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    ものみの塔 2006 | 4月15日
    • 「わたしはあなた方と共にいる」

      『エホバの使者は,さらに話してこう言った。「『わたしはあなた方と共にいる』と,エホバはお告げになる」』。―ハガイ 1:13。

      1 イエスは,わたしたちの時代の預言的ひな型となったどんな時代に言及しましたか。

      今わたしたちは歴史上きわめて重大な時代に生活しています。聖書預言の成就が物語っているとおり,1914年以来「主の日」にいるのです。(啓示 1:10)あなたはこの点についてすでに学び,イエスが自ら王国の権能を執る時代を「人の子の日」と呼んで,それを「ノアの日」や「ロトの日」になぞらえた,ということもご存じでしょう。(ルカ 17:26,28)このように聖書は,昔のそれらの時代が今の時代の預言的ひな型となっていることを示しています。しかし,ひな型となっている時代については,真剣に考えるべきものがほかにもあります。

      2 エホバはハガイとゼカリヤにどんな役割をお与えになりましたか。

      2 昔のヘブライ人の預言者,ハガイとゼカリヤの時代に見られた,ある状況について考えてみましょう。その忠実な預言者たちは,現代のエホバの民にもぴったり当てはまる,どんな音信を伝えていたでしょうか。ハガイとゼカリヤは,バビロン捕囚から帰還したあとのユダヤ人に対する「エホバの使者」で,神殿の再建に神の後ろ盾があることをそれらイスラエル人に確信させる務めをゆだねられていました。(ハガイ 1:13。ゼカリヤ 4:8,9)ハガイとゼカリヤの書は短いとはいえ,『神の霊感を受けた聖書全体,つまり教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益なもの』の一部です。―テモテ第二 3:16。

      関心を払うべき預言

      3,4 ハガイとゼカリヤの音信に関心を払うべきなのはなぜですか。

      3 確かに,ハガイとゼカリヤの音信は当時のユダヤ人にとって有益なもので,そこに含まれていた預言はその時代に成就を見ました。しかし,今日のわたしたちもそれら二つの書に関心を払うべきである,と言えるのはなぜでしょうか。手掛かりとなるものが,ヘブライ 12章26-29節にあります。その中で使徒パウロは,ハガイ 2章6節の一部を引用しています。『神が天と地を激動させる』という言葉です。その激動により,最終的には『もろもろの王国の王座が覆され,諸国民の王国の力が滅ぼし尽くされる』のです。―ハガイ 2:22。

      4 パウロはハガイ書を引用して,「諸国民の王国」に何が生じるかを述べ,油そそがれたクリスチャンが受ける揺り動かされない王国の優越性に言及しています。(ヘブライ 12:28)そのことから,ハガイとゼカリヤの預言は,ヘブライ人への手紙が書かれた西暦1世紀よりも後の時代に注目させていることが理解できるでしょう。今日,地上にはなお,イエスと共にメシア王国を受け継ぐ,油そそがれたクリスチャンの残りの者がいます。ですから,ハガイとゼカリヤの預言は,わたしたちの時代にも重要な意味があるに違いありません。

      5,6 ハガイとゼカリヤが奉仕するようになった背景として,どんなことがありましたか。

      5 エズラ記には,幾らかの歴史的背景が記されています。西暦前537年にユダヤ人がバビロン捕囚から帰還した後,総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア(もしくはエシュア)は,西暦前536年に新しい神殿の土台が据えられるのを監督しました。(エズラ 3:8-13; 5:1)その時には大きな歓びがありましたが,やがてユダヤ人は恐れを抱くようになりました。エズラ 4章4節によれば,敵対していた『その地の民が絶えずユダの民の手を弱め,建てさせまいとして彼らの意気をくじいた』のです。それら敵対者たち,特にサマリア人は,ユダヤ人について偽りの告発をしました。反対者たちはペルシャの王を唆して神殿建設に対する禁令を出させました。―エズラ 4:10-21。

      6 神殿再建に対する最初の熱意は冷め,ユダヤ人は自分の関心事に心を向けるようになりました。しかし,神殿の土台が据えられてから16年後の西暦前520年,エホバはハガイとゼカリヤを立てて,神殿の工事の再開に向けて民を鼓舞されました。(ハガイ 1:1。ゼカリヤ 1:1)ユダヤ人は神の使者たちに力づけられ,エホバの後ろ盾を示す明白な証拠を得て,工事を再開し西暦前515年に神殿を完成させました。―エズラ 6:14,15。

