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ガザ聖書に対する洞察,第1巻
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アッシリアおよびバビロンの支配下で 西暦前9世紀の終わりごろ,エホバはご自分の預言者アモスを通して,ガザの城壁に「火」を送ると述べられました。それは,ガザが流刑者たちをエドム人に引き渡したことに対する応報でした。(アモ 1:6,7)その「流刑者たち」がヘブライ人であったとは特に述べられてはいませんが,多分,フィリスティア人がユダを襲撃した際に捕らえたとりこのことを指しているのでしょう。―代二 21:16,17; ヨエ 3:4-6と比較。
その後間もなく,西暦前8世紀の中ごろ,ガザは戦争の「火」を経験するようになりました。アッシリアの編年誌によると,ティグラト・ピレセル3世はガザを征服しましたが,ガザの王ハンノはエジプトへ逃げました。(「古代近東テキスト」,J・プリッチャード編,1974年,283ページ)ハンノはすぐにガザに戻れたようです。というのは,サルゴン2世は,ハンノおよび彼と同盟を結んだシブエの率いるエジプト軍を共に撃ち破った,と言っているからです。サルゴン2世は自らハンノをとりこにし,かせをはめて連行したと主張しています。―「古代近東テキスト」,285ページ。
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ガザ聖書に対する洞察,第1巻
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エレミヤの時代に,エジプトの軍隊はガザを討ち倒しました。(エレ 47:1)その出来事の前に,「ガザに,はげが必ず臨む」というフィリスティア人に対するエホバのことばがあり,北からの災厄が彼らを待ち受けていることが示されました。(エレ 47:2-5。エレ 25:17,20も参照。)エレミヤ書の中の他の句に暗示されているとおり(1:14; 46:20),エレミヤ 47章2節で述べられている「北」からの「水」とはバビロニア軍を表わしているものと思われます。事実,バビロンのネブカドネザル王はこの地域を掌握するようになり(王二 24:1,7),この時のガザの王のことがバビロニアの碑文の中で述べられています。(「古代近東テキスト」,308ページ)したがって,「ファラオがガザを討ち倒す前に」という言葉(エレ 47:1)は,フィリスティア人に関するエホバのことばがいつエレミヤに臨んだかを示しているにすぎないようです。その言葉は必ずしも,その後に論じられている,「北から」臨もうとしていた裁きの表明と直接関係するものではありません。
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ガザ聖書に対する洞察,第1巻
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滅ぼされた エレミヤと同時代の預言者ゼパニヤもガザに対するエホバからの同様の裁きを知らせ,『ガザは見捨てられた都市となる』と述べました。(ゼパ 2:4)そして,「[ガザ]もまた激しい痛みを覚える」というゼカリヤの預言は,バビロンの陥落後に記録されたものであり,後に臨む災いを指し示していました。(ゼカ 9:5)歴史は,予告されていた災いがそのとおりに臨んだことを確証しています。西暦前4世紀の後半に,アレクサンドロス大王はガザを5か月間(ユダヤ古代誌,XI,325 [viii,4]によると,2か月間)包囲して攻略しました。その住民の多くは殺され,生き残った者たちは奴隷として売られました。それから200年余り後に,ユダヤ人アレクサンドロス・ヤンナイオスは,その都市を1年間攻囲したのち完全に荒廃させました。―ユダヤ古代誌,XIII,364(xiii,3)。
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