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ギリシャ1994 エホバの証人の年鑑
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中にはクレタのエマヌエル・パテラキスのように,死刑を宣告された人もわずかながらいました。しかし,ドイツ占領下のギリシャでは,どの死刑宣告も執行されませんでした。
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ギリシャ1994 エホバの証人の年鑑
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あるとき幾つかの共産主義者のグループと地元の指導者たちが兄弟たちを逮捕して,見張りに立つよう命じました。兄弟たちはそれを拒んだ時,近くの村に連れて行かれ,当局に引き渡されました。当局はニコス・パパヨルイウとコスタス・クリスタナスとコスタス・パパヨルイウを処刑することに決めました。その委員会のメンバー7人のうち,処刑を支持しなかったのはわずか一人だけでした。兄弟たちは山腹にある村に連れて行かれました。死刑判決が読み上げられ,縛られて殴られました。殴られているうちに,ニコス・パパヨルイウは手足を縛られたまま,山腹を途中まで転がり落ち,川のすぐ上の岩棚でかろうじて止まりました。兄弟たちは8日間にわたり繰り返し殴られ,その後釈放されました。
ニコス・パパヨルイウはこう語っています。「民族解放戦線の班長が私を事務所に連れて行き,あなたを処刑する権限を与えられたことを知らせなければならないのは残念だと言いました。彼は,助けになりたいと思っているが,そのためにはあなたも協力してくれなければならないと言いました。私は手を伸ばして彼の右手を取り,こう言いました。『私のためを思ってくださるのでしたら,直ちに処刑してください。もし私が自分の信仰を否認したなら,私のために泣いてください』」。この班長は心を動かされたに違いありません。パパヨルイウ兄弟を釈放したのです。
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ギリシャ1994 エホバの証人の年鑑
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1944年8月24日,メガロポリス市の近くの村,トゥルコレカスで4人の兄弟が反逆罪で訴えられ,ゲリラによって死刑を宣告されました。そして処刑場へ引き立てられていた時,ドイツの砲兵隊が奇襲を仕掛けてきました。そのためゲリラは散り散りに逃げ去ってしまいました。兄弟たちは難を免れたのです。
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