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ヨーロッパの最高位の裁判所はギリシャで伝道する権利を擁護するものみの塔 1993 | 9月1日
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しかし,1993年5月25日,崇拝の自由に関して大勝利が得られました。その日,フランスのストラスブールにあるヨーロッパ人権裁判所は,自らの信条を他の人々に教える一ギリシャ市民の権利を擁護したのです。このヨーロッパの最高位の裁判所はその判決で,信教の自由に対する広範な保護措置を講じました。そうした措置は,場所を問わず,人々の生活にかなりの影響を及ぼすでしょう。
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ヨーロッパの最高位の裁判所はギリシャで伝道する権利を擁護するものみの塔 1993 | 9月1日
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ギリシャのエホバの証人に対して犯された甚だしい不法行為は,どんな経緯があってついにヨーロッパ人権裁判所に持ち出されたのでしょうか。
テストケース
その裁判の発端となった出来事は,1986年3月2日に起きました。その日,77歳の元実業家ミノス・コキナキスが妻と共にクレタ島のシティアにあるヨルギア・キリアカキ夫人の家を訪ねたところ,地元の正教会で聖歌前唱者を務める,キリアカキ夫人の夫が警察に通報しました。警官が到着し,コキナキス夫妻を逮捕して地元の警察署に連行しました。二人はそこで一夜を過ごさなければなりませんでした。
二人の容疑は何でしたか。それは過去50年にわたってエホバの証人に対して何度となく課されたのと同じ容疑,つまり改宗の勧誘をしていたというものでした。ギリシャ憲法(1975年)第13条には,「改宗の勧誘は,これを禁じる」とあります。さらに,ギリシャ法第4条1363/1938項および1672/1939項は改宗の勧誘を犯罪と定めています。そこにはこうあります。
「『改宗の勧誘』とはとりわけ,宗旨の異なる者の宗教信条を侵害しようとする直接的または間接的な試みを指す。……その目的とするところは,何であれ勧誘により,あるいは報酬または精神的支援または物質的援助の約束により,あるいは詐欺により,あるいは当人の未熟,信頼,窮境,無知,純真さなどを利用することにより,異なる信条を害することである」。
クレタ島のラシティ刑事裁判所は,1986年3月20日にこの件を審理し,コキナキス夫妻を改宗の勧誘という罪で有罪とし,両人に各々4か月の刑を宣告しました。裁判所はコキナキス夫妻に有罪判決を言い渡すに際し,被告人は「正教会クリスチャンの宗教信条を……彼らの未熟,無知,純真さなどを利用して」侵害したと言明しました。それに加え,被告人は「こうかつな言説によって……正教会のキリスト教信仰から転じるよう[キリアカキ夫人に]働きかけた」という責めも受けました。
この件はクレタ控訴裁判所に控訴されました。1987年3月17日,クレタのこの裁判所はコキナキス夫人に無罪を言い渡しましたが,夫のほうの有罪は支持しました。もっとも,彼の刑期は3か月に縮められました。判決は,コキナキス氏が「[キリアカキ夫人の]未熟,無知,純真さなどを利用した」と断定しました。また,判決によると,同氏が「聖書から数節を読み聞かせはじめ,それらを巧みに分析したため,教理面で適切な基礎教育を受けていないクリスチャン女性にとって反ばくの余地はなかった」とされています。
控訴裁判所判事の一人は反対意見の中で,「[コキナキス氏]にも無罪を言い渡すのが妥当であった。なぜならば,聖歌前唱者を夫に持つほどのヨルギア・キリアカキが……正教会の教理に関して特に未熟,あるいは特に無知,あるいは特に純真であったがゆえに被告人がそれを利用し,……[こうして]エホバの証人派の会員となるよう彼女を説き伏せ得たということを示す証拠は皆無だからである」と記しています。
コキナキス氏は本件をギリシャ破棄院,つまりギリシャの最高裁判所に上告しました。しかし,この裁判所は1988年4月22日に上告を棄却しました。そのためコキナキス氏は1988年8月22日,ヨーロッパ人権委員会に申し立てを行ないました。この申し立ては1992年2月21日にようやく受理され,ヨーロッパ人権裁判所にゆだねられました。
裁判の争点
ギリシャはヨーロッパ審議会の加盟国であるため,ヨーロッパ人権条約の条項を遵守する義務を負っています。同条約の第9条にはこう記されています。「すべての者は思想,良心,および信教の自由に関する権利を有している。この権利には,自らの宗教もしくは信条を変更する自由,および,単独であれ,他者との共同体においてであれ,公私いずれの場においてであれ,自らの宗教もしくは信条を,崇拝,教え,実践,遵奉において明らかにする自由が含まれる」。