      7 現代には,ハガイとゼカリヤの時代と同じような,どんな状況が見られますか。

      7 こうしたことすべては,わたしたちにとってどんな重要な意味を持っているでしょうか。わたしたちには『王国の良いたより』の伝道に関連した業があります。(マタイ 24:14)その業は,第一次世界大戦後,特に重視されるようになりました。古代のユダヤ人が文字どおりのバビロン捕囚から解放されたのと同じように,エホバの現代の民は,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの捕らわれから解かれて自由になりました。神の油そそがれた者たちは,宣べ伝えて教え,人々を真の崇拝に導くという業に励むようになりました。その業は今日,これまで以上に大きな規模で続いており,あなたもそれに加わっておられることでしょう。今はまさしくその業を行なうべき時です。この邪悪な体制の終わりが間近に迫っているからです。神から命じられたこの業は,エホバが「大患難」で人間社会の物事に介入される時まで続けられなければなりません。(マタイ 24:21)その時には,悪が一掃されて,真の崇拝が地上の至る所で活発に行なわれるようになるのです。

      8 わたしたちの行なっている業に神の後ろ盾があることを確信できるのはなぜですか。

      8 ハガイとゼカリヤの預言が示しているとおり,わたしたちは心をこめてその業を行なうとき,エホバの後ろ盾と祝福があることを確信できます。政府がエホバの僕たちを抑圧しようとしたり,その割り当てられた業に禁令を課そうと企てたこともありましたが,どんな政府も福音宣明の業の進展を阻むことはできませんでした。第一次世界大戦後,現在に至るまで何十年にもわたり,エホバが王国の業をいかに祝福し,拡大させてこられたかを考えてください。しかし,なすべきことはまだたくさんあります。

      9 わたしたちは古代のどんな状況に注意を払うべきですか。なぜそうすべきですか。

      9 わたしたちはハガイ書とゼカリヤ書から学ぶと,宣べ伝えて教えるようにという神からの命令に従いたいという気持ちが強くなります。どのようにでしょうか。その答えを得るために,この二つの書から得られる,幾つかの教訓を取り上げましょう。例として,復帰したユダヤ人が行なう必要のあった神殿建設に関する,二,三の詳細な点について考えてみてください。すでに述べたように,バビロンからエルサレムに帰還したユダヤ人は,神殿再建の業を続けるだけの粘り強さがありませんでした。土台を据えた後に,手を緩めたのです。どんな誤った見方をするようになったのでしょうか。そのことからわたしたちは何を学べるでしょうか。

      正しい見方を持つ

      10 ユダヤ人はどんな誤った見方をするようになりましたか。その結果,どうなりましたか。

      10 復帰したユダヤ人は,「時は来ていない」と言っていました。(ハガイ 1:2)西暦前536年に神殿建設に着手してその土台を据えた当初,「時は来ていない」などとは言いませんでした。しかしやがて,周囲からの反対や政府の妨害を受けて気弱になり,自分の家や快適な暮らしのほうを重視するようになりました。エホバは,上質の鏡板を張った民の家と未完成の神殿とを対比させて,「この家が荒れているのに,あなた方のほうは鏡板を張った家に住んでいる時だろうか」と問いかけられました。―ハガイ 1:4。

      11 エホバがハガイの時代のユダヤ人に助言しなければならなかったのはなぜですか。

      11 そうです,何を優先すべきかに関するユダヤ人の考え方は変化していたのです。神の民は,神殿の再建というエホバの目的を第一にせずに自分や自分の住まいに注意を向けるようになり,神の崇拝の家に関する業をなおざりにしていました。ハガイ 1章5節に記されているエホバの言葉はユダヤ人に,『自分の道に心を留める』よう勧めるものでした。エホバがここで言っておられたのは,自分たちが行なっている事柄について時間を取って深く考えるよう,また自分たちの生活の中で神殿建設を第一にしていないためにどんな影響を受けているかを熟考するように,ということでした。

