ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔89 7/15 30ページ
  • 読者からの質問

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 読者からの質問
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
  • 関連する記事
  • 宝くじ ― だれが勝つか
    目ざめよ! 1985
  • 富くじの誘惑
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
  • 宝くじで“運だめし”をするのは正しいことですか
    目ざめよ! 1975
  • 宝くじ ― それほど人気が高いのはなぜか
    目ざめよ! 1991
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 7/15 30ページ

読者からの質問

■ 収益が慈善事業に用いられる宝くじであれば,クリスチャンが単なる娯楽としてその宝くじを買っても差し支えありませんか。

エホバは「幸福な神」ですから,聖書がふさわしい娯楽を非としていないことは確かです。(テモテ第一 1:11)神の民は,音楽や上品なダンス,適度な飲食,平衡のとれたスポーツやゲームなどを楽しむことができます。(詩編 150:4。伝道の書 2:24)しかし,賭博は神の賢明な諭しに明らかに反しており,宝くじを買うことにもそれが当てはまります。

厳密に言うと,宝くじとは何でしょうか。それには,賞金を獲得するチャンスを得るために券を買うことが関係しています。くじ引き,あるいは何らかの方法で無作為に番号を選ぶことにより,当せん者が決定されます。a 多くの場合,巨額の賞金が一つ提示されます。それは何百万ドルという額かもしれず,何百万ペソ,あるいは何百万ポンドかもしれません。そのような巨額の賞金には非常に大きな魅力があるため,宝くじは「最も広く行なわれている形態の賭博」となりました。(ワールドブック百科事典)何億人もの人々が,宝くじによる賭博を行なっています。

中には,券の値段はわずかだし,参加者は自分の意志でお金を出し,収益の一部は貧民救済などの慈善目的に用いられるのだから,宝くじに関係するのは間違ったことでも悪いことでもない,と論じた人がいます。そのような推論の仕方はどれほど妥当なものでしょうか。

宝くじの券を買うことは,単純な,あまり費用のかからない娯楽だと主張する人々もいますが,貪欲という要素があることは否めません。人々は多額のお金を得ることを期待して宝くじの券を買います。これは貪欲を非とする神の諭しに真っ向から対立します。そしてその貪欲は,人が『神の王国を受け継ぐ』ことを妨げるほどの重大な悪になり得ます。それゆえ,賭博によって飽くなき貪欲を表わすクリスチャンは,会衆から追放される可能性があります。(コリント第一 5:11; 6:10)「相続物は初めは貪欲によって得られるが,その将来は祝福されない」と,聖書は述べています。(箴言 20:21)宝くじに“賭けて”みようという衝動を感じるクリスチャンは,宝くじの根底にある貪欲について真剣に考えるべきです。エフェソス 5章3節には,『わたしたちの間では,貪欲が口に上ることさえあってはならない』と述べられているのですから,ましてクリスチャンが実際に貪欲に屈してしまうことなどあってはなりません。

宝くじを買う人々の中で一番多いのは,大体,貧しい地域社会の人々です。ですから,券の値段はわずかだとしても,それを買うお金は,より多くの食物,適当な衣服,進んだ医療など,純粋に家族の必要のために用いられるべきお金から取られているのです。クリスチャンであると主張しながらそのような家族の必要を顧みない人は,「信仰のない人より悪い」のです。―テモテ第一 5:8。

たとえ宝くじを買うお金が当人の懐具合いや家族の家計に重大な悪影響を及ぼさないとしても,他の人の生活にも悪影響はないということではありません。なぜでしょうか。なぜなら,宝くじを買う人はほとんどだれでも,当せんしたいと思っているからです。賞金はどこから出ますか。券が1枚10ペソで,賞金が100万ペソの場合,当せん者は他の10万枚の券代を獲得することになります。これは,他人の貴重な物をむさぼってはならないという神の諭しと調和するでしょうか。(申命記 5:21)実際,その賞金にはもっと多くの人々から取られたお金が関係することになるのです。というのは,10万枚よりもずっと多くの券を売らなければならないからです。売上金の一部は宝くじの大義名分として吹聴されている慈善目的に用いられるとはいえ,相当な額が経営費に当てられるに違いありません。ですから,たとえある人に,券を買う10ペソの余裕があるとしても,他の膨大な数の人々についてはどうでしょうか。そのうえ,恐らく当せん者のことが公表され,多くの人はそれに刺激され,それだけの余裕がないのに宝くじに手を出したり,券をより多く買ったりするようになります。

また,働かずにお金を得るという夢が宝くじと密接に関係していることも否定できません。確かに,宝くじは怠惰な心を助長したり,それに訴えたりします。しかし,聖書は神の民に,倹約すること,勤勉であること,骨折って働くことなどを勧め,“ただで何かを得る”精神を促すどころか,「働こうとしない者は食べてはならない」と述べています。―テサロニケ第二 3:10。箴言 13:4; 20:4; 21:25。テサロニケ第一 4:9-12。

他の人々が自分の意志で宝くじを買い求め,それが合法的なものであるからといって,クリスチャンがそれに関係してもよいということにはなりません。一部の国の政府は,他の形態の賭博や,売春や一夫多妻をも合法としています。そのような事柄が合法とされ,多くの人が自分の意志でそれに関係していても,そのような活動が神の目に正しいものとなるわけではありません。むしろクリスチャンは,「エホバよ,あなたの道をわたしに知らせてください。あなたの道筋をわたしに教えてください。わたしをあなたの真理によって歩ませ,わたしに教えてください。あなたはわたしの救いの神だからです」と述べたダビデの見方を反映するよう努めます。―詩編 25:4,5。

もしクリスチャンが,貧しい人々,障害者,あるいは老齢者を本当に助けたいと思うのであれば,直接に,あるいは賭博と関係のない方法でそうすることができるはずです。

[脚注]

a この種の賭博は,一般には宝くじとして知られていますが,トトカルチョ(サッカー賭博),スウィープステイク(富くじ競馬),ラッフルなど,その国独特の名で呼ばれているかもしれません。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする