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  • ギリシャ,ギリシャ人
    聖書に対する洞察,第1巻
    • ギリシャは山の多いバルカン半島の南部を占め,また同半島の近くの,西はイオニア海の島々,東はエーゲ海の島々をも含んでいます。南には地中海があります。北方の境界線は明確ではありません。初期の時代にギリシャのヤワン人は統一されて特定の国民になってはいなかったので特にそうでした。しかし,後代の“ギリシャ”はアドリア海に面したイリュリアやマケドニアの地域にまで及んでいたと解されています。実際,マケドニア人は後にギリシャ人と呼ばれた人々と基本的には同系統の人々だったのかもしれません。

  • ギリシャ,ギリシャ人
    聖書に対する洞察,第1巻
    • ギリシャのヤワン人は初期のころから船乗りを業とする民族になりました。“長靴”型のイタリアのかかとに当たる箇所は,ギリシャ北西部から,幅わずか160㌔ほどのオトラント海峡を横切った所に位置しています。東では群島(海面上に頂上を残して海中に沈下した山々で形成された幾列かの列島)が,エーゲ海を横切って小アジアへと続く巨大な飛び石の役目をしていました。エーゲ海の北東の隅にあるヘレスポント海峡(ダーダネルス海峡とも呼ばれる)はマルマラ海に通じており,次いでボスポラス海峡を経て黒海に通じていました。さらに,ギリシャの船は初期のころから小アジアの南岸沿いに進み,シリアやパレスチナの沿岸まで航行しました。船は日中の時間に100㌔ほど航行できました。ですから,コリントで書いたと思われる,マケドニアのテサロニケ人にあてたパウロの手紙が届くには,気象状況(や途中で寄港する港の数)にもよりますが,1週間かそれ以上かかったことでしょう。

      ギリシャ人の影響力や居留地は決してギリシャ本土に限られてはいませんでした。イオニア海やエーゲ海に点在する数多くの島々は本土同様にギリシャの一部とみなされていました。イタリア南部やシシリー(シチリア)島もいわゆる大ヘラス,つまりラテン語のグラエキア マーグナに含まれていました。歴史上の証拠によれば,ギリシャのヤワン人はかつてタルシシュ(スペイン)のヤワン人と接触や交易関係を維持しており,この点でフェニキア人をはるかにしのいでいたことが分かります。同様のつながりがギリシャ人とキプロスのヤワン人との間にもあったことが知られています。

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