      12,13 ハガイ 1章6節はユダヤ人の状況をどのように描写していますか。その聖句は,何を意味していますか。

      12 容易に想像できることですが,優先すべき事柄を優先しなかったユダヤ人は,それぞれ個人として影響を受けました。ハガイ 1章6節で表明されている神の見解に注目してください。「あなた方は沢山の種をまいたが,わずかな取り入れしかない。食べはするが,満ち足りることはない。飲みはするが,陶酔にまでは至らない。衣服を身に着けはするが,だれかが暖かくなるわけでもない。雇われる者も,穴のあいた袋のために雇われているのである」。

      13 ユダヤ人は神から与えられた土地にいましたが,期待したほどの実りを得ていませんでした。エホバが,あらかじめ警告したとおり,祝福を差し控えておられたのです。(申命記 28:38-48)ユダヤ人は神の後ろ盾を失ったため,種をまいても収穫は乏しく,満ち足りるほどの食物はありませんでした。神からの祝福がなかったため,暖かい衣服もまとえませんでした。仕事をして得たお金も,穴だらけの袋に入れるようなもので,働いた人にとって利益にはなりませんでした。では,「飲みはするが,陶酔にまでは至らない」という表現については,どうでしょうか。酒に酔うことがエホバの祝福の表われであったはずはありません。神は酩酊を非としておられるからです。(サムエル第一 25:36。箴言 23:29-35)それは,ユダヤ人に神からの祝福がなかったことをさらに別の表現で述べているにすぎません。いくらぶどう酒を造っても,陶酔できるほどの量を生産できない,ということです。「改訂標準訳」(英語)は,ハガイ 1章6節を「あなた方は飲むが,決して満たされることはない」と訳しています。

      14,15 ハガイ 1章6節からどんな教訓を学べますか。

      14 そうしたことすべてから学ぶべき教訓は,家の設計や装飾の仕方をどうするかというようなことではありません。流刑に処される時よりずっと以前に,預言者アモスはイスラエルの富裕な人々に,「象牙の家」を有し『象牙の寝いすに横たわっている』ことについて叱責を与えました。(アモス 3:15; 6:4)凝った造りの家や装飾の施された家具が存続することはありませんでした。それらの物は,敵である征服者に強奪されたのです。しかしその後,長い年月が経過し70年間の流刑が終わった後にも,神の民の多くはそのことから学んでいませんでした。わたしたちは学ぼうとするでしょうか。各自,こう自問するのは適切なことです。『率直に言って,わたしは自分の家やその装飾をどれほど重視しているだろうか。出世するための余分の教育を受けることについてはどうだろう。何年にもわたってかなりの時間を取られ,神への崇拝の重要な事柄が締め出されることになっても,受けようとするだろうか』。―ルカ 12:20,21。テモテ第一 6:17-19。

      15 ハガイ 1章6節に記されている事柄を考えれば,自分の生活に神の祝福がなくてはならないことを痛切に感じるはずです。それら昔のユダヤ人は,神の祝福がなかったため,悲惨な状態に陥りました。わたしたちも,物質的に豊かであるかどうかにかかわりなく,もしエホバの祝福を受けていなければ,必ず霊的に悲惨な状態に陥ってしまいます。(マタイ 25:34-40。コリント第二 9:8-12)では,どうすればその祝福を受けることができるでしょうか。

      エホバはご自分の霊によって助ける

      16-18 ゼカリヤ 4章6節は,当時の人々にとってどんな意味がありましたか。

      16 エホバはハガイとゼカリヤの時代の献身的な人たちをどんな手段で動機づけ,祝福されたのでしょうか。ハガイの仲間の預言者ゼカリヤは霊感のもとにその手段が何であるかをはっきり書き記しました。それについて知れば,神があなたをどのように祝福されるかということも分かります。こう記されています。「『軍勢によらず,力にもよらず,ただわたしの霊による』と,万軍のエホバは言った」。(ゼカリヤ 4:6)耳慣れた聖句ですが,ハガイとゼカリヤの時代のユダヤ人にとってどんな意味があったのでしょうか。そして,あなたにはどのように当てはまるでしょうか。

