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  • “新しい”祖父母
    目ざめよ! 1999 | 3月22日
    • “新しい”祖父母

      「おじいちゃんとおばあちゃんの家へようこそ ― お待ちになっている間,子供たちをかわいがってあげますよ」。ジーンと妻ジェーンの家の玄関には,こう書いたサインがかかっています。

      ところが,家の中に入っても,ロッキング・チェアに座る老夫婦は見当たりません。むしろ,見かけたのは40代の若々しくてエネルギッシュな夫婦です。ジーンとジェーンは,“一族の年長者”としての役割を避けるどころか,祖父母としての役割を積極的に受け入れています。「確かに,祖父母になるのは,自分たちが少し年取った証拠の一つです。でも,孫は,自分の子供を育てたことに対する報い,見返りです」と,ジーンは言います。

      古代の格言は,「年老いた者の冠は孫であ(る)」と述べています。(箴言 17:6)祖父母と孫はしばしば,愛や親密さの点で特別な絆を楽しんでいます。ジェネレーションズ誌(英語)によると,「米国社会では,前例がないほど多くの人が祖父母」です。その理由は何でしょうか。「平均寿命が延びたことや,家族のライフサイクルの周期が新しくなったこと」であると同誌は説明しています。「死亡率や出生率の変化により,成人の4分の3が祖父や祖母になるまで生きる……中高年者の大半は,45歳ごろ祖父母になる」。

      新しい世代の祖父母が誕生している国もあります。しかし,孫の世話にますますかかわるようになっていると感じている人は少なくありません。例えば,ジーンとジェーンの息子と以前の嫁は,離婚し,二人は親権を分け合っています。「息子が働いているあいだ孫の面倒を見て,息子の助けになろうとしています」と,ジェーンは説明します。ある調査によると,米国で孫の面倒を見ている祖父母は,毎週平均14時間を孫の世話に費やしています。これは,総計すると1年に290億㌦相当の仕事をしていることになります。

      今日,祖父母はどんな喜びを味わうことができるでしょうか。どんな難問がありますか。続く記事では,これらの質問が検討されます。

  • 祖父母 ― その喜びと課題
    目ざめよ! 1999 | 3月22日
    • 祖父母 ― その喜びと課題

      「私はおじいちゃんになってよかったと思います。責任を感じることなく孫と楽しく過ごせます。孫の生活に影響を与えますが,結局のところ,孫たちへの最終決定権は自分にはなく,孫の親たちにあるのです」― ジーン,祖父。

      祖父母であることに,こうした熱意を抱かせるものは何でしょうか。研究者たちは,親が当然のこととして子供に課すありふれた要求でも,親子の間にかなりの緊張をもたらすことがある,と指摘します。普通,祖父母にはそうした要求をする必要がないため,孫との関係にもあまりストレスがありません。アーサー・コーンヘイバー博士が述べているように,祖父母は孫たちがただ「かわいいので」愛するのです。エスターという祖母はこう言います。「自分の子供たちの場合,私の日々の感情は,子供たちの一つ一つの行ないによって大きく左右されました。でも,おばあちゃんになると,気楽に孫たちとただ楽しい時を過ごし,孫たちをかわいがることができるのです」。

      また,年齢が増すと共に知恵や能力も増します。(ヨブ 12:12)未熟で経験不足ということはなく,祖父母には幾年もの子育ての経験があるのです。自分たちの失敗から教訓を学んでいますから,若かった時より,もっと上手に子供を扱うことができるようになっているかもしれません。

      ですから,コーンヘイバー博士は次のように結論しています。「祖父母と孫の間の健全で愛情深い絆は,3世代全員の感情面の健康と幸福に必要なものである。この絆は子供が生まれながらに有する権利であり,……家族全員に益をもたらす,年長者たちからの遺産である」。ファミリー・リレーションズ誌(英語)も同様に,「祖父母としての役割を理解し,それを果たしているおじいちゃん,おばあちゃんは,幸福感ややる気をいっそう感じられるようになる」と述べています。

      祖父母の役割

      祖父母が担うことのできる貴重な役割はたくさんあります。ジーンは,「結婚している子供たちを支えることができます。そうすることによって,若い夫婦が陥っている幾つかの困難な状況を相殺することができると思います」と言っています。祖父母はまた,孫たちの支えとなる多くの事柄を行なえます。子供に家族の歴史とも言える家伝を伝えてゆくのは多くの場合,祖父母なのです。祖父母は家族の宗教的伝統を伝える点で,しばしば重要な役割を果たします。

