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  • 風と海をコントロールする支配者
    イエス 道,真理,命
    • 彼らは間もなく,カペルナウムの南にある美しくて肥沃なゲネサレの平原に到着します。そして舟を止めて岸に降ります。するとイエスに気付いた人々や,周囲の地方の人たちが病気の人をイエスの元に連れてきます。病気の人たちはイエスの外衣の裾に触れるだけですっかり良くなります。

      イエスが非常に大勢の人に食事をさせるという奇跡を見た人たちは,イエスが去ってしまったことに気付きます。彼らはティベリアから数そうの舟が着くと,それに乗ってイエスを捜しにカペルナウムにやって来ます。そしてイエスを見つけると,「ラビ,いつここに来たのですか」と尋ねます。(ヨハネ 6:25)するとイエスは彼らを非難します。それにはもっともな理由がありました。次の章で考えましょう。

  • イエスは「命のパン」
    イエス 道,真理,命
    • 男性たちがマナを集めている。女性たちがマナを手臼でひき,丸いパンを作って焼いている

      54章

      イエスは「命のパン」

      ヨハネ 6:25-48

      • イエスは「天からのパン」

      イエスはガリラヤの海の東側の地域で,大勢の人に食事をさせました。その後,人々が自分を王にしようとしたため,そこを去ります。その晩には,荒れる海の上を歩きます。ペテロも水の上を歩きますが,信仰が弱くなり沈み始めたので,イエスはすぐに助けます。そして暴風を静め,弟子たちの舟が沈まないようにしました。

      それから,イエスはガリラヤの海の西側にあるカペルナウムに戻ってきました。奇跡によって食事をした人たちはイエスを見つけ,「いつここに来たのですか」と質問します。するとイエスは彼らを非難します。その人たちは,もう一度食事をさせてもらいたくてイエスを捜していたからです。イエスは,「腐る食物のためではなく,なくならないで永遠の命をもたらす食物のために働きなさい」と強く勧めます。そこで人々は,「何をしなければなりませんか」と尋ねます。(ヨハネ 6:25-28)

      人々は,「働きなさい」と言われた時,律法に従って働くことを想像したかもしれません。しかしイエスは,最重要なことが何かを示し,「神が遣わした人に信仰を抱くことが必要です」と言います。でも,人々はイエスに信仰を抱きません。イエスが多くのことを行ってきたのに,さらに多くのしるしを見せてほしいと要求します。そしてイエスに,「どんなことをするのですか」と尋ねます。さらに,「私たちの父祖は荒野でマナを食べました。『神は天からパンを与えて食べさせた』と書いてある通りです」と言います。(ヨハネ 6:29-31。詩編 78:24)

      それに対してイエスは,必要なものを奇跡によって与えるのは誰かを,こう説明します。「はっきり言っておきます。モーセは天からのパンを与えませんでした。しかし,私の父は,天からの真のパンを皆さんに与えています。天から下ってきて人類に命を与える人が神のパンだからです」。でも,人々は要点を理解せず,「主よ,いつもそのパンを下さい」と言います。(ヨハネ 6:32-34)では,イエスが言っていた「パン」とは何なのでしょうか。

      イエスはこう説明します。「私が命のパンです。私の元に来る人は全く飢えず,私に信仰を抱く人は決して喉が渇きません。しかし私が言ったように,皆さんは確かに私を見たのに信じません。……私が天から下ってきたのは,自分の意志ではなく,私を遣わした方の意志を行うためだからです。私を遣わした方の意志は,私が,託された全ての人を一人も失うことなく終わりの日に復活させることです。私の父の意志は,子を認めて信仰を抱く人が皆,永遠の命を受けることなのです」。(ヨハネ 6:35-40)

      この説明を聞いてユダヤ人たちは騒ぎだし,不満を言い始めます。いったいなぜイエスは自分のことを「天から下ってきたパン」だと言えるのでしょうか。(ヨハネ 6:41)人々にとってイエスは,ガリラヤの町ナザレ出身の親から生まれた人間にすぎないのです。それで,「これはヨセフの子イエスではないか。私たちは彼の父親も母親も知っている。今になって,『私は天から下ってきた』と言うのはどうしてか」と言います。(ヨハネ 6:42)

      そこでイエスは言います。「不満を口にするのはやめなさい。私を遣わした父が引き寄せてくださらない限り,誰も私の元に来ることはできません。私はその人を終わりの日に復活させます。預言者の書に,『彼らは皆エホバに教えられる』と書いてあります。父から聞いて学んだ人は皆,私の元に来ます。誰かが父を見たというのではありません。神の所から来た人だけが父を見ました。はっきり言っておきますが,信じる人は永遠の命を受けます」。(ヨハネ 6:43-47。イザヤ 54:13)