      17 霊感によるハガイとゼカリヤの言葉は,その当時,大きな影響を及ぼした,ということを思い起こしてください。忠実なユダヤ人は,その二人の預言者の言葉を聴いて再び元気づけられました。ハガイは西暦前520年の第6の月に預言を始めました。ゼカリヤが預言を始めたのは,同じ年の第8の月です。(ゼカリヤ 1:1)ハガイ 2章18節から分かるとおり,第9の月には,神殿の土台の工事が熱心な態度で再開されました。ユダヤ人は行動へと鼓舞され,エホバの支援を確信して従ったのです。ゼカリヤ 4章6節の言葉は,神がどのようにして後ろ盾となってくださるかについて述べています。

      18 西暦前537年に故国に帰還する時のユダヤ人は,軍勢つまり軍隊を持っていませんでしたが,バビロンからの道中,エホバは民を保護し,導かれました。また,帰還後まもなく神殿の工事を始めた時にも,聖霊が物事を導きました。エホバは,民が再び心をこめて業を始めるなら,聖霊という手段を用いて後ろ盾となってくださるのです。

      19 神の霊は,どんな強い影響力に打ち勝ちましたか。

      19 ゼカリヤは一連の八つの幻を通して,エホバはご自分の民が神殿の建設を忠実に成し遂げようとするとき共におられる,ということを確信させました。3章に記されている第4の幻は,神殿を完成させようとするユダヤ人の努力に対してサタンがしきりに抵抗していたことを示しています。(ゼカリヤ 3:1)大祭司ヨシュアが新しい神殿で民のために奉仕することを,サタンは快く思わないのです。悪魔はしきりに神殿建設を妨げようとしていましたが,エホバの霊が,数々の障害を除く面でも,神殿が完成するまで建設を推し進めるようユダヤ人を力づける面でも,大きな役割を果たすことになっていました。

      20 聖霊は,神のご意志を遂行するユダヤ人をどのように助けましたか。

      20 確かに,克服しがたい障害があるかのように思えました。政府の役人たちが反対し,建設に対する禁令を取りつけていたのです。しかしエホバは,その「山」のような障害が取り除かれて「平たんな土地」になる,と約束しておられました。(ゼカリヤ 4:7)そして,そのとおりになりました。王ダリウス1世が行なった調査によって,キュロスがユダヤ人に神殿の再建を許可した覚え書きが見つかったため,ダリウスは禁令を解除し,ユダヤ人のために王の宝物庫からお金を出して建設を支援する許可も与えたのです。なんという大逆転でしょう。そのことには神の霊が関与したのでしょうか。関与した,と言えます。神殿は,ダリウス1世の治世の第6年である西暦前515年に完成しました。―エズラ 6:1,15。

      21 (イ)古代において神は,どのように「あらゆる国民を激動させ」られましたか。また,どのように「望ましいもの」が出て来ましたか。(ロ)それは現代にどのように成就していますか。

      21 預言者ハガイは,2章5節でユダヤ人に,神がシナイ山で民と結ばれた契約を思い起こさせています。その契約が結ばれる時には「山全体が激しく震動」しました。(出エジプト記 19:18)6,7節の比喩的な言葉で描写されているように,エホバはハガイとゼカリヤの時代にもう一度,揺り動かすことをしようとしておられました。ペルシャ帝国の情勢は不安定になりますが,神殿の工事は完成に向かって進みます。「あらゆる国民のうちの望ましいもの」である非ユダヤ人たちが,最終的にその崇拝の場所でユダヤ人と共に神の栄光をたたえることになるのです。現代においてはさらに大規模に,神がわたしたちクリスチャンの伝道活動によって『諸国民を激動させて』こられたので,「あらゆる国民のうちの望ましいもの」が入って来て,油そそがれた残りの者と一緒に神を崇拝するようになっています。まさしく,油そそがれた者たちとほかの羊は今,共にエホバの家を栄光で満たしています。そのような真の崇拝者たちは,エホバが別の意味で『天と地とを激動させる』時を,信仰を抱いて待ち望んでいます。その激動は,諸国民の王国の力を覆して滅ぼし尽くすためのものなのです。―ハガイ 2:22。