      多くの家庭では,祖父母が信頼できる相談相手となっています。最初の記事で触れられていたジェーンは,「子供たちが,親に話しにくい事柄を話すこともあるかもしれません」と語っています。普通,そのような支えを親は喜ぶものです。ある研究によると,「ティーンエージャーの80%余りが祖父母を親友とみなしている。……成人に達している孫の大半は,一番親密な祖父母と定期的に連絡を取っている」のです。

      家庭で適切な養育を十分受けていない子供にとって,愛情深い祖父母はとりわけ重要な存在となる場合があります。「幼いころ,私にとって一番大切な人は祖母でした」と,セルマ・ワッセルマンは書いています。「私とかかわり合いを持ってくれ,私を育ててくれたのは祖母でした。祖母のひざはマイアミ・ビーチより広く,そのひざに乗せられると安心感を抱きました。……自分自身に関する最も重要なこと,つまり自分が愛され,それゆえ愛すべき存在だということを教わったのは祖母からでした」。―「遠く離れた場所に住む祖母」(英語)。

      家庭内の緊張

      とはいえ,祖父母であることには緊張や問題が伴うこともあり得ます。例えば,一人の母親は,子供にげっぷをさせる正しい方法について自分の母親と激しく言い争ったことを思い出します。「私にとって一番傷つきやすい時に,そうしたことで母との間に大きな溝ができてしまいました」と言います。当然のことですが,若い夫婦は自分たちの子育ての仕方について親に賛同してもらいたいと思っています。ですから,親が善意の気持ちからであってもいろいろ提案すると,ひどく批判されているように感じます。

      コーンヘイバー博士は,「親と祖父母の間」(英語)という著書の中で,よくありがちな別の問題を抱えた二組の夫婦について述べています。そのうちの一人は,「私は毎日,両親から干渉されました。両親は,家を訪ねてきた時に私が家にいないと気分を害しました。……両親は,私のこと,つまり私の感情やプライバシーなど考えていないのです」と言います。別の人はこう不満を漏らします。「うちの両親は,私の幼い娘を独占したがるのです。食事の時も,寝る時も,それこそ24時間スージーのことを考えています。……引っ越そうかと考えています」。

      祖父母が孫にたくさん物を買い与え,甘やかしてしまうこともあります。もちろん,祖父母にとって寛大さは,呼吸することと同じぐらい自然なことですが,この点で度を超えているように見える人たちもいます。しかし,親はねたみの気持ちから,不満に思う場合があるかもしれません。(箴言 14:30)「両親は私には厳しく,とげとげしいんです」とミルドリッドは告白し,こう言います。「私の子供たちには寛大で,[甘い]のです。両親が私に対する接し方を全く変えようとしないので,ねたましい気持ちになります」。動機や理由はどんなものであれ,物を買い与えることに関して,祖父母が親の意向を尊重しないと問題が生じる場合があります。

      ですから,寛大さを示す点で祖父母が思慮深さを示すのは賢明なことと言えます。聖書には,良いことでも多すぎると悪くなると示されています。(箴言 25:27)どんな贈り物がよいのか分からないなら,孫の親に相談してください。こうして,『良い贈り物を与えることを知る』ようになるでしょう。―ルカ 11:13。

      決め手となるのは愛と敬意

      残念なことに,孫たちを世話したり預かったりしても,当然のことのようにみなされると不満を漏らす祖父母もいます。孫たちにあまり会わせてもらえないと感じている人もいます。他方,成人した子供たちが理由も説明せずに,自分たちを避けるようになったと言う祖父母もいます。多くの場合,家族の成員が互いに愛と敬意を示すならそうした痛ましい問題を避けることができます。「愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,……自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。……すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します」と,聖書は述べています。―コリント第一 13:4,5,7。