      以前イエスはニコデモに永遠の命について話しました。そして,その命と人の子に抱く信仰を関連付けて,「[神の独り子]に信仰を抱く人が皆,滅ぼされないで永遠の命を受け」る,と言いました。(ヨハネ 3:15,16)今回はもっと大勢の人たちに,自分には人々が永遠の命を得るために果たすべき役割があると説明します。この永遠の命は,マナを食べてもガリラヤで一般に売られていたパンを食べても手に入りません。では,どうすれば永遠の命を得られますか。イエスはもう一度,「私は命のパンです」と言います。(ヨハネ 6:48)

      天からのパンについての話は続きます。その話はイエスがカペルナウムの会堂で教えた時に山場を迎えます。

  • 大勢の人がイエスの言葉に衝撃を受ける
    イエス 道,真理,命
    • イエスが12使徒に話している。ユダは疑わしげに目をそらしている。他の弟子たちは不満を言いつつ去っていく

      55章

      大勢の人がイエスの言葉に衝撃を受ける

      ヨハネ 6:48-71

      • イエスの肉を食べ,その血を飲む

      • 大勢の人が信仰を捨ててイエスの後に従うのをやめる

      イエスはカペルナウムの会堂で,自分が天からの真のパンであることを教えています。ガリラヤの海の東側から戻ってきた人々に話しています。イエスを追い掛け,パンと魚で食事をさせてもらった人たちです。

      イエスは,「父祖たちは荒野でマナを食べましたが,それでも死にました」と言います。しかし,イエスが述べているパンは違います。こう説明します。「私は天から下ってきた生きたパンです。このパンを食べる人は永久に生きます。そして,私が与えるパンとは私の肉であり,人類が生きるためのものです」。(ヨハネ 6:48-51)

      西暦30年の春,イエスはニコデモに,神は自分の子を救い主として与えるほどに人類を愛した,と話しました。そして今,イエスは自分がささげる犠牲に信仰を抱くことによりイエスの肉を食べるべきである,という点を教えています。それが永遠の命を得る道なのです。

      しかし,人々はイエスの言葉に反発し,「どうしてこの人は自分の肉を与えて食べさせることができるのか」と言います。(ヨハネ 6:52)イエスは比喩を使って話していることを理解してもらうため,比喩を続けます。

      「人の子の肉を食べず,その血を飲まない限り,自分の内に命を持てません。私の肉を食べ,私の血を飲む人は永遠の命を受け……ます。私の肉は真の食物,私の血は真の飲み物です。私の肉を食べ,私の血を飲む人は,ずっと私と結び付いて……います」。(ヨハネ 6:53-56)

      ユダヤ人たちはぞっとしたでしょう。人食いや血を飲んで律法を破ることを勧めていると感じたかもしれません。(創世記 9:4。レビ記 17:10,11)しかしイエスは,本当に人肉を食べたり血を飲んだりすることを述べていたのではありません。将来イエスは,自分の完全な体を差し出し,自分の血を注ぎ出すことにより犠牲をささげます。永遠の命を得たいと願う人は皆,その犠牲に信仰を抱かなければならない,とイエスは教えているのです。でも,弟子の中にさえこの教えを理解しない人が多くいます。ある人たちは,「この話はひどい。誰が聞いていられるだろうか」と言います。(ヨハネ 6:60)

      イエスは不満を言う人がいるのに気付き,こう質問します。「このことで反感を抱いているのですか。では,人の子が元いた所に上っていくのを見たら,どうでしょうか。……私があなたたちに話した事は聖霊によるのであり,命を与えます。しかし,あなたたちの中には信じない人もいます」。これを聞いた大勢の弟子が去っていき,もうイエスに従おうとしません。(ヨハネ 6:61-64)

      イエスは12使徒に,「あなたたちも去っていきたいですか」と尋ねます。するとペテロがこう答えます。「主よ,私たちは誰の所に行けばよいのでしょう。あなたは永遠の命の言葉を持っています。私たちは,あなたが神の聖なる方であることを信じ,知るようになりました」。(ヨハネ 6:67-69)ペテロや他の使徒たちは今聞いたばかりの教えを十分には理解していません。それでも,イエスに対する変わらぬ愛を示したのです。

      イエスはペテロの返事をうれしく思ったでしょう。しかし,こうも言います。「私があなたたち12人を選んだのではありませんか。しかし,あなたたちのうちの1人は中傷する人です」。(ヨハネ 6:70)イエスはユダ・イスカリオテのことを言っていました。彼が悪い欲望に従い始めていることを見抜いていたのかもしれません。

      それでもイエスは,ペテロと他の使徒たちが自分に従い続け,命を救う活動をやめなかったので,喜びを感じたに違いありません。

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