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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2005
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ベルレブルク聖書

ドイツのルーテル教会では,17世紀から18世紀にかけて敬虔主義という宗教運動が起こりました。この運動の支持者の中には,その信条のゆえにあざけられたり,迫害されたりする人もいました。ある敬虔主義の学者たちは,フランクフルト・アム・マインの北約150㌔にあるベルレブルクに逃れました。学者たちはそこで,宗教に深い敬意を払っていた地元の名士カジミール・フォン・ウィットゲンシュタイン・ベルレブルク伯爵の庇護を受けました。そのような伝道師や学者たちがベルレブルクにいたため,現在ベルレブルク聖書として知られる新しい翻訳聖書が誕生しました。それはどのようにして作られたのでしょうか。

保護を求めて避難した人の一人にヨハン・ハウクがいました。ハウクは,地元の神学者の不寛容のゆえにシュトラスブルク(ストラスブール)の郷里を後にしなければなりませんでした。学識があり,有能な言語学者でもあったハウクは,ベルレブルクにいた仲間の学者たちに,「全く純粋な翻訳聖書を作り,ルターの訳を修正し,神の言葉の意味をその字句や精神に沿って正確に訳す」という真剣な願いを打ち明けました。(「ベルレブルク聖書の歴史」[ドイツ語])目標は,注釈や解説の付いた,普通の人でも理解できる聖書を作ることでした。ハウクはヨーロッパの他の国々の学者たちにも協力を求め,この仕事に20年の歳月を費やしました。ベルレブルク聖書の出版が始まったのは,1726年のことでした。広範囲にわたる注釈があったため,8巻に分けて出版されました。

確かに,ベルレブルク聖書には幾つかの興味深い点があります。例えば,出エジプト記 6章2,3節はこうなっています。「さらに神はモーセに話してこう言われた。わたしは主である。そしてわたしはアブラハムに/イサクとヤコブに/十全な神として現われたが,わたしの名エホバによっては彼らに知られるようにならなかった」。注釈には,「エホバのみ名……取り分けられた名/もしくは/宣明された名」と記されています。エホバという神の固有名は,出エジプト記 3章15節や34章6節の解説にも出ています。

こうしてベルレブルク聖書は,本文,脚注,解説のいずれかでエホバのみ名を用いている多くのドイツ語聖書の一つになりました。神の固有名にふさわしい敬意を払っている最近の翻訳の中には,エホバの証人の発行した「新世界訳聖書」があります。

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