      もしかするとあなたは若い親で,おばあちゃんがよかれと思って述べた提案や言葉にさえ,いらいらさせられているかもしれません。あなたには,「いら立(つ)」理由が本当にあるでしょうか。結局,年配のクリスチャンの女性の役割は,「若い婦人たちに,夫を愛し,子供を愛し,健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそし(む)」よう教えることである,と聖書は示しているのです。(テトス 2:3-5)そして,あなたも祖父母も同じこと,つまり子供たちにとって最善のことを願っているのではないでしょうか。愛は「自分の利を求め(ない)」わけですから,自分の感情にではなく,子供の必要に注意を集中するのが最善かもしれません。そうするなら,ささいな事柄でいら立たされるたびに,「互いに挑み合(う)」ことがないよう役立つかもしれません。―ガラテア 5:26,脚注。

      確かに,寛大でありすぎると子供を甘やかすことになると心配しているかもしれません。しかし,祖父母は普通,寛大であるときに悪い動機は持っていません。幼児保育の専門家の大半は,祖父母からの時折の干渉よりも,子供をしつけたり懲らしめたりするあなたの方法のほうが,はるかに大きな影響を及ぼすことを認めています。ある医師は,「ユーモアのセンスがあれば役立つ」とアドバイスしています。

      子育ての問題に関して心配する正当な理由があるとしても,あなたの親や義理の親から子供たちを引き離すようなことをしないでください。聖書は,「内密の話し合いのないところには計画のざ折があ(る)」と述べています。(箴言 15:22)「時宜にかなった」真剣な話し合いを行なって,自分たちが心配していることを打ち明けてください。(箴言 15:23)多くの場合,解決策は見いだせるものです。

      あなたは祖父か祖母ですか。では,孫の親に敬意を示すのはとても重要なことです。もちろん,孫が危険にさらされていると感じた時,自分の意見をはっきり言わなければならないと感じることでしょう。しかし,孫を愛し,かわいがることは自然なことであるとはいえ,子育ての責任は祖父母にではなく親にあります。(エフェソス 6:4)聖書は,あなたのお孫さんに対し,親を敬うようにと命じています。(エフェソス 6:1,2。ヘブライ 12:9)ですから,求められてもいないのに,子供の親に自分の意見をいろいろ述べたり,親の権威を損なったりすることがないようにしましょう。―テサロニケ第一 4:11と比較してください。

      確かに,口出しせずに,もしかすると,かたずを呑んで自分の子供たちに親としての仕事をさせるのは必ずしも容易なことではありません。しかし,ジーンが語っているように,「息子や娘からアドバイスを求められない限り,彼らが子供に対して最善だと感じたことに従うべきです」。ジェーンも,「『これはこうすべきなのよ』と言わないよう気をつけています。物事を行なう方法は幾通りもあり,自分の意見に固執するなら問題が生じます」と語っています。

      祖父母が与えることのできるもの

      孫を持つことは神からの祝福である,と聖書は描写しています。(詩編 128:3-6)孫たちに関心を示すなら,その生活に大きな影響を与え,敬虔な特質を培うよう助けることができます。(申命記 32:7と比較してください。)聖書時代にロイスという女性は,立派な神の人となるよう孫のテモテを助ける点で重要な役割を演じました。(テモテ第二 1:5)同じように,お孫さんが敬虔な訓練にこたえ応じるとき,あなたも喜びを味わうことができます。

      あなたはまた,必要とされている愛や愛情の源となることもできます。確かに,あなたは愛情深さをはっきり表現できるようなタイプではないかもしれません。しかし,孫たちに誠実で利他的な関心を示すことによっても,敬虔な愛は示せます。作家のセルマ・ワッセルマンはこう述べています。「子供が話していることに関心を示すなら……確かに,あなたの気遣いを示すことになる。よい聞き手となるには,話を遮ったり批判したりせず,いつも敬意や愛情を示し,褒めることが必要である」。祖父母が孫に与えることのできる最善の贈り物の一つは,そうした愛情のこもった関心なのです。

      ここまで,祖父母の伝統的な役割について論じてきましたが,今日の多くの祖父母は,もっと重い荷を負っています。

      [6ページの拡大文]

