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読者からの質問ものみの塔 1986 | 8月1日
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啓示 7章9節から17節には,来たるべき患難を地上で生きて通過する人々のことがそうした背景の中で描写されています。そのため,極端に正確さを望む人の中には,「大群衆」という語の適用を,その患難を生きて通過した人々に限定する人がいるかもしれません。しかし,そこまで限定する必要があるでしょうか。わたしたちはそのようには考えていません。生き残る人々は,生き残る資格を身に着けられるよう「大患難」の前に集められていなければならないことは明らかです。それで,わたしたちはその「大群衆」という語を,現在エホバ神に仕える,そして生き残る見込みと地上の『命の水の泉に導かれる』見込みを持つ忠節なクリスチャンに適用してきました。(啓示 7:17)
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読者からの質問ものみの塔 1986 | 8月1日
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次のように推論する人がいるかもしれません。イエスは「ほかの羊」を集める将来の業のことを言われたのだから,「ほかの羊」という語は,イエスがそのことを話された後に,地上での永遠の命という聖書の差し伸べる希望を受け入れる人々だけに当てはまる,と。しかし,その語をそのように限定する必要はないように思われます。それはあたかもイエスが事柄を年代順に,あるいは連続して起こる事柄として説明しておられたかのようにみなすことになるからです。わたしたちはイエスが,自分は一つに集められた羊の牧者である,ということを強調しておられたのだと考えます。
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