      22 諸国民はどのように『激動させられて』いますか。その結果,どうなっていますか。さらに何が起きることになっていますか。

      22 わたしたちは,「天と地と海と乾いた地」として描写されている様々なものが大きな変動を経験してきたことを知っています。悪魔サタンと悪霊たちが地の近くに投げ落とされたことなどは,その大変動の一例です。(啓示 12:7-12)さらに,神の油そそがれた者たちが先頭に立って行なっている宣べ伝える活動によって,この事物の体制の地的な諸要素は確かに激動させられてきました。(啓示 11:18)それにもかかわらず,あらゆる国民のうちの望ましいものから成る「大群衆」が,霊的イスラエルに加わってエホバに仕えています。(啓示 7:9,10)大群衆は油そそがれたクリスチャンと共に働き,神が間もなくハルマゲドンで諸国民を激動させるという良いたよりを宣べ伝えています。その激動によって,真の崇拝が全地で完成された状態になる道が開かれるのです。

  • あなた方の手を強くしなさい
    ものみの塔 2006 | 4月15日
    • あなた方の手を強くしなさい

      「あなた方の手を強くせよ,今日このごろ預言者たちの口からこれらの言葉を聞いている者たちよ」。―ゼカリヤ 8:9。

      1,2 ハガイ書とゼカリヤ書に注意を払うべきなのはなぜですか。

      ハガイとゼカリヤの預言は,約2,500年前に書かれたとはいえ,確かに今のあなたの生活と深い関係があります。聖書のそれら二つの書にある記述は,単なる歴史ではありません。『わたしたちの教えのために以前に書かれた事柄すべて』の一部なのです。(ローマ 15:4)それらの書に記されている事柄の多くは,神の王国が1914年に天に設立されて以来現実に起きてきた事柄について考えさせるものとなっています。

      2 使徒パウロは,昔の神の民が経験した出来事や置かれた状態に言及して,「さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」と述べました。(コリント第一 10:11)それを考えると,『ハガイ書やゼカリヤ書には今日どんな価値があるのだろうか』と思われることでしょう。

      3 ハガイとゼカリヤはどんなことに焦点を当てていますか。

      3 前の記事で述べたように,ハガイとゼカリヤの預言は,ユダヤ人がバビロン捕囚から解放されたあと,神によって与えられた土地に帰還した時代と関係がありました。その二人の預言者は,神殿の再建に注意を向けました。ユダヤ人は西暦前536年に神殿の土台を据えました。年老いたユダヤ人の中には過去への思いが強い人もいましたが,大方の人々は「喜びのために叫び声」を上げました。しかし実際には,現代においてそれよりもさらに重要な出来事が生じています。どのようにでしょうか。―エズラ 3:3-13。

      4 第一次世界大戦が終わって間もなく,どんなことが起きましたか。

      4 第一次世界大戦が終わって間もなく,エホバの油そそがれた者たちは,大いなるバビロンに捕らわれていた状態から解放されました。それはエホバが支援してくださったことの確かな証拠でした。それよりも前,聖書研究者が行なっていた公に宣べ伝えて教える業は,宗教指導者とその政治上の仲間によってやめさせられたかに見えました。(エズラ 4:8,13,21-24)しかしエホバ神は,宣べ伝えて弟子とする業に対する障害を取り去られました。1919年以来何十年にもわたって,王国の業は活発に行なわれ,何にも妨げられずに進展してきました。

      5,6 ゼカリヤ 4章7節は,どんな壮大な業が成し遂げられることを指していますか。

      5 わたしたちは,現代のエホバの従順な僕たちによる宣べ伝えて教える業がエホバの後ろ盾を得て続行されてゆく,という確信を抱くことができます。ゼカリヤ 4章7節にはこう記されています。「彼は必ず頭石を携えて来る。それに向かって,『麗しいかな,麗しいかな』という叫びが上がるであろう」。これは,わたしたちの時代に成し遂げられるどんな壮大な業のことを指しているのでしょうか。

      6 ゼカリヤ 4章7節は,霊的神殿の地上の中庭で行なわれる,主権者なる主に対する真の崇拝が,完成された状態になる時のことを指しています。霊的神殿とは,キリスト・イエスのなだめの犠牲に基づき,崇拝を通してエホバに近づくための取り決めのことです。確かに,その偉大な霊的神殿は西暦1世紀から存在しています。しかし,その地上の中庭における真の崇拝が完成されるのは,まだ先のことです。その霊的神殿の地上の中庭では,現在,幾百万もの崇拝者が奉仕しています。それらの人々および復活してくる大勢の人は,イエス・キリストによる千年統治の期間中に完全な者となります。そして千年の終わりには,清められた地上にいるすべての人が神の真の崇拝者,という状態になるのです。

