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  • 一般の人々のためのウィリアム・ティンダル訳聖書
    ものみの塔 1987 | 7月15日
    • 一般の人々のためのウィリアム・ティンダル訳聖書

      それは1530年の5月のある日のことでした。a ロンドンのセントポール教会の境内は人で一杯でした。群衆は,いつもなら本屋の出店を渡り歩き,最新のニュースやうわさ話を交換するのですが,その時は明らかに興奮していました。火が広場の中央で激しい音をたてて燃えていました。しかし,普通のたき火ではありません。幾人かの男たちが,かごの中の本を火にくべていました。焚書が行なわれていたのです。

      焼かれていた本も普通の本ではなく,ウィリアム・ティンダル訳の「新約聖書」とモーセ五書で,英語で印刷された最初の聖書でした。不思議なことに,それらの聖書はロンドン司教のカスバート・タンスタルの命令で焼かれたのです。しかも同司教は,発見できた聖書をみな買い上げるために多額のお金を費やしました。

  • 一般の人々のためのウィリアム・ティンダル訳聖書
    ものみの塔 1987 | 7月15日
    • しかし,ティンダルが聖書を英訳することは,当局者たちの怒りを買いました。なぜでしょうか。なぜなら,一般の人々が母国語の聖書を個人用に持つことを許すべきかどうかを決定するため,1408年にはすでに僧職者たちの会議がイングランドのオックスフォードで開かれていたからです。決定の内容は一部次のようなものでした。「したがって,我々は,権限のない者が今後,聖書のどの箇所であれ,英語をはじめとする他のいかなる言語にも翻訳すべきでないことを定めかつ命ずる。……違反者は正式破門に処す。問題の翻訳が教区の司教,もしくは事情により管区会議によって認可されるならばその者は破門を解除される」。

      この布告から100年余りたっていましたが,タンスタル司教は,ティンダルが早くから認可を求めていたにもかかわらず,この布告を適用してティンダル訳の聖書を焼き払いました。b タンスタルの意見によれば,ティンダル訳には約2,000箇所の誤りがあるゆえに「不快で,冒涜的で,人心を惑わす」翻訳でした。

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    ものみの塔 1987 | 7月15日
    • ティンダルは当局者たちの迫害から逃れるため,ヨーロッパ大陸に渡って仕事を続けました。しかし,結局は捕まり,異端のかどで有罪とされた後,1536年10月に刑柱上で絞殺火刑に処されます。「主よ,イングランド王の目を開きたまえ」というのが,ティンダルの最後の祈りでした。

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    ものみの塔 1987 | 7月15日
    • a ここに記したような出来事は,1526年にも生じ,他の年にもありました。

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