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  • 神はすべての国の人々を迎え入れてくださる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
塔02 4/1 21–24ページ

神はすべての国の人々を迎え入れてくださる

初めてマリを旅したジョンは,ママドゥ家の温かいもてなしに感動しました。ジョンは地面に腰を下ろし,同じ皿からの食事をぎこちない手つきで食べながら,この家族に神の言葉 聖書を使って王国の良いたよりという最も価値ある贈り物を分け与えるには,どうするのが一番よいだろうか,と考えました。マリで話されているフランス語は知っていましたが,宗教も考え方もまったく異なるこの家族と,どのように会話できるだろうかと考えたのです。

ジョンがバベルの都市に関する聖書の記述について考えたのも無理はありません。神はそこで,反抗的な人々の言語を混乱させました。(創世記 11:1-9)その結果,地上の様々な場所に,言語や宗教,思考パターンの異なる人々が存在するようになりました。旅行や移住が一般的になった現在,ジョンと同じような難問に直面する人は少なくありません。自宅の周りでも,そうした経験をするかもしれません。背景の異なる人々に,聖書に基づく希望をどのように伝えることができるでしょうか。

古代の例

ヨナは,イスラエルの他の預言者たちと同様,おもにイスラエル人に対して語っていました。ヨナが預言していた時代には,背教した十部族王国が神を侮る慣行に公然と携わっていました。(列王第二 14:23-25)ヨナは,自国を離れてアッシリアに行き,宗教や文化の異なるニネベの住人に宣べ伝えるという特別な任務を受けました。その時,ヨナがどう感じたか想像してみてください。ヨナはニネベの人々の言葉を話したことさえなかったか,たとえ話せたとしても,流ちょうではなかったことでしょう。いずれにしても,ヨナはその難しい任務に圧倒されて,逃げ出したようです。―ヨナ 1:1-3。

確かにヨナは,エホバ神が外見以上のものをご覧になり,心をお調べになるということを学ぶ必要がありました。(サムエル第一 16:7)エホバは,溺死しないようヨナを奇跡的に救出した後,ニネベの住人に宣べ伝えるよう再びお命じになりました。ヨナが従った結果,ニネベの人々はこぞって悔い改めました。ところがヨナはまだ正しい見方を持っていませんでした。エホバは,ヨナが態度を変化させる必要があることを説得力のある実例を通して教え,「大いなる都市ニネベを,右も左も全くわきまえない十二万以上の人々(の)いるこの所を惜しんだとしても当然ではないか」とお尋ねになりました。(ヨナ 4:5-11)今日のわたしたちはどうでしょうか。背景の異なる人々をどのように助けることができるでしょうか。

サマリア人と非ユダヤ人を迎え入れる

1世紀に,イエスはすべての国の人々を弟子とするよう追随者たちにお命じになりました。(マタイ 28:19)それは追随者たちにとって容易なことではありませんでした。イエスの弟子たちはユダヤ人で,ヨナと同様,背景や文化の同じ人々と話すことにしか慣れていませんでした。さらに,当時一般に見られていた偏見のために,周囲の圧力を感じることがあったとしても不思議ではありません。しかしエホバは,ご自分の僕たちが段階的にご意志を見極めることができるように,物事を導いてゆかれました。

最初の段階は,ユダヤ人とサマリア人との間の偏見を克服することでした。ユダヤ人はサマリア人と一切交渉を持ちませんでした。しかしイエスは,将来サマリア人が良いたよりを受け入れる時のために,一度ならず道を整えました。イエスはサマリア人の女性に話しかけることにより,公平さを示しました。(ヨハネ 4:7-26)別の時には,信仰の厚いあるユダヤ人に,隣人愛に富むサマリア人の例えを話すことにより,ユダヤ人でない人々も隣人に愛を表わせることを示しました。(ルカ 10:25-37)エホバがサマリア人をクリスチャン会衆に加える時が到来すると,フィリポ,ペテロ,ヨハネなど,皆ユダヤ人の背景を持つ人々がサマリアの住人に宣べ伝えました。その音信は,サマリアの都市に非常な喜びをもたらしました。―使徒 8:4-8,14-17。

実のところ,サマリア人はユダヤ人の遠い親戚でした。ユダヤ人のクリスチャンにとってサマリア人を愛することが難しかったのであれば,自分たちが見下していた非ユダヤ人や異邦人に対して隣人愛を示すことは,さらに難しかったことでしょう。それにもかかわらず,イエスの死後,ユダヤ人のクリスチャンと異邦人との間の障壁は取り除かれました。(エフェソス 2:13,14)この新しい取り決めを受け入れるようペテロを助けるために,エホバはペテロに幻を見せ,その中で,「神が清めたものを汚れていると呼んではならない」と語られました。その後,エホバの霊は,ペテロをコルネリオという名の異邦人の元に導きました。神が清められたのですから,諸国民であるその人を汚れていると言うべきではありませんでした。ペテロは,神の見方を理解し,霊感のもとにこう言いました。「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」。(使徒 10:9-35)神は,聖霊を注ぎ出すことにより,コルネリオとその家族を受け入れたことを示されました。それを見たペテロはどんなに驚嘆したことでしょう。