      7 イエスは今日,真の崇拝が完成された状態になることのために,どんな役割を果たしていますか。そのことはわたしたちにとってなぜ励みとなりますか。

      7 総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアは,西暦前515年に神殿が完成するのを,その場にいて目撃しました。ゼカリヤ 6章12,13節は,真の崇拝が完成された状態になるためにイエスが同様の役割を果たすことをこう予告していました。「万軍のエホバはこのように言われた。『ここに新芽という名の者がいる。そして,その者は自分の場所から新芽を出して,必ずエホバの神殿を建てる。こうして彼は……自らも尊厳を帯びる。彼は腰を下ろしてその王座から治め,その王座にあって祭司となるのである』」。ダビデの王統の新芽となって天にいるイエスが,霊的神殿における王国の業の後ろ盾となってくださっているのですから,だれがその業の進展を妨げられるでしょうか。もちろん,だれもできません。そのことを考えると,日常の様々な事柄に気を散らされることなく宣教奉仕を行なってゆくための励みとなるのではないでしょうか。

      何を優先すべきか

      8 生活の中で霊的神殿における業を第一にしなければならないのはなぜですか。

      8 エホバの後ろ盾と祝福を得るには,霊的神殿における業を生活の中で常に第一にする必要があります。「時は来ていない」と述べたユダヤ人のようになるのではなく,今が「終わりの日」であることをしっかり心に留めていなければなりません。(ハガイ 1:2。テモテ第二 3:1)イエスは,ご自分の忠節な追随者たちが王国の良いたよりを宣べ伝えて人々を弟子とする,ということを予告しました。わたしたちはこの奉仕の特権を軽んじないよう気をつけなければなりません。宣べ伝えて教える業は世からの反対で一時的に停止し,1919年に再開されましたが,まだ完了していません。しかし,必ず完了する,と確信できます。

      9,10 エホバの祝福を受けられるかどうかは何にかかっていますか。そのことはわたしたちにどう当てはまりますか。

      9 わたしたちは,その業を熱心な態度で行ない続ける限り ― 民として,また個人として ― 祝福を受けることができます。そのことを確信させる,エホバの約束に注目してください。エホバは,ユダヤ人が再び魂をこめた崇拝を始め,神殿の土台の工事を熱心な態度で再開した時,「この日より後,わたしは祝福を与えるであろう」と言われました。(ハガイ 2:19)民は再び神の恵みを十分に受けるようになるのです。神の約束の中で挙げられていた次のような祝福について考えてみてください。「平和の種がそこにある……。ぶどうの木がその実りを出し,地もその産物を出す。天もその露を与えるであろう。わたしは必ずこの民の残っている者たちにこのすべてを受け継がせる」。―ゼカリヤ 8:9-13。

      10 エホバは,それらのユダヤ人を霊的にも物質的にも祝福されたように,わたしたちが,割り当てられた仕事を勤勉に,また幸福な気持ちで果たすとき,祝福してくださいます。祝福の中には,わたしたちの間の平和や,安全,繁栄,霊的成長などがあります。とはいえ言うまでもなく,神からの絶えることのない祝福を受けられるかどうかは,霊的神殿における業をエホバの望まれるとおりに行なってゆくかどうかにかかっています。

      11 自分自身をどのように分析してみることができますか。

      11 今は『自分の道に心を留める』べき時です。(ハガイ 1:5,7)わたしたちは,生活の中で何を優先しているかについて,少し時間を取って分析してみるべきでしょう。今日エホバの祝福をどれほど受けるかは,わたしたちがどれほどそのみ名を大いなるものとし,霊的神殿における業を推し進めるかにかかっているのです。こう自問できるでしょう。『わたしが何を優先するかは以前とは違っているだろうか。エホバとその真理や業に対するわたしの熱意は,バプテスマを受けたころに比べてどうだろうか。安楽な生活をしたいと思うあまり,エホバと王国から注意がそれていないだろうか。人を恐れて ― どう思われるかを気にして ― しり込みするような傾向はないだろうか』。―啓示 2:2-4。

