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  • 研究5 ― ヘブライ語聖書の本文
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 13 セプトゥアギンタ訳のどんな貴重な断片が今日まで残っていますか。それらにはどんな価値がありますか。

      13 今日でもなお,パピルス紙に記されたセプトゥアギンタ訳の相当数の断片を研究のために用いることができます。それらの断片は初期キリスト教時代のものですから,貴重な写本です。そして,それらはしばしばほんの数節や数章にすぎませんが,セプトゥアギンタ訳の本文を評価するのに助けとなります。エジプトでファド・パピルス266が発見され,西暦前1世紀の写本であることが分かりました。それには創世記と申命記の一部が含まれています。創世記の断片には保存の不完全さのため神の名が出ていませんが,申命記には様々な場所に神の名が出ており,それはギリシャ語本文の中に方形のヘブライ語文字で書かれています。d ほかのパピルス写本の年代は,一般に子牛,子羊,またはやぎの皮で作られた,もっと長持ちのする獣皮紙,すなわち上等の羊皮紙が写本を作るために用いられるようになった西暦4世紀ごろにさかのぼります。

      14 (イ)オリゲネスはセプトゥアギンタ訳について何と証言していますか。(ロ)セプトゥアギンタ訳はいつ,またどのようにして不正な変更を加えられましたか。(ハ)初期のクリスチャンはセプトゥアギンタ訳を用いて,どんな証しを行なったに違いありませんか。

      14 西暦245年ごろに完成した,オリゲネス編さんによる6欄の「ヘクサプラ」のセプトゥアギンタ訳の箇所にも神の名が四文字語<テトラグラマトン>の形で出ているのは興味深い事柄です。詩編 2編2節に関する注解の中でオリゲネスは,セプトゥアギンタ訳についてこう書きました。「最も正確な写本には,み名がヘブライ語文字で書かれている。しかし,それは現代のヘブライ語[文字]ではなく,最も古いヘブライ語文字によってである」。e 証拠によれば,セプトゥアギンタ訳には四文字語の代わりにキュリオス(主)やセオス(神)という語が用いられて,早い時期に不正な変更が加えられたことは疑問の余地がないようです。初期のクリスチャンは神のみ名の出ている写本を用いたので,宣教に携わる際,ユダヤ教の伝承に従って「み名」の発音をしなかったとは考えられません。それらクリスチャンは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳から直接エホバのみ名について証しをすることができたに違いありません。

      15 (イ)314ページの表を用いて,セプトゥアギンタ訳の獣皮紙の写本について述べなさい。(ロ)新世界訳は,これらの写本をどのように参照していますか。

      15 ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の獣皮紙の写本は今でも何百もあります。西暦4世紀から9世紀にかけて作られた,そのうちの幾つかの写本は,ヘブライ語聖書のかなりの部分を含んでいるゆえに重要な写本です。それらはアンシャル体写本として知られています。なぜなら,それは全部大文字で,文字と文字は離して書かれているからです。残りの写本は小文字体写本と呼ばれています。なぜなら,それは手書きの小文字の草書体で書かれているからです。小文字体写本すなわち草書体の写本は,9世紀から印刷の開始される時までの間に盛んに用いられました。四,五世紀の優れたアンシャル体写本,すなわちバチカン写本1209,シナイ写本およびアレクサンドリア写本は皆,幾つかのわずかな異文の含まれているギリシャ語セプトゥアギンタ訳の写本です。新世界訳の脚注や注解の部分では,セプトゥアギンタ訳がしばしば参照されています。f

  • 研究5 ― ヘブライ語聖書の本文
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • ヘブライ語本文

      17 書士すなわちソフェリムとはだれのことですか。イエスはそれらの人たちをどんな点で非難されましたか。

      17 ソフェリム。エズラの時代以来イエスの時に至るまで,ヘブライ語聖書を書き写した人々は書士すなわちソフェリムと呼ばれました。時たつうちに,これらの人々は本文を勝手に変えるようになりました。実際,イエスご自身,律法のそれら自称管理者たちのことを,自分たちに属していない権利を我がものにしているとして,容赦なく非難されました。―マタイ 23:2,13。

      18 (イ)マソラ学者とはだれのことですか。彼らはヘブライ語本文に関してどんな貴重な注解を記していますか。(ロ)新世界訳の中で注記されている,ソフェリムによる修正の例を幾つか挙げなさい。

      18 マソラは改変箇所を明らかにする。キリストの時代以後,何世紀かの間に,書士であるソフェリムの跡を継いだ人々はマソラ学者として知られるようになりました。これらの人々は初期のソフェリムによって改変された箇所に注目し,それをヘブライ語本文の欄外または最後に記録しました。それらの欄外注記がマソラとして知られるようになりました。そのマソラには,ソフェリムにより指摘された15箇所の特殊符号,すなわちヘブライ語本文に小点や線で印を付けられた15の語や句が挙げられています。それらの特殊符号の幾つかは翻訳もしくは解釈に影響を及ぼしませんが,中にはそのような影響を及ぼす重要なものもあります。h ソフェリムはエホバというみ名を発音することに対して迷信的な恐れを抱いていたため,134箇所でそれを「アドーナーイ」(主),また,ある箇所では「エローヒーム」(神)と変えて読むわなに陥りました。マソラには,それらの変更が挙げられています。i また,ソフェリムすなわち初期の書士も,マソラの注記によれば,少なくとも18箇所で修正(訂正)を行なったとされていますが,もっと多くの修正が行なわれたことは明らかです。j これらの修正は良い意図をもってなされたと考えてもまず間違いではないでしょう。なぜなら,元の章句は神に対する不敬の念を示すか,あるいは神の地上の代表者たちに対する敬意の欠如を示しているかのいずれかのように思えたからです。