      「自分自身に関する最も重要なこと,つまり自分が愛され,それゆえ愛すべき存在だということを教わったのは祖母からでした」

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      遠くに住んでいる祖父母たちのためのヒント

      • 親に孫のビデオや写真を送ってくれるよう頼む。

      • テープの“手紙”を孫たちに送る。幼い子供たちには,聖書の物語の朗読や子守歌を自分で録音する。

      • 孫に絵はがきや手紙を書き送る。可能なら,定期的に手紙をやり取りする習慣を作る。

      • 余裕があるなら,長距離電話をして孫たちと接触を保つ。小さい子供たちと話す際,「朝ご飯は何を食べたの?」といった簡単な質問から会話を始める。

      • 可能なら,定期的に短い訪問を行なう。

      • 親と話し合って,孫を自分たちの所に来させるようにする。動物園や博物館,公園などに行くといった楽しい活動を計画する。

  • 祖父母が親代わりになるとき
    目ざめよ! 1999 | 3月22日
    • 祖父母が親代わりになるとき

      「王国会館の集会からちょうど帰ってきた時です。ドアをたたく大きな音がしました。外に二人の警察官が二人の薄汚れた子供と立っていました。その子供たちの髪の毛はもじゃもじゃで,何か月もお風呂に入っていないように見えました。子供だなんて見分けがつかなかったぐらいでしたよ。その二人は私の孫で,麻薬中毒者の母親から見捨てられたのです。私はやもめでしたし,自分にも6人の子供がいましたが,いやだとは言えませんでした」― サリー。a

      「娘から,自分が更生するまで子供たちを預かってもらえないかと頼まれました。娘が麻薬を常用しているとは知りませんでした。結局,私が二人の子供を育てることになりました。数年後,娘がまた子供を生みました。その子を引き取りたいとは思わなかったのですが,孫から,『おばあちゃん,もう一人だけいいでしょ?』とせがまれたのです」― ウィリー・メイ。

      祖父母が孫の世話をすることは,「責任の伴わない喜び」であるとよく言われたものです。しかし,今はそうではありません。米国だけでも300万人余りの子供が祖父母と暮らしているとみる人もいます。そしてその数は急増しています。

      この憂慮すべき傾向の背後には何があるのでしょうか。両親が離婚した子供たちは,祖父母と一緒に暮らすことになるかもしれません。親からないがしろにされたり虐待されたりした子供たちも,そうなる場合があります。『クラック・コカインは』,中毒にかかっている親たちに動かし難い影響を与えるため,『ロスト・ジェネレーションを作り出している』と,「児童福祉」誌(英語)は述べています。また,親が見捨てたり,死んだり,精神障害であったりしたために,何百万もの子供が“親のいない”子供になっています。エイズで母親を失う子供も,祖父母の世話を受けるようになるかもしれません。

      初老,あるいは老年期の「災いの日々」に子育ての務めを担うのは大変なことかもしれません。(伝道の書 12:1-7)幼い子供に絶えず目を配るだけの気力のない人も少なくありません。また,祖父母の中には,自分の年老いた親の面倒を見ているという人もいます。さらに,やもめだったり離婚したりして,配偶者の助けなしに何とかやりくりしなければならない人もいます。そして,そうした荷を担えるだけの財政的な蓄えがないことに気づく人も少なくありません。ある調査から,子供の監護者となっている祖父母の10組のうち4組は,貧困線の収入しかないことが分かりました。サリーは当時のことを振り返り,「子供たちは病気でした。治療のためにお金をたくさん支払わなければなりませんでした。国からの補助金はほとんどありませんでした」と言います。ある年配の女性は,「孫たちの面倒を見るために,自分の退職金を使わざるを得ませんでした」と語っています。

      ストレスと緊張

      驚くには当たりませんが,ある研究によって明らかにされたところによると,「孫の世話で祖父母には相当なストレスが生じており,60人の祖父母の86%に当たる人は,『ほとんどいつも憂うつな気持ちか,不安な気持ちでいることを』伝えて」います。実際,健康上の問題を抱えていると述べる人は少なくありません。十代の孫娘の世話をしているエリザベスは,「私は身体的,精神的,霊的な面で影響を受けました」と語っています。心臓疾患と高血圧を患うウィリー・メイはこう言います。「主治医は,子育てのストレスが関係していると思っています」。

