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ギリシャ1994 エホバの証人の年鑑
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テッサリアでの初期の年月
ギリシャ中央部のテッサリア地方では,早くから良いたよりが進展しました。特に注目に値するのは,ラリサのカラマキとトリカラのエレフテロホリという二つの小さな村での進展です。聖書研究者であるという理由で解雇された学校教師のジョージ・ククティアノスは,1922年11月,旅行中に天気が崩れたため,カラマキのディミトリス・パルダロスの家で一晩を過ごすことになりました。ジョージはもてなしの精神に富むその主人に証言をしました。どうなったでしょうか。ディミトリスとその町のもう二人の人,テオドロス・パルダロスとアポストロス・ブラハバスがエホバを知るようになったのです。
この3人は周りの村々で家から家へ証言し始めました。また,毎年2か月ないし3か月かけて遠くの区域で伝道を行なっては,自分たちの村へ戻り,力を取り戻したり,将来の運動に必要な資金を稼いだりしました。移動は徒歩で行ない,出版物や,それと引き換えにもらった農産物をどっさり運びました。
それでも時には,その生活にも愉快な事がありました。彼らの一人はこう語っています。「ある時,川を歩いて渡らなければならないことがありました。冬だったので,冷たい水でした。私は連れの一人よりも体が大きかったので,私がおぶって行ってあげようかと言いました。1回で渡ってしまおうと思い,片手に出版物の入ったかばんを持ち,もう一方の手には靴とソックスを持ちました。同時に,卵のいっぱい入ったかごの取っ手をくわえました。ところが,川の中ほどまで来た時,私はうかつにも,おぶっている連れに大丈夫かと尋ねたのです。もちろんのこと,すぐに卵のかごは落ちてしまいました。それを拾おうとして,靴とソックスと出版物を落としてしまい,落としたものを取ろうとしていると,何と背中にいた兄弟が川に落ちてしまいました」。二人は何年も前の,その川を渡った時の出来事を思い出して笑いました。
田舎の地域での業は努力を要しました。「聖職者に対する告発」のパンフレットを配布した時,エホバの証人は警察署に留置され,次いで法廷に引き出されることがありました。しかし,迫害によって彼らの信仰と王国に対する熱意は強められました。その結果,1930年以降,カラマキ会衆の人数は着実に増加しました。
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ギリシャ1994 エホバの証人の年鑑
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しかし,迫害によって彼らの信仰と王国に対する熱意は強められました。その結果,1930年以降,カラマキ会衆の人数は着実に増加しました。
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