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かけ事 ― だれか勝つ人がいますか目ざめよ! 1987 | 9月8日
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この問題を人間がどう見ようと,聖書はかけ事がキリスト教と調和しないことを指摘しています。例えば,ある人々は,かけ事は経済的な必要を満たすものにすぎないと思うかもしれませんが,イエスは,「今日この日のためのパンをわたしたちにお与えください」と祈るよう教えてくださいました。お金を得ようと貪欲にもかけ事をし,同時にこの祈りをささげることがどうしてできるでしょうか。また,その人はどうして次の勧めに従えるでしょうか。「ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのもの[物質的な必要物]はみなあなた方に加えられるのです」。―マタイ 6:11,33。
聖書はさらにこのように助言しています。「あなた方の生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい」。(ヘブライ 13:5)大抵,かけ事をする人は少しも満足できません。実際その人は貪欲であり,聖書によれば,貪欲な人は「神の王国を受け継がない」とされています。―コリント第一 6:9,10。
中には,自分はお金のためではなく,刺激を求めてかけ事をするという人も確かにいますが,敬虔な原則からそれて「神を愛するより快楽を愛する者」となる人々を,聖書は痛烈に非難しています。(テモテ第二 3:4,5)さらにイエスは,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」と言われました。(マタイ 22:39)隣人のお金を奪い去ろうとする人が,どうして隣人を愛せるでしょうか。かけ事が,「受けるより与えるほうが幸福である」という基本的な原則にどうして調和するでしょうか。―使徒 20:35。
見過ごしてはならないのは,かけ事の好きな人はしばしば「幸運の神」に呼びかけるという事実です。それは聖書が明確に非難していることです。―イザヤ 65:11。
最後に,かけ事がクリスチャンの「有益な習慣」に及ぼす腐敗的な影響について考えてください。(コリント第一 15:33)一生懸命に働き,倹約するのがクリスチャンの生き方です。(エフェソス 4:28)イエスご自身,奇跡によってパンと魚を殖やしたあとに浪費家ではないことを示し,残ったものを無駄にしないようにという命令を出されました。(ヨハネ 6:12,13)しかし,かけ事をする人は,イエスの足跡に従っているというより,イエスのたとえ話に出てくる『放とうの生活をして自分の財産を乱費した』放とう息子に似ています。―ルカ 15:13。
ですから,真のクリスチャンはあらゆる形のかけ事というわなから遠く離れています。彼らにとって,金額の多い少ないは問題ではありません。イエスが言われたとおりです。「ごく小さな事に忠実な人は多くのことにも忠実であり,ごく小さな事に不義な人は多くのことにも不義です」― ルカ 16:10。
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かけ事 ― だれか勝つ人がいますか目ざめよ! 1987 | 9月8日
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[15ページの図版]
クリスチャンがかけ事をする一方で,「今日この日のためのパンをわたしたちにお与えください」と祈るのは,つじつまの合ったことだろうか
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