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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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学んで,すぐに宣べ伝えた人々がほかにもいた
1948年,ギレアデの卒業生がさらに4人ハイチにやって来ました。アレクサンダー・ブローディーとハービー・ドリンクルが4月に,フレッド・ルーカクとピーター・ルーカクは夏に到着しました。みなカナダ人です。この4人は,カポワ通り32番地にあった宣教者の家を拠点にして奉仕し,ポルトープランスでの良いたよりを宣べ伝える業を強化する点で大きな働きをしました。
フレッド・ルーカクはその年23歳で,1943年以来開拓者として奉仕していました。ハイチに来てからフレッドは,革製品を製造する店の主人に「真理は汝らを自由にすべし」という本を配布し,その週の日曜日にもう一度訪問すると約束しました。ところが,日曜日が来ないうちにいろいろなことが起きました。この店主の娘婿であるモーリス・サノンがその本を見つけ,読みはじめたのです。毎日午後になると,この元教師は腰を下ろし,義理の父親の本の助けを借りながら聖書を研究しました。数日後にはモーリスは友人たちに,カトリック教会がこれまで教えてきた幾つかの教理が偽りであることを知らせていました。モーリスはフレッド・ルーカクの訪問を待ちきれない思いでした。
数年後,ルーカク兄弟はこう語っています。「モーリスは質問をたくさんしてきて,聖書研究が始まりました。彼は急速に進歩し,新たに見いだした真理を親族や他の人々に伝えるようになりましたが,一緒に奉仕に出るよう勧めると,『まだ知識が浅いですから』と言って断わりました。『区域の人よりはあなたのほうが聖書の知識を持っていますよ。とにかく,私が話しますから』と言うと,モーリスは納得しました。ところが一軒目から,この精力的な男性がほとんど話をしたのです」。やがてモーリスの妻や4人の子供も研究に加わり,この家族全員,それに甥や姪たちも幾人か献身したエホバの証人になりました。
翌年の1949年に,フレッドはポルトープランスに近いカルフールで,40歳になる誠実なプロテスタント信者に会いました。この男性も真理に飢え渇いていました。フレッドは,「デュモワンヌ・バロンは教理的な質問をたくさんしてきました。約束どおり次の週にもう一度訪ねたのですが,デュモワンヌは不在でした。私は遠くから自転車で来たのにと思って,がっかりしました」と語っています。一体何があったのでしょうか。フレッドはこう語ります。「間もなくデュモワンヌは帰宅し,近所の人たちに伝道しに出かけていたと話してくれました。そして,『みんな神のことを何も知らないんですよ』と言いました」。デュモワンヌは家庭聖書研究を通して急速な進歩を遂げ,1950年6月にバプテスマを受けました。この人は今もなお,良いたよりの忠節な奉仕者です。
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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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ハイチの初期の宣教者たち: (1)デービッド・ホーマーとシーリア・ホーマー,(2)アレックス・ブローディーとマリーゴ・ブローディー,(3)ビクター・ウィンターバーンとサンドラ・ウィンターバーン,(4)ピーター・ルーカク,(5)フレッド・ルーカク
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