      孫を養育するときに生活様式の変化が求められますが,その用意ができていない人は少なくありません。一人の祖父はこう言います。「いろいろな所に出かけられないことがよくあります。孫たちをだれかに預けると……罪悪感を抱くことになるので,どこかへ出かけたり何かをしたりするより,どこへも出かけず何もしないことにしています」。自分の時間など「存在しない」と言う人もいます。社会的に孤立することや寂しさは共通した問題です。ある祖母は,「私たちの年代では,ほとんどの友人には[年若い]子供がいません。ですから,どこかに招待されても応じられないことが少なくありません。私たちの子供[孫]は招待されていないからです」と言いました。

      また,感情的な圧力もつらいものです。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌(英語)の記事は次のように述べています。「彼ら[祖父母]の多くは,自分の子供が親として失敗したことに対し,恥ずかしく思ったり罪悪感に苦しんだりする。また,自分が親としてどこがいけなかったのだろうかと,自分を責める人が少なくない。孫に安全で愛情のあふれた家庭を備えるために,孫を虐待したり麻薬に依存したりする自分の子供を感情面で見捨てなければならなかった人もいる」。

      ある調査によると,「孫を養育するようになったため,4分の1余りは……自分たちの結婚関係の満足度が低下したと述べて」います。特に夫は,妻が孫たちの世話に掛かりきりになるため,軽んじられていると感じることがよくあります。圧力に対処できないと感じる夫たちもいます。ある女性は自分の夫について,こう語っています。「主人は私たちを見捨てました。……主人は追い詰められたような気持ちになったのだと思います」。

      怒る子供たち

      US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は,「祖父母が引き取る子供の中には,国内で最も困窮し,精神的に傷つき,怒っている子供もいるため,ストレスは増大する」と伝えています。

      エリザベスの孫娘のことについて考えてみましょう。子供の父親は,エリザベスが交通指導員をしている街角に文字どおり子供を捨てたのです。「孫娘は腹を立てています。傷ついています」とエリザベスは言います。サリーの孫も同じような傷を負っています。「孫は,苦々しい気持ちを抱いています。自分はだれからも必要とされていないと感じています」と言います。子供は生まれながらに,愛情深い父親と母親を持つ権利があります。両親から,見捨てられ,ないがしろにされ,拒絶されたときの子供の気持ちを想像してみてください。そうした感情を理解することが,行動面で問題を抱えるようになった子供たちを辛抱強く扱う際のかぎとなります。箴言 19章11節は,「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする」と述べています。

      例えば,親から見捨てられた子供は,世話をしようとするあなたの努力を拒絶するかもしれません。子供が抱いている恐れや不安を理解するなら,同情心を持って子供に接する助けとなります。子供が抱いている恐れを認め,自分はできる限りの世話をすると言って安心させるなら,子供の恐れを和らげるのに役立つかもしれません。

      圧力に対処する

      『私は大変傷つき,とてもみじめです。こんなことが私たちに起きるなんて不公平です』と,孫の監護者となっているある祖母は言います。そうした状況にあるなら,あなたも同じような感情を抱くことでしょう。しかし,事態は決して絶望的ではありません。一つの理由として,年のために体力が限られていても,知恵や辛抱強さ,力量という面では年齢は有利に働くという点を挙げることができます。驚くには当たりませんが,ある研究によって,「実の親でも片親しかいない家庭の子供と比べ,祖父母だけの手で育てられた子供たちは,非常にうまくやってゆける」ことが明らかになりました。

      聖書は,「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなた方を顧みてくださるからです」と勧めています。(ペテロ第一 5:7)ですから,詩編作者がしたように,いつも神に力や導きを祈り求めましょう。(詩編 71:18と比較してください。)自分の霊的な必要に注意を払いましょう。(マタイ 5:3)あるクリスチャンの女性は,「クリスチャンの集会と他の人に宣べ伝えることによって私は何とかやってくることができました」と語っています。可能なら,お孫さんに神の道を教えるようにしてください。(申命記 4:9)あなたが「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」お孫さんを育てる際に払う努力を神は必ず支えてくださるでしょう。―エフェソス 6:4。b

      恐れずに助けを求めてください。多くの場合,友人が助けになってくれるでしょう。クリスチャン会衆内では特にそう言えます。サリーは次のように語っています。「会衆の兄弟姉妹たちがとても支えになってくれました。私が落ち込んでいると,友人たちが元気づけてくれました。中には,経済的に援助してくださった人もいます」。

      政府から受けられるかもしれない援助を見過ごさないでください。(ローマ 13:6)興味深いことに,祖父母に関するある調査によると,「その大半は,何が利用できるのか,またどこに助けを求めればよいのか知らなかった」そうです。(「児童福祉」誌)ソーシャルワーカーやお年寄りを援助している地元の機関が役立つサービスについて教えてくれるでしょう。

      多くの場合,孫を養育する祖父母は,「対処しにくい危機の時代」の所産と言えます。(テモテ第二 3:1-5)幸いなことに,こうした困難な時代は,神が間もなく物事に介入し,「新しい地」を創造するしるしなのです。その時,今日の非常に多くの家族を苦しめている悲劇的な状況は過去のものとなります。(ペテロ第二 3:13。啓示 21:3,4)それまでの間,孫を養育している祖父母は,自分たちの状況を最大限利用するために自分たちにできる事柄を行なわなければなりません。こうした面で非常によい成果を収めている人は少なくありません。欲求不満にもかかわらず,喜びもあることをいつも忘れないようにしましょう。お孫さんが神を愛する廉直な人となるのを見るという喜びをさえ味わえるかもしれないのです。そうなればすべての労苦は価値あるものとなるのではないでしょうか。

      [脚注]

      a 名前は一部変えてあります。

      b 「幸せな家庭を築く秘訣」(ものみの塔聖書冊子協会発行)という書籍には,監護者である祖父母が孫を養育する際に活用できる有用な聖書の原則がたくさん収められています。

      [10ページの囲み記事]

      法律問題

      孫の監護権を取得するかどうかは,慎重さを要する複雑な問題です。この問題の専門家であるメリー・フロンは,次のように説明します。「一方においては,監護権がなければ法的権利もほとんどない。大抵の場合,実の親はいつでも戻って来て,子供を連れ去ることができる。他方,監護権を取得するのを渋る祖父母は少なくない。それは,自分の子供が親として不適格であることを法廷で表明しなければならないことを意味するからである」― グッド・ハウスキーピング誌(英語)。

      法律上の監護権がない祖父母はしばしば,孫を学校に入学させたり,医療を受けさせたりすることにさえ困難を感じます。しかし,監護権を得ることは,お金や時間がかかり,精神的に消耗するつらい経験となり得ます。また得られたとしても,祖父母は自分たちが国の財政援助を断ち切られたことを知るかもしれません。ですから,「児童福祉」という雑誌は,祖父母に「州の家族法,監護権をめぐる訴訟,子供の福祉などに詳しい地元の弁護士から法律上の助言を受けるよう」勧めています。

      [11ページの囲み記事]

      費用を計算する

      助けを必要としている子供を目にするのは,特に自分の肉親である場合,胸が張り裂けるような事柄です。また聖書は,「自分に属する人々」の世話をするようクリスチャンに命じています。(テモテ第一 5:8)それでも多くの場合,そうした責任を引き受ける前に,真剣に考慮することは祖父母にとって賢明なことです。(箴言 14:15; 21:5)費用を計算する必要があるのです。―ルカ 14:28と比較してください。

      祈りのうちにこう自問してください。私は身体的,感情的,霊的,そして経済的にこの子の必要を満たせる立場に,本当にいるだろうか。配偶者はこの状況をどう感じているだろうか。子供の親が自分たちで子供を世話することができるよう,励ましたり援助したりする方法はないだろうか。残念なことですが,子供の養育の義務を怠る親の中には,不道徳な生活様式をやめようとしない人もいます。ある祖母は,当時を思い返し苦々しい気持ちで,こう語ります。「私は娘の子供数人を引き取ったのですが,娘は麻薬を続け,さらに子供を産んだのです。それで,もうこれ以上引き取れないと言わざるを得ないような状況にまでなってしまいました」。

      他方,あなたが孫たちの世話をしないなら,孫たちはどうなってしまうでしょうか。ほかの人,もしかすると見知らぬ人が孫の面倒を見ているということを知りながら,その圧力に対処することができるでしょうか。子供たちの霊的必要はどうでしょうか。ほかの人は,神の規準に沿って孫たちを育てることができるでしょうか。ある人たちは,難しい事柄があるとしても,責任を引き受ける以外に選択の余地がないと結論するかもしれません。

      これは苦痛を伴いますが,個人個人が自分で決定を下さなければならない事柄です。

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