      12 ハガイ 1章6,9節では,ユダヤ人のどんな状況が浮き彫りにされていますか。

      12 わたしたちは,神の名を大いなるものとする業をなおざりにしたために神が豊かな祝福を差し控えられる,というようなことのないようにしたいものです。復帰したユダヤ人は良い態度で業に着手したものの,ハガイ 1章9節にあるとおり,『それぞれ自分の家のために走り回る』ようになってしまいました。自分たちの生活や日常の必要物のことで頭がいっぱいになったのです。その結果,「わずかな取り入れしか」なく,良い食べ物や飲み物,暖かい服が十分にありませんでした。(ハガイ 1:6)エホバは祝福を差し控えられたのです。ここからどんな教訓を学べるでしょうか。

      13,14 ハガイ 1章6,9節から得られる教訓をどのように当てはめることができますか。そうすることが重要なのはなぜですか。

      13 すでにお分かりのように,神の祝福のうちにとどまりたい人は,エホバの崇拝をなおざりにしてまで自分個人の事柄を求めるようなことがあってはなりません。何であれ自分の注意をそらせる活動や関心事,例えば裕福になろうとしたり,一獲千金を企てたり,この体制下で魅力的な仕事に就くために高度な教育を受けようとしたり,ごく個人的な願望を達成しようとしたりすることは,避けなければなりません。

      14 そうした事柄そのものは,罪ではないかもしれません。しかし,永遠の命の観点からすれば,実際には「死んだ業」ではないでしょうか。(ヘブライ 9:14)なぜなら,それらは霊的な意味で死んでおり,むなしく,実を結ばないからです。もしそのような業を行ない続けるなら,やがて霊的には死んでしまうかもしれません。使徒たちの時代の油そそがれたクリスチャンたちの中には,そうなった人がいました。(フィリピ 3:17-19)わたしたちの時代にも,同じようなことが見られます。クリスチャンの活動や会衆から徐々にそれてゆき,今ではエホバへの奉仕に戻りたいという気持ちもないように見える人をご存じでしょう。わたしたちはもちろんそのような人がエホバのもとに戻ることを願っていますが,「死んだ業」を追い求めるならエホバの恵みや祝福を失う結果になりかねないことも事実です。そうなるとどんな悲惨なことになるかは明らかです。神の霊の生み出す,喜びや平和を失ってしまいます。考えてみてください,クリスチャンの兄弟関係の温かさを味わえなくなるということは,非常に大きな損失ではないでしょうか。―ガラテア 1:6; 5:7,13,22-24。

      15 わたしたちは崇拝を真剣な態度で行なうべきですが,そのことをハガイ 2章14節はどのように示していますか。

      15 これは真剣に考えるべき事柄です。ハガイ 2章14節に注目してください。ユダヤ人が神の崇拝の家をなおざりにし,文字どおりにであれ比喩的にであれ自分の家に鏡板を張っていた時,エホバはその民をどうご覧になったでしょうか。「『わたしの前にあって,この民はそのようであり,この国民はそのようである』と,エホバはお告げになる。『彼らの手のすべての業,またすべて彼らがそこに差し出す物はそのようである。それは汚れている』」。中途半端な態度のユダヤ人がエルサレムの仮設の祭壇に印ばかりのどんな犠牲をささげようと,彼らが真の崇拝をなおざりにしている限り,その犠牲は受け入れられなかったのです。―エズラ 3:3。

      後ろ盾があるとの保証

      16 ユダヤ人は,ゼカリヤに与えられた幻に基づいて,どんなことを確信できましたか。

      16 神殿の再建に従事した従順なユダヤ人は,神の後ろ盾があるという確信を与えられました。神はそのことを,ゼカリヤに見せた一連の八つの幻を通して示されたのです。最初の幻は,ユダヤ人がそのとき行なっていた仕事を従順に遂行するなら神殿は完成し,エルサレムとユダは繁栄する,ということを保証するものでした。(ゼカリヤ 1:8-17)第2の幻は,真の崇拝に反対する政府はすべて終わりに至る,ということを約束していました。(ゼカリヤ 1:18-21)その他の幻は,建設の業に神の保護があること,多くの国の民が完成したエホバの崇拝の家に流れのようにやって来ること,真の平和と安全がもたらされること,神から割り当てられた業を阻む,山のように見える障害が平たんにされること,悪が除かれること,そしてみ使いの監督と保護があることを保証するものでした。(ゼカリヤ 2:5,11; 3:10; 4:7; 5:6-11; 6:1-8)そうです,従順な人たちは神が支援してくださるというそのような保証を得たので,生活を調整し,神が自分たちをバビロンから解放して行なわせようとされた業に注意を集中したのです。

      17 わたしたちには保証の言葉があることを考え,どのように自問すべきでしょうか。

      17 同じように,真の崇拝が必ず勝利を収めるという保証は,わたしたちを活動へと鼓舞し,エホバの崇拝の家について真剣に考えるよう動かすはずです。こう自問してください。『今は王国の良いたよりを宣べ伝えて人々を弟子とする業を行なうべき時だ,と信じているのであれば,自分の目標や生き方はその確信と一致しているだろうか。神の預言の言葉を研究し,それを思いに留め,それについて仲間のクリスチャンや他の人たちと話し合うことに,相応の時間を費やしているだろうか』。

      18 ゼカリヤ 14章によれば,前途にはどんなことが控えていますか。

      18 ゼカリヤは,大いなるバビロンの滅びとそれに続くハルマゲドンの戦いに言及しました。こう記されています。「それは,エホバのものとして知られる一日となるのである。それは昼ではない。夜でもない。それは夕刻に明るくなるのである」。そうです,エホバの日は地上の敵対者たちにとって,まさに暗く冷たい日なのです。しかし,エホバの忠実な崇拝者にとっては,絶えず降り注ぐ光と恵みの時となります。ゼカリヤはまた,新しい世ではあらゆるものがエホバの神聖さをふれ告げるようになることも描写しました。神の偉大な霊的神殿における真の崇拝が,地上で唯一の崇拝の方式となります。(ゼカリヤ 14:7,16-19)なんと素晴らしい保証の言葉でしょう。わたしたちは,予告されていた事柄の成就を経験し,エホバの主権の正当性が立証されるのを見るでしょう。エホバの日は,まさに類例のない日となるのです。

      とこしえの祝福

      19,20 ゼカリヤ 14章8,9節が励みとなるのはなぜですか。

      19 そのような驚くべき事柄が成し遂げられたあと,サタンと悪霊たちが無活動の底知れぬ深みに封じ込められます。(啓示 20:1-3,7)その後,キリストの千年統治の間,数々の祝福が注がれます。ゼカリヤ 14章8,9節はこう述べています。「その日には必ずこうなる。すなわち,生きた水がエルサレムから出て,その半ばは東方の海へ,半ばは西方の海へ行く。夏にも冬にもそのようになる。そして,エホバは全地の王となるのである。その日,エホバはひとり,そのみ名も一つであることが明らかになるであろう」。

      20 命のためのエホバの備えを表わす「生きた水」または「命の水の川」が,メシア王国の中心部から,途切れることなく流れ出ます。(啓示 22:1,2)ハルマゲドンを生き残った,エホバの崇拝者から成る大群衆は,アダムに由来する死の宣告から解放されることによって益にあずかります。すでに死んでいた人たちも,復活によって益にあずかります。こうして,地に対するエホバの支配の新たな時代が幕を開けます。世界じゅうの人間がエホバを宇宙の主権者,そして崇拝されるべき唯一の方と認めるのです。

      21 わたしたちはどんなことを決意しているべきですか。

      21 ハガイとゼカリヤが予告した事柄と成就している事柄すべてから理解できるとおり,わたしたちには,エホバの霊的神殿の地上の中庭で行なうようにと割り当てられた仕事を推し進めるべき確かな理由があります。真の崇拝が完成された状態になる時まで,わたしたちすべてが力を尽くして王国の関心事を第一にしてゆけますように。ゼカリヤ 8章9節はこう勧めているのです。「あなた方の手を強くせよ,今日このごろ預言者たちの口からこれらの言葉を聞いている者たちよ」。

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