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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
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死が最愛の人を奪い去る時

「母がガンで亡くなったのは1981年のことでした。私にとっては養母でしたが,その死は私と義理の弟に非常な悲しみをもたらしました。私は17歳で弟は11歳でした。母がいなくなって本当に寂しくなりました。私はカトリック教徒として育てられましたから,母は天にいると教えられていました。それで自分の命を絶って母と一緒になりたいと思いました。母は私にとって大の親友だったのです」― ロバータ,25歳。

あなたも同じような経験をしたことがありますか。もしあれば,最愛の人を失った時の心痛はよくご存じでしょう。愛する人を奪い去る力が死にあるというのは非常に不公平なことに思えます。そして実際に最愛の人を奪われた時,もう二度と話をすることも,共に笑うことも,抱き締めることもできないと思うと,耐え難い気持ちになるかもしれません。また,ロバータの言葉が示唆しているように,最愛の人は天に召されたと言われても,その心痛は和らぐものではありません。

しかし,もし愛する故人と近い将来に再会できることを知ったとしたら,それも天ではなく,まさにこの地上で,しかも平和で義にかなった状態のもとで再会できることを知ったとしたら,どう感じるでしょうか。また,その時人間は完全な健康を楽しむ見込みがあり,もはや死ぬ必要がないということを知ったとしたら,どうでしょうか。『そんなことは全くの希望的観測だ』とあなたは言われるかもしれません。

ところが,西暦1世紀の昔に,イエス・キリストは大胆にも,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」と明言されたのです。(ヨハネ 11:25)それは,死者が生き返るという約束でした。何と興奮を誘う見込みなのでしょう。

それでも,次のように考える人がいるかもしれません。『その約束には信じることのできる確かな根拠があるのだろうか。それが単なる希望的観測ではないとどうして確信できるのだろうか。もし信じる根拠があるとしたら,この約束が果たされるときに,自分と自分が愛している人たちにはどんなことが生じるのだろうか』。次の記事では,このような疑問や他の疑問が取り上げられています。

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