい』と言えるようになりました」。

      12 別のクリスチャン夫婦は,結婚生活で問題を抱えていました。自分たちには親切が欠けていることに気づき,親切について共に研究することにしました。どんな結果になったでしょうか。夫は思い返してこう述べています。「親切について研究したわたしたちは,互いに動機を疑うのではなく相手のことを善意に解釈し,互いの良い点を探す必要性が理解できました。互いの必要にもっと関心を払うようにしました。親切であることには,妻に,思っていることを自由に話してもらい,腹を立てずに聞くことも含まれます。わたしは誇りを捨てなければなりませんでした。わたしたち夫婦は親切を実践するようになって,自己弁護に走ることが次第に少なくなってゆきました。本当に楽になりました」。あなたの家族も,霊の実の研究から益を得ることができるでしょうか。

      私的な場で信仰を働かせる

      13. 霊性に危険をもたらすどんなものに警戒しなければなりませんか。

      13 クリスチャンは,公の場でも私的な場でも,神の霊に導かれるようにする必要があります。今日,サタンの世には,下劣な映像や低俗な娯楽があふれています。これはわたしたちの霊性に危険をもたらします。クリスチャンはどうすべきでしょうか。神の言葉はこう助言しています。「あらゆる汚れ,そしてあの余分なものである悪を捨て去り,あなた方の魂を救いうる言葉が植え付けられるのを温和に受け入れなさい」。(ヤコ 1:21)エホバのみ前で清さを保つうえで霊の実の別の面である信仰がどのように助けになるかを考えましょう。

      14. 信仰が欠けると,どのように悪行に至りかねませんか。

      14 信仰とは基本的に,エホバ神が自分にとって現実の存在であることを意味します。神が自分にとって現実の存在でないと,容易に悪行を犯してしまうでしょう。古代の神の民の間で生じたことを考えましょう。エホバは預言者エゼキエルに,私的な場で忌むべき事柄が行なわれていることを明らかにし,こう述べます。「人の子よ,あなたは,イスラエルの家の年長の者たちが闇の中で,各々が自分の飾り物のある奥の部屋でしていることを見たか。彼らは,『エホバはわたしたちを見ていない。エホバはこの地を捨てたのだ』と言っているからである」。(エゼ 8:12)問題の原因が何か,分かりますか。彼らは,自分たちの行動をエホバが見ておられるということを信じていませんでした。エホバが現実の存在ではなかったのです。

      15. エホバへの強い信仰はどのように保護となりますか。

      15 対照的なヨセフの例を考えましょう。ヨセフは,自分の家族や民から離れていましたが,ポテパルの妻との姦淫を拒みました。なぜでしょうか。こう述べています。「どうしてわたしはこの大きな悪行を犯して,まさに神に対して罪をおかすことなどできるでしょうか」。(創 39:7-9)ヨセフにとってエホバは現実の存在だったのです。わたしたちも,自分にとって神が現実の存在であれば,汚れた娯楽を見たり神を不快にさせると分かっている事柄を私的な場で行なったりはしません。次のように歌った詩編作者のような決意を抱きましょう。「わたしは心の忠誠によってわたしの家の中を歩きます。わたしはどうしようもないものを目の前に置きません」。―詩 101:2,3。

      自制を働かせて心を守る

      16,17. (イ)「箴言」に記されているように,「心の欠けた若者」はどのようにわなにかかって罪に陥りますか。(ロ)26ページの写真にあるように,今日,年齢にかかわりなく,同様のどんなことが生じかねませんか。

      16 霊の実の最後の面である自制により,わたしたちは,神が非とされる事柄をきっぱり拒むことができます。自制は心を守る助けになります。(箴 4:23)箴言 7章6-23節を考慮しましょう。そこには,「心の欠けた若者」がどのように遊女の策略に屈するかが記されています。その若者は,「彼女の角に近い街路を過ぎて」からわなにかかります。好奇心から彼女の住む界隈に足を踏み入れたのでしょう。そして,あっという間に,「自分の魂にかかわる」愚かな道へと向かっていることが分からなくなります。

      17 この若者は,どうすればこの悲惨な誤りを避けられたでしょうか。『その女の通り道にさまよい込んではならない』という警告に従うことによってです。(箴 7:25)教訓は次のとおりです。わたしたちは,神の霊に導かれたいのであれば,誘惑となる状況に自分を置かないようにする必要があります。「心の欠けた若者」のように愚かな道にさまよい込むきっかけの一つは,目的もなくテレビのチャンネルを次々と変えたりネットサーフィンをしたりすることです。意図的であってもなくても,性的な欲情をかき立てる場面に出くわす可能性があります。ポルノを見るという汚れた習慣に次第に陥り,自分の良心および神との関係に破壊的な影響が及びかねません。自分の命さえ関係してくるのです。―ローマ 8:5-8を読む。

      18. クリスチャンは,心を守るためにどんな措置を講じることができますか。そのことには,どのように自制が関係していますか。

      18 もちろん,わたしたちは,挑発的な映像に直面した時に即座に行動することによって,自制を働かせることができます。また,そうすべきです。とはいえ,最初からそうした状況を避けるほうが,どれほどよいでしょう。(箴 22:3)ふさわしい安全対策を定めて付き従うことには,自制が関係しています。例えば,コンピューターを皆の目に触れる場所で使うことは,保護となります。他の人がいる時にだけコンピューターを使ったりテレビを見たりするのがよい,と考える人もいます。インターネットに全く接続しないことにした人もいます。(マタイ 5:27-30を読む。)自分と家族を守るのに必要な措置を何でも講じ,「清い心と正しい良心と偽善のない信仰とから」エホバを崇拝できるようにしましょう。―テモ一 1:5。

      19. 聖霊に導かれるようにすることには,どんな益がありますか。

      19 聖霊の働きを通して生み出される実は,数々の益をもたらします。温和と辛抱強さは会衆の平和に寄与します。親切と善良さは家族の幸せを促進します。信仰と自制はエホバのもとにとどまってそのみ前で清さを保つ助けになります。そのうえ,ガラテア 6章8節は次のように保証しています。「霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになる」。エホバはキリストの贖いに基づき,聖霊を用いて,その霊に導かれるようにする人たちに,終わりのない命を与えてくださるのです。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする