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考古学は聖書の記述を裏づけていますか目ざめよ! 2007 | 11月
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ニネベで見つかったセナケリブの編年誌[8]には,ユダのヒゼキヤ王の治世中にセナケリブが取った軍事行動のことが述べられ,ヒゼキヤの名が記されています。アッシリアの他の支配者たちが残した楔形文字による記録の中には,ユダの王であるアハズやマナセ,またイスラエルの王であるオムリ,エヒウ,エホアシュ,メナヘム,ホシェアの名前も出てきます。
セナケリブは自分の記録の中で軍事面での成功を誇っていますが,注目すべきことに,エルサレムを攻め取ったとは主張していません。この点も聖書の記録の信ぴょう性を増すものとなっています。聖書には,王がエルサレムを攻囲したとは述べられておらず,むしろ神の介入によって敗北したことが記されています。その後,面目を失ったセナケリブはニネベに戻りましたが,聖書によれば,ニネベで息子たちに暗殺されました。(イザヤ 37:33-38)興味深いことに,セナケリブが暗殺されたことについては,アッシリアの二つの碑文が証拠立てています。
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考古学は聖書の記述を裏づけていますか目ざめよ! 2007 | 11月
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8: Photograph taken by courtesy of the British Museum
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