      19 ヘブライ語の子音本文とは何ですか。その形はいつごろ定められるようになりましたか。

      19 子音本文。ヘブライ語のアルファベットは22の子音文字でできており,母音はありません。元々,読者はその言語の知識に基づいて母音の音を補わなければなりませんでした。ヘブライ語の書き方は略語を書くのに似ていました。現代英語でも,人々が用いる標準的な省略形は数多くあり,その場合にも子音文字だけが用いられます。例えば,“limited”(「有限責任の」)という語の省略形として“ltd.”という語があります。同様に,ヘブライ語は子音文字だけで成る一連の語によって構成されています。このようなわけで,「子音本文」とは,母音符号の付いていないヘブライ語本文のことを指しています。ヘブライ語写本の子音本文は西暦一,二世紀中にその形が定められるようになりました。しかし,その後もしばらくの間は異文を含む本文に基づく写本が流布しました。それ以前のソフェリムの時期とは違って,変更はもはや行なわれませんでした。

      20 マソラ学者はヘブライ語本文に関して何を行ないましたか。

      20 マソラ本文。西暦5世紀から10世紀にかけて,マソラ学者(ヘブライ語,バアレー ハッマーソーラー,「伝承の主」の意)は母音符号とアクセント記号の体系を確立しました。これは朗読と母音の発音の助けとなる,書かれた手引きとなりました。それ以前には,発音は口伝によって伝えられました。マソラ学者は自分たちの伝えた本文を一切改変せず,適当と考えられる場合にはマソラに欄外の注を記しました。彼らは本文を勝手に変更しないよう大変な注意を払いました。さらに,彼らはマソラで本文の特異性に注意を促し,必要と思われる箇所には修正された読み方を示しました。

      21 マソラ本文とは何ですか。

      21 三つのマソラ学派,すなわち,バビロニア学派,パレスチナ学派,そしてティベリア学派が,母音符号やアクセント記号の作成に携わりました。今日,印刷されたヘブライ語聖書に見られるヘブライ語本文はマソラ本文として知られており,ティベリア学派によって考案された記号体系を用いています。この体系は,ガリラヤの海の西岸にあった都市ティベリアのマソラ学者たちによって作り出されたものです。新世界訳はその脚注の中で,マソラ本文(「マソ本」という記号のもとに)とその欄外の注記であるマソラ(「マソ本欄外」という記号のもとに)を何度も参照しています。k

      22 バビロニア系本文のどんな写本が利用できるようになりましたか。それはティベリア学派の本文とどのように比べられますか。

      22 パレスチナ学派は母音の印を子音の上に付けました。そのような写本はごくわずかしか残っておらず,その母音の記号体系が不備なものであったことを明らかにしています。バビロニア学派の母音符号の体系も同じく文字の上に付けるものでした。バビロニア学派の記号体系を示している写本は,西暦916年の「預言者」のペテルスブルグ写本で,それはロシアのサンクトペテルブルク公立図書館に保存されています。この写本にはイザヤ書,エレミヤ書,エゼキエル書,および「小預言者」が含まれており,欄外の注記(マソラ)が付されています。学者たちはこの写本を熱心に調査し,それをティベリア系本文と比較しました。それは母音符号を文字の上に付ける体系を採用してはいますが,子音本文とその母音およびマソラに関しては実際にはティベリア系本文に従っています。大英博物館にはモーセ五書のバビロニア系本文が一部ありますが,実質的にはティベリア系本文と一致することが分かりました。

      23 死海の近くでヘブライ語写本の一連のどんな発見がなされましたか。

      23 死海写本。1947年,ヘブライ語写本史上胸を躍らせるような新しい一章が開かれました。死海地区のワディ・クムラン(ナハル・クメラン)のとある洞くつから,イザヤ書の巻き物が,聖書の他の巻き物,および聖書のものではない巻き物と共に発見されました。その後間もなく,保存のよいイザヤ書の巻き物の複写写真による完全なコピー(クム1イザa)が学者の研究用に刊行されました。それは西暦前2世紀の終わりごろのものと信じられています。実際,それは信じられない発見物でした。イザヤ書の公認のマソラ本文の現存する最古の写本より約1,000年も古いヘブライ語写本だったのです!l クムランの他の洞くつからは170以上の巻き物の断片が発見されました。それらはエステル記以外のヘブライ語聖書のすべての書の一部を含んでおり,それらの巻き物の研究は今なお進行中です。

      24 これらの写本はマソラ本文とどのように比べられますか。新世界訳の中で,これらの写本はどのように活用されていますか。

      24 一人の学者は,詩編の一つの重要な死海写本(クム11詩a)の中の長い詩編 119編を調査した結果,それが詩編 119編のマソラ本文と一語一語ほとんど完全に一致していることが分かったと報告しています。この詩編の巻き物に関して,J・A・サンダーズ教授は次のように述べています。「[異文の]ほとんどは綴字法に関するもので,古代のヘブライ語の発音の手がかりやそれに類する事柄に関心のある学者にとってしか重要な意味をなさない」。a これらの驚くべき古代写本の他の例も,たいていの場合,重大な異文は何もないことを示唆しています。このイザヤ書の巻き物それ自体も,つづり字や文法上の構造の点で多少の相違があることを示してはいますが,教理上の点では変わってはいません。新世界訳の準備をする際,公刊されたイザヤ書の巻き物の異文が検討されたので,新世界訳の中でその点が参照されています。b

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