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ドイツ1999 エホバの証人の年鑑
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50年来の証人であるウォルフガング・マイゼは,自分が20歳だった1951年6月に起きたことを思い起こします。広く宣伝された公開裁判で,ウォルフガングは4年間の拘禁刑を言い渡されました。有罪を宣告されたウォルフガングと他の数人の兄弟たちが法廷の外に連れ出されると,その裁判を傍聴していた150人ほどの証人たちが兄弟たちを取り囲んで握手をし,王国の歌を歌い始めました。すると,裁判所の窓という窓から人々が顔を出して,何が起きているのか見ようとしました。当局者が一般の人々に印象づけたかったのはそのような光景ではありませんでした。こうしたことがあって,証人たちに対する公開裁判は取りやめになりました。
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ドイツ1999 エホバの証人の年鑑
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もちろん,西ベルリンへの経路がいつか断たれる可能性はありました。1960年12月25日,そうした可能性について話し合うために数人の東ドイツの兄弟たちが集まりに招待されました。マイゼ兄弟は,「それは明らかにエホバの導きでした。というのは,1961年8月13日に突如壁が築かれた時,組織には備えができていたからです」と述べました。
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