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    2000 エホバの証人の年鑑
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      バリー・ラッシュバイとジャネット・ラッシュバイ ―『常々もっと多くのことをしたいと願っていた』

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    2000 エホバの証人の年鑑
    • 外国に移動できたとしても限られた期間だけだった人もいます。それでも,海外の生活で経験した事柄はどれも,当人にとって貴重なものとなりました。そうした人たちの中に,バリー・ラッシュバイとジャネット・ラッシュバイがいます。

      バリーは,「真理に入ってから,常々もっと多くのことをしたいと願っていました」と言います。バリーは開拓者の姉妹ジャネットと結婚すると,「わたしたちの王国奉仕」に載った,パプアニューギニアで奉仕する兄弟たちを募る呼びかけに二人で応じました。「それは,わたしたちの祈りに対する答えでした」と二人は述懐しています。ポートモレスビーの支部の兄弟たちは,国の中央に位置するゴロカで奉仕してほしいと思っていましたが,バリーの就労許可はブーゲンビル島に限られていました。二人がパプアニューギニアに着いてみると,うれしいことに,当局がバリーの就労許可を変更してゴロカに割り当てていたことが分かりました。

      バリーは教職に就き,ジャネットは18人の奉仕者から成る会衆で開拓奉仕を行ないました。バリーはこう述懐しています。「一つ学んだことがあります。それは,会衆の集会に出席する時になると,兄弟たちはほかの何にも注意を奪われなかったということです。雨季の厳しい天候の時もそうでした。兄弟たちは車を持っていませんので,集会へ来るのにたいてい一,二時間は歩きます。王国会館に入るとびしょ濡れなんです。でも,兄弟たちはいつも集会に来ていました」。

      バリーとジャネットがパプアニューギニアで6年間楽しく奉仕した後,外国人をめぐる状況が変化しました。バリーは,英国に戻るほうが賢明だと判断しました。しかし,海外での経験を積んでいたので,今度は二人で全時間奉仕を行なうことにしました。でも,どこで行なうのでしょうか。特に必要の大きな場所で奉仕したいと思い,協会と巡回監督に相談してから,リンカンシャー州ボストンへ移動しました。住む家はすぐ見つかりましたが,バリーは,ジャネットと一緒に開拓奉仕ができるようなパートの仕事を見つけることができませんでした。それでも二人は,王国を第一にするならエホバが助けてくださるという約束に信仰を置き,バリーの仕事が見つかっても見つからなくても,9月1日から開拓奉仕を始めることにしました。9月1日,二人がコートを着て野外奉仕に出かけようとしていた時,電話が鳴りました。郵政公社の職員からで,「パートの仕事をお探しですか」と尋ねられました。バリーが,「願ってもないことです。いつから雇っていただけるでしょうか」と言うと,「そうですね,明日からではどうでしょう」という答えが返ってきました。神への奉仕を第一にしようとする二人の努力を,エホバは祝福してくださったのです。(マタ 6:33)4年後,バリーとジャネットに別の思いがけない電話がかかってきました。それは,イースト・ペナイン大会ホールの管理の仕事の割り当てでした。

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