パウロ ― 諸国民に対する選びの器

あらゆる人々を愛し,助けるよう備えさせるため,エホバがご自分の僕たちをどのように漸進的に導かれたかを示す際立った例として,パウロの宣教があります。イエスは,パウロが改宗した時,この者はわたしの名を諸国民に携えて行くための選びの器として奉仕することになる,と言われました。(使徒 9:15)その後パウロはアラビアに行きました。それは,諸国民に良いたよりを宣明するために用いるという神の目的について,黙想するためだったのかもしれません。―ガラテア 1:15-17。

パウロは最初の宣教旅行中,熱意をもって非ユダヤ人に宣べ伝えました。(使徒 13:46-48)エホバはパウロの活動を祝福し,そのことは,この使徒がエホバの取り決めに従って物事を進めていることの証しとなりました。パウロはエホバの見方に対する深い認識を示し,ペテロがユダヤ人でない兄弟たちとの交友を避ける不公平な振る舞いをした時,勇気をもってペテロを正しました。―ガラテア 2:11-14。

さらに,神がパウロの努力を導いておられたことを示す別の証拠を,2回目の宣教旅行に見ることができます。その時聖霊は,パウロがローマの属州のビチニアで宣べ伝えるのを阻みました。(使徒 16:7)まだふさわしい時ではなかったようです。しかし後に,ビチニアの住人の一部はクリスチャンになりました。(ペテロ第一 1:1)パウロは幻の中で,あるマケドニア人が,「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と懇願するのを見た時,良いたよりをそのローマの属州に宣明するために進路を変更する必要があると結論しました。―使徒 16:9,10。

相手に合わせるパウロの能力は,アテネの人々に宣べ伝えた際,徹底的に試されました。ギリシャやローマの法律は,異国の神々や新たな宗教的慣行を持ち込むことを禁じていました。パウロは人々に対する愛に動かされて,その人々の宗教的な習慣を綿密に考慮しました。アテネで,「知られていない神に」と刻み込まれた祭壇を見つけたパウロは,証言を行なう際にその細かい点を話題にしました。(使徒 17:22,23)親切に,敬意をこめて音信を伝える何と優れた方法でしょう。

パウロは,諸国民への使徒として行なった業の成果を振り返り,とても幸福に感じたことでしょう。コリント,フィリピ,テサロニケ,そしてガラテアの町々では,ユダヤ人ではない大勢のクリスチャンから成る会衆の設立を助けました。さらに,ダマリス,デオヌシオ,セルギオ・パウロ,テトスといった,信仰の男女を援助しました。エホバのことも聖書のことも知らなかった人々がキリスト教の真理を受け入れるのを見ることができたというのは,何と大きな特権だったのでしょう。パウロは,真理を知るよう非ユダヤ人を援助するという自分の役割について,こう述べました。「こうして,実に,キリストの名がすでに唱えられている所では良いたよりを宣明しないことを自分の目標としたのです。……『彼について何も告げ知らされていなかった者たちが見,聞いたことのなかった者たちが理解するであろう』と書かれているとおりです」。(ローマ 15:20,21)わたしたちも,自分と文化の異なる人々に良いたよりを宣明する業に参加できるでしょうか。

地のすべての民を助ける

ソロモンは,エルサレムの神殿で崇拝を行なうようになる非ユダヤ人たちについてエホバに祈り,こう請願しました。「あなたが天から,すなわちあなたの住まわれる定まった場所からお聴きになり,すべてその異国の人があなたに呼び求めるところにしたがって行なってください。それは,地のすべての民があなたのみ名を……知るためです」。(列王第一 8:41-43)今日,様々な国に住む非常に多くの王国宣明者たちも,ソロモンと同じ気持ちを抱いています。彼らは霊的な意味で『右も左もわきまえない』ニネベの人々のような人に出会います。王国伝道者たちは,多くの異なる国から真の崇拝者が集まることに関する預言の成就にぜひあずかりたいと思っています。―イザヤ 2:2,3。ミカ 4:1-3。

キリスト教世界の人々が聖書の希望の音信を受け入れているのと同じように,他の宗教的背景を持つ人々もそうしています。そのことは,あなた自身にどんな影響を与えるでしょうか。正直に自己吟味してみましょう。もし,自分には根強い偏見があると感じるなら,愛によってそれを取り除きましょう。a 神が喜んで受け入れておられる人々を退けてはなりません。―ヨハネ 3:16。

異なる背景を持つ人たちと話をする前に,心の準備をしましょう。その人たちの信条,関心事,考え方などをよく知り,そこから共通の土台を探してください。相手に対して善良さや同情心を表わすようにします。対立を避け,柔軟な態度を持ち,積極的であるようにしてください。(ルカ 9:52-56)そうするなら,エホバを喜ばせることになります。「神のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです」。―テモテ第一 2:4。

会衆内に多種多様な背景を持つ人々が交わっているというのは,何と喜ばしいことなのでしょう。(イザヤ 56:6,7)佐藤,鈴木,田中,高橋といった名前だけでなく,スミス,カルロス,リー,チェンといった名前を聞くと,本当に心温まる思いがします。まさに,わたしたちのために『活動に通ずる大きな戸口が開かれている』のです。(コリント第一 16:9)では,公平な神エホバからの招待を差し伸べるという目の前に置かれた機会をとらえ,すべての国の人々を迎え入れることができますように。

[脚注]

a 「目ざめよ!」誌,1996年7月8日号,5-7ページ,「コミュニケーションを阻む壁」をご覧ください。

[23ページの図版]

パウロは,相手に合わせることによって,どこにおいても良いたよりを人々に伝えた

アテネで……

フィリピで……

移動中に……

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