こうして,ヨーロッパの一法廷で,ギリシャ政府が被告側に立ちました。ギリシャ政府は,イエス・キリストの命令に沿って宗教を実践する一ギリシャ市民の基本的人権をあからさまに侵害していると訴えられました。イエスは『教え,弟子を作るように』とお命じになりました。(マタイ 28:19,20)それに加え,使徒ペテロによれば,「[イエスは,]民に宣べ伝えるように,そして,……徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」。―使徒 10:42。
「国境なき人権」誌の1992年の特別号は「ギリシャ ― 故意の人権侵害」という表題を掲げました。この雑誌は2ページでこう説明しています。「ギリシャは,宗教を変える動機づけを他者に与えた者に罰金や投獄刑を課する刑法を有する,EC[欧州共同体]およびヨーロッパで唯一の国である」。
ですから,今回は法曹界の内外で盛り上がりが見られました。個人的信条を他の人々に教えることを禁じるギリシャの法律に関してどんな裁定が下るのでしょうか。
ストラスブールにおける審理
ようやく審理が行なわれる日となりました。1992年11月25日のことです。ストラスブールの空には厚い雲が垂れこめ,冷え込んでいましたが,法廷では法律家たちが白熱した論議を展開していました。証言は2時間にわたって行なわれました。コキナキス側の弁護士,フェドン・ベグレリス教授は問題の核心に触れ,『ギリシャ正教会の教会員が他の宗教信条に転向するのを阻止することを目的とした,この拘束的な法律を存続させ,適用し続けるべきだろうか』と問いかけました。
ベグレリス教授は,いかにも腑に落ちないという様子でこう述べました。「私はこの[改宗の勧誘に関する]法律が,正統派的信仰を愚かさや無知と同列に置いていることに疑問を抱く。正統派的信仰を愚かさから,霊的に無力なものから守らなければならないのはなぜか。これは,かねてからの疑問である。……この点には戸惑いと驚きを覚える」。重要な点として,政府の代理人は,この法律がエホバの証人以外に適用された例を一つも挙げることができませんでした。
コキナキスの二人目の弁護士,パナイオティス・ビトサヒス氏は,改宗の勧誘に関する法律がいかに理不尽かを示し,こう述べました。「相互に影響し合うことをよしとするのは,成人間の対話の前提条件である。さもなければ,我々は物言わぬ動物,つまり考えはしても考えを述べることはなく,話しはしても意思を通わせることはなく,存在はしても共存しない動物から成る,奇妙な社会の一員となってしまう」。
ビトサヒス氏はさらに,「コキナキス氏は『何を行なったか』に関してではなく,『自分が何者か』という点に関して有罪とされた」と論じました。こうしてビトサヒス氏は,信教の自由という原則が侵害されただけでなく,完全に打ち砕かれてしまったことを示しました。
ギリシャ政府の代理人は,実態とはかけ離れた印象を与えようとして,ギリシャは「人権の守られている楽園」であると述べました。
判決
長く待ちわびた判決の下る日がやって来ました。1993年5月25日のことです。裁判所は6対3の票差で,84歳になるミノス・コキナキスの信教の自由をギリシャ政府が侵害していると裁定したのです。裁判所は公の宣教を行なうコキナキスの生き方を擁護することに加え,1万4,400㌦(約158万4,000円)の損害賠償請求を認めました。こうしてこの裁判所は,コキナキスとエホバの証人が自らの信条について他の人と話し合う際に強制的な策略を用いているとするギリシャ政府の主張を退けました。
ヨーロッパの最高裁判所は,ギリシャ憲法と昔ながらのギリシャの法律が改宗の勧誘を禁じていようとも,その法律を用いてエホバの証人を迫害するのは間違いであると裁定しました。そのような行為はヨーロッパ人権条約の第9条と調和しません。
裁判所の判決はこう述べています。「宗教は『絶えず新たにされ得る人間の思考の流れ』の一部であり,宗教が公の討論の対象ではないと考えることはできない」。
9人の判事の一人は,補足意見としてこう語りました。「『信仰を広める際の熱意』と定義される改宗の勧誘そのものを処罰することはできない。改宗の勧誘自体は完全に合法であり,『自己の宗教を表明する』方法の一つなのである」。
「本件において,申立人[コキナキス氏]は,何ら不行跡を犯したわけではなく,そのような熱意を示したというだけの理由で有罪とされた」。
判決の成り行き
ヨーロッパ人権裁判所は,改宗の勧誘を禁じる法律の誤用をやめるようにという明確な指示をギリシャ政府当局に与えました。ギリシャが同裁判所の指示を遵守し,エホバの証人に対する迫害を中止することが期待されています。
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